別所原古墳

福岡県行橋市 2020年2月訪問

複室横穴式石室
 位置:33°43′25″N 130°54′38″E 
    33.72689645 130.90818146(世界測地系)

尾根斜面に立地、右は元の墳丘か、左はハッキリしない


長い羨道、上部は壊失、左右の石が羨道先端辺りか


羨道最後部天井残存、立ったまま入れる程の高さ


前室、左右の引っ込みは殆どない


前室左側


前室右側


天井は高くなくそのまま玄室天井に繋がる


前室玄室とも床面に敷石


しきみ石手前に踏石のような石材、しきみ石と袖石の間にも柱状の石材


上から見た状態


巨石1枚石の奥壁


〃縦位置、天井は高くない


右側側壁、こちらも下部は巨石


左も同様、更に巨石


奥から外、両袖式


前室奥から


(見学記)
行橋市入覚、御清水北古墳の西方500m辺りにある古墳です。尾根斜面に築かれていますがすぐ上は墓地、周りも畑や水田でここも当時の面影はありません。南側に開口、羨道前上部は壊失していますが長いのが分かります。複室石室で前室後室は完存、巨石を使った大型石室です。前室は左右は殆ど引っ込んでおらず天井も低く形式的な存在、と言っても十分大きいですが。後室は更に大きく奥壁は巨石1枚石、左右の側壁もそれに匹敵する巨石です。天井石は前室天井と同じ高さ、玄門にしきみ石がありません。まぐさ石はありますがサイズが少し足りなかったのか左側に柱状の石が縦に置かれています。こんなのは他に記憶がないな。手前には踏み台のような石も置かれているが後世の物の可能性があるかもです。手前の石碑辺りに駐車スペースあり。

御清水北古墳

福岡県行橋市 2020年2月訪問

複室横穴式石室
 位置:33°43′12″N 130°55′28″E (日本測地系)
    33.7232859 130.92206931(世界測地系)

丘陵から東に伸びる尾根上に立地


耕地整理で下側はすっかり埋没


東向きに開口、墳丘はよく残っている


開口部も半ば埋もれている、何か祀られているのか、内部に御神体はなかった


複室石室のようで羨道は壊失


後室玄門


奥壁はほぼ1枚の丸っぽい鏡石


〃縦位置、天井はそれ程高くない


天井もほぼ1枚石


玄室側壁右側、巨石を据えている


〃左側、少し様相が異なる、上部に平石を重ねている


奥から外、まぐさ石がだいぶずれているような


前室奥から


前室、奥から左


〃右、積み方がだいぶ違う


(見学記)
行橋市入覚、溜池御清水ヶ池の北側にある古墳です。当時は尾根上だったんでしょうが周りはすっかり畑や水田になっていて当時の面影はありません。畑の中に墳丘が残されていて東側に開口、周りは地面が嵩上げされているようで開口部は半ば地面下になっています。羨道はほぼ壊失ですが複室石室で前室後室は完存しています。後室はそれ程大きくはありませんが奥壁は円形に近い1枚石、側壁も基部に腰石を据え上に平石を重ねたなかなか立派な石室です。北側から接近可能。因みに読みは”おしょうずきた”です。

ビワノクマ古墳

福岡県行橋市 2001年4月訪問 20年2月再訪

円墳、R25,H4.5、5C前半
竪穴石室
位置:33°43′42″N 130°56′42″E (日本測地系)
   33.73161872 130.94262282(世界測地系)
(2020年)
説明板背後が後円部


後円部頂きには後世のいろんな施設


後円部から前方部、墓地で形状が分かりにくい


前方部から後円部


後円部脇から前方部


前方部脇から後円部、こちらは高まりがはっきり


石室開口分、と言っても後世のもの


これもまだ後世のもの


持ち送りがあり天井の狭い竪穴石室


小口積みの側壁


(2001年)
墳丘現状、墓地造成で発見された


石室内部


(見学記)
(2020年)
行橋市延永、独立丘陵上に造られた前方後円墳です。19年ぶりに再訪、隙間から竪穴石室を覗くことが出来ますが今回は墳形を重点的に観察、全体が墓地になっていますが前方後円墳らしい姿は残っています。前方部はあまり広がらず柄鏡形に近いタイプ、4C末の古いタイプの前方後円墳です。説明板が設置されていてそれによると墳丘の下に土壙墓がありそれを破壊して墳丘が造られているとか。しかも副葬品の鏡が墳丘の土の中から発見されているそうです。鏡の破片では封土の代わりになるわけでもなし何か意味があったのでしょうか。とにかく古墳時代に既に破壊者がいたんだ。県史跡。

(2001年)
丘陵上にある径25mの円墳で5C前半の築造です。竪穴石室を持ちここから鏡、玉、太刀などが出土しています。墳丘築造に際しては周りの箱式石棺などを破壊しているそうです。墓地造成で発見され周りを墓で囲まれ上にも墓石が立ち並んでいます。県史跡。

稲童古墳群

福岡県行橋市 2016年2月訪問

海岸沿いの砂堆上に25基

分布図
(説明板より)出土品は文化財になっているが古墳群は史跡指定されていないような


6号
藪の中


7号
畑の中に大きな墳丘


半分くらい削られている


8号
住宅の間にある、表示板がなければただの残土状態


9号
道路脇に大きな墳丘


反対側から


11号
林の中にある、上部が平坦で広い、付近に10,12,13号があるはずだが全く分からず


14号
道路脇に裸の状態である


元の状態のままでしょうか


17号
林の中に良好な墳丘


円墳でも疎林の中にあるのはなかなかいい


18号
こちらは民家裏でちょっと雑然


19号
低い墳丘、笹薮だったらまずわからない


20号(石並古墳)
帆立貝式、TL68,R58,FW20、5C
位置:33°42′16″N 131°01′48″E (日本測地系)
   33.70773414 131.02761621(世界測地系)
盟主墳、他とは隔絶した規模


右側に短い前方部


左側に前方部、2重周溝だが外側はハッキリしない


墳頂から見た前方部、帆立貝と言うより造出のような


前方部から見た内側周溝


21号
林の中に大きな墳丘が残る


(見学記)
行橋市稲童、海岸沿いの砂堆上に分布する25基からなる古墳群で老人ホーム石並園南北1kmにわたって分布しています。数は多いですが墳丘だけだし衛星写真を見ても大半は林や藪の中のようであまり気乗りせずパスしていました。でも何時までも放っておくわけにもいかず行ってみました。結論から言えば割と良好に残っている墳丘も有り事前に思っていたよりは楽しめました。一番のメインは帆立貝式の20号(石並古墳)、ここに説明板と分布図があります。他とは規模が隔絶し大きな墳丘が残っています。ほぼ裸の状態で短い前方部や葺石の様子も分かります。二重周溝を持つそうですが現状では内側のしか確認できません。前方部側に19号、北側林の中に21号、南側民家裏の林の中に18,19号、どれも墳丘がよく残っていて浅い周溝も確認できます。他に観察しやすいのは石並園側の14号、更に南側の7-9号でしょうか。石並古墳への道は行き止まりですが墳丘側に駐車可。

馬場代2号

福岡県行橋市 2016年2月訪問

馬場代2号
位置:33°42′17″N 131°00′50″E (日本測地系)
   33.70801131 131.01150651(世界測地系)
墓地の中にある


復元というより石室か何かを保護しているんだろうな


不明墳
位置:33°42′06″N 131°00′34″E (日本測地系)
   33.70495589 131.00706254(世界測地系)
近くで偶然見つけました、古墳だろうな、1号というには離れているけど


巨石が転落露出


(見学記)
行橋市馬場、正覚院東側の墓地の中にある古墳です。ここは稲童古墳群を調べている内に名前が出てきました(どうやらJR新田原駅の観光案内板に載っているようです)。検索してみるとgooglemapがマーカー付きで表示してくれる(Googleさん凄すぎ)。衛星写真で見ると墓地の中に小さな墳丘が見えていたので詳細は分かりませんでしたが行ってみました。思っていたより小さな墳丘で整いすぎているので元々の墳丘ではなく盛り土かも知れない。だとすると石室基部くらいが残っているのかな。どちらにしろわざわざ観光案内板に載せるほどのものではありません。枯れ木も山の賑わいとばかり何かの資料に載っていたのをそのまま載せたのかな。来た道を帰ろうとして間違えて途中で一つ早く曲がったら古墳に出会いました。これも神の導きか(笑)。巨石が1個転落していて多分古墳かなと思う程度ですけどね。馬場代2号とは大分離れているから1号ではないだろうな。

福丸古墳群

福岡県行橋市 2006年1月訪問、2008年2012年再訪

確認だけで40基以上全て横穴石室墳
1,3号以外番号仮称
便宜的に1.3号、南群中央群東群西群に分ける

1号
円墳、R24,H6、6C末~7C初
複室石室、全長13m、玄室長3,幅2.3,高3m
位置:33°44′23″N 130°55′02″E (日本測地系)
   33.74300606 130.9148469(世界測地系)
背の高い墳丘が残る


西側から、下段は元の地面みたい


羨道前部は上部壊失


背が高い羨道


羨道敷石、閉塞石も残る


羨道奥、前室前門


前室


玄室玄門、巨大な袖石


前室上部


前室天井石、ここだけ黒い斑紋がある石材を使用


玄室、巨石2段積みの奥壁


玄室天井部


玄室奥から外、両袖式


前室奥から


羨道奥から、正面の円錐形の山が観音山


3号
横穴式石室

墳丘流失、石室完全露出


正面から、後方の森に古墳群密集


羨道、単室のようだ


玄室東側側面


玄室後方から


玄室西側面、よく崩れなかったものだ


玄室奥から、両袖式


玄室袖部、側壁もポッカリ空いている


(見学記)
(2006年)
行橋市福丸、県道28号を平尾台方面に行き、途中で大きく左カーブしている辺りに九州自然歩道の看板が立っています。そこから30m程行って右の脇道にそれると右手に大きな墳丘が見えてきます。一見復元墳丘のようだけど元のままの状態(耕作で逆に背が高くなっているようだけど)のようで南向きに開口する石室と共に良好に残っています。複室構造の石室で全長13mと県内でもトップクラスの規模です。中にはいると羨道途中に閉塞石の残骸でしょうか、そこから奥は敷石が一面に敷き詰められています。前室後室とも柱状の巨石を使った袖石、玄門の幅が狭く背が高いので実際以上に奥行きが感じられます。玄室奥壁は巨石2段積み、側壁や天井石も相当の巨石です。前室天井石には黒斑の入った特徴的な石が使われています。他の部分ではこのような石が使われておらず何故ここだけこのような岩石が使われたのか謎ですね。入り口から見ると後室がやや斜めになっている。近くの山口南1号も同様の状態で意識的にこのようにしたのでしょうか。奥から外を見ると遙か遠方に円錐形をした観音山が見えています。これも意識的なのかな。
1号の背後に3号(多分、2号は消滅)の石室が露出しています。内部は埋まっていないけどかなり植物が茂っているし、背後に回ると玄室側壁がかなり抜かれていて天井石がかろうじて残った石一つで支えられている状態なのでさすがに中にはいるのは遠慮した。ここは複室構造でなく普通の石室のようだ。
背後の林の中にもかなりの数の古墳が密集している。ほんのちょっと覗くつもりが以外と石室が残っていたりしてついつい深みにはまってしまった。石室だけでなくただの巨岩もゴロゴロしていて区別しづらい面もあり探索は中途半端になってしまったけどね。06年初の古墳探方で懐中電灯など七つ道具を忘れたのが悔やまれる。

(2008年)
08年に再度訪問。背後の古墳群を重点的に捜索、1号の説明板に分布図が載っているが林の中にはいるともうどの辺りになるのかさっぱり分からず闇雲に動き回って前回の5基に続き更に4基発見、玄室の大きさ自体は2-2.5mとそれ程大きくはないですが巨石を使った玄室が残っていました。羨道部が崩れているのが多かったけど全て単室のようでした。もっと上の方にも分布しているようだけど雷が鳴り雨が降ってきたので断念、と言うか入り口が狭いのが多くて嫌になったかも(汗)

(2012年)
まだまだある予感がしたので再再訪してみたら、あるどころではなかった。以前見つけていたのは前菜にすぎずまだまだ多くの石室があり結局更に30基くらい見つかった。以前見つけていたのより少し奥に入った所に十数基集中していました。墳丘の残り具合も良く林の中はそれ程下草も生えておらず墳丘が並び立つ様子は壮観でした。石室の残り具合も割と良く中には1号に準じる規模の複室石室もありました。ここだけで複室石室は4基確認。内2基は楽々入れる程で石材も巨石を使いこれだけでも見る価値があります。それにしても以前最も奥に来た所からよく見れば更に奥の古墳が見えていたんですけどね、なんで気が付かなかったんだろ。ここから渓流を超えた東側急斜面にも6基の古墳があります。場所的に規模はそれ程大きくないですが石室も幾つか見えてます。ほぼ直線状に並んでいますが1基だけそれから外れ規模もやや大きく支部長と言った感じでしょうか。西側かなり高い場所の尾根筋にも5,6基の古墳が密集しています。やはり小規模で石室も残り具合が悪いです。1号墳の説明板にある分布図はあてになりませんがこれがなかったら東側や西側の支群、特に西側は絶対行かなかったと思うからそれだけでも価値があったな(笑)。この地方は大規模な群集墳はここくらいしか知りませんが数といい規模といい状況の良さといい超一級の古墳群ですね。でも1から撮ろうとすると丸1日は覚悟した方がよさそうです。
数が増えたので便宜的に1,3号、南、中央、東、西の各支群に分けて、以前アップしていた分も番号を付けなおしてアップします。東西の支群ははっきり分かれているけど南と中央はほんと便宜的です。数が多い上に古墳番号が分かっていないから時間をおいて来てみると以前どれを撮影したか分かりにくくなっているので撮り直してきたけれど竹林の中にあった南6,7,8号は竹が枯れて折り重なって倒れていて移動が困難なのでパス、南9号側の露出した石室も状態が悪いし以前撮っているだろうと思ってパスしたら1枚も撮ってなかった(汗)。

福丸古墳群(仮称西群)

福岡県行橋市 2006年1月訪問、2008年2012年再訪

確認だけで40基以上全て横穴石室墳、1,3号以外番号仮称
便宜的に1.3号南群中央群東群、西群に分ける

西群

西1
傾斜のある尾根上に立地


墳丘上に石材散乱


石室奥がなんとか分かる状態で残る、手前が奥壁側


西2
窪んだ墳丘


天井石が攪乱状態


画面右上から左下に石室が伸びる、右が奥壁側


西3
墳丘上に石材露出


墳丘背後から


天井石は割と状態よく残る


乱石積みの石室内部


奥壁は平石を重ねる


西4
石室かな


西5
石室前部が露出


石室正面


石室内部は割と状態がよい


二段積み奥壁


奥から外、天井石が落下しかけてる


墳丘背後から


西6
木に挟まれた石室


背後に斜面をカットした跡が残る


傾いた天井石


(見学記)福丸古墳群にて

福丸古墳群(仮称中央群)

福岡県行橋市 2006年1月訪問、2008年2012年再訪

確認だけで40基以上全て横穴石室墳、1,3号以外番号仮称
便宜的に1.3号南群、中央群、東群西群に分ける

中央群

中央1
石室正面、前部崩壊


幅広い開口部


石室内部、規模の割に石材小形群中古い方かもしれない


奥から外、左に小さな袖石があるかも


墳丘背後から


中央2
複室石室

墳丘


石室正面


開口部


羨道、前室前門


前室


巨石を据えた玄室


背が高い


天井、左が奥壁


奥から外、両袖式


前室奥から


中央3
良好に残る墳丘


狭い開口部


玄室は良好、特徴的な三角形の奥壁


中央4
墳丘流失、石室完全露出、奥は中央5


石室正面側から、奥は中央6


左が奥壁、右が袖石なら規模はそれ程大きくないような、未完成の石室という可能性もあるかも


中央5
複室石室

外護列石を巡らした墳丘、外護列石があるのはこれだけ


石室前部が露出


石室正面、羨道上部は壊失


前室


〃(縦位置)


巨石1枚石の奥壁


〃(縦位置)玄室奥行き幅高さもそれ程ではない


奥から外、両袖式


左側袖石辺り、しきみ石もある


右側袖石辺り


前室奥から、左右の膨らみはあまりない


中央6
複室石室

良好な墳丘


立って入れる程の開口部


羨道奥、前室前門


前室、左側壁が崩壊しかけ


巨石を据えた奥壁、石室規模としては1号に次ぐ


〃(縦位置)三段積みの奥壁は中段上段と少しずつ突き出ている


奥から外、両袖式、右袖幅が広い


すこぶる巨大な側壁


反対側の側壁も巨石


前室奥から


墳丘背後から


中央7
石室正面、前部崩壊


開口部


玄室後部が残る、石材が落下しかけて危険


小形石材を積んだ奥壁


中央8
複室石室

大きな墳丘が残る


前室前門辺りが開口、羨道は埋没


前室、多少埋まり気味


玄室は良好


非常に特徴的な三角形の奥壁


天井、左が奥壁


奥から外、両袖式、袖幅が随分広い


〃(縦位置)


前室奥から


中央9
複室石室

良好に残る墳丘、中段に開口


前室前門が開口、手前羨道部は埋没


前室


巨石を積んだ奥壁


〃(縦位置)


天井は1枚石


奥から外、両袖式


まぐさ石と天井の間に楔状の石が打ち込まれている


前室奥から


中央10
墳丘背後から


斜面下方から、木漏れ日があると分かりづらい


殆ど埋まった開口部


カメラを突っ込んで撮影


上部が見えないが立派な奥壁


中央11
石室をかろうじて覆う程度に残る墳丘


開口部、天井石が巨石


羨道、玄門


玄室、奥壁、一応三角形に拘っているかも


奥から外、両袖式


中央12
墳丘殆ど流失、石室前部露出


石室正面


玄室は小形ながら石材は大きい、奥壁は巨石1枚石


奥から外、片袖式


中央13
石室露出


石室正面、前部崩壊


多少埋まった玄室


中央14
墳丘残るも石材露出


天井部、石室は埋没


中央15
支群中最上位にある


天井部露出


玄室後部が残る


中央16
石室前部崩壊


奥にあるのが中央5


石室内部、天井に大きなヒビ


中央17
石室殆ど露出


石室内部


(見学記)福丸古墳群にて

福丸古墳群(仮称東群)

福岡県行橋市 2006年1月訪問、2008年2012年再訪

確認だけで40基以上全て横穴石室墳、1,3号以外番号仮称
便宜的に1.3号南群中央群、東群、西群に分ける

東群

東1
急斜面に立地、手前に東2


上記反対側、僅かに墳丘が残る


石室前部は崩壊


開口部


石室内部


奥壁側壁とも2段積み、かなり整っていて新しそう


奥から外、両袖式


東2
石室前部が露出


石室内部、状態は良さそう


東3
斜面に僅かな膨らみ


開口部


石室内部、右に比べて左の積み方が粗い


東4
開口部横から


石室内部は埋没


東5
前部は基部が残る


開口部


石室内部、奥壁も小形石材で古そう


東6
支群中最下方、前部は基部だけ残る


開口部


細長い石室がよく残る


三段積みの奥壁、少しずつ石材が小型化


奥から外、無袖かな


(見学記)福丸古墳群にて

福丸古墳群(仮称南群)

福岡県行橋市 2006年1月訪問、2008年2012年再訪

確認だけで40基以上全て横穴石室墳、1,3号以外番号仮称
便宜的に1.3号、南群、中央群東群西群に分ける

南群

南1
石室正面、羨道は殆ど壊失


玄室左側はすっかり露出、石材にかなりヒビが入っている


玄室内部、奥壁や側壁基部に巨石が据えられている、天井石にも大きなヒビ


奥から外、両袖式


南2
かなり露出した石室


石室正面、前が広がっているようだ


開口部から内部


中型石材を積み上げた玄室


奥から外、両袖式


南3
石室殆ど露出、前部かなり破壊


石室横から


石室内部、入れないことはないのだが


三段積み奥壁


南4
割とよく残る墳丘、上部で石室露出


石室正面、なまこ餅のような天井石が塞ぐ


開口部横から


開口部から見た内部


三段積み奥壁、上下が大型で中段が小形と変わっている


狭い天井


奥から外、両袖か片袖か


南5
複室石室

墳丘正面、羨道部はかなり崩壊


開口部、前室玄門のようだ


前室、左側がかなり崩壊


巨石奥壁、左右の側壁も巨石、奥壁が平行四辺形で石室が傾いているように見える


奥壁(縦位置)


1枚石の天井石、これだけ材質が違う


奥から外


右袖石は埋め込まれているようだ


前室奥から、左右の幅はあまりないようだ


南6
石室正面


玄室


奥壁前の石、他の石室にも同様のがあった


奥から外、両袖式


南7
墳丘正面


開口部


玄室


奥から外、片袖式、左右で大分積み方が違う


南8
良好に残る墳丘


石室正面


羨道


鏡石を据えた奥壁


ドーム式の天井部


奥から外、両袖式


羨道、奥から


南9
墳丘は残るが石材露出


横から、天井石露出


南10
墳丘正面、前部はかなり崩壊


殆ど埋まった開口部


内部は割と残っているがかなり歪んでいるようだ


南11
石室露出、天井石崩壊


左側が奥壁のようだ


南12
高まりが残るが石室露出


天井石1枚のみ残存


幅の割に背の高い奥壁


南13
石室すっかり露出


天井石落下、右が奥壁、石材は割と大きいようだ


(見学記)福丸古墳群にて
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