新原・奴山古墳群
福岡県福津市(旧津屋崎町)2012年12月訪問
前方後円墳5,円墳42,方墳1(2-6号は国道などで壊失)
分布図(説明板より)カントリーエレベータの位置は間違い、実際は12号南側

1号
前方後円墳、TL50,R29,RH5,FW31,FH4(復元値)
横穴式石室
位置:33°48′58″N 130°29′17″E
南側からの遠望、右側に47,48号があるが低墳丘でよく分からない

前方部消滅、後円部も盗掘で大きく凹む、手前の巨石は石室天井石でしょうか

石材露出、横穴式石室だそうだ

7号
方墳
位置:33°48′51″N 130°29′08″E
唯一の方墳

大きな墳丘が残るが背が低くなっている

8号
7号側、地形的には一番低い位置にある

9号
小さな墳丘、石材が見えるが石室でしょうか

10号
緩斜面にやや大きな墳丘が残る

11号
カントリーエレベーター内に現状保存

12号
前方後円墳、TL57,R36,RH6,FW48,FH5.5
位置:33°48′54″N 130°29′13″E
西側から、良好な墳丘が残る、左が前方部

南側から、左が前方部

北側から、_1の反対側

前方部から後円部

後円部から前方部

13,14号
12号前方部脇に並ぶ、手前が14号

15号
端正な墳丘が残る

反対側は一部削られている

18号
正面が18号、左奥15号、右奥19号

19号
15号墳頂から、初めは15号の前方部かと思ったよ

20号
大型円墳が姿良く残っている、二段築成か

24号からの眺め

21号
墳丘に鎌倉中期の石塔が8基建つ(県文化財)、墳丘自体は大きいが背が低くなっている

22号
帆立貝式、R54-56
最大の古墳、前方部は手前にあったが削平、神社社地になり樹木に覆われている、頂部は広く平、小さな祠があるだけ

(以下11月28日アップ分)
24号
前方後円墳、TL54,R31,RH7,FW8.5,FH5
位置:33°48′55″N 130°29′19″E
真横から、墳丘が良好に残る

後円部正面、右側に外堤

外堤と後円部

1号からの遠望、遠方森が22号

30号からの遠望、前方後円墳の中で最も美しい

前方部から後円部

後円部から前方部、遠方に1号

25号
二段築成の大型円墳、上部平

野焼きされて真っ黒け、以下の古墳も同様でした

26-29号
崖際に4基並ぶ、画面では2基しか見えてないかな

30号
前方後円墳、TL54,R28,RH8,FW34,FH3
位置:33°48′50″N 130°29′26″E
斜め後方から、墳丘比較的良好、墳丘が黒いとコントラストが悪くなるな

25号から、前方部正面

横から見ると丸く高い後円部に低平な前方部、前方部は上部が削られたのかな

後円部正面

後円部から見た前方部、端がやや広がる、奥が25号、右遠方に24号

31,32号
30号から、左31,右32号

33号
多少変形

古墳列1
左正面が34号、右奥にかけて34-43号が並ぶ

34号
背の高い墳丘が残る

上記反対側、少し削られている

石室石材でしょうか、天井石かな

35号
手前が35,奥が34号

36号
良好な墳丘に見えるが

墳頂盗掘で石材が転がり落ちている(一番手前のは丸太)

37号
周囲が削られているよう

38号
盗掘で二ツ山状態

39号
右手前が39,奥が40号

40号
全般に背の高いのが多い

41,42号
手前41,奥42号

43号
崖のようになっている、地形そのものが改変

古墳列2
東側からの遠望

(見学記)
福津市勝山、低く突き出た丘陵上に構築された前方後円墳5,方墳1,円墳42基からなる古墳群です。丘の標高は10m程度ですが周辺からみると一段高くなっていて海も望め古墳群を造るにはいかにも適地と言った感じです。国道495号やカントリーエレベーターで2-5号が消滅していますが他はよく残っています。最大の22号は神社になっていて林で覆われていますが他はほぼ裸の状態で観察も容易です。一番北側の1号は前方部が国道で破壊され後円部も半分くらいしか残っていませんが石室らしき石組みが露出墳丘裾には多分天井石であろう大きな石が転がっています。その側の24号も非常に保存状態のいい前方後円墳で緩斜面に構築されているせいなのかどうかは分かりませんが後円部下方側に外堤が築かれています。1号と24号の間に47,48号がありますが大きな番号が与えられているところをみると大分後になって古墳と認識されたのでしょうか僅かな高まりがある程度です。最大の22号は前方部壊失、帆立貝式のようです。東西にある20,25号は大型円墳です。側の21号は金網に囲まれていますがこれは鎌倉中期の石塔(県史跡)が8基あるためのようです。25号東側に前方後円墳の30号、前方部上部がすっかり平らになっていますが前方部端は広がってきているようです。この南東側には34-43号が直線状に並んでいます。34,36,40号など規模の割に背の高い墳丘を持っていて盗掘で石材が散乱しているのもあります。これらの古墳列を北側から撮影した場所に44,45号があったはず(後から気がついた)でもそれらしき墳丘はなかったような。44号で石棚を持つ石室があるそうですが埋め戻したのかな。国道西側に行ってカントリーエレベーター北側には前方後円墳の12号がありこれも背の高い良好な墳形を保っています。西に降りていくと唯一の方墳7号があります。地形的には群の中で一番下方、大きな墳丘ですが高さはすっかり低くなり墳形も円形のように見えます。国道脇に説明板(分布図のカントリーエレベータの位置が違っている)がありますが個々の古墳にはありません。せめて標柱くらい欲しかった。将来は歴史公園にする予定だそうです。一部国史跡。説明板向かい側に旧道残存部がありそこに駐車可。
前方後円墳5,円墳42,方墳1(2-6号は国道などで壊失)
分布図(説明板より)カントリーエレベータの位置は間違い、実際は12号南側

1号
前方後円墳、TL50,R29,RH5,FW31,FH4(復元値)
横穴式石室
位置:33°48′58″N 130°29′17″E
南側からの遠望、右側に47,48号があるが低墳丘でよく分からない

前方部消滅、後円部も盗掘で大きく凹む、手前の巨石は石室天井石でしょうか

石材露出、横穴式石室だそうだ

7号
方墳
位置:33°48′51″N 130°29′08″E
唯一の方墳

大きな墳丘が残るが背が低くなっている

8号
7号側、地形的には一番低い位置にある

9号
小さな墳丘、石材が見えるが石室でしょうか

10号
緩斜面にやや大きな墳丘が残る

11号
カントリーエレベーター内に現状保存

12号
前方後円墳、TL57,R36,RH6,FW48,FH5.5
位置:33°48′54″N 130°29′13″E
西側から、良好な墳丘が残る、左が前方部

南側から、左が前方部

北側から、_1の反対側

前方部から後円部

後円部から前方部

13,14号
12号前方部脇に並ぶ、手前が14号

15号
端正な墳丘が残る

反対側は一部削られている

18号
正面が18号、左奥15号、右奥19号

19号
15号墳頂から、初めは15号の前方部かと思ったよ

20号
大型円墳が姿良く残っている、二段築成か

24号からの眺め

21号
墳丘に鎌倉中期の石塔が8基建つ(県文化財)、墳丘自体は大きいが背が低くなっている

22号
帆立貝式、R54-56
最大の古墳、前方部は手前にあったが削平、神社社地になり樹木に覆われている、頂部は広く平、小さな祠があるだけ

(以下11月28日アップ分)

24号
前方後円墳、TL54,R31,RH7,FW8.5,FH5
位置:33°48′55″N 130°29′19″E
真横から、墳丘が良好に残る

後円部正面、右側に外堤

外堤と後円部

1号からの遠望、遠方森が22号

30号からの遠望、前方後円墳の中で最も美しい

前方部から後円部

後円部から前方部、遠方に1号

25号
二段築成の大型円墳、上部平

野焼きされて真っ黒け、以下の古墳も同様でした

26-29号
崖際に4基並ぶ、画面では2基しか見えてないかな

30号
前方後円墳、TL54,R28,RH8,FW34,FH3
位置:33°48′50″N 130°29′26″E
斜め後方から、墳丘比較的良好、墳丘が黒いとコントラストが悪くなるな

25号から、前方部正面

横から見ると丸く高い後円部に低平な前方部、前方部は上部が削られたのかな

後円部正面

後円部から見た前方部、端がやや広がる、奥が25号、右遠方に24号

31,32号
30号から、左31,右32号

33号
多少変形

古墳列1
左正面が34号、右奥にかけて34-43号が並ぶ

34号
背の高い墳丘が残る

上記反対側、少し削られている

石室石材でしょうか、天井石かな

35号
手前が35,奥が34号

36号
良好な墳丘に見えるが

墳頂盗掘で石材が転がり落ちている(一番手前のは丸太)

37号
周囲が削られているよう

38号
盗掘で二ツ山状態

39号
右手前が39,奥が40号

40号
全般に背の高いのが多い

41,42号
手前41,奥42号

43号
崖のようになっている、地形そのものが改変

古墳列2
東側からの遠望

(見学記)
福津市勝山、低く突き出た丘陵上に構築された前方後円墳5,方墳1,円墳42基からなる古墳群です。丘の標高は10m程度ですが周辺からみると一段高くなっていて海も望め古墳群を造るにはいかにも適地と言った感じです。国道495号やカントリーエレベーターで2-5号が消滅していますが他はよく残っています。最大の22号は神社になっていて林で覆われていますが他はほぼ裸の状態で観察も容易です。一番北側の1号は前方部が国道で破壊され後円部も半分くらいしか残っていませんが石室らしき石組みが露出墳丘裾には多分天井石であろう大きな石が転がっています。その側の24号も非常に保存状態のいい前方後円墳で緩斜面に構築されているせいなのかどうかは分かりませんが後円部下方側に外堤が築かれています。1号と24号の間に47,48号がありますが大きな番号が与えられているところをみると大分後になって古墳と認識されたのでしょうか僅かな高まりがある程度です。最大の22号は前方部壊失、帆立貝式のようです。東西にある20,25号は大型円墳です。側の21号は金網に囲まれていますがこれは鎌倉中期の石塔(県史跡)が8基あるためのようです。25号東側に前方後円墳の30号、前方部上部がすっかり平らになっていますが前方部端は広がってきているようです。この南東側には34-43号が直線状に並んでいます。34,36,40号など規模の割に背の高い墳丘を持っていて盗掘で石材が散乱しているのもあります。これらの古墳列を北側から撮影した場所に44,45号があったはず(後から気がついた)でもそれらしき墳丘はなかったような。44号で石棚を持つ石室があるそうですが埋め戻したのかな。国道西側に行ってカントリーエレベーター北側には前方後円墳の12号がありこれも背の高い良好な墳形を保っています。西に降りていくと唯一の方墳7号があります。地形的には群の中で一番下方、大きな墳丘ですが高さはすっかり低くなり墳形も円形のように見えます。国道脇に説明板(分布図のカントリーエレベータの位置が違っている)がありますが個々の古墳にはありません。せめて標柱くらい欲しかった。将来は歴史公園にする予定だそうです。一部国史跡。説明板向かい側に旧道残存部がありそこに駐車可。