堂ノ山箱式石棺墓

福岡県福岡市東区 2018年2月訪問

>堂ノ山箱式石棺墓
箱式石棺
位置:33°40′45″N 130°18′02″E (日本測地系)
   33.56273941 130.47155515(世界測地系)

丘陵頂部に古い墓地


その中に箱式石棺蓋石露出


雨が降りしきる中での見学


蓋石は2枚でしょうか、随分大きさが違う


内部の様子、僅かに赤い色が残っているかな、男女2体の遺骨が入っていたそうです


見学記
東区勝馬、志賀島北部に西福禅寺がありその背後が小さな小高い丘になっています。丘頂部が小さな古い墓地となっていてその中でも頂部に箱式石棺が露出しています。割と山の中だけど海が望める葬送の地としても絶好の場所でしょうか。発掘によって男女2体の人骨が出土、女性の方は追葬だそうで箱式石棺という形態からして墳丘はあまりなかったんでしょうか。寺前に駐車スペースあり。市史跡だが説明板の類は一切なし。

中津宮古墳

福岡県福岡市東区 2018年2月訪問

竪穴系横口式石室(埋戻し)
位置:33°41′01″N 130°17′36″E (日本測地系)
   33.68688959 130.2910118(世界測地系)

海岸近くの小さな独立丘陵上にある


社殿前に石室があるそうだが埋戻し


説明板の写真より


見学記
東区勝馬、志賀島北端辺りに勝馬小学校がありその北側小さな丘の上に中津宮があります。社殿前に石室がありましたが現在は完全に埋め戻されています。東側鳥居前に説明板があり石室写真が載っていて竪穴系横口式せきしつだそうです。7C前半の石室だそうで入り口のなくなった退化した横穴石室のようにも見えます。鳥居前に駐車スペースあり。市史跡。

草場古墳群

福岡県福岡市西区 2018年2月訪問

11基、4基を公園として保存、他は消滅

全景、奥に2号、画面左に3号


分布図、3号石室図、分布図だと12基あるけどね


1号
位置:33°34′22″N 130°17′56″E (日本測地系)
   33.57606911 130.2965675(世界測地系)
北側半分は住宅で削平のようだ


石室正面、石室もどれくらい残っているか


2号
低い墳丘、僅かに高まりが分かる程度


3号
背の高い墳丘が残る


南側から、石室は埋戻し、石室の様子は古墳とかあれ


4号
横穴式石室
低い墳丘が残る


上部を失った石室露出、手前が羨道側


玄室後方上から


斜め後方から


一応奥から外、右片袖なのかな


奥壁、基部が大きいが上部が凹んだ変わった石


見学記
福岡市西区生の松原3丁目、西陵中学校西側に公園がありその中に4基保存されています。全11基ですが他は調査後消滅しています。グーグルマップで見てみると小さな公園だし広場にもなっていてこんな所に4基もあるのかと思いましたが確かにありました(当たり前)。1-4号が保存、殆ど接するように連なっています。北側にあるのが1号でこれが方墳、入り口辺りの石材が露出していますが墳丘半分以上削られています。その隣の2号は低平な墳丘、更に南に3号、背の高い墳丘が残っていますが石室は埋戻し、急斜面に立地しているので山側から見ると随分小さく見えます。その隣の4号、墳頂部に天井を失った石室露出、両袖式で羨道も残っています。これがあったから辛うじて来た甲斐があったというものです。HP「古墳とかあれ」で3号石室内部が見られますが子供が来るような公園であんな状態では土嚢で塞がれるのも無理ないわ。市史跡。

広石古墳群

福岡県福岡市西区 2018年2月訪問

広石古墳群
9基、高校建設で7基調査

高校敷地内に大きな説明板、個々の古墳の説明は無し


その1
位置:33°33′35″N 130°18′01″E (日本測地系)
   33.56301483 130.2979567(世界測地系)
藪の中に突っ込むと石室完全露出、これは左側壁で左が奥壁側、右側壁は1/3程度しか残っていない


鏡石を据えた奥壁


画面右奥壁、左側壁


側壁中間辺り


玄門袖部


その2
墳丘は残るが石室見られず


見学記
福岡市西区拾六町、福岡西陵高校内にある古墳群です。9基の内高校建設で7基調査(多分消滅だろうな)、構内道路沿いに説明板が立っています。ここまで来てこの説明板を見るだけでは流石に侘びしすぎる、まだ2基残っているはずだと背後の藪の中に入ってみたら天井石を失った石室が露出していました。残っているのは左側側壁と奥壁、玄室右側壁の一部程度ですが1基だけ見つかっただけでもホッ、あまり長居出来る場所でもないのでそうそうに引き上げました。校門前に駐車可。

今宿古墳群

福岡県福岡市西区 2018年2月訪問

消失を含めて前方後円墳13基他総数350基以上、首長墓の系譜を辿れる古墳群
(西側から見学順に表示)

飯氏二塚古墳兜塚古墳丸隈山古墳山ノ鼻1号若八幡宮古墳今宿大塚古墳鋤崎古墳(クリックでジャンプ)

飯氏二塚古墳
前方後円墳、TL49.6,R27.3,FW36.9,RH5、6C初
横穴式石室(破壊)
位置:33°33′43″N 130°14′54″E (日本測地系)
   33.56523443 130.24601579(世界測地系)
丘陵から突き出た短い尾根上に構築、南側から見た後円部


前方部から後円部


後円部から前方部、端が広がる新しい形式


後円部側面が大きく盗掘


石室や葺石の様子(説明板より)


円墳
二塚から兜塚に行く途中にある、割と大きい、道路向かいにあるはずの立柱石は記憶がない


兜塚古墳
前方後円墳、TL53,R43,RH6、5C後半
横穴式石室、全長4.4m、玄室幅2.4,高1.6m
位置:33°33′44″N 130°15′02″E (日本測地系)
   33.56551234 130.24823775(世界測地系)
道路脇にある説明板から見た墳丘、手前が前方部のようだがハッキリしない


石室は前方部の方を向いている


石室正面、前部は少し破壊


竪穴石室を思わせる古式横穴石室


側壁は持ち送りがあり天井石は大型


右側壁


左側壁


奥から外、画面下のは閉塞石?


よく残る後円部、上部は広い平坦面になっている


平坦面端に上段墳丘、大分削られている


丸隈山古墳
前方後円墳
横穴式石室
箱式石棺
位置:33°34′14″N 130°15′16″E (日本測地系)
   33.57384511 130.25212581(世界測地系)
県道脇に大きな墳丘、これは前方部端


墳丘図(説明板より)


上部は広い平坦面になっている


後円部中央に石室、1927年に復元修復、玄門は破壊だが前方部の方、北向きに開口


側壁奥壁とも小口積みの初期横穴席室


2基の箱式石棺は側板を共有した珍しいタイプ


蓋石には彫り込みがある、幅が石棺とあわないような


上部墳丘、これも復元なんだろうか


山ノ鼻1号
前方後円墳、TL37,R21、4C前半
位置:33°34′21″N130°15′45″E (日本測地系)
   33.57578982 130.26018075(世界測地系)
公園化され墳丘復元


周りはすっかり商業施設などに開発、以前の様子は古墳とかアレで見ることが出来ます


開発前の墳丘、くびれ部葺石(説明板より)


若八幡宮古墳
前方後円墳、TL44,R27(前方部消滅)、4C前半
位置:33°34′14″N 130°15′45″E (日本測地系)
   33.57384558 130.26018086(世界測地系)
山ノ鼻1号からの遠望、交通量の多い国道等があって横断が面倒なので手抜き


大塚古墳(今宿大塚古墳)
前方後円墳、TL64,RH6.5、6C前半
位置:33°34′12″N 130°16′22″E (日本測地系)
   33.57329053 130.270458(世界測地系)
すっかり裸になって現状保存、余計な装飾をしなくてよかった


北からの側面、手前に外堤、尾根筋に直行するように立地


前方部隅方向から、北側に広い周溝


南東方向から


南側からの側面、こちらの方が地形が高い


北側にも外堤と2重周溝


後円部北側周溝、地形的に水は溜まってなかっただろうな


復元前の航空写真(説明板より)


鋤崎古墳
前方後円墳、TL62,RH7、4C後半
位置:33°34′06″N 130°17′12″E (日本測地系)
   33.57162456 130.28434611(世界測地系)
県道脇に大きな説明板、ここから入っていける、後方の林の中に尾根先端に構築された墳丘がある


前方部から後円部、墳丘は極めて良好、古式横穴石室は埋戻し


後円部から前方部


丘尾切断部


前方部端


古式石室(説明板より)


見学記
高祖山北麓に分布する消滅も含めて前方後円墳13基を含む350基以上の大古墳群、首長墓の系譜が辿れる貴重な古墳群として7基の前方後円墳が国史跡に指定されています。でも国道202号や高速道路が通り周辺は大規模開発されて7基だけでもよく残ったなと言うのが正直な感想です。場所が場所だけに車では訪問しづらい場所です。(西側から訪問順に紹介)

飯氏二塚古墳
福岡市西区飯氏、筑前高校北200m、丘陵上にある全長48mの前後です。林の中に墳丘が良好に残っていますが後円部が大きく抉られ主体部は殆ど破壊されています。説明板に写真が載っていて横穴石室が僅かに残っていたようです。石室の様子や前方部端が広がっている形式から群中でも新しい前方後円墳のようです。因みに飯氏の読みは”いいじ”です。

兜塚古墳
福岡市西区飯氏、二塚東方200mの所にある全長53mの前方後円墳です。前方後円墳とは言え前方部は短く低平、帆立貝式に近い形です。後円部頂は広く平坦でこれだけ見ると中期古墳ですが平坦部の端に高まりがあり石室が構築されています。見ただけでは竪穴石室ですが古式横穴石室だそうです。後円部中央でなく端の方、しかも下段でなく上段の一部を墳丘上に盛り上げて石室構築、開口部(壊失)も前方部の方を向いているのが竪穴石室とは異なります。
二塚との間に円墳がありますが頂部が大きく盗掘されている。道向かい側に2本の袖石を思わせる石柱が立っているそうだが記憶にない、あれば撮っていると思うんだが。

丸隈山古墳
福岡市西区周船寺、古い町並みの中に大きな墳丘が残っています。前方部北向き、前方部に階段があって登っていきますが何十段もあります。上部はほぼ真っ平ら、当時からそうだったんでしょうか。後円部中央に石室がありますがこの石室の為に一段分大きくなっている。小口積みの石室は竪穴石室を思わせますがさすがに竪穴としては巨大過ぎる、5C前半の初期横穴石室だそうです。石室の位置と言い開口部の方向と言い如何にも竪穴から横穴への移行を思わせる石室です。開口部は前方部を向いていて残念ながらその部分は失われていますがこれだけ残っただけでも奇跡的です。内部に2基の箱式石棺がありますが間の石が共通になっています。一つだけでも箱式石棺としてはかなり大型、2基連結なので更に大きく見えます。柵があるので中には入れませんが隙間が大きいのでこれで十分。前方部側に駐車スペースがありますが東側から来ると入れるのに苦労しそう。

山ノ鼻1号
福岡市西区徳永北、ここは周りがすっかり開発され古墳の場所も広い公園として整備されています。前方部を北に向けた前方後円墳で全長37m、4C半ばで群中最古だそうです。ただ本体は埋めて復元なので訪問しても面白味はありません。公園はまだ一部整備中でしたが駐車場はなさそう。HP「古墳とかあれ」で開発前の状態が見られますが古墳も周辺もまるで別物だわ。

若八幡宮古墳
福岡市西区徳永、山ノ鼻1号北側にある前方後円墳ですが前方部は失われています。すぐ側ですが間に交通量の多い国道があるので歩いていっても時間がかかるし車で行っても停められそうな場所もないので遠望に留めました。

大塚古墳(今宿大塚古墳)
福岡市西区今宿西1丁目、ここも広い公園になっています、てっきりここも墳丘修復かと思いましたが現状のまま裸の状態で保存されていましたホッ。全長64mの前方後円墳で6C前半、古墳群の中でも終わりの頃のようです。当然横穴石室でしょうが主体部は確認されていないようです。周りを幅広い周溝が巡り南側は2重になっています。ここが他とちょっと違うのは尾根筋先端に立地していますが主軸が尾根筋に直交していることです。他は尾根と同じ向きになっていますからね。ここも駐車場はないようです。

鋤崎古墳
福岡市西区今宿青木、群東端にある全長62mの前方後円墳で4C後半、早い段階の築造のようです。北側県道に説明板が立っていてその辺りから入っていけます。林の中にある墳丘は非常に良好で削られたり崩れているようなところは見当たりません。前方部があまり広がらないのも古式な様相、後円部中央に初期横穴石室がありますが完全埋戻しで全く見られません。南側尾根を切断した跡もハッキリ残っていてこれも古いタイプを思わせます。石室は見られないけど良好な墳丘を見るだけでも訪問した価値がありました。説明板道路反対側に歩道の広い部分がありそこに駐車しました。

谷上古墳群

福岡県福岡市西区 2018年2月訪問

前方後円墳1他

1号(谷上古墳)
前方後円墳、TL37,RH3
横穴式石室、玄室長2.6,幅1.6-2.2m
位置:33°33′46″N 130°16′28″E (日本測地系)
   33.56606913 130.27212488(世界測地系)
尾根筋頂部に立地、高まりが見えてあったと思ったのですが


前方部端にしては大きすぎるかな


上に上がると更に高まり、後円部だと思ったのですが


横から見ると奥に本物の後円部があった、最初の平坦地も儀式の場所だったんでしょうか


正真正銘の前方部端


前方部から後円部、木が伐採され見やすくなっていた


後円部から前方部


後円部南側に上部を失った石室露出、右側の側壁はかなり破壊


南側から


奥壁、特に大きな石材はない


右側壁


奥から、一見玄門がないように見えますが


よく見ると扉石が残っているようです、上に土嚢があり羨道も残っているかもです


墳丘側面、左後円部右前方部


2号
位置:33°33′49″N 130°16′29″E (日本測地系)
   33.56690239 130.2724026(世界測地系)
尾根筋からやや外れた緩斜面に位置する


上部を失った石室露出、2m四方程


後方から、石室前は急斜面


奥壁


右側壁


左側壁


奥から外、両袖式


3号
かなり破壊された石室


4号
位置:33°33′50″N 130°16′32″E
1号のある尾根から派生した尾根先端辺りに立地、手前に天井石がずり落ちている


原型を留めているのは最後部だけ


開口部正面


奥壁上部が何とか見えている


見学記
福岡市西区今宿上ノ原、丘陵上にある全長37mの前方後円墳で石室もあるそうなので是非行ってみたかったけど難しいかなと思っていましたが登り口さえ見つければそれ程困難ではありませんでした。北側に送電線鉄塔保守用の山道がありそこから登っていきます。祠までははっきりした道ですがその先は山道、でもコフニストなら問題なし。尾根筋(ここは中世山城だそうで堀切等が残っている)に至ったら南に行きます。途中に鉄塔があり更にその先に古墳があります。前方部北向き、手前が平坦面になっていて古墳それとも山城の施設?。墳丘上の樹木が伐採されて見やすくなっていましたが棘のあるサルトリイバラの芽生えが多数あって冬場以外では動き回るのが難しそう。後円部に天井を失った横穴石室露出、石室自体は平凡ですが両袖式の玄門に閉塞石だか扉石が残っています。石室自体はたいしたものではないですがここは来たことに価値がある(笑)。市史跡ですが説明板や案内板は全くありません。単独の古墳ではなくA群(20基)、B群(4基)、C群(5基・消滅)からなりこれはB群1号となります。尾根を戻って鉄塔に戻る、このすぐ東側に石室があります、これがB2号、天井を失っていて2m四方程の大きさ。更に尾根を戻ると東側に伸びる尾根筋があります。下ってすぐ右(南側)にあるのがB3号ですが崩壊埋没した石室です。尾根先端辺りの南斜面にあるのがB4号、石室前部が崩壊し奥辺りが残っています。A群は西側にあるようですが状態はあまり良くないようなのでパス。北側にお寺があり広い駐車場があるので停めさせてもらいました。

金武古墳群

福岡県福岡市西区 2018年2月訪問

12基、3-5号消滅
(北東側からの方が見学しやすいので番号逆順)

12号
墳丘は割と残る、左下のは転落した天井石か


僅かに石室の一部が露出


11号
横穴式石室、玄室長4.2,幅2.1,高2.6m
位置:33°31′35″N 130°18′42″E (日本測地系)
   33.52968427 130.309346(世界測地系)
背の高い墳丘


石室正面


狭い開口部、天井石が割れている


開口部から覗いた石室内部、天井石真っ二つだ


持ち送りのある玄室側壁、奥壁は下部に鏡石らしい半円形の石材、ほかは四角い石


〃縦位置、左上は出過ぎているな


やや狭い天井、石材2枚


奥から外、両袖式だが左右が随分違う


〃縦位置、やはり上部の持ち送りが強い


10号
僅かな高まりに石材散乱


石室の様子もわからない程破壊


9号
複室横穴式石室、全長7m以上、玄室長2.68,幅1.9-2.4,高2.45m
大きな墳丘に天井石らしい石材露出


石室後部天井が破壊されている


天井開口、右の天井石は割った跡が残っている


背が高くて中に入れず、以前はあったという梯子もなくなっていた


両袖式玄門、複室のようだ、こういう時に限って羨道も埋まってない


側壁、袖石は薄そう


反対側側壁


奥壁


墳丘南側、本来はこちらに開口しているはず


8号
横穴式石室、全長5.7m以上、玄室長3.03,幅2.25,高3.05m
これも大きな墳丘が残る、穴は多分動物の巣穴


墳頂部に天井石露出、これは緑泥片岩


ここも天井開口、玄室の背が高く入れず


両袖式、羨道は埋没


〃縦位置、これでは複室かどうか分からない


側壁、石室内部は花崗岩


床面に仕切りのようなものがある


奥壁、アングルがとれず


7号
装飾横穴式石室、全長6m、玄室長2.78,幅2.26,高2.8m
これも大きな墳丘が残る、細長い丘の中軸よりは東寄りに位置する


反対側から


他と違い東向きに開口、土嚢で閉鎖、画面手前は前庭だそうだ


隙間から撮影、玄室は良好のようだ


奥壁に赤い装飾模様がある、上半分は多数の渦巻文だそうです、下半分に手を挙げる人物像があるそうですが奥壁下半分やや右側に赤っぽく見えているのがそれのようですがもう人物ともわからない状態です。


6号
横穴式石室、玄室長2.75,幅1.95,高2.5m
位置:33°31′32″N 130°18′42″E (日本測地系)
   33.528851 130.30934603(世界測地系)
南端に一番大きな墳丘、向こう側は土取りで崖になっている


天井開口部、ここからは入れません


崖面に開口、ここが羨道入口辺り


開口部正面、入るのは問題ないが崖に注意


背の高い玄室、小型石材乱石積み


〃縦位置、天井開口部が絶好の明り取り窓になっている


狭い天井部


側壁左側


〃右側


奥から外、両袖式


羨道奥から、閉塞石が残っている


見学記
福岡市西区吉武、夫婦塚2号から県道を挟んだ北側に南北に細長い丘陵があり7基の古墳があります。南から6-12号、丘南側は削られていて3-5号は消滅、南側の1,2号は藪の中のようです。7基の内石室内に入れるのは2基、天井部が開口しているのが2基です。9号は以前は梯子があって内部に降りられたようですが梯子がなくなっていました、残念。7号は装飾古墳ですが入り口は土嚢で閉鎖、隙間から撮影すると石室自体はよく残っている用で奥壁に僅かに赤い顔料による装飾が見られます。そのせいでしょうか、7号だけが市の史跡です、他も素晴らしく全体を支石にしても良さそうなんですけどね。丘陵上はそれ程藪でもなく歩きやすいので見学は容易ですが南端の6号は土取りによる崖面に開口しているので注意が必要。東側墓地近くに駐車スペースあり。

羽根戸古墳群(G支群)

福岡県福岡市西区 2018年2月訪問

A-P支群に分かれる

G支群
(見学順)
今週その11,12追加(クリックでジャンプ)

その1
大きな墳丘、背後は土取りで大分削られている、石材見られず、別の支群かもしれない


その2
高まりに石材があったら取り敢えず撮影


この辺りは石室っぽい


その3
これも同様


石室の向きさえよく分からず


その4
背の高い墳丘


墳頂に巨石露出


内部は埋没、残念


その5
高まりに石材


だんだん面倒になりこの程度では撮らなくなった


その6
位置:33°32′36″N 130°18′13″E (日本測地系)
   33.54662733 130.30129032(世界測地系)
背の高い墳丘が残る


何故か北向きに開口


狭い開口部


開口部からこの程度は撮れる、入れないこともないけど時間がなかったのでパス


天井石が外されて開口


背が高くてここから入るのは難しい


両袖式の玄門、袖幅が大分異なる


奥壁、上部の石に奥行きがある、側壁では割と見かけますが奥壁ではあまりないな


その7
墳丘としては割と大きい


盗掘で破壊、右側がまぐさ石のようだ


その8
石材が直線状に並んで石室っぽい


近寄ると却ってよく分からず


その9
これは手前が開口部のようだ


立っているのは奥壁の一部かな


その10
肉眼では高まりが分かる程度


盗掘跡のような窪みに石材


その11
大きな墳丘、頂部に巨石、やっと期待できそうなのに出会う


期待通りの石室開口


石室正面、ここは前室かな


羨道は天井を失い埋没


後室玄門


均整のとれた三段積みの奥壁、側壁もやや持ち送り


〃縦位置


奥から外、両袖式、あまり奥行きはない


その12
11の隣にも大きな墳丘


墳頂部に石室露出、右が羨道入り口辺り、左が玄室


狭い開口部、埋まっているのはこの部分だけ


前室かな羨道かな


鏡石を据えた奥壁、鏡石以外はブロック状の石を積む


〃縦位置、背が高い


板状の石があるが石棺でしょうか


狭い天井


奥から外、両袖式、まぐさ石はなさそう


前室じゃなく羨道かな


H支群
18号
位置:33°32′34″N 130°18′16″E (日本測地系)
   33.54607183 130.30212363(世界測地系)
古墳群の中で一番目立つ墳丘


こちらが石室正面のようです


見学記
福岡市西区羽根戸、西部霊園付近一帯に分布するA-P支群からなる古墳群です。霊園手前300m辺りに大きな墳丘、これがH支群の1基ようで南側に開口部を思わせる石材が見えています。その北側林の中に多数の古墳があります。これがG支群でしょうか。分布状況は全く分からないのでただひたすら歩き回って探し十数基見つけました。でも来たのが4時過ぎ、1時間ほど探しましたが流石に周りきれなかった、まだまだありそう。群集墳だと墳丘規模自体はそれ程大きな違いはありませんがここのは小型のと中型レベルのとハッキリ分かれています。小型のは石室が破壊され石材が散乱している程度、石室だともわからないレベルです。中型のは中に入れるのが幾つか、単室や複室など色々です。H支群背後の道が行き止まりなので駐車可。
他の支群にまだ多くの石室があるようなので再訪決定、とは言え福岡市周辺、特に西部方面は道の駅が無いので私的には行きづらい地域。

夫婦塚2号(夫婦塚古墳)

福岡県福岡市西区 2018年2月訪問

夫婦塚2号(夫婦塚古墳)
円墳、R30、6C後半
横穴式複室石室、全長11.5m、羨道長3.45,幅1.4、前室長2.2-3,幅2,高2、後室長3.6,幅2.45,高3.1m
位置:33°31′21″N 130°18′41″E (日本測地系)
   33.52579568 130.3090683(世界測地系)

墳丘北側の竹林が伐採されています、墳丘はよく残っているようです


基壇のように残っているのは元の地面でしょうか


南向きに開口、前が谷なのであまり下がれません、石垣は後世のでしょうね


石室正面、羨道は天井を失う、ハの字型に開いているような、手前の石列はなんでしょう


前室入り口、立ったまま悠々入れる


前室玄門、右は袖石になっていますが左は壁面に埋め込まれているような


〃縦位置、前室天井は他とレベルが揃っている、床面に大きなしきみ石


前室、ぶれるのでカメラを地面に据えて撮影


前室右側壁、巨石1枚だが殆ど引っ込んでいない


〃左側、同じく巨石だが形状が随分違う、こちらはやや引っ込んでいる


巨石で構成された玄室、奥行きはそれ程でもない、奥壁も側壁も天井石も巨石1枚石


〃縦位置


天井石


奥から外、両袖式


〃縦位置、巨石のまぐさ石


前室奥から


前室、奥から左方向、手前の袖石、平面に削られているような


〃右方向


近くに1号があったようです(説明板より)、消滅のようで今は影も形もない


見学記
福岡市西区金武、かなたけの里公園があり公園内ではないですがその西端辺りにあります。径30m高4.5mの大きな墳丘が残っています。前が谷になっていてそれを見下ろすように立地、南に開口する複室石室です。全長11.5m、羨道前は少し開き気味のようです。前室玄門は右は普通の柱状ですが左は壁状と左右非対称、下にはしきみ石があります。前室は天井は高くなく(それでも十分高いですが)右側はそれ程引っ込んでいません。玄室に入るとこれはもうただただ驚き、左右側壁奥壁天井石も1枚で構成されそれでいて高さは3.1mと高い、巨石で構成された石室はままありますがこれ程の巨石はそうそうあるものではありません、凄いの一言でした。説明板の写真によれば近くに1号石室基底部が残っていたようですが現在は跡形もありません。比較的最近まで残っていたようですけどね。グーグルマップで見てみると前の道路が狭そうだったので公園駐車場に停めて歩いてきましたが車を停めるのに問題ないくらい広い道路だった(汗)、300m程度ですけどね。市史跡。

羽根戸南古墳群

福岡県福岡市西区 2018年2月訪問

G2号
前方後円墳
位置:33°32′15″N 130°18′27″E (日本測地系)
   33.54079447 130.30517919(世界測地系)

水道局施設に箱式石棺を保存、説明板は簡単だが支柱が水道局らしく立派


側板や小口は巨石1枚、蓋石は2枚で構成


左側の側板はかなり薄いが右側のは分厚い


駐車場直ぐ側で戸外展示


見学記
福岡市西区羽根戸、水道局施設建設に伴い支群の一部を発掘調査、現在前方後円墳だったG2号から出土した箱式石棺が建物前に展示されています。他に施設正門前に説明板があるだけ、巨石を使った大型石棺ですが詳細は分からず。石棺の見学だけなら特に挨拶することもなさそうです。Gと名がついているから支群でしょうか、他の古墳の様子は全くわからず。
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