赤坂山古墳群

岡山県総社市 2019年1月訪問、20年3月再訪
丘陵に広範囲に石室墳が散在(番号はHP「古墳奮闘」に従う)
道無し難コース山道コース東谷支群


道無し難コース
24号
位置:34°42′14″N 133°46′24″E
麓近くの斜面に立地、道はないがそれ程難しくはない


墳丘は割と残り天井石露出、手前の石は滑り落ちた天井石のよう


正面、羨道埋没


玄門上部の隙間から内部撮影、その隙間から中に入れる


一様に傾いた玄室側壁


〃縦位置


側壁と変わらない小型石材の奥壁、小型三角形の鏡石、この古墳群の特徴でしょうか


奥から外


〃縦位置


左片袖式、袖石はないようだ、不釣り合いなほど巨大なまぐさ石


石室背後から、ここから入るのは難しい


25号
24号南西50m、ほぼ同高度にある


南側に隙間開口、天井石全面露出


隙間からカメラを突っ込んで撮影、意外と良好、左側側壁が押し出されている


奥壁を望遠で撮影、土圧で側壁が押し出されている


仮その1
位置:34°42′24″N 133°46′14″E
前面が崩壊した石室露出


天井石落下、最後部だけ残る


石室内部、奥壁は平石積み、正真正銘難所の仮1-4、15-18号を探すつもりだったのだが多分15-18号はもう少し南側、分布図よりもっと狭い範囲だろう


仮その2
仮1すぐ西側に接する


天井石露出、内部埋没


仮その3
仮1下方に石室下部露出、かなり細長い石室


最後部で天井石残存


天井石に隙間


内部は殆埋まるが割と奥があった、奥壁が何とか見えている


仮その4
更に下方にはっきりした膨らみ


天井石の一部が露出


内部は完全埋没


山道コース
S7号
位置:34°42′00″N 133°46′20″E
丘陵南麓神社境内に石室露出


開口部は狭い


奥の方は崩壊している


もう殆ど築山と化している


天井石は奥の方まで見えている


26号
位置:34°42′16″N 133°46′03″E
山道沿いで最初に見かける石室(この時点ではそうでした)


羨道は埋没


墳丘中央部辺りが窪んで石材露出


奥壁が抜かれて開口


玄室内部は意外と良好、散乱した石材は奥壁のでしょうか


玄門は左片袖式、袖幅が広く袖石はなさそう、内側から見たら羨道はそれ程埋まってないような


玄室内部


〃ストロボ無し


9号
位置:34°42′18″N 133°46′07″E
尾根先端に立地、山道から少し離れている


墳丘流失、天井石露出


玄門上部に隙間がありここから入室可


一様な持ち送りのある玄室、石材は小型


〃縦位置、中で立つことが出来るほど高さがある


奥壁下部に小さな鏡石を据えている、他の石室でも同様のがありました


奥から外、右片袖でしょうか、羨道殆埋没


〃縦位置


8号
9号から見た8号、すぐ北西に立地、この上を通ったが全く分からなかった


小型石室露出、かなり掃除しました


奥壁辺りが僅かに残るのみ


2号
位置:34°42′28″N 133°45′53″E
山頂南側斜面に立地、天井石露出、この時は笹原が刈られ山道から見えていた


1号より難しいと思ったが逆だった


かなり固そうな石材を平石に加工


内部には以前は生えてなかったネザサが生えていた、生えてなくても多分入らなかっただろうけど


マニュアルピントで奥壁撮影(じゃないとネザサにピントがあってしまう)下部が埋まるが奥壁は1枚石かな


仮その5
帰り道で遭遇、実は2往復目の帰り道(汗)、初めは山道でカットされた尾根先端かと思いましたが


石材も見えていてどう見ても古墳


石室も見えています


斜面下方に回ると開口部


残り具合の良い玄室、9号より小型だが石材はやや大きくなる


〃縦位置、特徴的な三角形の小型鏡石


奥から外、左側がかなりせり出してきている


〃縦位置


S12号
これは山道沿いではないですが神社北側100m辺りに立地


形のいい墳丘が残っているが石材は全く見られず


東谷支群
33号
位置:34°42′24″N 133°46′21″E
谷沿いの小道から見えている墳丘、うっかり気が付かず谷奥まで行ってしまった(汗)


墳丘は残るが藪に包まれている


墳頂部に石室開口、手前は盗掘で窪んでいる


石室最後部のみ残存


小型石材の奥壁、かなり古そう、横穴石室にしては墳頂部すぎる気もする


34号
35号から見た34号、天井石露出、後方明るくなっているのはゴルフ場


反対側から


石室正面、天井石が折れて落下


露出した天井石、内部埋没


35号
位置:34°42′26″N 133°46′22″E
34号から見た35号、ほぼ同大


石室正面、入り口埋没


後方で隙間開口


中を覗くと良好な石室、これは入るしかない


一様に持ち送りのある石室


奥壁は大型石材を据え上は基本平石


奥から外、両袖式でしょうか


(見学記)
(2020年)
道無し難コース:S12号から麓の道を更に進むと集落がありその北端辺りに墓地があります。そこから林の中に入っていくと古墳があります(24号)。後部は墳丘が残っていますが天井石や前部が露出、天井の隙間から中に入れます。内部は明るく持ち送りのある玄室、奥壁も側壁と変わらない小型石材で古いタイプの横穴石室かもしれない。西側の側壁は大分孕んできています。この西側にあるのが25号、疎林+藪の中を南西方向に進んでいったけどなかなか見当たらず諦めかけた頃やっとありました、距離にして50m程度でしょうか、でも藪の中を歩くと距離感が全くつかめません。墳丘は割と残っていて南側に開口していますが隙間開口、石室自体は割とよく残っているようです。この北側にある19,20は見つからず。
A地点から東側尾根上に15-18号があります。ショートカットか迂回していくか悩んだけど意外と谷が深そうだったので北側から迂回して行きました。切れ切れに痕跡道がある程度でかなり苦労したけど何とか到着、古墳も4基あったけど入室できるのは1基だけ、配置や事前にメモ書きしていた特徴とも何となく違う、でも4基あるしなと思ってモヤモヤしながら帰りました。帰ってから調べてみると全く違ってた(汗)。同じ尾根上だけど少し違う場所を見ていたのかもしれない。しかも帰りは軽く迷走状態、電子地図を持っていかなければ迷っていたかも。結局新規古墳5基見つけたけど5基見つからずプラスマイナス0でした。

山道コース:昨年に続いて赤坂山古墳群挑戦、今年は神社から山頂への山道コース沿いにある古墳を訪問しました。南側麓に御崎神社がありこの境内に石室(S7号)がありますが完全露出、よく見ないと石室ともわからない状況、内部も埋まっています。東側麓を通る道路を北に進むと丘がやや出っ張った辺りにも古墳(S12号)があります。神社西側から山頂に向かう山道があります、自動車が通った跡があるのでそれなりに広い(多分もうずっと車も通ってないでしょうが)。15分くらい歩いて山道が大きく右カーブする手前の右側に古墳があります、これが26号、低い墳丘が残っていて開口部が見えていますが羨道は埋まっている。でも奥壁側が破壊されて開口、左片袖式、内部に石がゴロゴロしていますが破壊された奥壁石材でしょうか。急カーブから150m程行くと右側の小さな尾根上に8,9号があります。手前の8号はわかりにくいですが奥の9号は天井石が露出、その隙間から中に入れます。羨道は埋没、玄室はほぼ完存、持ち送りがあり奥壁は小型石材で古式な横穴石室のようです。9号がわかれば8号もなんとか分かる。藪の中の小型石室の奥の方が残っています。更に行くと大きく左カーブした辺りが広くなっている(A地点、ここは後述)。更に山道を登り山頂手前で道が左カーブした辺りの右側に1号があるはずだが1時間近く探しても分からず。更に行くと左下方に露出した天井石が見えていますこれが2号、内部はかなり埋まっている。帰り道神社手前で丸い墳丘がありました。初めは山道で削られた尾根先端かと思ったけどどう見ても墳丘、天井部が開口していますが羨道からも中に入れます。9号よりは小型ですが持ち送りがあり奥壁石材も小型、でも小さな三角形の鏡石があり9号より新しそうです。

(2019年)
総社市久米、広い範囲に分布しているので敬遠していましたが岡山もだんだん残り少なくなりそうそう選んでもいられないので行ってみました。ゴルフ場西側の谷筋にも古墳群があります。入り口辺りにも破壊された墳丘が並んでいるようですが見当たらなかったので別の場所から入ったかもしれない。谷の中程に石積みの砂防堤があります、その脇にあるのが33号、背の高い墳丘が残っていて墳頂部に石室がありますが奥壁辺りが残っている程度です。奥壁も小型の石材で位置からして竪穴の可能性もありそうですがやはり横穴でしょうね。この堤に目がいって墳丘を見逃してしまい谷の奥まで行ったのは内緒(汗)。この辺りから小川を渡って北に行くと2基の古墳があります、34,35号。34号は天井石が露出しているが内部埋没、35号も正面から見ると入口は埋まっていますが天井部が隙間開口しています。かなり狭いけど意地で入ってきました。内部は良好、ここもやや持ち送りがあり、奥壁は四角い鏡石を据え上に平石を重ねています。ここはもうゴルフ場側、ロストボール1個みっけ。岬神社境内に駐車可。

奥場西奥古墳群(仮称)

岡山県総社市 2019年1月訪問

(番号は古墳奮闘に従う)
5号
6号からみた5号墳丘、緩やかな尾根先端に双墓のように並ぶ


大きな墳丘が良好に残る


正面から、崩壊した石材が見えている


手前のは天井石でしょうか、動かされている


奥の天井石、下に僅かに隙間がある


カメラを突っ込んで撮影、土砂が流入しているが石室自体は良好


奥壁は1枚石か


6号
5号から見た6号墳丘、位置的にこちらの方が高い場所に立地


反対、西側から


正面から、一見良好そうですが


大きく盗掘を受けています


ざっくり掘られ左側に僅かに石材が見える程度


側壁か、原位置だとしたらかなり大型の石室


4号
位置:34°40′49″N 133°42′14″E
5,6号と同じ尾根筋、後方に位置する、耕作で西側斜面が階段状になりその上部にある


多分前部は破壊だがよく残ったと思うレベル


割石積みの小型石室


奥壁は2段積み


奥から外、一段下がっているように見えるのがまぐさ石なら無袖でしょうか


奥から左側、ストロボ無し


〃右側、かなり固そうな石を平面に仕上げている


7号
位置:34°40′46″N133°42′17″E
地形を読み間違えて偶然見つけた石室、こういう経験が何度かあります、ごく偶にですが手前の石は動かされた天井石でしょうか


石室は後部しか残っていない


露出した天井石、随分左に偏っているが動かされているのかもしれない


石室内部、奥壁は一番上の石材しか見えず


奥から外、残存長3m程度


奥から左


〃右、4号より大分平面に仕上げられている


墳丘後方から、僅かな高まり天井石露出


(見学記)
総社市秦、石塔塚から更に西に行き集落最西端の民家西側に溜池(皿池)がありその北側辺りに分布する古墳群です。尾根先端辺りに5,6号があるはずだが藪が酷くて地形が見えず適当に尾根に入っていったら石室に出会いました。墳丘は流失、石室後部しか残っていませんが巨石を使っています。てっきりこれが5か6かと思って廻りを探したが何もなくどうやら新規の石室だなと思いました。西側の尾根に行き先端辺りに行くと確かに2基の墳丘が並んでいました。ほぼ同規模のようですが西側のは大きく盗掘されて背が低くなっています。石材は側壁の一部が見られるだけ。東側のも前面が盗掘されているがそれ程破壊は受けておらず中腹辺りに石室開口、劇狭で隙間から撮影できる程度です、入った人がいるようですが。尾根筋は開墾時段差があるのでその面を北に行くと4号があります、玄室が良好に残っています。この下の谷筋にも3基あるようですがそちらは残骸状態のようなのでパス。しかしここは谷奥辺り、特に重要な交通ルートも思えずなんでこんな立派な双墓と言えるような古墳があるんでしょうね。道が狭く駐車できるような場所はないので金子池から歩いてきました。

金子石塔塚古墳(奥場2号墳)

岡山県総社市 1988年4月訪問、2019年1月再訪

円墳、R266C後半
横穴式石室、全長11.6m、玄室長5.5,幅1.9,高2.4m
家形石棺
位置:34°40′43″N 133°42′35″E
(2019年)
30年ぶりの訪問、登り口に案内表示ができていた


石室前にも説明板設置


長い羨道は奥の方しか残っていない


開口部から石棺が見える、以前は棺身が見えない程埋まっていたようです


大型石材を使った玄室、側壁は基本3段


石塔塚と言えばやはり石棺、でも石棺の印象が強すぎて石室の記憶が殆どなかった(汗)


井原市浪形石で作られた家形石棺、これも以前は開けられていたようです


蓋石に4つの角型縄掛突起


蓋石尾根には平坦面が殆どない、家形石棺でもやや古式な印象


奥壁は巨石1枚石


〃ストロボ無し


奥から外、右片袖式、十分明るいから照明装置はいらないだろ


石棺奥から、よく破壊されなかったものです


左後方から


しつこく右後方から


奥から天井、ストロボ無し


奥から左方向


〃右方向、それ程緻密な積み方という印象はありません


奥場1号
古墳群を形成していて南側尾根筋西側斜面に1号がある


上から見ると非常に良好な墳丘が残っているが


下から見ると大きく盗掘、石材も見えていない


(1988年)
石室開口部


玄室、刳抜式石棺、以前は蓋が開かれ石棺も土砂で埋もれていたが石室内が清掃され蓋も元に戻された


石棺は地元浪形石製、光のせいもあるが貝殻石灰岩製の石棺が白っぽい、県内に同じ浪形石の石棺が他に4基ある、江崎古墳、王墓山古墳、こうもり塚古墳牟佐大塚古墳


奥から外


(見学記)
(2019年)
序でがあったのでここも久しぶりの訪問、31年ぶりだ。ここは超有名だから初心者の頃既に行ってますね。周辺の様子は全く記憶にない、石室も石棺のイメージが強すぎて石室自体は余り印象に残っていない。金子池辺りから案内板が出ていて容易にたどり着けます、石室前にも説明板が設置されていました。尾根上に築かれた墳丘もよく残っている。石棺で有名ですが奥壁も長方形の巨石1枚石と滅多にない奥壁です。見た感じ上部が僅かに外側に傾いているように見えたけど安定性をはかっているんでしょうか。しかしこれ程の古墳なのに史跡指定はされていないようです。
南側尾根筋西側斜面にも大きな墳丘があります、奥場古墳群を構成していてこれが1号、石塔塚が2号です。南側が大きく盗掘を受けていますが石材は全く見られず。盗掘が墳丘中央まで達しておらず横穴だったら石室後部辺りは残っているかもしれない。前回も訪問していたけどすっかり忘れていた。金子池の中を通る堤がありそこに駐車可。

(1988年)
径30mの円墳で南側に石室が開口、右片袖式全長8.5mで玄室に刳抜式の家形石棺があります。県内に5基ある地元浪形石製(貝殻石灰岩)の石棺で蓋石の背が高く縄掛け突起も突き出た古いタイプのものです。かっては石棺が半ば土砂に埋まり蓋石もはずされていましたが現在は中が清掃され蓋石も元に戻されています。

浦越古墳群

岡山県総社市 2010年2月訪問、11年10月、19年1月再訪

(2019年)
その1
位置:34°40′50″N 133°41′39″E
新しく見つかった1列に並ぶ墳丘の最東端、以前訪問時通った山道から見えているが気が付かなかった


南側に大きく開口


それでも石室前部は破壊されているようだ


玄室は良好


ストロボ撮影、奥壁2段積み


奥から外、無袖かな


その2
1号すぐ西側に墳丘が見えている


石室全部埋没、奥に天井石が見えている


墳頂が盗掘で広く窪む


残存天井石は1枚だけ


その3
更に西側に大きな墳丘


石室前部破壊、狭い開口部


入るのは難しくはない


玄門、下がったまぐさ石


玄室も良好、石材の面が揃う


台形の鏡石を据えた奥壁


奥から外、左片袖式


奥から右


〃反対側、こちらの方が石材がやや大きい


その4
同程度の墳丘、ここのは大きさが割と揃う


極狭開口、流石に入るのは無理


カメラを突っ込んで撮影、石室良好、入れないのが残念なくらい良好


その3と同じような奥壁


その5
これまた整った墳丘


墳頂は盗掘で大きく窪む


反対側から見ても窪んでいるのが分かる、背後明るくなっている辺りに1号があるが消滅の模様


その6
_1:整った墳丘だが石室見られず


その7
大きさはあるが低い墳丘


激狭開口


細長い石室が良好に残る


ならばと無理矢理突入


奥壁は2段積み


奥から外、入り口が埋まるが無袖っぽい


その8
その7の側に低いがはっきりした墳丘


石材が一部露出、石室の様子はよくわからず


麓からの遠望、太陽パネル設置


パネルの間に隙間


位置からしてこれは多分4号(追記:4号ではないそうです)


これも隙間があるから古墳か、でもこれを残すくらいなら1号を残してほしかった


(2010,11年)古墳番号はHP「古墳奮闘」に従う
1号
方墳?
横穴式石室、玄室長5.5,幅1.4,高1.4m
位置:34°40′45″N 133°41′36″E
丘陵中腹緩斜面に立地


墳丘背後から


南側に石室開口


開口部、羨道前部は壊失


良好に残る玄室、右側壁の積み方が丁寧


ほぼ1枚石の奥壁


奥から外、片袖式


2号
横穴式石室
位置:34°40′49″N 133°41′34″E
天井石が何枚か露出


3号
横穴式石室、石室全長9m、玄室長5.5,幅2.3,高2.3m
位置:34°40′52″N 133°41′44″E
石室正面、羨道前部壊失


羨道奥、巨石まぐさ石が一段下がる


巨石を積んだ玄室、長い間水が貯まっていたようで下部が黒ずんでいる


巨石鏡石の奥壁、左側側壁もかなりの巨石


奥から外、片袖式


〃(縦位置)


4号
横穴式石室、玄室長3.5,幅1.2,高1.4m(現状)
位置:34°40′55″N 133°41′42″E
石室正面


玄室後部が良好に残る


ほぼ1枚石の奥壁


奥から外


5号
横穴式石室
位置:34°40′36″N 133°41′32″E
尾根先端に大きな墳丘が残るが前(右側)が大きく削られている


大きく抉られ石室露出


奥辺りしか残っていない


巨大な天井石


石仏が祀られ奥壁はよく見えない



(見学記)
(2019年)
古墳が新たに7基発見されたので行ってみました。行ってみるとこの側の道は何度か通っていてそこから墳丘が見えているじゃないか、ここも知らなければ見えないの法則(汗)。それはともかく7基集中、内3基で入室可能な石室、1基隙間開口しています。南側に4基、北側に3基並んでいてその間にもう水が流れていない水路があります。ここを通れば移動も容易。西側前1、後ろ2基で大きく盗掘されています。後列東側の1基はシダの藪の中で分かりにくい、開口部も狭く無理やり入ってきました。直ぐ側に低い高まりがあるけど古墳なのかな、それにしては小さすぎるし塚にしては低すぎる。この南側以前は林だったけどすっかり切り払われ太陽光パネルの設置工事が進んでいました。その南側にあった1号は破壊消滅したようです(怒)。この古墳群の中では良好に残っていたのにね。北東側はもう一面パネルが設置されています、所々に隙間があり古墳が残されています。石室があるのも見えていますが4号かな。こちらの方は残されているだけに1号が何故破壊されたか疑問、遺跡があるのは分かっているのだから少なくとも発掘をしないと工事できないと思うんだけどね。南側溜池東側に駐車スペースあり。

(2010,11年)
総社市浦越、ここもかまどねこさんに案内して貰ったときカメラの故障で写真がおかしくなっていたので再訪。かなり広い範囲に分布しているので再訪時でも多少手間取った。東側の住宅団地最奥に駐車ポイントがありそこから小さなため池南側を通っていくと道の脇にぽっかり石室が開口しています。これが仮3号、墳丘は藪に包まれ羨道前部も壊失しているようですが巨石を使った玄室完存、玄室長5.5m程、殆ど持ち送りのない側壁、奥壁は巨石の鏡石を据えその上に一段重ねています。玄門は左片袖式、まぐさ石もすこぶるつきの巨石です。以前は水が貯まっていたようで石室下部が黒くなっています。更に西に進むと開けた場所に畑が広がりその西側に丸い墳丘が見えています。これが仮1号で方墳だそうだ。南側に開口羨道は多少壊失していますがこちらも玄室完存、玄室長は5.5mと3号と変わりませんが幅高さとも小さくやや小ぶりな印象を感じさせます(こちらを先に見てから3号に行ったほうがいいかも)。それでも奥壁は1枚石からなりこちらも側壁はほぼ垂直に立ち上がっています。左に比べて右側壁の方が石が割と整っていて丁寧に積み重ねられている印象を受けます。ここから北西側ため池北側にあるのが仮2号、天井石が露出している程度で内部は埋没しています。3号から山道を北に向かい大きく西にカーブした辺りの少し先にあるのが仮3号、ここは一応自力で発見、と言っても現地を見たら両側は細竹の藪で全く見通しがきかず道そのものも消えかかっている状態でこれは無理だなと思ったけどせっかく来たのだからと入りやすそうな場所から突入してみると(道南側)ピッタシだったようで両側に墳丘が見えていました。となると石室のあるのは西側、細竹が茂って移動が大変だけどなんとかたどり着けました。石室自体は小形で前部は壊失しているけど後部は良好に残っています。

正蓮寺谷古墳群

岡山県矢掛町 1992年4月訪問、2013年4月、19年1月再訪

(2019年)
3号
天井部が露出開口、ちょっと掃除しました


石室内部、奥壁は一応小型鏡石を据える


奥から外、まぐさ石が見えていて羨道埋没


4号
特徴的な三角屋根型の天井石露出


内部はトンネル状と言うか、残存天井辺りしか残っていない


石室後部側から


ブロックを積んだ側壁、一部表面を割っているようだ


反対側は大型石材


5号
大きな墳丘が残る


南側に開口、群中最大の石室、最初訪問時なんで見逃したか


開口部は狭いが横幅があるので入るのは難しくない


良好に残る石室


やや持ち送りのある側壁、狸のせいか靴などが散乱


おむすび型のほぼ1枚石の奥壁


奥から外、まぐさ石が一段下がっている、右片袖でしょうか


奥から左側


反対側、基本割石を積み重ねている


6号
これも大きな墳丘が残る


ただし隙間開口、流石に入るのは無理


内部はそれ程埋まってないようです


7号
こちらも隙間開口、でも入れます


側壁奥壁とも小型石材、奥壁下部は若干左右対称を意識しているかな


奥から外、これも側壁に持ち送りがある、まぐさ石が一段下がる


8号
天井部が露出開口


斜め前から


開口部から奥壁が見えているので期待できず


割石を積んだ奥壁、隙間石が割と残っている


9号
これだけ南側緩斜面に立地


墳丘が良好に残る、期待大だけど


南側に開口、やや狭いがなんとか入れる


石室内部、だいぶ土砂が流入


奥壁は土砂に埋もれて最上部しか見えず


奥から外、大分埋まっているが無袖かな


10号
群東端、斜面際にある、左側のは側壁石材か


絶望的な隙間開口


内部は土砂が流入するも石室自体は良好のようだ


初回訪問時見ていた最東端石室はどうもどれにも当てはまらないようだ


(2013年)
1号
横穴式石室、全長5.7m
位置:34°37′40″N133°34′31″E
外見は以前と特に変わりない石室


立ったまま中に入れる背の高い玄室、ここでこのタイプはこれだけ


側の民家が無人になったせいか中の荷物が少ない


〃縦位置、左側壁が少し押されているようだ


ブロック状の石を2列に積み上げる、石の加工度が悪いのか少しずつ右に傾いている


奥から外


2号
横穴式石室、全長4.6m
石室はかなり藪に包まれてきている、中間の天井石はなくなっている


石室正面、天井石がずれているかな


内部は殆ど埋没


(1992年)(一部画像追加)
1号
丘陵麓にある墳丘、1,2号は麓、他は尾根上に位置する


墳丘上方から


石室正面、背が高い


内部は物置状態


玄室奥から


右1号、左2号


2号
石室正面、右墳丘は山道で削られる


露出した石室


3号
開口部、手前の羨道は埋没


玄室


4号
露出した天井石


入り口から右側壁


6号
上部が凹んだ墳丘、左下に開口


石室内部


7号
開口部


玄室、思いがけず状態がよい


8号
開口部


奥壁辺り


?号
半ば埋まった開口部、群東端、丘陵斜面最上部に位置


右側壁


左側壁、何故か奥壁は撮っていない、改めて見ると9号とも10号とも違う


(見学記)
(2019年)
矢掛町小林、10基程の古墳群ですが最大の5号は見逃しているし初心者の頃の訪問で石室内に入ってないのも多く27年ぶりに再再訪してみました。この日は同行者と3人連れ、その方は行ったばかりなので見つかるのは確実、楽しく見学できました。場所は尾根上の林の中、少々歩きにくいけど6年前の藪のような場所ではなかった。個々の古墳は省略しますが5号は大きな墳丘と石室が残っていました、これをなんで当時見つけられなかったんだ。それはともかく石室に入るのも楽で内部も良好、でも石室内に靴が多く散乱、それも片方ばかりで狸の仕業でしょうか、石室前にも散乱していました。9号だけが南側斜面に立地、これも墳丘石室ともよく残っています。南東側斜面に10号、初めての時はこの下から登ってきました、その時は山道があったけどもう痕跡もなかった。ただ石室入口の様子や墳丘など違うような気がしないでもない。南側に大元鵜江神社があり駐車場有り。

(2013年)
最大の5号を見逃していたので再訪してみました。まずは1,2号から訪問、1号石室自体は変わりませんが倉庫として利用されていた内部は道具類が少なくなっていました、側の民家も引っ越したようで無人になっていました、ポツンと一軒家程ではないですがやはり住みにくかったんでしょうか。背後の2号もヤブに覆われて見づらくなっていました。ここまでは準備段階、本命の3号以下を見るために藪に突入、ここで磁石を利用することもなく直感で飛び込む性格が災い、藪の中を東西に2往復くらいしたが1基も見つからず。ちゃんと東端の急斜面も確認したし場所は間違いなさそう、4月末だし藪が酷くなっていたので見つからなかったかなと自分に言い聞かせて退却。後から地図を確認してみるとどうも1,2号の北側一帯を捜索していたようです。実際のは東方向でした(汗)

(1992年)
美山川,星田川の間の丘に10基分布。1,2号以外は尾根上。すべて横穴石室で玄室がやや持ち送りのある構造,奥壁も多数の石で構成されているのが特徴です。1号は丘の麓墓の側に墳丘が残っていて南に石室が開口,羨道壊失。玄室は奥壁,壁とも中型の石を組み合わせて構成されている。入室可中は物置状態。2号は1号のすぐ西側に石室露出,かろうじて構造がわかる程度に残存。3号は天井石が1枚露出,奥壁も失われている,入室可。4号は封土がかろうじて残っている,羨道は埋没もしくは壊失,玄室残存,入室可。5号は「矢掛町史」に載っている写真を見る限り一番立派な石室のようだが発見できず。6号は開口部分は狭いが玄室はあまり埋まっておらず以外と広い。,入室可。7号は開口部分に見えている天井石はかなり大きいが玄室の石材は小型,半ば埋まっていて入室困難。8,9号はともに天井石が露出,小型の石材からなる玄室は半ば埋まっていて入室困難。10号は不明。

岡ヶ市古墳群

岡山県矢掛町 1992年4月訪問、2019年1月再訪

(2019年)
8号(仮称)
横穴式石室
位置:34°37′31″N 133°34′39″E
前年新たに古墳が見つかったと言うので再訪、低い墳丘だけど藪になっているわけでもない


石室前部が露出、遠くに見えているのが神社


天井石左側には後世の割口、石仏でも彫ろうとしたんでしょうか


開口部は狭いが下が落ち葉なので入るのは楽


割石積みの玄室


奥壁も側壁と同様の小型石材


側壁の一部が崩れている、比較的最近のような感じ


奥から外、両袖かな、まぐさ石が一段下がっている


9号(仮称)
石灯籠の下に小型石室、同行者さんが見つけてくれました


開口部正面、やはり石室でしょうね


奥壁はなく内部はトンネル状、側壁の一部がずれ落ちている


背後の天井石、切石に近い


1号
円墳、R12.5,H2.6
横穴式石室、全長4.8m
位置:34°37′35″N 133°34′30″E
せっかくなので1号も再訪、これは開口部反対側の墳丘、割と残っている


石室正面、墳丘は大きく抉られている


石室後部しか残っていない


玄室後部、右と左で側壁の積み方が大分違う


上部が半円形の見事な奥壁、加工じゃなくて自然石そのままなんでしょうか


奥から外


奥から左側、こちらはブロック状石材を積んでいる


反対側、こちらは平石を積み重ねている


2号(仮称)
1号北側に大きいが背の低い墳丘


墳頂が盗掘で窪む、僅かに石材が見えている


(1992年)
1号
墳丘、石室正面


玄室、石室が見られるのはこれだけ


この頃はバイクで直ぐ側まで行けたけど今は無理


2号
以下多分仮番号



4号
左奥にも墳丘が見えるような



6号


(見学記)
(2019年)
大元鵜江神社北西辺りに分布している古墳群で「矢掛町史」には7基記述がありますが今年になって神社北東に新たな石室墳が発見されたので行ってみました。行ってみれば低いけど古墳らしい高まりはあるし石室も開口しているしすぐ古墳と分かるのになんで今まで認識されてなかったのかなと思う場所でした。岡ケ市の他の古墳より余程分かりやすいよ。町史に載っている7基の記述とはどれもあわないので新規の石室なのは間違いないようです。石室内部はやや土砂が流入し側壁の一部も崩れていますが中に入れます。この近くでも小型の石室らしきものがありました。序でなので1号にも行ってみました。これまた27年前なので当時の記憶は全く無いけど神社北西から藪の中を通っていく道があるのでそこを入っていきます。途中に低い墳丘が幾つかありますがそれらは無視、とにかく進むと左側に大きな墳丘があります、それが1号で反対側に開口、石室前部は破壊されていますが上部が円形の鏡石らしい奥壁が印象的です。昔の写真と比べると藪が酷くなっていて墳丘の写真は殆ど撮れません。この北側に斜面をカットした低い墳丘が残っていて石室があったようで細長い窪みが見えています。大元鵜江神社に駐車場有り。

(1992年)
正蓮寺谷古墳群の谷を挟んだ南側の丘の上に6基分布。1号丘頂近くにあり墳丘石室とも良好に残存,羨道は埋没もしくは壊失していますが玄室は奥壁が1枚石で壁も平面に整えられています。2,4,6号は墳丘を確認したのみ。

宇山古墳群

岡山県矢掛町 2019年1月訪問

その1
横穴式石室、残存長4m程度
位置:34°37′12″N 133°33′55″E
幅広い谷筋に位置する、なんでこんな場所に造ったか


切石に近い石材が露出


正面の石は動かされている、右側の石が天井石でしょうか


前部はかなり破壊、後部残存


ブロック状の石を積み上げた玄室


小型だが鏡石を据えた奥壁


奥から外、天井の剥離は当時のままでしょうか、だとしたらちょっと仕上げがあまい


その2
1号直ぐ側にはっきりした墳丘


山側から見た墳丘、右奥がその1かな


石材露出、側壁でしょうか


その3
石垣に開口、よくあるパターンですが石室そのものは表に出ていない


奥に見えている、多分まぐさ石


内部は殆ど埋没、奥壁がなんとか見えている


おまけ
蓮華寺境内にあった偽石室、偽と言うよりお堂なのはすぐ分かりますが


(見学記)
矢掛町西川面、蓮華寺南方一帯に分布する古墳群ですが「矢掛町史」には個々の古墳が全く書かれておらずどの程度の規模なのか不明でしたが最近石室墳が見つかったので行ってみました。私は序でだったので蓮華寺から歩いていきましたが南から蓮華寺に登っていく道があります、狭いけど。蓮華寺300m程手前に”右寺道”と書かれた石柱があります(左にも道があるけどもう車は通れない)。この辺りから下に下っていくと古墳に出会えます、50m程でしょうか。墳丘は割と残り東に開口、前部は破壊されていますが後部はよく残っています、入るのは容易。直ぐ側に同規模の墳丘がありますが側壁の一部が見られるだけ。ただ向きを考えると北向き、東の方が幾らでも開いているのになんで北向き、しかも隣の古墳に背を向けています。石柱手前に駐車スペースあり。ただ前年の西日本豪雨で道路が大きく削られていました。普通なら通行止めになるくらいだけど奥にあるのは蓮華寺だけだからしなかったかな。
道路を下っていくと石垣の中に石室が開口しています。よくある開口部がそのまま石垣になっているのではなく少し引っ込んでいる位置にまぐさ石、更に奥に奥壁が見えています。石垣の中に埋め込まれていたら永遠に存在が分からなかっただろうな。古墳マニアとしては助かるけど石垣の強度は落ちるだろうにね。

毎戸古墳群

岡山県矢掛町 1988年4月訪問、92年4月、12年3月、19年1月再訪

4基

2019年
3号
横穴式石室
位置:34°36′31″N 133°33′04″E
鳶山山頂南斜面、標高110m程の高所に立地、墳丘流失天井石露出もかなり乱れている、高所だけど上方に巨岩が露出、石材には事欠かなかったようだ


この辺りから入れる、左が最後部の天井石


天井石背後から


隙間から覗いた内部、奥壁はほぼ1枚石


玄室奥から、左上の隙間からなんとか入れる


奥から右方向、後部側壁が巨石


反対側、こちらも巨石


天井部、崩壊せずギリギリ保っている


奥から外


その他
3号へ行く途中で尾根に高まりがあった、古墳だと直感


大きさの割に背の低い墳丘


上部が盗掘で窪むも石材露出なし、多分毎戸古墳群じゃなく中期の古墳かな


2012年
2号(毎戸荒神塚古墳)
位置:34°36′24″N 133°33′07″E
神社前に石室露出


20年前となんら変わりなし、当然だけど


内部も相変わらず粗大ごみ散乱


奥壁は下が埋まるも1枚石だろうな


奥から外、改めて見ると側壁も上に積み重ねがないな


露出した天井石後部


4号
玄室長5.6,幅2m
位置:34°36′24″N 133°33′14″E
墓地の中にある、20年前はどうだったかな、林の中だと思ったけどな


開口部に枯れ枝が積まれ中に入れず


露出した天井石


隙間から見た奥壁


入口側はかなり埋まる


(1992年)
1号
円墳、R30、中期
位置:34°36′19″N 133°32′57″E
遠望


2号(毎戸荒神塚古墳)
石室正面、神社境内に露出


石室内部


4号
石室正面


玄室


奥から外


(見学記)
(2019年)
矢掛町浅海、3号が未訪問だったので行ってみました。鳶山から南に伸びる尾根上に立地しています、標高が110mもあり矢掛でも最高所にある古墳でしょうか。山頂手前に電波塔がありそこから尾根筋を降りていくと林の中に巨石石室が露出しています。天井石が折れて落下するなど状態は悪いですが最奥部分に何とか入られ巨石の奥壁を見ることが出来ます。電波塔のすぐ下辺りにとんでもなく大きな巨石が露出、下を通り抜けられる状態で登山道でもあればさぞかし名所になっただろうな。途中の巨大水道タンク北東尾根上に低い墳丘がありますが盗掘で真っ二つ、石材は全く見られないし墳丘もなだらかで木棺直葬の前中期の古墳かもしれない。南東側溜池辺りから入っていく舗装路があり水道タンク辺りまで行けて駐車スペースがあります。

(2012年)
3号を探すべく再訪、2号は相変わらずで中にゴミというか道具が入ってます。4号は当時は確か林の中だと思ったけど現在は墓地の中になっていて暫く探してしまった。入り口に枯れ枝が積まれ中に入れなくなっていた。3号は神社から直登してみたが途中で藪がひどくなって断念、やはり急がば回れかな。1号も古墳側まで行くつもりだったが3号の後ですっかり忘れてた。

(1992年)
鳶山南側麓近くに分布する古墳群です。1号はR486北側低い尾根の先端に位置する中期の古墳,主体部不明。2号は荒神社の鳥居脇に石室が露出。羨道はなく玄室のみ,壁の部分は石材がカットされ面が揃えられている。天井石も大型の扁平な石が使われている。入室可,でも中は物置状態。4号は更に東側,墓地脇の林の中に石室天井石が露出,石室も2号よりやや粗雑な感じ。内部は半ば土砂で埋まっているが入室可,芋の貯蔵穴が掘られている。なんちゅう利用法じゃ(-。-;)。3号は不明。

橋本古墳群

岡山県矢掛町 1988年4月訪問、91年4月、12年3月、19年1月再訪

15基以上

(2019年)
8号
荒神塚西方の尾根南斜面に3基並ぶ、欠番8-10号を仮番号として割り当てる


僅かな高まり


明確な石材は奥の1個だけ


9号
位置:34°35′56″N 133°35′46″E
8号西側に同様の高まり、左後方に山道が見えていますが前年の豪雨で大きな雨裂があった


南向きに開口


開口部、左側に羨道側壁が残存


土砂流入も石室自体は良好


一部凹むなどちょっと変わった形の奥壁鏡石


奥から外、右片袖かな、まぐさ石が一段下がっている


10号
更に西側に同様の高まり


盗掘されたのか墳頂部が凹んでいる


露出した石材、元の状態がわからない程、手前の石は割られた跡がある、多分後世のもの


(2012年)
1号
はっきりした墳丘が残るも石材見られず


2号
崩壊気味の天井石露出


石室も前部は埋まるが後部で隙間開口


前部の崩れ落ちている天井石


石室後部、半ば埋まるも奥まで見える、鏡石が天井まで届いている


奥の隙間から


3号
横穴式石室
位置:34°35′54″N 133°35′44″E
斜面に背の高い墳丘が残る


墳頂部に石室開口


天井石露出


15号以外では一番良好に残る玄室、奥壁は下部に大型石材を据える


奥から外、無袖かな、若干左側(斜面下側)に傾いているよう


4号
低い墳丘が残る


上部を失った石室露出


奥壁辺り


5号
石室正面から


後部で天井石残存


内部も殆ど埋まる


6号
低い墳丘に僅かに石材露出


7号
傾いた天井石露出


石室の方向が分かる程度


分厚い板状に加工された天井石


(8-10号は欠番)

11号
横穴式石室、全長6.4m
位置:34°35′54″N 133°35′55″E
相変わらず藪に包まれた露出石室


東側から、藪で隙間も伺えなかった


12号(仮)
低い墳丘に直線状に石材露出


石室だろうな


この辺りが奥壁でしょうか


13号
はっきりした墳丘頂部に石室露出


上記反対側から


こちら側が入口側天井


かなり加工された天井石


上記反対側から


内部は大分埋まっているが奥壁上部が見えている、側壁奥壁が黒くなっているが天井はそうでもない


奥から外、前部は完全埋没


14号
状態の良い墳丘


上記反対側、こちらが入口側


石室前部埋没、中程で開口


内部は半ば埋まるも奥壁まで見えている


15号(橋本荒神塚古墳)
円墳、R20,H5
横穴式石室、全長7.1m、玄室長5.85,幅2,高2.35m
位置:34°35′57″N 133°35′48″E
20年前と殆ど変わりない状況


開口部正面


他と比べて隔絶した規模の石室


県内では一番見やすい石棚かな


割と低い位置にある石棚


石棚上部奥壁


石棚下部、下部が曲面で左側が抜け落ちそうなので支えを置いたかなと想像


奥から外、両袖式


墳丘横から、斜面をカットした跡がよく残っている


16号(仮)
緩斜面に僅かな盛り上がり


この石組みはどうみても石室


背後から


(1988、91年)
11号(88年)
露出した天井石


石室内部、奥壁辺り


15号(橋本荒神塚古墳)
お堂背後に開口


石棚のある玄室、下の支柱は当時のものかどうかは不明


奥から外


墳丘


(見学記)
(2019年)
矢掛町里山田、更に3基の古墳が追加されたので再訪しました。東に伸びる尾根筋の南斜面に3基の古墳がならんでいます。東から8-19号(欠番を当てた仮番号)、どれも古墳を思わせる高まりがありますが8,10号は石室が大きく破壊され9号だけ無袖式の石室が残り中に入れます。しかし7年前も追加があって訪問した時は殆が藪の中、今回のは藪でもなく荒神塚からすぐ歩いて1分程、今までで一番楽だった。前回通った道からも墳丘が見えているけど存在を知らなければ気が付かないな。昨年の豪雨の跡がこんな所にも残っていた、前の道が大きく抉られて2m近い深さの溝が出来ていました。荒神塚までの道が狭いので今までは下の県道に車を止めて歩いていっていましたが今回初めて荒神塚まで車で行きました、駐車場有り。

(2012年)
矢掛町里山田、以前は石棚のある15号と石室の露出した11号しか見てなかったのですが(これが普通)かまどねこさんが更に多く見つけてくれたので再訪していました。20年ぶりの訪問だけど辺りの様子は殆ど変わらず。まず1号を訪問ここを起点に南側の1-7号、13,14号を探してみました(8-10号は欠番)。15号南西杉林の中低い尾根先端に1号があります。明瞭な墳丘が残っているが石室は見られず。ただ矢掛町史(旧版)では開口した石室が載っているけどね、ただ本文は奥壁が残るとなっていてよく分かりません。ここから更に南西斜面裾辺りに2-6号が集中、石室が良好なのは3号くらいで他は大分破壊されています。更に藪の中を進むと7号かな、低い墳丘に石材散乱状態です。更に南に進むとやや開けた場所に13,14号があります。上側は14号で墳丘が良好に残っています。南向きの石室は現墳丘のほぼ中央辺りに開口しているので奥はそれ程残ってないかなと思ったが意外に奥まで残っていました。ただ土砂がかなり流入し中に入ると方向転換が出来そうにないのでカメラを突っ込んで撮影。すぐ下の13号も墳丘がよく残っているが天井石露出内部もかなり埋まっています。石材の一部が黒くなっているが中で何か燃やしたんだろうか。14号上にも破壊された石室らしきものがある。15号側に駐車場有り。

(1991年)
池尻古墳群北方緩斜面の広い範囲に15基分布していますが確認できたのは2基だけ。最も北側にあるのが15号(荒神塚古墳)で荒神社背後に墳丘があり南側に石室が開口,羨道は殆ど無くなっていますが両袖式の玄室が完存,この石室の最大の特徴は奥壁に石棚があることです。奥行き1.5m程で人一人が横たわるには十分の面積があります(と言っても遺体が置かれていたという証拠があるわけではありませんが。かなり分厚くそのせいでしょうか下に石の支柱があります。入室容易。ここから南東墓地の側に11号墳の石室が露出,最初はただの岩塊かと思いましたが近寄ってみると内部に何とか石室構造が残っていました。入室困難。

蓮華寺東古墳(仮称)

岡山県矢掛町 2019年1月訪問

横穴式石室
位置:34°37′23″N 133°34′02″E
南から見るとそこそこ残る墳丘


でも天井石が殆ど露出している


南向きに開口、1月なのに随分葉が茂っている


開口部、玄門袖石が見えている、元々羨道は短かったか


石室内は大分埋まっている、袖石の様子から元々それ程高くなかったような


玄室、落下した天井石


奥から見た玄門、まぐさ石が下がる


石室背後から、玄室後部は殆ど壊失


(見学記)
矢掛町西川面、川面小学校西側の丘陵上に蓮華寺がありその東方尾根筋に立地した古墳です。ただ蓮華寺からははっきりした道がなく行きづらい。東側麓に蓮華寺と書かれた石碑があってそこから登っていく道があります。急な山道を登って尾根にたどり着くと左側50m程、空き地と林の境目辺りにあります。墳丘流失石室完全露出、玄室後部が破壊されて状態はよくありません。玄門は残っていて右片袖式かなと分かる程度です。川沿いの道路に駐車スペースあり。
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