童男山古墳群

福岡県八女市 2002年4月訪問、15年3月再訪

3支群27基

(2015年)
分布図(説明板より)


1号(童男山古墳)
円墳、R48,H6.7、6C後半
複室石室、全長18m
石屋形、刳抜式石棺
位置:33°13′20″N 130°36′53″E (日本測地系)
   33.22555299 130.61238388(世界測地系)
小丘頂部、大きな墳丘が残るがどこまで元の状態でしょうか、手前の巨石は多分羨道天井石


石室正面、ここは前室玄門


2重袖石を持つ玄門、袖石は切石状、まぐさ石上部に隙間、床面に敷石


前室左側、側壁は平面に整えられている


右側も同様の構造、首をすげ替えられた石仏が不気味


石屋形を持つ玄室


〃縦位置


石屋形内部に刳抜式石棺の身


石棺に石屋形袖石が食い込んでいる


玄室左側


こちらにも刳抜式石棺身、反対側には無い


ドーム状の天井、隙間がある


奥から外、両袖式


前室奥から外


2号
円墳、R22
複室石室
石棚、石障
1号南側、墳丘石室ともよく残る


石室正面、羨道はかなり破壊、通路の石は元のままなんでしょうか


あまり幅のない前室、左側は土圧でせり出している


巨石で構成された玄室、石棚と石障


〃縦位置、天井が見えている


石棚下部は巨石1枚石、上部は平石を重ねる


石障、床面は巨石敷石1枚か2枚か、手前玄室床面にも敷石


狭く四角く細長い天井


奥から外、両袖式


〃縦位置


前室奥から、天井が高くなっているのが分かる


3号
円墳、R17
複室石室、全長8m
石屋形
2号南側、これも墳丘石室良好


石室正面、羨道先端までよく残る、天井石が一段下がり床面には敷石


羨道


前室、袖石は柱状1本石


前室左側壁、見事に平面に整えられている


反対側、こちらも1枚石だが平面度はやや粗い


玄室はあまり奥行きが無いので左右が写らない、これは石棚でなく石屋形でしょうね


上部の石も石棚ではありえない構造でせり出している、その上は天井


奥から外、両袖式


前室奥から、天井は高くない


4号
位置:33°13′23″N 130°36′55″E (日本測地系)
   33.22638626 130.61293937(世界測地系)
大きな墳丘が残るが石材見られず


5号
表示版があるだけ、墳丘不明


6号
後方の高まりが墳丘でしょうか


7号
複室石室
位置:33°13′20″N 130°36′57″E (日本測地系)
   33.225553 130.6134949(世界測地系)
シダに覆われた墳丘


極狭の開口部、ここを探すだけでも大変、でもここに入った人がいたとは


カメラを突っ込んで撮影、複室石室で長い羨道も残る


後室、石棚を持つようです


8号
複室石室
下から見た墳丘


ずり落ちた巨大な天井石、右後方に石室


天井部を失った石室


後室玄門、12号に似ている


前室左側壁、平石を重ねる


前室玄門奥から、羨道は埋没


後室、鏡石以外平石を重ねる


奥から外、右側はシダや土砂で隠れている


側壁、こちらも平石


9号
僅かな高まり程度だがシダが生えてないので分かりやすい


10号
斜面に僅かな高まり


盗掘坑があり石材が僅かに散乱


12号
複室石室、石棚
位置:33°13′18″N 130°36′56″E (日本測地系)
   33.22499749 130.61321716(世界測地系)
車で来ると真っ先に目にする、右後方に13号、背後の林の中に7-10号


石室正面、羨道は殆ど消滅


前室はそれ程大きくはない、まぐさ石も巨大で前後に突き出ている


石棚のある後室、鏡石だけ巨大、他の石材は概ね平石を積み重ねる


〃縦位置、背が高い


石棚上部の奥壁


やや縦長の天井石


奥から外、上部が斜めになった特徴的な袖石


〃縦位置


奥から左、最下部の石だけが1枚石で大きい


奥から右、下部がやや大きいが1枚石ではない


前室奥から


13号
複室石室
林縁に開口、羨道は消滅


前室、後室玄門、袖石は切石のよう


鏡石だけ巨石、他は平石、石棚がないだけで他は12号と似ている


〃縦位置、背が高い


狭い天井


奥から外、両袖式


〃縦位置


前室奥から、ツル植物が入っているが状態は良い


墳丘背後から


18号?
分布図の推定位置にありました


平石と間に丸い石材、石室?


直ぐ側にも石組みがあった、奥に見えているのが1枚目の写真の高まり


21号
横穴式石室
位置:33°13′17″N 130°36′50″E (日本測地系)
   33.22471972 130.61155064(世界測地系)
道路から離れた谷のような場所にある、不自然な地形で右側は多分盛り土、19,20号は埋戻しかな


古墳があるとは思えない場所、初めは見逃した


石室は基部しか残っていない


背後から、結構大きそうです


22号
複式横穴式石室
位置:33°13′15″N 130°36′48″E (日本測地系)
   33.22416421 130.61099515(世界測地系)
大きな墳丘が良好に残る、手前の石垣は後世のでしょうね


墳丘上に巨木が何本も生える、わざわざこんな場所に生えなくてもな


石室正面、羨道は壊失


根っこが石材を割っている、巨木が倒れたら石室も大被害を受けそう


前室、後室玄門、袖石は割り石状


前室右側、面が整えられている


左側も同様、平石を積み重ねている


巨石で構成された後室、右側壁がかなり傾いている


〃縦位置、奥壁はほぼ1枚石の巨石


床面に敷石、奥壁前に棺台or屍床、内刳があり刳抜式石棺底石のように見えます


四角い天井、それ程狭くはない


奥から外、両袖式、側壁が傾いて袖石を隠している


前室奥から、まぐさ石と言うより仕切り石のよう


25号
複式横穴式石室、石棚
位置:33°13′18″N 130°36′44″E (日本測地系)
   33.22499745 130.60988411(世界測地系)
道路脇に大きな墳丘大きな開口部


この古墳群の中では墳丘石室とも一番良好


大きな開口部、立ったままゆうゆう入れる


長い羨道も良好に残る、側壁は小型石材


羨道天井石も巨石で平面に仕上げられている


羨道左側、玄門が2重柱石、その手前にも柱状の石が埋め込まれている


右側も玄門は2重だが埋め込み石はない


前室、後室玄門、しきみ石が四角い切石


前室左側、側壁は巨石1枚石


右側も同様1枚石


石棚のある後室、薄い板石に加工されている、石棚は左右の巨石側壁に乗っているようだ、奥壁もほぼ1枚石で石棚の上に頭が出ている


縦位置、最後発の石棚墳でしょうね


それにしても見事な石棚、必見です


石棚上部の石組み


長方形の天井、天井石も1枚、左にわずかに見えているのが奥壁、右はまぐさ石


奥から外、両袖式、まぐさ石も巨石


奥から左側、巨石の側壁


〃右側、こちらも巨石


前室奥から


26号
位置:33°13′20″N 130°36′43″E (日本測地系)
   33.22555295 130.60960634(世界測地系)
江戸時代の古い墓地の中にはっきりした高まり


墳頂が凹んでいるが石材は見られず


(2002年)
1号(童男山古墳)
丘陵頂にある墳丘、羨道は完全に壊失、手前の石が天井石か


前室、玄室玄門、二重構造のような玄門


玄室、石屋形、ドーム状、石屋形という肥後型玄室


奥壁左側、上部が隅丸でドーム状になっているのがわかる


石棺の身、玄室左右にある


天井石、上部が円形状になっている


奥から外、袖石は切石に近く、まぐさ石は自然石の巨石


2号
石室正面


前室、側壁が土圧で膨らんでいる


石棚のある玄室、それ程持ち送りはない


奥から外、下部に巨石を据え上は平石積み


3号
石室正面


前室


石屋形のある玄室、上の石は1枚石をカットして2枚重ねのように見せている、天井との間に隙間は殆どない


奥から外、玄室はそれ程大きくない


12号
石室正面


前室玄門、前室


玄室、巨石の奥壁の上に幅の狭い石棚がある、上部が丸くなっているのが分かる


奥から外、左右対称の袖石が特徴的


(見学記)
(2015年)
13年ぶりの訪問、前回は4基しか見てないので再訪してみました。今は2号の所に説明板があり詳しい分布図も載っていますが当時はどうだったかな、あれば探していたと思うんだけどね。分布図が2つあるけど八女古墳群自然遊歩道と書かれている方が微妙に正確なような気がする。とりあえず前回見学した1-3号は割愛。
4号:1号北側にふれあいの家が出来ていてその北側に裸の状態の墳丘があります。石材などは一切見られず。
5,6号:4号から東側の尾根に遊歩道がありますがもう誰も通らないようで草茫々の状態、尾根筋最高所に5号がありますが表示板があるから墳丘だなと分かる程度。その北側に6号があり表示板が立っているが全く分かりません。
7号:5号から尾根筋を南下、ふれあいの家の南側に尾根筋高所を利用した大きな墳丘があります。OBITOさんのサイトでは裸の状態だったようですがこの時はシダに覆われていて開口部を探すだけでも一苦労でした。南西方向に開口、入り口は狭く入るのは断念、多分これ一つだけだったら無理してでも入るだろうな。中の石室は良好のようです(どうやら石棚のある立派な石室のようです)。
8号:7号すぐ南尾根頂部を利用した墳丘がありますがこちらもすっかりシダで覆われています。ただ墳頂部に天井をほとんど失った石室が露出しているのでこれは分かりやすい。西向きに開口した複室石室で羨道は埋没、玄室は鏡石以外は側壁も小口積みです。
それにしてもコフニストの天敵”藪”その中でも最悪なのがサルトリイバラとここのようなコシダ、ウラジロ、常緑だけでなく枯れてもそのままの形で残っているのでシダの海となり石室は隠すし踏み分け道も分からなくなって移動も困難と最悪です。
9,10号:8号南側に東西に並ぶも低い小さな墳丘が残っている程度。
11号:駐車場の場所消滅
12号:墳丘が復元されて入室禁止となっていました。入り口だけ撮るつもりが撮っている内につい我慢できず・・・
13号:12号すぐ東林際にあります。8号から降りてきてもいいけど12号から行ったほうが楽でしょう(実際は13号から7,8号へ登って行きました)。林際に開口、羨道は失っていますた複室の前室後室は完存、後室は背の高いドーム状、奥壁鏡石以外は小口積み、他には特に構造などはありません。
14,15号:消滅
(16号:かなり破壊されているがどうやら石棚が残っているらしい)
18号:3号南側平坦面に石材が露出しているけど分布図からしてこれかな。もう殆ど石室とはわからない状況だし自信無し。この斜面下に17号、更に東側に16号があるはずだがこれも分からず。
21号:3号から西に行くと山側窪地になっている場所奥に表示板が立っています。玄室基部が残っている程度。この東側に19,20号があるはずですが地形からして大きく盛り土されて埋まっているようです。
22号:21号から少し行くと案内表示あり。茶畑の中を通って行くと竹林の中に大きな墳丘が見えています。南向きに開口、羨道は失っていますが複室の前室後室は完存、ここは全般に巨石が使われ前室後室玄門袖石は巨石立柱石、後室奥壁もほぼ1枚石の巨石、側壁も巨石ですが右側は少し傾いてきている。少し持ち送りがあり天井はそれ程高くはないが天井石は1枚石です。前室後室とも床面に敷石、奥壁沿いに棺台or屍床があります。刳抜式の石棺底部のようですが上部が破壊されてのではなく初めからこんな状態もしくは底石を再利用したようにも見えます。
25号:22号から更に西に行き突き当りを右に曲がると25号の案内板があります。林際に大きな墳丘が残り南側に開口、複室石室で羨道までよく残っています。前室袖石は立柱席だがその前にも左に2、右に1個の立柱石が埋め込まれています。熊本県で時々見かける構造です。後室玄門袖石も巨石立柱石、平石のしきみ石が置かれています。後室も奥壁側壁は基部にそれぞれ1枚の巨石を据え上部を少し持ち送りここは天井が高い。奥壁中段に石棚、かなりの巨石で奥行きもありますが大きさの割にかなり薄く造られている。ここまで薄い板石状に加工された石棚もそうそうありません。背後の奥壁も巨石1枚石、他の石棚は下部は1枚石巨石でも上部は平石を積み重ねているのが多いがここは石棚上部まで突き抜けています。多分この群の中でも最後の石棚墳でしょうね。この南側新しい家との間に23、24号があるはずだがそれらしきものは全く見られず。
26号:25号北西の斜面にあります。はっきりした墳丘が残っているが石材などは全く見られず。この辺りは古い墓地で江戸後期の年号が入った墓石があり昭和のもあってかなり長く営まれたようです。でも今は殆どの墓石が倒れ無残な状態、訪れる人もなく竹林の中に墓石が佇む状況は侘しいものです。
27号:26号西側にありますが間の谷が思った以上に深く急斜面、石室があるのなら無理してでも行けないことはないが26号の状況を見るとそれも期待できず諦めました。しかし手前に幾らでも古墳を作る場所があるのに何であんな離れた場所に作ったんだ。現代のコフニストが迷惑するじゃないか(笑)。

(2002年)
丸山古墳から東に行って国道442号に出て2km程東に行くと案内表示があり、そこから少し上ると古墳群があります。一部公園になっていて駐車場もあり。丘陵頂部にあるのが1号墳の童男山古墳(県史跡)、径48mの大型円墳ですが南側が大きく削平され羨道も完全に壊失しています。でも複室構造の前室や玄室は完存、その構造の複雑さには驚かされます。前室も相当大きいのに玄室は肥後型ドーム状で更に上回る大きさです。奥壁沿いには石屋形があり左右には刳抜式の石棺の身が置かれています。それにしてもなんたる複雑、なんたる壮大な石室、羨道が失われているのが本当に惜しまれます。他に2,3,11号で石室が開口(他にもあるかもしれない)、それぞれ複室構造でなかなか個性的な石室、2,11号では石棚があります。

浦田古墳

福岡県八女市(旧立花町)2015年3月訪問

円墳、R14,H3.3、6C後半
複室横穴式石室、全長8.3m、前室長1.7,幅2.4,高2.45、玄室長2.6,幅3,高2.55m
位置:33°11′57″N 130°36′33″E (日本測地系)
   33.2024993 130.60682939(世界測地系)

道路脇に大きな墳丘と石室開口


横から見た墳丘の様子


羨道上部は壊失


前室玄門、床面にしきみ石


前室、やや胴張りだそうです


〃右側壁、床面に敷石


〃左側壁、概ね平石を積み上げる


前室も天井が高くドーム状


玄室、あまり奥行きがないので左右が撮れない


〃縦位置、奥壁は巨石鏡石+上に2段+小型石材、最上部に天井が見えている


ドーム状、狭い天井


奥から外、両袖式、床面にしきみ石


奥から左方向、胴張りの様子が分かる、袖石は主軸方向に長く玄門が通路状になっている


奥から右方向、こちらも平石を積み重ねる


前室奥から外、右に比べて左袖石がかなり大きい


見学記
立花町山崎、とにかく場所がよく分からない、トンネルを出た先にあるということなのでとりあえずトンネル前の梅林の駐車場に車を止め歩いて探しました。トンネル(手掘りというか地肌剥き出し)を抜けて突き当りを左に行き谷筋に出ると右遠方に説明板が見えていてあったあったとホッ。道路脇にある墳丘はよく残っていて全長8.3mの複室石室も良好です。前室はブロック上の石を積み上げ背もかなり高い。後室も背が高いドーム状、奥壁だけ巨石鏡石と上に2個石材を重ねる。側壁は基部まで小口積みです。一応ここまで車で入って行けますが駐車スペースがない、梅薗駐車場からでも400m程度です。市史跡。

鬼隈横穴群

福岡県八女市(旧立花町)2015年3月訪問

18基
位置:33°11′36″N 130°35′07″E (日本測地系)
   33.19666621 130.58294228(世界測地系)

案内板、支持板落下、偶々正しい方向に向いていたけどね


全景
小さな谷筋に面した崖面に立地、右端がその1


その2~その7


その3~その7


その9~その11、更に左側にも幾つか横穴があった


その1(13号)
崖面がかなり掘り込まれ前が墓道のようになっている


閉塞石があったのでしょうか


まるで機械で掘ったような見事さ、床一面に敷石、手前に赤い顔料が残っているのかな


その2
ここも前面が墓道状


丸い玄門、単室、敷石は見当たらない


その3
四角い玄門、これだけ少し高い位置にある


その4
丸いが縦長の玄門


その1程ではないが見事な掘り込み


その5
丸い玄門、彫り込みは粗い


その6
前面に前庭のような広場がある、右上がその5


斜め前から見ると前庭の様子がよく分かる


やや家形の玄門、複室構造が分かる、床面敷石


前室、後室も屋根型


敷石はなかったのか取り去られたのか


その7
四角い玄門、内部は複室


内部断面もやはり四角い


その8
前に前庭、その6の前庭に比べてはっきりしない


丸系の玄門


玄門がやや長く通路上、赤い顔料が残っているようだ


玄室はそれ程精巧な作りではない、右側のその7と繋げたのか繋がったのか


その9(8号)
前面が墓道状に掘り込まれている


閉塞石でしょうか、何故これだけ残った


その10(9号)
丸いが縦長の玄門


複室で床面に敷石


前室


家形の後室、敷石が見当たらない


その11
その10と11で前庭が共通


丸い玄門、右側のは閉塞石か


複室のようだが作りは雑、左に隣の横穴への穴が開いている


見学記
立花町山崎、日枝神社社殿脇に案内表示があり(金属製の柱が立っていますが案内板が落ちている、幸いステンレス製だから錆びることはないけどね)そこから痕跡道をたどって100m程谷筋に面した18基からなる横穴群で見学しやすいのは10基程です。入り口は見事なアーチ状をなしているのが多いですが1基だけ四角いのがあって何故かこれだけ一段高い場所にあります。内部も複室構造の横穴があったり閉塞石がそっくり残っていたり墓道が掘られていたりタイプ色々で面白い。興味深いのは横穴前に四角く浅いプール上に掘られているのがあって儀式の場だったんでしょうか。似たような構造は他では見かけた記憶がないですね。横穴内部自体はどちらかと言うと粗い造りですが前面の構造が面白い横穴群です。神社内に車で入っていける。市史跡。

上ノ山古墳群

福岡県八女市(旧立花町)2015年3月訪問

全景、右端に4号、左端に5号


4号
位置:33°11′38″N 130°35′03″E (日本測地系)
   33.1972217 130.58183123(世界測地系)
はっきりした墳丘


径10m程度


5号
藪に包まれているが4号と同規模


見学記
鬼隈横穴群のある日枝神社西側尾根筋にも高まりが二つあって多分古墳だと思われます。東側にも一つあるけどこれは単なる盛り土のような気がする。
(追記)上ノ山古墳群と判明したのでタイトル変更。東側のも古墳のようです。

曲松古墳群

福岡県八女市(旧立花町)2015年3月訪問

1号
複室横穴式石室

川を望む河岸段丘平坦面端に立地


反対側から見ると背の高い墳丘が残る


激狭の開口部、ここは前室入り口


前室、後室玄門、開口部が狭いので写しづらい


後室、奥壁は鏡石2枚並べ後は小型石材を積み上げる


〃縦位置、床面には敷石


後室上部、ドーム状


狭い天井部、ヤスデが降ってきます


奥から外、両袖式だが左右の袖石が随分違う、床面にしきみ石


〃縦位置、壁面石材は小型だがまぐさ石は大きい


奥から左方向、側壁は下部まで小型石材


奥から右方向


前室奥から、ここも持ち送りで天井が狭く高い


2号
横穴式石室
位置:33°11′21″N 130°34′15″E (日本測地系)
   33.19249998 130.56849897(世界測地系)
道路急カーブの所にあり目立つ、右後方に1号


墳丘は割と残る、上部に石材露出


反対側はかなり削られている


開口部なんですがこれは天井石材


上から見るとかなり胴張りの玄室、床面に丸く扁平な河原石が敷かれている


真上から見たら殆ど床面しか写らない


玄門、入ってみたいけど出られそうにない


3号?(仮)
低いがはっきりした高まり


2号敷石に使われたような扁平な石が露出、石室とも外護列石とも違うような


4号?(仮)
僅かな高まり、石材露出なし


見学記
立花町北山、谷中1号から細い道を北に200m程進み突き当りで左に曲がって更に200m程進むと竹林の中に2基の墳丘があります。前はもう矢部川がつくった崖になっています。北側にあるのが1号、墳丘は大分削られ一部石材が露出していますが複室石室が良好に残っています。羨道は埋没前室から入ることになりますがかなり狭く久しぶりに泥だらけになった入室でした(ガラス瓶や破片があるので注意が必要)。前室は小さく写真が撮りづらい。後室は奥壁だけ基部に中型石材を並べあとは側壁も小口積み上部を持ち送りしたドーム状、やや胴張りです。2号もほぼ同じ規模、石室上部が開口していますがなかに入るのは無理、複室かどうかは分かりませんが1号と同様の構造でかなりの胴張りです。川原の平丸石があって敷石に使われていたよです。寺に帰る途中の竹林の中に二つの高まりが有りました。片方は小さな高まりに石材が囲まれるように露出、石室なのかな。もう一つは1,2号と同じくらいの大きさだが背はすっかり低くなっています。ちなみに読みは”よごまつ”です。

谷中1号

福岡県八女市(旧立花町)2015年3月訪問

複室横穴式石室
石屋形
位置:33°11′10″N 130°34′17″E (日本測地系)
   33.18944484 130.56905455(世界測地系)

よく残る墳丘、航空写真で見ると意外と分かりづらかった


背後から見ると奥壁石材が一部露出


石室開口部


よく残る羨道


前室


後室、上部が大きく持ち送り、石棚があるように見えますが


ストロボ無しで撮影


上部に加工跡が見られかなり斜めになっている、簡易型の石屋形天井だと思われます


後室縦位置、狭くなった天井


天井は四角く1枚石


奥から外、両袖式


〃縦位置、画面最上部に天井


奥から左方向


奥から右方向


前室奥から


見学記
立花町北山、開運寺南東100mの所にある古墳です。割と大きな墳丘が残っていますが背後が大分削られて石材が一部露出しています。そのおかげで石室内部は明るい。南向きに開口複室石室で良好に残っています。羨道の途中に石材がありますが仕切り石でしょうか。前室は奥行きはあるが幅はあまりない。後室は全般に大型石材が使われその割にかなり持ち送りがあり天井はやや狭く天井石は1枚です。この石室最大の特徴は奥壁中段の石でしょうか。普通に見れば石棚ですが上部がかなり傾斜していて物など全く置けません(石棚が物を置く場所かどうかも分かっていませんが)。これはむしろ石屋形の屋根だけを設置した簡易型と思うのが妥当でしょうね。寺に駐車場あり。

大塚古墳

福岡県八女市(旧立花町)2015年3月訪問

円墳
複室横穴式石室
位置:33°10′24″N 130°33′40″E (日本測地系)
   33.17666837 130.55877795(世界測地系)

民家の間に巨大な墳丘が残る


墳丘は2段築成


民家裏に開口


羨道からして見上げる程の高さ、前室玄門袖石は1本の立石、床面にしきみ石


前室も大きい、袖石はやはり1本の立石、しきみ石も床面から大分出ている


まぐさ石と前室天井


奥室も巨石で構成


奥壁は巨石2段積み、上部に見えているのは天井


右側壁は奥壁鏡石より巨大


奥から外、両袖式、重量感のあるまぐさ石


奥から左方向


〃右方向


前室奥から


羨道奥から、床面に敷石、石積みの様子から先端まで残っているだろうな


見学記
立花町北山、県道4号から少し入った場所にあります。第一印象はとにかくでかい、なにもかもでかい。墳丘も大きいですが石室も石材も何もかもでかい。複室石室で羨道までよく残っていますが羨道入り口からして天井まで手が届きません、なのでむしろ幅が狭く感じられるほどです。前室玄門袖石は天井まで届く柱状の袖石、その前の側壁も1枚だけ他の羨道側壁と違い天井まで届く1枚石です。前室も大きく左右の側壁基部はかなりの巨石、後室玄門袖石も前室のより太く大きくなっています。後室は奥壁に巨石鏡石を据えていますが左右側壁基部の石は鏡石より更に巨石です。上部は多少持ち送りがあリ天井石は1枚石です。壁の巨石は表側しか見えないから重量感を感じないけど(多分大きさの割には薄いだろ)まぐさ石は前後から見られてその重量感巨石ぶりがよく分かります。これは多分個人敷地内、この家の方にとっては家の南側にこんなでかい物があってさぞかし邪魔に思っているんじゃなかろうか(汗)。大塚というと各地にあるので大抵は上に地名字名等がつくのですがこれは何もつかない、付けなくても分かるだろと言いたくなるくらい規模が大きい。前の道路は狭いので南側県道脇に駐車スペース有り。市史跡。

岩戸山4号(下茶屋古墳)

福岡県八女市 2002年4月訪問

円墳、R30、7C前半
複室石室、全長7.5m
位置:33°13′36″N 130°33′09″E (日本測地系)
   33.22999556 130.55016626(世界測地系)

石室開口部


羨道、天井石が傾いている


前室


各壁に1枚石の巨石を使った玄室、石室自体はそれ程大きくない


奥から外、袖石も1枚石の巨石を使用


(見学記)
資料館の方に教えて貰って飛んでいきました。資料館の西側150mの所にある複室石室墳です。全長7.5mとそれ程大きくありませんが結晶片岩の巨石を使った石室です。袖石や各壁は1枚石からなり、横幅はそれ程大きくないが立ったまま入れるほど背が高い。説明板には前室、中室、後室とあるから羨道は壊失しているかもしれない。八女古墳群は後述の童男山古墳群を除いて見学できる石室が少ないからラッキーだった。

八女古墳群(八女市)

福岡県八女市 2002年4月訪問

岩戸山古墳
前方後円墳、TL138,R88,RH13,FW98,FH13
石人、石馬
位置:33°13′35″N 130°33′20″E (日本測地系)
   33.22971789 130.55322156(世界測地系)
別区に立つ石人(模造)、後方が後円部


前方部から後円部


武装石人頭部、石馬、岩戸山資料館内、撮影は自由


石馬


石人


石靭


釘崎1号
前方後円墳、TL57
位置:33°13′46″N 130°34′52″E (日本測地系)
   33.2327737 130.57877499(世界測地系)
前方後円墳5基を含む古墳群、1号が一番ましな方


立山山20号
円墳
位置:33°13′29″N 130°35′12″E (日本測地系)
   33.22805202 130.58433027(世界測地系)
周囲が道路で大きく削平、豊富な遺物が出土している


茶臼塚古墳
円墳、R24,H5.3、6C
位置:33°13′50″N 130°34′22″E (日本測地系)
   33.23388458 130.57044226(世界測地系)
墳頂が大きく盗掘されている


鶴見山古墳
前方後円墳、TL85,R40,RH5.5,FW50,FH6、6C中~後半
複室石室
位置:33°13′46″N 130°34′35″E (日本測地系)
   33.23277363 130.57405312(世界測地系)
墳丘東側、後円部は公園、前方部は果樹園となっている、左手前方部の端は復元されているようだ


後円部南側、盗掘跡に石室石材が1枚見えていた


乗場古墳
前方後円墳、TL60,R30,RH5,FH35,FH5
複室装飾石室
位置:33°13′40″N 130°33′36″E (日本測地系)
   33.23110679 130.55766559(世界測地系)
前方部から後円部、右手に石室保護施設が見える


石室図(説明板より)


丸山古墳
前方後円墳、TL46,R28,RH5,FW16,FH3.7、6C前半
位置:33°13′19″N 130°35′36″E (日本測地系)
   33.22527467 130.59099653(世界測地系)
発掘中、左のトレンチの中に葺石が見えている


南側から墳丘側面


丸山塚古墳
円墳、R30,H5.3
複室装飾石室
位置:33°13′46″N 130°34′18″E (日本測地系)
   33.23277354 130.56933127(世界測地系)
復元墳丘、公園となっている


石室図(説明板より)


(見学記)
筑紫の君磐井の墓としてあまりにも有名、現在北側は公園となっていますが古墳自体はくびれ部にある神社の社地でしょうか。上に上ることができて広い平坦面になっています。この古墳の最大の特徴である東側の別区には模造品の石人や石馬が並べられています。南側に資料館(入館料130円)がありここに本物の石人石馬その他の石製品が展示されています。館員の方が詳しく説明してくれるし撮影が自由というのが嬉しいですね。国史跡。

乗場古墳
岩戸山古墳東方400m、高校の南側にある前方後円墳です。周りが開発ですっかり低くなっていて古墳の場所だけがやや高くなって取り残されています。墳丘は割と良好、後円部南側に複室装飾石室があるが保護施設の中に保存されていて見学は不可。国史跡。
ここに八女古墳群の案内表示があって以下各古墳にも同様のがあり見学は容易です。

丸山塚古墳
乗場古墳から1km程東に行くと案内表示があり、町道を離れてやや南に行きます(少し手前に善蔵塚古墳があるが広川町に属するので目立たない案内表示があるだけ)。公園(駐車場あり)となっていて丘陵頂に円墳がありますが多少は復元整備されているんだろうか。ここも装飾石室がありますが埋め戻されていて全く見ることはできません。国史跡。

茶臼塚古墳
町道に戻って東に行くとすぐ左手畑の中にあります。頂部がざっくり盗掘されまるで頭を割られたような痛々しさです。国史跡。

鶴見塚古墳
更に東に行き、南北に通る道路を横切って坂を上がるとすぐ右手にある前方後円墳です。後円部は現状のまま保存、公園となっていますが前方部は果樹園で北側は盛り土されているのか輪郭がはっきりしません。前方部端は復元されているようだ。後円部南側に盗掘跡があり石材が1個露出、やはり石室があるんでしょうね。国史跡。

釘崎1号
鶴見塚古墳東方500m、道路が右カーブする辺りに案内板がありその周囲の果樹園の中にある古墳群で前方後円墳を5基含みますがあまり状態は良く無いみたいです。道路南側にある1号墳が比較的状態が良くはっきり前方後円墳と分かります。

立山山20号
釘崎1号から南東700m、病院の東側にあります。Y字に分かれた道路で周囲が大きく削られています。この古墳群から出土した金製垂飾付き耳飾りなど豊富な遺物が資料館に展示されている。

丸山古墳
立山山南東700m、全長46mの形のよい前方後円墳です。ちょうど発掘中、誰もいなかったので何も聞けませんでしたが周囲に幾つかのトレンチが掘られ墳丘裾の葺石が見えていました。元は竹林だったらしく竹の子がにょきにょき、中には2段重ねの土嚢を突き破って生えているのもあってその生命力に驚かされた。国史跡。
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