玉手山古墳群

大阪府柏原市 1999年3月訪問

前期を中心に前方後円墳13,円墳5基
現存前方後円墳6基

丘陵全景、平尾山から見た玉手山丘陵、右遠方に古市古墳群が見えている


1号
前方後円墳、TL110
位置:34°33′51″N 135°38′03″E (日本測地系)
    34.56743667 135.63134816(世界測地系)
後円部正面、反対側に背の低い前方部が伸びている


2号
前方後円墳、TL70
すっかり墓地となった墳丘、右奥が後円部、駐車場のよう壁がくびれ部から前方部側面


3号
前方後円墳、TL100
7号からの遠望、建物背後の丘の上、右が後円部、背後の丘陵が生駒山


6号
竪穴石室、2基の内の1基を7号後円部脇に移築保存


7号
前方後円墳、TL150
位置:34°33′31″N 135°38′00″E (日本測地系)
    34.56188175 135.63051508(世界測地系)
後円部東側、群中最大、丘の最高所にある、墳丘斜面に道路が通っている


(見学記)
大和川と石川合流地点南側の玉手山丘陵に前期の前方後円墳を中心に多くの古墳が分布していましたが現存するのは前方後円墳6基のみ。

1号
丘陵北側にある全長110mの前方後円墳で背の高い後円部と低い前方部が割と良く残っています。後円部頂には墓地があって大阪の陣で戦死した武将の供養碑も建っています。これを建てた人はここが古代の墓だと言うことを知っていたんだろうか。後円部裾から埴輪棺、前方部から粘土槨が発見されている。

2号
1号すぐ南側、全長70mの前方後円墳です。全体が墓地に覆われていますがその気になってみれば前方後円墳の形に見える。

3号
2号南側、老人福祉センターやすらぎの園のすぐ南にある全長100mの前方後円墳です。これが一番保存上経が良さそうでセンターから後円部に上れる(そうだ)。後円部のレーダー探査から竪穴石室の存在が確認され以前から伝承されていた安福寺の石棺がここから出土した可能性が高いことが確認された。

7号
丘陵最高所にある全長150mの前方後円墳で群中最大かつ比較的新しい時期の古墳です。背の高い載頭円錐型の後円部と細長い前方部が残っていますが前方部はフェンスの向こう、安福寺の境内となっていてあまり前方後円墳という感じがしない。後円部南側裾に移築された石棺と竪穴石室がある。竪穴石室は6号墳に2基あった物の一つを移した物、石棺は東ワカ山古墳(どこにあったの?)の石室にあったもので組合式家形石棺、蓋石には退化した縄掛け突起もついています。ここは以前遊園地内でしたが今は市立の公園となっていて自由に入れます。かなり以前OBITOさんにお金を払って入る古墳ということでここが紹介されたことがあり、そのことが頭の中にあったしガイドシリーズや新しいロードマップにも遊園地が載っていたのでまさか無くなっているとは夢にも思わずいきなり石棺に出会ったときはちょっとびっくりした。8号:丘陵南側排水タンクの脇にある全長80mの前方後円墳で7号からも見えています。7号からは直接行けず一度下に降りてから行かなくてはいけないようだ。墳丘はかなり損なわれ危険なため見学不可とのこと。

9号
丘陵最も南側、全長65mの前方後円墳です。見学せず。

高井田横穴墓群

大阪府柏原市 1998年3月訪問

総数200基以上、線刻壁画で有名

3,4,5号


6号、切石を思わせるような入り口


11号


17号、玄室内の箱式石棺


(見学記)

JR高井田駅北側にある横穴古墳群で162基が発見されている。丘陵麓の崖面を利用しているがそんなに高い崖ではないので上下に何段も並ぶと言うよりは横に連なっているのが多い。ここで有名なのは線刻壁画を持つ横穴で27基あるが公開日以外は見ることが出来ない。他の横穴も入り口に柵があって中には入れないが横穴の性質上致し方ないですね。現在公園として整備されている。国史跡。それにしても大阪府の横穴古墳群が柏原市、それもここと安福寺横穴群、玉手山東横穴群位しかないというのは以外でした。
高井田横穴群の近くに歴史資料館(入館無料)がありそこで「柏原市文化財ガイドシリーズ」(1冊50円)を販売していますからこれを入手してからまわるとよいでしょう。

高井田山古墳

大阪府柏原市 1998年3月訪問

円墳、R22、5C末
横穴式石室、全長5.7m,玄室長3.73,幅2.34m
位置:34°34′11″N 135°38′34″E (日本測地系)
    34.57299144 135.63995823(世界測地系)

ドームをかけて石室が公開されている、一見竪穴石室を思わせる小口積みの石室、出土品のレプリカの中にひのしがある(奥壁右側)


奥から外、右片袖式、ドーム状の石室上部は壊失


(見学記)
資料館東側、同じ公園内にある円墳です。すぐ北側まで住宅地となっていますが南に延びる尾根の先端に立地、墳頂部に石室があります。一見幅の広い竪穴石室のように見えますが、薄い板石を使った小口積みの横穴石室の上部を壊失した物です。玄室は長3.73m、幅2.34m右片袖の横穴石室で持ち送りの強い石室だったと考えられていて、近畿で最も古いタイプの横穴石室です。内部に木棺の痕跡が2基あり鏡や武具等豊富な副葬品が出土していますがなんと言っても有名なのが火熨斗です(資料館に展示)全国で2例目の出土だそうですがおしゃれの道具(アイロンとして使われていたかどうかは不明)と武具のミスマッチな関係が興味深いですね。現在副葬品のレプリカを出土状況のまま展示、石室そのものも透明なドームに覆われて公開されています。

松岳山古墳

大阪府柏原市 1998年3月訪問

前方後円墳、TL120,R60,FW35,RH13,FH5
組合式長持形石棺
位置:34°34′00″N 135°38′55″E (日本測地系)
    34.56993606 135.64579102(世界測地系)

後円部頂きに露出した石棺、両端に板石が立っている


手前が幅が狭くなっている


側面


(見学記)
資料館から大和川を挟んだ南東側、国分神社境内にある全長120mの前方後円墳です。墳丘は良好に残っていますが雑木林に覆われて全体はよく見えない。ここのお目当てはなんと言っても後円部頂にある石棺です。板石を組み合わせて造った巨大な石棺で長持形石棺の原型だと考えられています。現在は半ば埋まっていますが足元が細くなった様子や東部の副室、側壁の縄掛け突起の一部などが見えています。周囲が小口積みの板石で囲まれているはずですがこれは殆どわかりません。不思議なのは石棺の両端に巨大な板石が立てられていること、小さな穴も開けられていますがこれはどんな意味があったのでしょうか。最近竪穴石室の人の頭部とおぼしき場所に鏡が立てられているのが発見されていますがこれらと同じ様な意味合いなんでしょうかね。前方部端に積石塚方墳の茶臼塚がありますが立ち入れる場所が制限されているので見に行けず。

平尾山千塚古墳群

大阪府柏原市 2001年4月訪問

総数約250基、1km四方に渡って分布
(67支群2号、安堂6支群3号を除いて番号は仮称)

安堂6支群3号
円墳、7C末
横穴式石室
位置:34°34′20″N 135°38′28″E (日本測地系)
    34.5754912 135.63829167(世界測地系)
石室正面、住宅街の公園内に移築保存


石室上から、奥壁側壁の一部しか残っていない、玄室床面に凝灰岩切石が敷かれている


67支群2号
横口式石槨墳、7C前半
位置:34°34′34″N 135°38′50″E (日本測地系)
    34.5793795 135.64440204(世界測地系)
石室正面、石室がすっかり露出、巨大な天井石が今にも落下しそう


横口式石槨、蓋石をはめ込む溝がついている


2号
位置:34°34′40″N 135°38′56″E (日本測地系)
    34.58104596 135.6460685(世界測地系)
露出した石室天井石、手前が奥壁側、山道脇でわかりやすい


玄室


奥から外、細長い


5号
位置:34°34′43″N 135°38′55″E (日本測地系)
    34.58187922 135.64579073(世界測地系)
右手小丘上に5,6号がある、河内平野が見渡せる絶好の場所、左手前の果樹園にも2基ある


上部が破壊露出した石室


6号
天井石が露出、内部は埋没


10号
5号下方の果樹園脇に開口、すぐ近くに巨岩が露出している


玄室


奥から外、右片袖式


11号
2号東側の急斜面に開口、周りにも幾つか古墳がある


小型ながら整った玄室、隙間に小石が充填されている


奥から外、僅かな幅の左片袖式、規模の割に羨道の幅が広い


12号
2号南側、石室開口部


玄室


奥から外、右片袖式


(見学記)
67支群2号
資料館のパンフに石室の写真があり徒歩10分とあるので見に行った。資料館から道を北東に行き突き当たりからフェンス沿いに行ってそのまま山道を行くと石室が顔を見せる。斜面に立地した横口式石槨墳で殆ど石室が露出しています。玄室部はかなり崩壊し側壁は右で2枚、左で1枚、天井石も1枚しか残っていない。その奥に石槨が見えている、内部は半分ほど埋まっているが凹字型の石の上に蓋石を乗せて四角い空間を作っているようだ。前面には閉塞石をはめ込む窪みもついている。それにしても天井石の巨石がオーバーハングしていて今にも転がり落ちそうで怖い。特に左側の側壁とは僅かな重なりしかなく側壁自体も外側が殆ど露出していてかなり危険、大地震でも来れば崩壊するんじゃないだろうか。

安堂6支群3号
資料館北側300m、住宅地はずれの第一公園内に石室が移築保存されています。石室と言っても奥壁と側壁片側の下部のみ、目を引くのは玄室床面に切石が16枚整然と並べられていること、石棺でも置かれていたのでしょうか。7C末の築造で殆ど最後と言ってもよい古墳です。側にある説明板によれば同じ公園内にいくつもの古墳があるようですが僅かな高まりがある程度です。

平野・大県古墳群

大阪府柏原市 2001年4月訪問

33支群154基

10支群
1号
方墳、L12×10
位置:34°35′22″N 135°38′27″E (日本測地系)
    34.59271169 135.63801349(世界測地系)
尾根上から見た墳丘、石室上部が壊失


石室奥から、ミニチュア炊飯具セットが出土


7号?
露出した石室


玄室奥壁、隙間の少ない緻密な積み方


11支群
1号
露出した石室、右が2号、かなりの急斜面に立地


2号
石室外観


奥壁


奥から外、まぐさ石がかなりの巨石


3号
石室正面、内部は殆ど埋没


4号
円墳、R15
横穴式石室
位置:34°35′19″N 135°38′27″E (日本測地系)
    34.59187844 135.63801351(世界測地系)
墳丘、石室正面


玄室奥壁


16支群
支群遠景
細い尾根上に石室墳が分布、殆ど崩壊している


15号
尾根先端、石室天井石?


16号
尾根斜面に露出した石室


玄室奥壁


17支群
1号
方墳、L10×9
位置:34°35′13″N 135°38′31″E (日本測地系)
    34.5902119 135.63912454(世界測地系)
遠望、右1号、左2号、急な細い尾根上に立地


上から見た墳丘、天井石が露出、一部抜き取られている


石室入り口


玄室内部、崩壊防止用の木組みがある


2号
円墳、R10、6C前半
横穴式石室、玄室長3.4,幅1.9,高1.9m

1号から見た墳丘


石室入り口


玄室


奥から外、右片袖式


3号
石室正面、墳丘流失、内部は埋没


27支群

2号
円墳、R10、6C前半
横穴式石室、玄室長3.65,幅1.8m

手前が2号、右奥3号、石室下部しか残っていない、移築復元

東ワカ山古墳

大阪府柏原市 1999年3月訪問

組合式家形石棺、玉手山6号石室と同じ場所に移築保存

安福寺横穴墓群

大阪府柏原市 1998年3月訪問

寺参道の両側に約40基分布
線刻壁画を持つのもある
 位置:34°33′37″N 135°37′55″E (日本測地系)
    34.56354821 135.62912626(世界測地系)



(見学記)
玉手山丘陵中央西側麓近く安福寺へ通じる小さな谷沿いに40基程分布しています。谷の両側に横穴が幾つも開いているというのがちょっと珍しい光景です。線刻壁画をもつのが1基ありますがここは柵があって中には入れない。他は自由に入れる(と言ってもそれ程多くはない)、中には棺台を持つものや側室があるのもある。陶棺も出土しているそうです。府史跡。さらに行くと割竹形石棺の蓋石が安置されている。かっては手水鉢として利用されていたため逆さまになっているが現在は覆い屋に保護されている。丸い蒲鉾型の屋根と木口部には直弧文が刻まれている。かなり薄くなっているし柵が邪魔をして写真に撮りづらいのが残念。こちらは府重要文化財。

安福寺石棺

大阪府柏原市 1998年3月訪問

刳抜式割竹形石棺
伝玉手山3号墳出土
香川県鷲ノ山産の凝灰岩製

寺境内に安置された蓋石


直弧文があるそうだが分からない、線状の浮き彫りがかろうじて分かる
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