牟佐北古墳群(仮称)

岡山県岡山市北区 2022年3月訪問

牟佐北古墳群】(仮称)
 横穴式石室、3基か

その1
 位置:34°43′41″N 133°58′41″E(日本測地系)
    34.73128029 133.97538998(世界測地系)
山道脇に墳丘があるが開口部は藪の中


小型石室、入れないこともないがパス


持ち送りのない側壁、岡山ではよく見られる


その2
直ぐ側にその2の墳丘


下から見ると墳丘がよく残っている


正面から、なんとか石室構造が分かる程度


墳頂から見た石室天井の並び


その3
すぐ下に大きな墳丘


3基の中で一番大きく状態も良い


墳頂から見た石室、羨道は残るが天井壊失


下から見ると側壁は割りと分かる状態、右側の石は羨道先端辺りか


玄室先端の天井が転落しかけて開口


玄室内部は土砂が流入するもよく残る、奥壁は2段積みか、上の石材の方が大きそう


奥から外、転落した天井石が塞いでいる


奥から右、面が整えられている


奥から左、やはり持ち送りはない


墳丘横から


背後に斜面カットした跡が残る


(見学記)
岡山市北区牟佐、牟佐大塚北側の山中、標高180m辺りにある3基からなる古墳群です。下の高蔵神社参道入口辺りから舗装された道を登り四角い石垣のある施設辺りから左の山道を登っていきます。ほぼ1本道だから間違えることはないでしょう。かなり急傾斜の山道を登り上に送電線が通っている辺りから上空が開けてきます。細竹の藪の中をよく見ると墳丘が見えていて痕跡道があるので入っていくとすぐ石室開口、中にも細竹が生えるなど写真と撮り方的にはあまりよくない。直ぐ側にも石室、天井石が露出していますが内部埋没です。その下に斜面をカットした大きな墳丘が見えています。下側に開口、羨道は下部しか残っておらず天井石が落下していますが玄室は割とよく残っています。こんな場所で思いがけない墳丘&石室でした。麓高速道手前に牟佐スポーツ広場があり駐車場があります。

竜王古墳群(龍王古墳群)

岡山県総社市(旧山手村)2022年3月訪問

(見学順)
9号?
最初に見つけた墳丘、藪に覆われるが石室見られず8号と10号の間なので9号か


10号
 横穴式石室
少し登るとハッキリした墳丘


墳丘裾に石材、転落した石室石材か


墳頂部は盗掘で細長く窪んでいる


奥の方に小さな開口部


石室最後部がかろうじて残る、下がやや埋まるが鏡石を据えているようだ


8号
横穴式石室
位置:34°39′09″N 133°47′22″E
   34.65572828 133.78679648(世界測地系)
通り過ぎていたようなので下の方を探すと墳丘


下側の方に開口


石室正面、前部破壊で奥壁が見えている


石室自体はよく残っている


奥壁は縦長の石材を2枚並べる、1枚の鏡石を意識しているのか上部のカーブが左右で揃っている


奥から外、無袖だが入り口の天井が1段下がるか


天井石


奥から右側、面はそれ程整ってない


〃左側


山崩れ跡から墳丘が見えていました、危ないとこだった、行き過ぎてはいけないとこのずっと下で林に入ったのが失敗


12-14号
 箱式石棺
狭い山頂に祠、錆びた覆い屋が侘しい


ここに3基の箱式石棺があるはずだが明瞭なのは2基、1基はよくわからず


蓋石がなくなり身が露出、縄掛け突起のようにも見えますが偶々だろうな


こちらは1枚石の蓋石が残る


小口石はなくなるも内部は埋没


側板はよく残っている


山頂辺りから遠望した作山古墳


15号
横穴式石室
位置:34°39′06″N 133°47′27″E(日本測地系)
   34.65489508 133.78818541(世界測地系)
山頂から南に伸びる尾根の東側に低い墳丘、谷を超えた向いの丘にササラ谷古墳がある


東向きに開口、狭いが入るのはそれ程困難ではない


やや土砂が流入も内部はよく残る


内部は明るいのでストロボ無しでも撮影可


なんだかまとまりのない奥壁、一応株に大きな石材を据え上部に平石を重ねる


奥から外、無袖でしょうか


奥から右側、面が整えられている、土圧でややせり出してきているか


〃左側、ブレてしまった


おまけ
2018年岡山を襲った西日本豪雨、山崩れの跡です、草が植えられ小さな堰が造られていました


一番下辺り、土砂は道路で止まったようです、後方林の中に1号がある、これはパス


土砂崩れを下から、狭い谷筋から扇状地のように広がったので勢いがなくなったのでしょうか


(見学記)
スポーツ広場東側に龍王山がありその尾根筋や西側斜面に分布する古墳群です。ただここも4年前の大雨で山崩れがあったようで古墳のある尾根筋の両側が大きく崩れていますが一応修復され植物が植えられています。山道はないのでこちらの方が歩きやすいだろうとかなり急傾斜ですが登っていきました。古墳の位置がはっきりしないので早めに尾根に入って藪漕ぎ、初めはシダに覆われた墳丘が見つかり盗掘跡もあるので古墳のようです。更に登っていくとハッキリした墳丘、転落した石材もあるので古墳に間違いなし、墳頂はやはり盗掘されていますが石室が見当たらず、シダに覆われて奥の方に開口部がありました。石室最後部が僅かに残っています。この位置からして墳丘を目一杯使って石室を構築されているようです。分布図だとこの斜面尾根は2基の予定だったので山崩れの場所に戻ろうと少し下るともっとハッキリした墳丘がありました、最初登っていく時は見落としたみたい(汗)。こちらも石室開口、前のよりもっと大きい、これが8号で上のは10号のようです。山崩れ跡から見ると墳丘が見えています。土砂流失防止の石堤があり2,3番の中間辺りです。この後は山崩れの一番上まで登ってそこから山頂南側の尾根を目指す、つもりだったが山頂に登ってしまった(汗)、殆ど岩登りです。でも山頂にも箱式石棺が3基ある、蓋石があるのが1基、無いのが1基、もう1基はハッキリしません。どれも短く大人の遺体を納めるには小さすぎる、しかも岩だらけで石棺を埋めるには岩を穿つ必要がありそう。山頂には石の祠があり屋根もかかっていますがもう機能してない状態、お参りする人はいるんでしょうか。ここからの眺めはよく作山古墳がよく見えています、ご褒美風景。ここから南側に降りて尾根平坦面東側に低い墳丘があり東向きに開口しています。開口部は狭く内部もやや埋まっていますがここまで来て入らないことはないでしょう。帰りは林の中の通りやすそうな場所を行くと割と楽に山崩れ場所に出て下山は楽でした。離れた場所にある1号はパス。山崩れも道路で止まって下の農地までは達していないもようです。麓の道路、果樹園入口辺りに広い駐車スペースあり。

前山北3号

岡山県総社市(旧山手村)2022年3月訪問

箱式石棺(移築)
位置:34°39′03″N 133°47′10″E(日本測地系)
   34.65406179 133.78346328(世界測地系)
竜王古墳群へ行く途中にあるので寄ってみました、なんたって駐車場付きだし(笑)


5基からなる古墳群、3号の箱式石棺を移築


板石を使った蓋石が4枚、右側のが大きく見えますが


アングルを変えるとそれ程でもなく、写真からでは大きさの比較は出来ません


薄い板石を使った棺


(見学記)
総社市宿、山手スポーツ広場の東端に箱式石棺が移築保存されています。駐車場付きの優良物件、でも薄味(笑)。5基からなる前山北古墳群で南東150m標高50mの尾根上にありましたが3号がこの場所に移築されました。蓋は4枚あり1枚を開けた状態で公開されています。割と豊富な遺物が出土したようです。

ササラ谷古墳

岡山県総社市(旧山手村)2022年3月訪問

ササラ谷古墳
 横穴式石室
 位置:34°39′05″N 133°47′50″E(日本測地系)
    34.65461741 133.79457433(世界測地系)
この奥の林の中にあります、痕跡道さえ無し、手前は2018年豪雨で山崩れを起こした跡、藪の中を歩かない分だけ楽といえば楽


丘陵頂部南側の緩斜面に立地、天井石が見えその前に溝というか空間が見えていて古墳だとわかります


正面から、先端辺りの天井石、左側が一部割れている


別アングルから、不思議な形状、なんでこんな石を使ったのか


良好に残るのは最後部辺りだけ、ここに陶棺がありましたが運び出され資料館に展示


原位置を保っている天井石は最後部ののみ、上面がやや丸みを帯びている


幅は50cm程度、側壁は基部にやや大きな石を据え上に小型石材


奥壁は鏡石+平石とこの地方でよく見かけるタイプ


奥から外、殆ど埋まってます、陶棺を持ち出した時もこんな状態だったんでしょうか


奥から左側


〃右側


おまけ
ずっと東側ですが起点となる神社辺りから見た南側風景、中央赤い屋根の建物の背後に終末期古墳の勝負ヶ谷古墳がある


(見学記)
総社市宿、倉敷市との境界近くの丘陵尾根ピークの南側緩斜面に立地する終末期の古墳です。石室自体は小型で奥の天井石は元のまま残っていますがもう1枚は動かされているようです。陶棺があったそうですが今は資料館に保存されているそうです。しかし来るだけでも大変なのにどうやって運び出した。倉敷市側に日差寺(地理院地形図には載っていない)がありここまで車で行けて駐車スペースがあります。西側の仕手倉山まで散策路があり更にその西側のピークまで山道があります。ここまでは楽ですがその後が大変、200m程の距離ですが痕跡程度の道もなく藪漕ぎを強いられます、更に山崩れの跡まであるが逆にこれは目印にもなりますが古墳は更に先でもう説明は不可能(汗)、コフ友さんに案内してもらいましたが単独では無理、でもコフ友さんは僅かな手がかりを元に探し当てたのだから凄いの一言です。

奥塚古墳

岡山県真庭市(旧美甘村)2021年4月訪問

横穴式石室
位置:35°10′12″N 133°36′16″E (日本測地系)
   35.17317251 133.60179525(世界測地系)
作業小屋の背後に石室完全露出、霙混じりの雨が降っています、左側石材前の白っぽくなっているのは積もった霰


元位置で残った天井石は1枚だけ、手前にずり落ちた天井石


これでよく残ったなの状態、内部に祠


斜め前から


側壁外側、石が突き出ていて墳丘に刺さり安定化を図っているのがわかります


開口部上から、時間がなくて背後からを撮ってなかった


(見学記)
真庭市美甘、投石場古墳から更に谷奥、北500m程の場所にある古墳です。小屋の背後に石室完全露出、前部は崩壊しかけていて後部もこの状態でよく残っているなと思う石室です。冷たい雨が降りしきり雹も積もっている状態なのでここもサッサと撤退。小屋前の脇道に駐車可。

投石場古墳

岡山県真庭市(旧美甘村)2021年4月訪問

横穴式石室
位置:35°09′58″N 133°36′17″E (日本測地系)
   35.16928407 133.60207309(世界測地系)
小さな谷筋の中に立地、ここで谷が2つに分かれるから尾根先端だったかも


水田段差部分に巨石天井石露出


左側に奥壁が僅かに見えている、殆ど平野部が望めない谷筋


内部は埋没、ゴミ溜め状態


(見学記)
真庭市美甘、これも小さな谷の中にある古墳です。現在は田んぼの中に天井石が露出していますが当時は当然田んぼではなくただの斜面だったのかな。そもそも当時でもそんなに人が通っていたような場所とも思えません。名前も面白い、投石だけなら地名と考えられるけど場とついているから訳がわからなくなる。石室内部は殆ど埋まっていて石を投げ入れたとも思えず天井が平たいからこの上で石でも投げたんでしょうか。市史跡。

塚ヶ成古墳

岡山県真庭市(旧美甘村)2021年4月訪問

横穴式石室
位置:35°08′56″N 133°36′30″E (日本測地系)
   35.15206379 133.60568435(世界測地系)
クリエイト菅谷キャンプ場内に保存、雨が降っている中大急ぎで撮影


天井を失った石室


天井以外保存状態はよさそう


巨石奥壁、右側に小さな詰め石がある


割石積みの側壁


左側


上横から、白いのは桜の花びらです


(見学記)
真庭市美甘、クリエイト菅谷キャンプ&リゾート内に保存されている古墳です。園内は広いですが駐車場直ぐ側なので分かりやすい。石室下部残存、奥壁は巨石1枚石です。雨が降っているのでさっさと撤退。ここも地形図を見ると谷の奥辺り、なんでこんな場所に、な場所です。市史跡。

森谷古墳

岡山県真庭市(旧美甘村)2021年4月訪問

横穴式石室
位置:35°09′24″N 133°37′18″E (日本測地系)
   35.15984098 133.61901646(世界測地系)
古墳前に標柱、でも位置が中途半端、どうせなら県道脇に立てればいいのにこの位置では見逃しそう


天井を失った石室露出、祠が立っているのがまぐさ石でしょうか


前部は崩壊埋没


右側から


奥壁は平石を重ねる


最上部がやや前に出ているので、天井もそれ程高くはなかったもよう


少し離れた場所にあった巨石、天井石の一つでしょうか


(見学記)
真庭市美甘、谷筋を走る県道447号脇にある古墳です。でも道路からは見えません。場所もかなり急な斜面でとても古墳があるとは思えないような場所です。古墳の場所だけやや傾斜が緩くなって立地、墳丘流失上部を失った石室が露出しています。側に天井石と思われる巨石が転がっています。交通の要衝とも思えないしなんでこんな場所に立地したのか。古墳脇に標柱が立っていますがこれも道路からは見えないのでできれば県道脇に立てて欲しかった。すぐ下側道路脇に駐車スペースあり。

圓通寺古墳群

岡山県新見市(旧大佐町)2021年4月訪問

2基

墓地駐車場に説明板


墓地奥の方に2号標柱が見ている、その手前に1号


2号
 横穴式石室、全長6.5,玄室幅1.2,高1.8m(説明板より)
 位置:35°05′00″N 133°34′31″E (日本測地系)
    35.08651522 133.57263487(世界測地系)
石室正面、天井石1枚露出


階段があって降りることができます


外見からは想像できないほど立派な石室が残る


中程から、側壁はやや内傾


奥壁はブロック状の石を組み合わせる、一応四角い石が鏡石か


奥から外、無袖かな


1号
 横穴式石室、全長7.5,幅2.2,高2m
擁壁に石室開口、よくあるパターンだが


一応羨道


一応玄室、天井はコンクリート復元、羨道を含めても7.5mもあるかな


左側


右側


奥から外、袖石も側壁も何もかも変、ほんとに石室なのか、遺物は出ているようだけど


(見学記)
新見市大佐永富、圓通寺墓地内に2基(説明板だと2基~数基)の石室が保存されています。でも説明板の所に立って墓地全体を見渡しても存在がわかりにくい。石室前に白い標柱が立っていますが”ゴミ捨てるな”の標柱も多くあるからわかりにくい。奥の方にあるのが2号、墳丘はないか埋められていて開口部は地面下側になっていますが鉄の階段があって降りることができます。外側からは想像できないほど長い石室が良好に残っています。これはちょっとビックリ。1号はその手前、擁壁に穴が開いています。中に入るとウーン・・・これは石室なんでしょうか、強烈な違和感があります。基部だけが石室で上のは後世のものなのかな、基部も奥行きの割に幅が広いような。2号が素晴らしかっただけにガッカリ感が強い。岡山県GISだと1号は”低丘陵西斜面中腹。昭和52年、発掘調査実施。径15mの円墳。南に開口する片袖の横穴式石室。玄室長2.9m、幅2.4m、高1.8m。羨道長3m、幅1.6m、高1.2m。玄室床面に排水溝”と詳しく書かれ出土品も”刀子・馬具等”だそうだから石室なんでしょうけどね。2号の方は1号北西とごく簡単にしか書かれていない。コフニストからすれば2号の方が余程価値がある。因みに説明板では”圓通寺”ですがGISでは”円通寺”です、検索の際困るんだよな。説明板前に駐車場有り。

大山古墳群

岡山県新見市(旧大佐町)2021年4月訪問

10基中5基残存

分かれ道に案内表示、奥の道を行く、でも最初はこれが手前に倒れ草に隠れていて誰も気が付かず迷走の始まり


もう一つの案内板、背後のは墳丘ではありません


1号前に説明板、背後に天井石が見えている


1号
 横穴式石室、玄室長4,幅1.5m
 位置:35°02′49″N 133°33′15″E (日本測地系)
    35.05012958 133.55152713(世界測地系)
天井石が2枚露出


反対側から見るとかなり荒々しい


正面から


内部は半ば埋没、最後部の天井が抜かれているので明るい


背後から、何で最後部だけ抜いたか


奥壁は平石を重ねる


奥から外、右片袖か


2号
1号背後に石室、一応2号


何とか石室と分かる程度に残る


奥壁でしょうが上や左に隙間


(見学記)
新見市大佐田治部、姫新線丹治部駅北方の山中にある古墳群です。車で移動中案内板を見つけたので急遽訪問してみました、流石に皆さんコフニスト、古墳群だと叫びましたね。古墳の側に説明板が立っていてそれによると10基からなりますが5基消滅、5基現存だそうです。説明板の背後に立っているのが1号で石室殆ど露出、天井石も最後部がなくなっています、それ程埋まっておらず中に入れます。その手前に残骸状態のがあってこれが8号、1号左奥にあるのが2号で半壊状態です。この少し北側に3号があるようですが見逃しました。県道脇の案内板に従って探してみましたが4人で探したがなかなか見つかりませんでした。後で分かりましたが最初の案内板が倒れていて草むらの中に隠れていたのが原因でした。この矢印に従っていくともう一つの案内板があり古墳群はそのすぐ先です。古墳とは関係ないですが保安林(だったかな)の標柱が立っていてその山道を進んでもOK(この標柱はすぐ見かけていたんですけどね)。できれば県道脇の案内板に距離を書いて欲しかった。林際に石仏がありますがむしろここに案内表示が欲しかった。ここで道が別れていますが正解の右側は草が生えていて通りにくくつい舗装されている左の方に行ってしまいます。その道も先ではセリバオウレンが群生していて人が殆ど通ってないようなんですけどね。4人だからなんとか探せた、一人だったら諦めていたかもです、でも思わぬ拾い物でした。岡山県GISだと古墳群はかなり広い範囲で示されていますが実際は1号周辺に集中しているようです、市史跡。
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