山田高塚古墳(推古天皇陵古墳)

大阪府太子町 1998年3月訪問

方墳
位置:34°30′31″N 135°39′08″E

二子塚古墳からの遠望

科長小学校裏石棺

大阪府太子町 1998年3月訪問

位置:34°30′59″N 135°38′44″E

家形石棺蓋石、五輪塔の台石として使用される


(見学記)

叡福寺東方,磯長小学校校舎裏に江戸時代の墓がありその中の多層塔の台石に家形石棺の蓋が使用されています。事前に知っておかないと見逃すかも知れない。縄掛け突起は無く峰の広い新しいタイプ,出土した古墳は不明。

大平塚古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

円墳?、玄室長4.5,幅2.4,高1.6
横穴式石室
位置:34°31′32″N 135°38′55″E

石室開口部、上を近鉄南大阪線が通っている


この辺りではむしろ珍しい巨石墳


奥から外


(見学記)

太子町北側の山の南側麓,切石造りの巨石墳で玄室長4.53m幅2.38m高2mと大きな石室です。現在近鉄南大阪線の軌道真下になっていてその南側に開口竹林が目印です。しかし石室の中で電車の音が響くのも珍しい。別名ガード下古墳(嘘)。

御嶺山古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

墳形不明
横穴式石室
位置:34°31′24″N 135°38′07″E

石室の天井石が僅かに露出するのみ


石室内部、見事な切石造り


(見学記)

壷井八幡宮南東,緩やかな丘陵南斜面に位置する古墳で封土はすでになく天井石が露出,切石造りの石槨墳で床に格子狭間を彫刻した棺台があります。古墳自体はかなり重要ですが見学は難物丘を南北に横切る農道の鞍部に小屋がありその脇の小道をビニールハウス沿いに行くと石碑と説明板(文字は消えている)がありその脇に天井石が露出しています。隙間から中がのぞけますが中は真っ暗,強力なライトがないと無理。はっきり言って見学だけならわざわざ行くところではありません。

松井塚古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

横口式家形石棺
位置:34°30′58″N 135°38′34″E

叡福寺境内に移築保存



(見学記)

仏陀寺の西にあった古墳で宅地造成中に石棺が出土,現在叡福寺境内に保存されています。仏陀寺と同様の家形横口式石棺でこちらの方が造りがやや粗いようです。

九流谷古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

前方後方墳
位置:34°31′06″N 135°37′54″E

多分これだと思うのだが

一須賀古墳群

大阪府太子町 1998年3月訪問

太子町河南町にまたがる丘陵にある大群集墳
近つ飛鳥風土記の丘として整備
位置:34°30′00″N 135°38′48″E(博物館)

A群 B群 C群 D群 E群 I群 J群 K群 O群(クリックでジャンプ)


A群
1号(仮称)


殆どの石室でこのような右片袖式


2号(仮称)



B群
7号



9号


石棺は複製


数少ない左片袖式


10号


12号



B13号


14号




15号




16号
左15,右奥16号



珍しく羨道までよく残る




C群
1号(仮称)
墳頂が盗掘され火山の様


9号


D群
2号


閉塞石が一部残る



4号





8号



9号


10号
羨道がトンネルのように残る


手前が玄室


12号




持ち送りが強く天井が狭い


14号


右が奥壁側


E群
1号(仮称)


何故か玄門の上の石が残っているのが幾つもある



2号(仮称)




F群
3号




I群
2or3号
奥の建物が博物館


5号


20号
20,21号とも博物館脇に移築


21号


J群
1号


2or3号


4号


6号


7号
散策路の上から眺められる、右奥が6号





8号
上に橋を架けて散策路を通している


9号


10号


11号


12号


13号



14号
これも数少ない左片袖式


K群
9号




10号


11号



13号


O群?
蝦夷塚古墳
石室が僅かに見えている


(見学記)

太子町から河南町にかけての丘陵に分布する大群集墳で一部が近つ飛鳥風土記の丘に指定されています。関西の皆さんは行かれた人が多いようなので詳細は省略しますが写真を撮りながら回っていると丸一日かかりました。ここの場合コースから外れてもあまり条件のいい石室にはお目にかかれないのでコースだけにとどめて置いた方が無難なようで。展望台からは王陵の谷が一望できて最高でした(大阪の空がきれいであればもっと良かったけれど。しかし博物館といい,管理棟といい,休憩所といい,あの建物はなんですか,外面に金をかけるより中身にもっとかけんかい(何故か関西弁)。しかも月曜日に行ったら博物館の休館日は園内も入園禁止とのこと,山火事を心配しているようですがあまりにもお役所仕事です。黙認と言うことで一応入れて貰いました。

葉室古墳群

大阪府太子町 1998年3月訪問

石塚古墳
円墳、R30、6C末~7C初
位置:34°30′27″N 135°38′44″E

公園内に保存


西側から


釜戸塚古墳
円墳、R45、7C前半

盗掘ですっかりへこんでいる


北側に斜面をカットした深い周溝が残る


葉室塚古墳
長形墳、75×55、7C前半

西側公園から


南から、東西に石室があるが西側は破壊


(見学記)

風土記の丘に通ずる道の途中にある古墳群で長形墳の葉室塚,円墳の石塚,釜戸塚からなっています。それぞれかなり大型の横穴石室があったようですが盗掘で石室ごと破壊を受けていて葉室塚は西半分,釜戸塚は中央が大きく窪んでいます。釜戸塚は馬蹄形の周溝が巡っていて今も北側に掘割の跡が残っています。天皇陵クラスに匹敵するかなり重要な古墳群のようですが石塚が公園内に保存されている他はお寒い限りです。

二子塚古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

双方墳?、TL61
横穴式石室2
位置:34°30′27″N 135°39′17″E

南から見た墳丘、中央部が大きく削平


東側墳丘


露出した石室側面


家形石棺、かまぼこ型の蓋石が見事


上記反対側から


(見学記)

太子学園北側,小さな尾根の先端に位置する古墳です。双方墳と言うことですが両丘の間が土取りで穴凹状態。東丘に横穴石室のの側面が露出,中に家形石棺があります。縄掛け突起はなく蓋はかまぼこ型の非常に精緻な造りです。西丘にも石室がありますが現在は見ることが出来ません。ここから東方やや下の方に推古陵古墳が見えています。史跡。

仏陀寺古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

横口式石棺
位置:34°30′41″N 135°39′13″E

仏陀寺境内に石棺が露出、墳丘流失


かまぼこ型の蓋石


(見学記)

推古陵北方,丘の頂付近にある古墳です。寺の門を入るとすぐ左側に刳抜式家形石棺が露出,縄掛け突起は無く小口部に蓋の付いた横口式,墳丘は消滅していますが石室はなく石棺を直接埋めたようです。蘇我倉山田石川麻呂墓の伝承有り。現在石棺は椿の古木に抱かれて永眠中。府史跡。
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