堂がへり古墳群
福岡県築上町 2012年2月訪問
4基
分布図:説明板より

全景:1号から下方

1号
横穴式石室
位置:33°39′19″N131°00′15″E (日本測地系)
33.65857241 131.00178657(世界測地系)
低い墳丘が残る

石室正面、入り口がハの字状に開く

右前から

天井を失った羨道

内部は埋没

玄室(説明板写真から)

羨道上から、特に右側(正面からだと左側)が開きが大きい、2,3号も同じ傾向

2号
横穴式石室
3号から見た2号

羨道入り口付近、正面が羨道側壁で玄室は左側にある

石室正面、左側が大きく開いている

天井部を失った羨道、幅が狭い

羨道奥と玄室、4基の中では一番状態がいい

床面には敷石、左側に袖がある

奥壁、もう少し上まである

3号
横穴式石室
墳丘、石室正面、石室が現墳丘よりずれているような

やはり左側が開く石室、左の巨石は天井石でしょうか、割りかけた矢穴の跡がある

天井部を失った石室、側壁がせり出しているようでかなり狭い

小型石材を積み上げた奥壁、最後部の天井石1枚残存

奥から外、元々幅も狭かったかも

入り口辺りのしきみ石、左側僅かに突き出た石も玄室との区別でしょうか

奥壁前の石槨、遺体をそのまま葬るにはかなり狭そう

石室斜め上から

石室後方から

4号
横穴式石室
低い墳丘が残る

天井を失った石室露出、羨道の1枚だけ残存

右前から

横から

背後から、左側壁が胴張りになっている

今にも落下しそうな天井石

小型の玄室

2枚の石を並べた奥壁が2号と共通、上部突き出た石は天井ではなさそう

奥から外、両袖式、左右の袖幅や石材が大分違う

(見学記)
築上町船迫、船迫窯跡公園内にある4基からなる古墳群です。県道238号に公園案内がありそこから400m、広い公園ですが案内表示があるので丘に登っていくとすぐです。4基の古墳が斜面に集中していて下から4,3,2,1号です。一番下の4号は一番小形、天井部を失った両袖式石室が露出、玄室は2m四方くらいです。3号は細長く背の高い石室で奥壁前に小さな石槨があります。遺体をそのまま入れるには小さすぎるしひょっとして火葬骨でも入れたんでしょう。2号は石室が一番よく残っていて羨道前部の天井を失っていますがそれ以外は良好、片袖式の玄室ですが柵があって中には入れません。床面には敷石が敷かれています。羨道前面はややハの字状に開き墳丘裾に列石があってこちら側だけ威儀を整えているようです。一番上の1号は前面がはっきりハの字状に開いていますが石室は埋没しています。7C中~後半と短期間に造営されたようですがその割に石室の形式が随分変わっているのが興味深いです。公園駐車場有り。
4基
分布図:説明板より

全景:1号から下方

1号
横穴式石室
位置:33°39′19″N131°00′15″E (日本測地系)
33.65857241 131.00178657(世界測地系)
低い墳丘が残る

石室正面、入り口がハの字状に開く

右前から

天井を失った羨道

内部は埋没

玄室(説明板写真から)

羨道上から、特に右側(正面からだと左側)が開きが大きい、2,3号も同じ傾向

2号
横穴式石室
3号から見た2号

羨道入り口付近、正面が羨道側壁で玄室は左側にある

石室正面、左側が大きく開いている

天井部を失った羨道、幅が狭い

羨道奥と玄室、4基の中では一番状態がいい

床面には敷石、左側に袖がある

奥壁、もう少し上まである

3号
横穴式石室
墳丘、石室正面、石室が現墳丘よりずれているような

やはり左側が開く石室、左の巨石は天井石でしょうか、割りかけた矢穴の跡がある

天井部を失った石室、側壁がせり出しているようでかなり狭い

小型石材を積み上げた奥壁、最後部の天井石1枚残存

奥から外、元々幅も狭かったかも

入り口辺りのしきみ石、左側僅かに突き出た石も玄室との区別でしょうか

奥壁前の石槨、遺体をそのまま葬るにはかなり狭そう

石室斜め上から

石室後方から

4号
横穴式石室
低い墳丘が残る

天井を失った石室露出、羨道の1枚だけ残存

右前から

横から

背後から、左側壁が胴張りになっている

今にも落下しそうな天井石

小型の玄室

2枚の石を並べた奥壁が2号と共通、上部突き出た石は天井ではなさそう

奥から外、両袖式、左右の袖幅や石材が大分違う

(見学記)
築上町船迫、船迫窯跡公園内にある4基からなる古墳群です。県道238号に公園案内がありそこから400m、広い公園ですが案内表示があるので丘に登っていくとすぐです。4基の古墳が斜面に集中していて下から4,3,2,1号です。一番下の4号は一番小形、天井部を失った両袖式石室が露出、玄室は2m四方くらいです。3号は細長く背の高い石室で奥壁前に小さな石槨があります。遺体をそのまま入れるには小さすぎるしひょっとして火葬骨でも入れたんでしょう。2号は石室が一番よく残っていて羨道前部の天井を失っていますがそれ以外は良好、片袖式の玄室ですが柵があって中には入れません。床面には敷石が敷かれています。羨道前面はややハの字状に開き墳丘裾に列石があってこちら側だけ威儀を整えているようです。一番上の1号は前面がはっきりハの字状に開いていますが石室は埋没しています。7C中~後半と短期間に造営されたようですがその割に石室の形式が随分変わっているのが興味深いです。公園駐車場有り。