勝浦高原古墳群

福岡県福津市(旧津屋崎町)2022年1月訪問

勝浦高原古墳群
その1
 前方後円墳?
 位置:33°50′17″N 130°29′24″E(日本測地系)
    33.84132012 130.48765797(世界測地系)
分布が全くわからないので適当に行くとこの標識がありました、津屋崎古墳群国指定史跡と書かれています


階段を上がると墓地の中に墳丘、前方後円墳?


前方部とおぼしきものは低平


後円部は復元か元のままか


ここにも津屋崎古墳群の標識


その2
 横穴式石室
適当に林の中に入るといきなり石室に出会った


反対側、こちらが奥壁側か


内部は埋没


石室側面、あまり長くない


その3
更に行くと大きな墳丘


「前方後円墳集成」だと津屋崎33号が前方部を失い後円部46m,高9mだそうでこれでしょうか


墳頂は広い平坦面になっています、特徴的な枝振りの木だけが目立ちました


(見学記)
福津市勝浦、溜池の牟田池南側にある古墳群で十数基あるそうですが詳細が分からず取り敢えず行ってみました。国道から東の脇道に入り溜池土手下の道を行き丘陵を少し登ると国史跡勝浦高畑古墳群の札が立っていました。階段を登ると墓地、その先に古墳を思わせる墳丘がありました、西側に伸びるのが前方部でしょうか、低平で端が広がらず柄鏡式の前方後円墳のように思えました。ここも国史跡の札はあるが説明などは一切なし。更に東側の林に入るといきなりすっかり露出した横穴石室がありました、内部は埋まっていますがこれは意外でした。更に東側に大きな円墳、最初の前方後円墳の後円部より大きそう。3段築成で墳頂部は広く平坦、いかにも古式な円墳のようです。ただ「前方後円墳集成」によると津屋崎33号が前方部を失った前方後円墳で後円部径46m、高9mとありこれはそれくらいの規模がありそう、これが33合でしょうか。取り敢えず見つかったのはこの3基だけ、状況が全くわからなかったので3基だけでも十分でした。墓地まで車で入っていけるようですが駐車場はなし。

勝浦峯ノ畑古墳・勝浦井ノ浦古墳

勝浦峯ノ畑古墳(津屋崎41号、勝浦14号)
 前方後円墳、TL97,R58,RH6.8,FW54,FH6.5
 位置:33°50′04″ 130°29′16″(日本測地系)
    33.83770932 130.48543602(世界測地系)
北側側面、中央がくびれ部辺り、手前の段は古墳時代のか後世のか


前方部隅から、すごく長い


上にもう1段ありました、こちらも細長い


上段に上がって端から後円部


後円部上段はそれ程高くない、奥は国道で少し削られているようだ


北側平坦面、後円部から前方部


前方部側から後円部、石室は埋戻し


勝浦井ノ浦古墳からの長め、車辺りが国道の最高所、尾根筋に立地がわかります


勝浦井ノ浦古墳(津屋崎10号、勝浦12号)
 前方後円墳、TL70,R37,RH6,FH4.5
 竪穴系横口式石室(埋戻し)
 位置:33°50′03″ 130°29′20″(日本測地系)
    33.8374316 130.48654706(世界測地系)
勝浦峯ノ畑古墳からの遠望、右が前方部


前方部から後円部、非常に幅が狭い


くびれ部辺りから後円部


後円部上段


墳頂は広い平坦面、浅く窪んでいる


後円部斜面に葺石露出、丸みを帯びた海岸の石でしょうか


後円部は2段築成


東側から見た前方部側面


前方部横から後円部、前方部と後円部のバランスはいいけど細さが目立ちます


(見学記)
福津市勝浦、須多田古墳群から国道495号を北上、途中新原・奴山古墳群を通り過ぎ更に北上、ゴルフ場西側辺りで国道が尾根を越えて峠になっているような場所の両側に2基の前方後円墳があります。西側のが勝浦峯ノ畑古墳(津屋崎41号、勝浦14号)、全長97mの前方後円墳ですが後円部は道路で半分くらい削られています。古式の横穴石室がありますが埋め戻されてその存在は全くわかりません。パッと見て前方部が異常に長い、後円部が削られて小さくなっているとは言えやはり長い、2段築成のように見えますが周りの平坦面も墳丘の一部なんでしょうか。国土地理院陰影図で見ると幅広い下段が見えているから細長い部分は上段のようです。
国道を隔てた東側に勝浦井ノ浦古墳(津屋崎10号、勝浦12号)があります。一見して尾根切断型の前方後円墳だとわかります、全長70m、後円部は状態がよく3段築成、一部葺石も見られます。前方部は長さはともかく異様なくらい幅が狭い、くびれ部なんて2,3mくらいしかないんじゃなかろうかと思う程です、削られた様子もなく元々の形でしょうか。峯ノ畑北側50m程に駐車スペースあり。

須多田古墳群

福岡県福津市(旧津屋崎町)2022年1月訪問

前方後円墳5,円墳1基

分布図
ニタ塚説明板に載っています、画面上が東


(見学順)
須多田ニタ塚古墳
 円墳、R34、5C後半
 竪穴石室(埋戻し)
 位置:33°47′53″N 130°28′42″E(日本測地系)
    33.80132457 130.4759933(世界測地系)
県道脇に標柱、奥に大きな墳丘が見えている


群中最初に築かれた


南側に前方部の痕跡がある様に見えるが円墳、円墳と確定してなければ前方後円墳と思われるかも


周辺部がかなり削られています、これだけの規模なのに国土地理院陰影図では出て来ない、ニタ塚や下ノ口古墳は出ているのにね


須多田ミソ塚古墳(須多田16号)
 前方後円墳、TL60,R22,RH4,FW25,FH4(現状)
 位置:33°47′51″N 130°29′00″E(日本測地系)
    33.80076921 130.48099285(世界測地系)
ニタ塚辺りからみた墳丘


真横から、何故かこの古墳の時だけ鮮明に撮れてないな


後円部、右後方にニタ塚


_2と反対側から


須多田下ノ口古墳(須多田15号)
 前方後円墳、TL82,R44,RH5.6
 位置:33°47′52″N 130°29′03″E(日本測地系)
    33.80104698 130.48182609(世界測地系)
大きな後円部が残るが前方部削平


中断に神社があり大きく削られる


社殿背後に墳丘上段、半分以上削られる


巨石が露出


薄い板石、横穴式石室だそうで天井石か奥壁か


須多田天降神社古墳
 前方後円墳、TL80,R43,FW56,FH3.5(現状)
 位置:33°47′59″N 130°29′01″E(日本測地系)
    33.80299116 130.48127054(世界測地系)
古墳周辺は神社の森になっている、扁額は天降天神社となっている


社殿背後に大きな後円部


前方部も良好


右が前方部、左が外堤か丘陵削り残しか


前方部から後円部


後円部から前方部、後円部がだいぶ高い


後円部に大きな盗掘跡


社殿背後の祠の天井、まづ石室石材でしょうね


この形状だと竪穴石室天井石かな


須多田上ノ口古墳
 前方後円墳、TL40,R16,RH8,FW25,FH7
 位置:33°47′59″N 130°29′12″E(日本測地系)
    33.80299124 130.4843258(世界測地系)
路地を入ると行き止まりに石の祠、この右奥にある


竹が密生して墳丘がよく見えず、多分正面が前方部正面


前方部から後円部


更に接近して後円部


後円部から前方部


後円部頂きにあった祠、右側の石が古墳関連の可能性があるかも


剣塚古墳
 前方後円墳、TL85,R36.5,RH7,FW57.5,FH5.5
 位置:33°47′39″N 130°29′17″E(日本測地系)
    33.79743642 130.48571471(世界測地系)
後円部北側から、道を間違えてこれを見つけてホッ


後円部正面、手前が下段か


後円部脇から前方部、二段築成のようです


長い前方部、上部は平坦


後円部から前方部、端が広がっている


前方部から後円部


前方部端から後円部


前方部隅から後円部


道路からの遠望、前方部の長さがよく分かる、宮崎県持田古墳群計塚に似ている


その他の古墳
剣塚からの帰りに林の奥に高まりがあった


短い尾根先端、まず古墳ですね


下側から


(見学記)
福津市須多田、丘陵西側に広がる緩斜面上に分布する前方後円墳5、円墳1からなる古墳群で全て国史跡となっています。

須多田ニタ塚古墳
国道495号沿いに説明板があり簡単な分布図もあります、案内板とかは特にありません。事前に衛星写真で見ているとよくある畑の中の墳丘だと思っていましたが現地で見ると意外と大きな円墳でした。でも国土地理院陰影図で見ると全く見えていない、ミソ塚や下ノ口古墳は見えているが天降神社古墳も見えていない。微妙に等高線に引っかかってないんでしょうか径34m、竪穴石室を持ち群中最初に造られた古墳だそうです。2重周溝を持つそうですが耕地整理されている為現状ではその痕跡は全くわかりません。

須多田ミソ塚古墳
ニタ塚から東方400mに墳丘が見えています。ほぼ裸の状態ですが藪に覆われ上には上がれません、細長そうな墳形だなと分かる程度です。墳丘図を見ると南側がだいぶ削られているかもしれません。

須多田下ノ口古墳
ミソ塚すぐ北東側にある前方後円墳ですが前方部壊失、後円部も上部が半分くらい削られ群中では一番状態が悪い。上に社殿、その背後の削られた面に平石が1枚転落状態でありました、石室石材かな。横穴式石室だそうです。この南側に駐車スペースがあります。

須多田天降神社古墳
下ノ口古墳北方100mに天降天神社がありその背後にあります、鳥居前に説明板があるようですが見逃した(汗)。墳丘は非常に良好、前方部も橋の方が高くなる様子がわかります、後円部頂がやや窪んでいますが竪穴石室が中央にあるとしたら盗掘なら外しているかな。南側に周溝、と言っても元の地形を採土の為削った跡のようです。後円部南側に祠が並びその一つの屋根が平石で石室石材を使ったのかもしれません。説明板や前方後円墳集成では古墳名は天降神社古墳となっていますが神社の扁額は天降天神社となっています。

須多田上ノ口古墳
上記神社東方200mにある前方後円墳ですがここが一番わかりにくい。集落内の道路を行くと公民館がありその正面の脇道に入り更に右に細い道に入ると竹林内に祠があります。その右手側にありますが竹林が密生し倒竹も激しく移動するだけでも困難で写真を撮っても何を撮ったのやらさっぱりわかりません。墳形自体は割と良好に残っているようです。

剣塚古墳
これはやや離れた丘陵上にあり須多田地区ではないので須多田の名前はついていません。群中最大の前方後円墳で保存状態もよい、後円部に比べて前方部が随分長い、上部も平坦面になっています。宮崎県の計塚古墳に似た印象を受けました。グーグルマップの衛星写真だと墳丘の様子がわかりますが(最初に衛星写真で探そうとするとわからないかも)ストリートビューでは樹木の葉が茂っていて墳丘が見られません。
ここはナビで案内させようと思いましたが細い道の上にかなり遠回りするルート、それでも従っていくと途中最接近した辺りで丘の上に登る道がある、ちょうど駐車スペースもあったので車を止めてその道を歩いて行きました、農作業用の道のようで行き止まり、仕方なく急斜面を登って尾根の上に登ったら尾根ではなく高台、そこにはナビが案内していた道路もありました、それ程狭い道でもないじゃないか、近道しようとして余計な時間を喰らいました(汗)。帰り道に小型の古墳を見かけたから良かったけどね、陪墳と言うには距離がだいぶ離れています。ミソ塚が別名須多田16号となっているのでもっと小型古墳があったんでしょうね。古墳が見える辺りの道路で駐車しても特に問題なし。

新原・奴山古墳群

福岡県福津市(旧津屋崎町)2012年12月訪問

前方後円墳5,円墳42,方墳1(2-6号は国道などで壊失)

分布図(説明板より)カントリーエレベータの位置は間違い、実際は12号南側


1号
前方後円墳、TL50,R29,RH5,FW31,FH4(復元値)
横穴式石室
位置:33°48′58″N 130°29′17″E (日本測地系)
   33.81937807 130.48571421(世界測地系)
南側からの遠望、右側に47,48号があるが低墳丘でよく分からない


前方部消滅、後円部も盗掘で大きく凹む、手前の巨石は石室天井石でしょうか


石材露出、横穴式石室だそうだ


7号
方墳
位置:33°48′51″N 130°29′08″E (日本測地系)
   33.81743381 130.48321447(世界測地系)
唯一の方墳


大きな墳丘が残るが背が低くなっている


8号
7号側、地形的には一番低い位置にある


9号
小さな墳丘、石材が見えるが石室でしょうか


10号
緩斜面にやや大きな墳丘が残る


11号
カントリーエレベーター内に現状保存


12号
前方後円墳、TL57,R36,RH6,FW48,FH5.5
位置:33°48′54″N 130°29′13″E (日本測地系)
   33.81826708 130.48460322(世界測地系)
西側から、良好な墳丘が残る、左が前方部


南側から、左が前方部


北側から、_1の反対側


前方部から後円部


後円部から前方部


13,14号
12号前方部脇に並ぶ、手前が14号


15号
端正な墳丘が残る


反対側は一部削られている


18号
正面が18号、左奥15号、右奥19号


19号
15号墳頂から、初めは15号の前方部かと思ったよ


20号
大型円墳が姿良く残っている、二段築成か


24号からの眺め


21号
墳丘に鎌倉中期の石塔が8基建つ(県文化財)、墳丘自体は大きいが背が低くなっている


22号
帆立貝式、R54-56
最大の古墳、前方部は手前にあったが削平、神社社地になり樹木に覆われている、頂部は広く平、小さな祠があるだけ


24号
前方後円墳、TL54,R31,RH7,FW8.5,FH5
位置:33°48′55″N 130°29′19″E (日本測地系)
   33.81854486 130.48626974(世界測地系)
真横から、墳丘が良好に残る


後円部正面、右側に外堤


外堤と後円部


1号からの遠望、遠方森が22号


30号からの遠望、前方後円墳の中で最も美しい


前方部から後円部


後円部から前方部、遠方に1号


25号
二段築成の大型円墳、上部平


野焼きされて真っ黒け、以下の古墳も同様でした


26-29号
崖際に4基並ぶ、画面では2基しか見えてないかな


30号
前方後円墳、TL54,R28,RH8,FW34,FH3
位置:33°48′50″N 130°29′26″E (日本測地系)
   33.8171562 130.48821404(世界測地系)
斜め後方から、墳丘比較的良好、墳丘が黒いとコントラストが悪くなるな


25号から、前方部正面


横から見ると丸く高い後円部に低平な前方部、前方部は上部が削られたのかな


後円部正面


後円部から見た前方部、端がやや広がる、奥が25号、右遠方に24号


31,32号
30号から、左31,右32号


33号
多少変形


古墳列1
左正面が34号、右奥にかけて34-43号が並ぶ


34号
背の高い墳丘が残る


上記反対側、少し削られている


石室石材でしょうか、天井石かな


35号
手前が35,奥が34号


36号
良好な墳丘に見えるが


墳頂盗掘で石材が転がり落ちている(一番手前のは丸太)


37号
周囲が削られているよう


38号
盗掘で二ツ山状態


39号
右手前が39,奥が40号


40号
全般に背の高いのが多い


41,42号
手前41,奥42号


43号
崖のようになっている、地形そのものが改変


古墳列2
東側からの遠望


(見学記)
福津市勝山、低く突き出た丘陵上に構築された前方後円墳5,方墳1,円墳42基からなる古墳群です。丘の標高は10m程度ですが周辺からみると一段高くなっていて海も望め古墳群を造るにはいかにも適地と言った感じです。国道495号やカントリーエレベーターで2-5号が消滅していますが他はよく残っています。最大の22号は神社になっていて林で覆われていますが他はほぼ裸の状態で観察も容易です。一番北側の1号は前方部が国道で破壊され後円部も半分くらいしか残っていませんが石室らしき石組みが露出墳丘裾には多分天井石であろう大きな石が転がっています。その側の24号も非常に保存状態のいい前方後円墳で緩斜面に構築されているせいなのかどうかは分かりませんが後円部下方側に外堤が築かれています。1号と24号の間に47,48号がありますが大きな番号が与えられているところをみると大分後になって古墳と認識されたのでしょうか僅かな高まりがある程度です。最大の22号は前方部壊失、帆立貝式のようです。東西にある20,25号は大型円墳です。側の21号は金網に囲まれていますがこれは鎌倉中期の石塔(県史跡)が8基あるためのようです。25号東側に前方後円墳の30号、前方部上部がすっかり平らになっていますが前方部端は広がってきているようです。この南東側には34-43号が直線状に並んでいます。34,36,40号など規模の割に背の高い墳丘を持っていて盗掘で石材が散乱しているのもあります。これらの古墳列を北側から撮影した場所に44,45号があったはず(後から気がついた)でもそれらしき墳丘はなかったような。44号で石棚を持つ石室があるそうですが埋め戻したのかな。国道西側に行ってカントリーエレベーター北側には前方後円墳の12号がありこれも背の高い良好な墳形を保っています。西に降りていくと唯一の方墳7号があります。地形的には群の中で一番下方、大きな墳丘ですが高さはすっかり低くなり墳形も円形のように見えます。国道脇に説明板(分布図のカントリーエレベータの位置が違っている)がありますが個々の古墳にはありません。せめて標柱くらい欲しかった。将来は歴史公園にする予定だそうです。一部国史跡。説明板向かい側に旧道残存部がありそこに駐車可。

手光波切不動古墳

福岡県福津市(旧津屋崎町)2012年12月訪問

円墳、R25、7C
横穴式石室、全長10.8m、玄室長1.8,幅1.6,高2m、石槨長2.1,幅1.3,高1.9m
位置:33°46′01″N 130°30′01″E (日本測地系)
   33.77021768 130.49793655(世界測地系)

住宅地の中に大きな墳丘が残る、立地としては丘陵麓辺り


開口部付近はかなり改変


石室正面


長い羨道、側壁だけでなく敷石も巨石使用


側壁は巨石一段積み、高さ調整の詰め石もなく高度な技術が伺われる


玄室と更に奥に石槨(説明板では前室後室となっている)


石槨の前に仕切石があるが祭壇などで分かりにくい


玄室石槨左側


〃右側、玄室幅は石1枚分くらいしか広くない


羨道、奥から外


石室図(説明板より)


2号
波切不動西側50mにある、工務店敷地越しに見学、でも古墳自体は隣の敷地内


周囲が削られ石室露出、側壁かな


南側、よく残ったなという状態


(見学記)
福津市手光(てびか)、県道97号光陽台入り口交差点東100m、民家の間にあります。住宅街の中にしては大きな墳丘が残っていて南に開口しています。全長10.8mの石室は7C仕様、奥壁天井石だけでなく側壁も板状の巨石で構成され天井石との間の高さを調整するような詰め石も全くありません。更に床面も同様の板石が敷かれていますが前半部分はセメントで塗りつぶされています。入り口から入っていくと最奥手前で側壁が一段引っ込んでやや幅広くなり更に奥はまた元の幅になっています。前室と後室、それとも奥が石槨と言った状態でしょうか。大阪府河南町の平石古墳群と構造が似ています。市史跡。
50m程西側手光バス停側の工務店脇(実際は隣家の敷地内)に2号があります。周囲がすっかり削られリンゴの芯状態、石室石材が露出内部は埋没していますが埋没していなければ崩壊していただろうな。車を停める場所がないので交差点西側のスーパー駐車場を利用。

小竹石穴古墳

福岡県福津市(旧津屋崎町)2012年12月訪問

6C後半
横穴式石室、全長8.2m、玄室長3.8,幅1.8,高1.9mm
位置:33°46′40″N 130°30′55″E (日本測地系)
   33.78104992 130.51293492(世界測地系)

お堂の後ろにある、手前の石は羨道天井石かな


石室正面、羨道は殆ど壊失


内側左右の石は袖石でしょうか


玄室完存、やや持ち送りがある、奥壁も側壁石材と変わりないようだ


〃縦位置


奥から外、両袖でしょうが左袖ははっきりしないな


〃縦位置


墳丘背後から、短い尾根先端に構築


(見学記)
福津市小竹(おだけ)2丁目、神興小学校北側丘陵斜面にあり近くまで行くと案内表示が出ています。尾根先端高まりを利用して造られた古墳で前にお堂があり墳丘は大分削られているようだ。その脇に石室が開口、単室で羨道はかなり失われていますが玄室完存、中に不動明王が祀られています。両袖式のようですが袖部は曖昧、天井は奥に向かって少しずつ高くなっているようだ。見晴らしのいい場所だけど石材搬入は背後側しかなく(しかも少し上り坂)さぞかし苦労しただろうな。お堂下方に駐車スペースあり。
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