野間古墳群

大分県大分市 2016年2月訪問

前方後円墳3,他

(2016年)
1号
前方後円墳、TL48,R25,RH3.5,FW22,FH2.5
位置:33°12′05″N 131°42′16″E (日本測地系)
    33.20474495 131.70201425(世界測地系)
民家敷地内に保存、殆ど裸の状態


保存状態はよさそう


前方部端は削られているかも


後円部西側から


2号
前方後円墳、TL50,R25,RH2
位置:33°12′07″N 131°42′19″E (日本測地系)
    33.20530049 131.70451406(世界測地系)
笹薮に覆われた高まり、多分これかな


手前が前方部でしょうか


円墳1
位置:33°12′11″N 131°42′25″E (日本測地系)
    33.20641149 131.70451405(世界測地系)
畑の中に裸の墳丘、2,3号より一段低い段丘面にある


削られて変形しているようです


こちらはなだらかで原型を留めているかな


円墳2
1の近く、藪に覆われている


左側は大分削られている、後方にその1


(見学記)
(2016年)
大分市丹川、川添小学校北東の丘陵上にある古墳群です。民家脇にある前方後円墳がほぼ裸の状態で一番分かりやすい、前方部端が削られていますが他は良好のようです。ネット上で画像を見つけてこれが2号となっていましたが前方後円墳集成の墳丘図を見ると1号のような気がします。北東側笹薮の中に丸い高まりがあってこれが前方後円墳の2号かもしれない、後円部しか残っていないようです。3号は後円部の一部しか残っていないようです。更に北東側低位段丘上にも2基の古墳があります。ここは15年前来た時は探しだせずリベンジを果たしてきました。当時はまだなかったと思うgoogleのような強力な武器がありますからね。とは言え古墳群に関するデータはあまり出てこなかったけどね。北東側の円墳もgooglemapの衛星写真で見つけました。ただ17年7月現在で見てみると写真が更新されているようで古墳は却って分かりにくくなっていました。

(2001年)
前方後円墳3を含む10基からなる古墳群だが見つけることが出来なかった。野間の集落周辺を探し地元の人にも聞いたが古墳なんてこの近くにはないと言われてしまった。

亀塚古墳

大分県大分市 2001年5月訪問、16年2月再訪

前方後円墳,TL118,R60,RH5.5,FW36,FH4、5C前半
箱式石棺
位置:33°13′54″N 131°44′31″E (日本測地系)
    33.23502026 131.7395104(世界測地系)
(2016年)
雨あがり直後で他の古墳に行くのもしんどいのでゆっくり見学


葺石を部分的に復元


前方部から後円部、左くびれ部に造出


後円部から前方部、奥の白い建物が資料館


墳頂に緑泥片岩製巨大箱式石棺レプリカ、副室がある、もう箱式石棺の範疇を超えてますね


側にもう一つの埋葬主体、竪穴石室+石棺だそうです、遠くに海を望むことが出来る


箱式石棺
亀塚の側に説明も無しに置かれていた


もう1基、どこか他所からの出土でしょうか


(2001年)
復元された墳丘、公園化され海部古墳資料館がある


墳丘側面、くびれ部に造出


復元された箱式石棺、緑泥片岩板石を使用


小亀塚古墳
前方後円墳、TL35,R25、5C後半
位置:亀塚北東30m

(2016年)
亀塚北側にある復元墳丘


家形石棺レプリカ、本物は破壊、完全に想像で作られたそうな


後円から前方、奥に亀塚


(2001年)
前方部斜め後方から


家形石棺、近くの神社にあった石棺を参考に復元、本物は資料館にある


(見学記)
(2001年)
全長118m県内最大級の前方後円墳で海を望む丘陵上に立地している。現在古墳公園として整備され墳丘が復元されている。後円部に主体部が二つありかなり破壊されていたがそのうち箱式石棺が復元公開されている。緑泥片岩板石を使い副室を持つ県内最大の石棺です。すぐ北側に全長35mの前方後円墳小亀塚古墳がある。整備に伴う発掘で前方後円墳と判明、こちらも復元されている。亀塚は5C前半、小亀塚は5C後半で亀塚の後の王の古墳だが随分小型になっている。公園内に海部古墳資料館(入場無料)がある。発掘使用や模型の展示が主だが結構見応えがある。中にある家形石棺が近くの神社にあった本物でこれを参考にして作ったレプリカが小亀塚古墳に置かれている。

弘法穴古墳

大分県大分市 2016年2月訪問

横穴式石室
位置:33°12′54″N 131°35′36″E (日本測地系)
    33.21835072 131.59091298(世界測地系)

住宅団地の一角に開口、でも場所は分かりにくい、丑殿、千代丸古墳に先行する巨石墳


羨道上部壊失、正面の石辺りが羨門でしょうか


羨道後部は良好


柱石を立てた玄門、赤い色が残る


巨石玄室、こちらも赤い色が残る


〃縦位置、天井はそれ程高くはない


巨石天井石、奥にも小さな1枚


左側側壁


右側側壁、どちらも基部に巨石を据える


奥から外、両袖式、石仏があるので少し上からのアングル


側壁奥から


〃反対側、上部がせり出していて危険


羨道奥から、こちらも右側が傾いているかな


(見学記)
大分市永興、住宅街の片隅に横穴石室が残されています。南西隅にブランコがあるだけの小公園がありそこから階段を降りて行くと石室が開口しています。こんな場所によく残ったなというのが第一印象、羨道前上部を失っていますが他は良好に残っています。玄室は袖石を立てた両袖式、奥壁は巨石1枚石、側壁も基部に巨石が据えられています。全体に赤い顔料が残っていて当時は真っ赤に塗られていたんででしょうか。住宅街の中なのですぐわかると思ったけど、実際すぐ分かったけど住宅街に登っていく道がとんでもない急坂でローギアに入れてやっと登っていくような状態でした。

古宮古墳

大分県大分市 2001年5月訪問、16年2月再訪

方墳、L12、7C後半
横口式石槨 長2.02,幅0.97,高0.85m
位置:33°13′25″N 131°35′24″E (日本測地系)
    33.22696089 131.58757986(世界測地系)
(2016年)
とんでもない急斜面に立地


公園として保存、墳丘復元


石室正面、閉鎖だけど内部見学容易


九州唯一の横口式石槨墳、被葬者も大分の君恵尺か稚臣のどちらかとほぼ特定されている


羨道右側、窪みがあるけど当時のものかな


羨道左側、巨石を並べる


刳抜式石槨、蓋石を嵌め込んだ溝がある


石槨左側


石槨右側、現代の技術でも造るのは難しそう


(2001年)
遠望、風水思想に則った立地だが周囲の地形は大きく変わっている


上から見た墳丘、急斜面に立地


復元された墳丘


石室正面


石槨内部


(見学記)
(2016年)
大分市三芳、再訪、あらためて来てみるともう殆ど崖と言った場所、とんでもない場所に造りましたね。しかも普通の石室なら上の方から切り出して運べばいいだろうけどここは九州では唯一の横口式石棺式石室、刳抜式の石室はどこか工房などで作って運んだんだろうな。作るのも運ぶのもとんでもない大仕事だ。西側に専用駐車場がありますがそこから2,3分歩くことになります。専用駐車場も広すぎたのか奥の半分閉鎖、あまり意味は無いと思うけどね。

(2001年)
大分自動車道大分IC当方700m、7C後葉、一辺12mの方墳で九州唯一の横口式石槨を持つ。被葬者が大分の君恵尺・稚臣のどちらかに比定されている。南向きの斜面に立地、前に川があるという風水思想に則って立地しているが現在丘は削られ谷は家屋が密集し状況はすっかり変わっている。墳丘が復元され古墳公園となっているが古墳の前は急な崖で近寄れず背後の丘の上から近ずく。駐車場もあるが近所の車で占拠されている。国史跡。

浅草神社古墳群

大分県大分市 2016年2月訪問

7基

1号
箱式石棺
位置:33°10′24″N 131°34′00″E (日本測地系)
    33.17668654 131.56424853(世界測地系)
地面に開いた穴、枯葉で隠れているが左右に蓋石が見えている


内部右側、僅かに赤色が残っている


内部左側、状態は割とよさそう


墳丘1
右に祠、信仰の対象でしょうか


墳丘2
ハッキリした墳丘


墳丘3
肉眼だと何とか分かるレベル


墳丘4
これも同様


墳丘5
上で倒れているのは祠


(見学記)
大分市木上、丘陵上にある浅草神社境内にある7基からなる古墳群です。本殿北側鳥居周辺急斜面際に5基程の古墳がありました。箱式石棺もあるそうですが初めは気が付かず2度目に探してやっと見つかりました。鳥居のすぐ脇なんですが蓋石が割れて僅かに開口している状態、蓋石も杉の落ち葉に埋もれて隠されているような状態です。内部はそれ程埋まっておらず赤い顔料が残っているようです。4号で家形石棺が露出しているそうですが見つからず。ここは神社参道入口が分からず地図で見ると西側にあるようなのでそちら側から接近、しかし田圃の中の道が狭く軽でやっとの状態、時には対向車とガッチンコしたりして冷や汗をかきました。上に上る道があってなんとか境内に入れたけど下に停める場所がなかったので致し方なくでしたね。帰りは北側の道を下っていったけどこちらも道幅が広いとは言わないけど遥かに楽でした。

千代丸古墳

大分県大分市 2001年5月訪問、16年2月再訪

円墳、R15,H4、7C初
横穴式石室、全長8.9m、玄室長3.3,幅1.9,高2.8m
石棚、線刻壁画
位置:33°13′01″N 131°32′44″E (日本測地系)
    33.22029255 131.54313917(世界測地系)
(2016年)
入り口に大きな標柱


家の裏を通っていくと説明板と古墳


羨道入り口、一応柵がある


袖石を立てた玄門


重厚な石棚のある玄室


〃縦位置、背が高い


左側壁、下部は巨石だが上部は小型石材


右側壁、こちらは上部の石が更に小型


玄室上部、最奥の天井石はやや斜めかな


天井石


石棚上部奥壁、平石2枚


石棚下部奥壁、巨石鏡石、赤い色が残る


床面奥に2重の屍床


石棚に線刻、これは左側、三角文と四角文が分かる


右側、四角文が分かる、人物と動物がいるそうだが


奥から外、両袖式


〃縦位置


羨道側壁、縦に並べる


反対側も同様


墳丘背後から、天井が露出、屋根が架かっている


(2001年)
石室正面


羨道、板石を使った袖部


玄室、石棚、下に二重に死床が敷かれている


両袖式、赤い顔料が良く残っている


石棚前面の線刻壁画、左に三角文、右に手を広げる人物がある、他に四角文や動物がある


(見学記)
丑殿古墳前の県道を西に3km行くと案内表示があり民家の脇に古墳がある。河岸段丘上に立地した径1 5 mの円墳で南側に石室が開口している。かなりの巨石墳で羨道側壁は巨石を立てて並べた1段積み玄門も板石の両袖となっている。玄室は3.32,1.87,2.8mの規模で背が高い。奥壁中段に石棚が架けられていて前面に線刻壁画があるが悪戯もなく大変見やすい。三角文や四角文、手を広げた人物や動物が各1がある。石棚下の床面には大小2枚の板石が重ねられ死床を造っている。玄室全体に赤色顔料がよく残っていて築造当時は真っ赤な石室だったと思われる。石室入り口に柵があるが鍵はかかっておらず壁画のある古墳で自由に入れるのも珍しい。国史跡。

丑殿古墳

大分県大分市 2001年5月訪問、16年2月再訪

円墳、6C末
横穴式石室、全長6.5m、玄室長2.5,幅2.5,高2.1m
刳抜式家形石棺 長2.3、幅1m
位置:33°12′50″N 131°34′13″E (日本測地系)

    33.21723852 131.56785952(世界測地系)
(2016年)
公民館背後に石室がある


入り口に大きな案内標柱、でも道は狭く車で入ってえらい目にあった


羨道天井を失った石室、側壁背後の石は当時の物なんでしょうか


石室正面、左右の側壁は当時のままのようだ


羨道奥は鉄骨で補強


巨大な家形石棺、入れないので望遠で撮影、01年と比べると土砂が流入している


(2001年)
石室入り口、丘陵麓斜面に立地


石棺


石棺蓋石、四角い縄掛け突起が4個付く


玄室奥壁


奥から見た玄門


(見学記)
(2016年)
大分市賀来、ここも序での再訪、上片面公民館背後に開口しています。柵があり中には入れませんが奥に石棺が見えています。公民館に入る手前の道路に案内板がありますがつい車で入って行ったら止める場所がなくそのまま通り過ぎたけど道が凄く狭くて冷や汗をかきました。結局そのまま進んで元の県道に戻りました。案内板のある場所から先の県道も狭くなっているのでその手前で車を止めて見学したほうがよさそうです。県史跡。

(2001年)
蓬莱山古墳から元の道に戻り南下、踏切の手前で右に曲がり200m程行くと案内板がある。そこから小道に入っていくと公民館の前に説明板があり公民館裏に古墳がある。墳丘ははっきりしないが南側に石室が開口全長約6m、玄室長2.5,幅2.5,高2.1mの両袖式で刳抜式家形石棺がある。蓋石が一部割られているがほぼ完存、四角い縄掛け突起が付き身よりやや大きい。長さが2.3mあり奥壁に接するように置かれていて玄門から入れるとこの位置に納まりこれ以上動かせないようだ。なお「日本の古代遺跡(大分)」P161や説明板の写真は裏焼きになっている。県史跡。

蓬莱山古墳

大分県大分市 2001年5月訪問、16年2月再訪

前方後円墳、TL60,R36,RH6,FW17,FH3、4C
位置:33°13′01″N 131°34′19″E (日本測地系)
    33.22029391 131.56952608(世界測地系)
(2016年)
お寺境内に保存、形良く残った前方後円墳


後円部、周溝が巡る


上記同じ場所から見た前方部


上記反対側から見た側面


前方部左側から後円部


前方部右側から後円部


後円部から前方部、後円部に比べて小さい


(2001年)
前方部斜め後方より


周囲に盾形周溝が巡る


(見学記)
(2016年)
大分市賀来、更に序の再訪、墳丘良好な前方後円墳が残っていますがこんな山の上だったとは、すっかり忘れている。どうやら隣の龍音寺の敷地内のようです。後円部側には鳥居と拝殿のようなのがあり古墳自体が信仰の対象になっているのかもしれません。住職さんにマムシが出るから注意してくださいと言われたけど2月だしな、やんわり注意されたのかも(汗)。お寺に駐車場あり。県史跡。

(2001年)
古宮古墳から西に行き大分IC入り口手前で右の道に入り自動車道の下をくぐって100ほど行き左側の道に入る。小さな住宅団地の南端お寺の側に形のいい墳丘がある。全長60m、前方部の小さい4Cの前方後円墳です。周囲に盾形の周溝が巡っている。県史跡。

塚山古墳

大分県国東市(旧安岐町)2016年2月訪問

6C後半
T字型横穴式石室、全長5m、玄室長1.8,幅3,高4.5m
位置:33°27′01″N 131°43′22″E (日本測地系)
    33.45360823 131.72034456(世界測地系)

石室図(説明板より)珍しいT字型でドーム状の玄室


海岸近くの丘陵上に立地、手前の藪はコセンダングサのくっつき虫で突破が大変


墳丘は割と残っているようです


羨道天井石が露出、傾いている


玄門、やや右に偏る


奥壁下部、奥行きが無いので全容が撮れません


奥壁丈夫、背が高い


右側側壁


〃上部


左側側壁


〃上部


〃ストロボ無し


ドーム状の高い天井


奥から右方向袖部、袖石が突き出る


反対側は突き出ていない


羨道奥から、天井石がずり落ちている


(見学記)
国東市安岐町塩屋、海岸沿いを走る国道213号安岐商店街入口交差点で北に曲がって県道34号を400m程行き細い道を西に曲がって町道に突き当たると左に曲がって行くと案内板が出ています(倒れていたけど)。そこを曲がるとすぐに空き地がありその奥に古墳があります。説明板が立っていてその脇に開口、羨道天井石がずり落ちネットが張られていますが入室可能です。玄室完存、T字型と言う程ではないですが横長で奥行き1.8mにたいして幅は3mあります。そして最大の特徴は背の高いドーム状石室で4.5mの高さがあります。ドーム状の玄室は平面プランが正方形に近いのが多いですが横長のは珍しいですね。しかし奥行きがなく背が高い石室は写真に撮りにくい。空き地に駐車可。県史跡。

番所ヶ鼻1号

大分県国東市(旧国東町)2016年2月訪問

前方後円墳、TL33,R15,RH3.3,FH2.1
位置:33°34′33″N 131°44′06″E (日本測地系)
    33.57915376 131.73256116(世界測地系)

海に面した丘陵先端辺に立地、後円部上が削平されているようだが2段築成の様子が分かる


前方部端は削られている


前方部隅から後円部


前方部から後円部


後円部から前方部、右側に2段築成の跡が残る


(見学記)
自動車教習場すぐ東側にある前方後円墳です。ただ市史跡なのに説明板も標柱も何もありません。周りが畑で墳丘上はミニ果樹園、細長い墳丘が残っているので何とか分かりますが藪や林の中だったら分かりにくかったかもね。
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