三坂神社墳墓群

京都府京丹後市(旧大宮町)1999年4月訪問

位置:35°34′31″N 135°06′18″E (日本測地系)
    35.57843766 135.10220617(世界測地系)

マスタービレッジ内、盆地全体が見渡せる非常に見晴らしの良い場所に立地


(見学記)
大谷古墳から谷を越えた北西の丘の上に保養施設がありその最高所に載頭円錐型の墳丘が見えています。なにも説明はありませんがまず古墳に間違いないでしょう。北側の盆地全体が見渡せる絶好の場所です。(後に三坂神社墳墓群と判明)

黒部銚子山古墳

京都府京丹後市(旧弥栄町)1999年4月訪問

前方後円墳、TL105,R70,FW45,RH15,FH10
位置:35°41′08″N 135°06′08″E (日本測地系)
    35.68869862 135.09942723(世界測地系)

丘尾切断型、墳丘も良好


前方部側から後円部


後円部から前方部


(見学記)
峰山町からR432を北上すると黒部の集落がありそこからさらに1km程行くと案内板があり古墳はそのすぐ後。全長105m高15mの前方後円墳で杉林に覆われた墳丘は大変よく残っていて、数字以上に大きく感じる。墳丘は尾根を削りだして造られていて前方部の片隅は完全に分離せず溝状になっている。谷状盆地の北側にあり南北にも尾根があってあまり目立つ状態ではない。四道将軍丹波道主命の墓と伝えられているがこのようにぼつんと孤立して立地している所を見るとそれも何となく肯ける感じがします。府史跡。

片山古墳

京都府京丹後市(旧丹後町)1999年4月訪問

横穴式石室、玄室長6.55,幅2.5,高1.8m
位置:35°44′15″N 135°06′51″E (日本測地系)
    35.74063641 135.11137174(世界測地系)

左手前が羨道(内部は埋没)近くに長持形石棺のある産土山古墳がある(石棺は埋戻し)


右側が羨道、奥の天井石は家形に加工、石材も他と違い砂岩を使用


玄室、半ば埋没、奥の天井石下面も平らに加工されている


(見学記)
産土山から案内板がありそれに従って行きます。墳丘はなく横穴石室が露出、羨道部は埋まっていますが玄室奥壁側から中を覗くことができます。内部も多少埋まっていますが玄室長6.5m、幅2.5mと結構大きい。最大の特徴は玄室天井石の内、奥の2枚が他の石材と異なり砂礫岩製で特に奥側のは大きく上が家形に加工されていて(現状見た感じではコッペパンのようにふっくらと盛り上がった感じ)底面も丁寧に平面に加工されています。町史跡。

平野古墳

京都府京丹後市(旧久美浜町)2000年4月訪問

前方後円墳(現地説明板による)
横穴式石室、全長9.8m、玄室長4.6,幅1.96m
位置:35°33′32″N 134°55′15″E (日本測地系)
    35.56204088 134.91805806(世界測地系)

石室開口部


玄室、隅に三角持ち送りが見られる


両袖式、右は極僅か


(見学記)
湯舟坂2号墳に行く途中の道に説明板が立っています。古墳はその崖上、尾根先端に構築されています。説明板には前方後円墳と書かれているがそんな感じには見えない。南西向きに石室が開口、全長9.8m、玄室長4.6m、幅1.96m良好に残っています。花崗岩巨石を使った両袖式で玄室は三角持ち送りのようになっている。天井石は2枚でかなりの巨石、こんな狭い場所で運ぶだけでも大変だっただろうけど、何でこんな場所に作ったんでしょうね。

離山古墳

京都府京丹後市(旧網野町)1999年4月訪問

円墳、R15,H2.2
位置:35°41′14″N 135°02′33″E (日本測地系)
    35.69036231 135.03971125(世界測地系)

元は離湖に浮かぶ島だった離山山頂に位置する、竪穴系横口式石室を持つ(埋戻し)


(見学記)
町東部にある離湖の南側から突き出た離れ山の頂部にある径15mの円墳です。一見平凡に見えますが竪穴系横口式石室を持つ6C前半の古墳です。石室は見ることはできません。これは湖南側にある岡古墳群を探しに来て見つけたものだが肝心の方はわからず。

離湖古墳

京都府京丹後市(旧網野町)1999年4月訪問

長形墳、L43×34,H6.4
位置:35°41′13″N 135°02′34″E

尾根をカットして整形、手前が尾根を区切る溝、建物は石棺覆い屋


左手は尾根の溝


長持形石棺底石、一見平凡な古墳に王者の石棺と言われる長持形石棺が


(見学記)

離山古墳南東100mの所にある43×34m高6.4mの長形墳です。尾根の先端を整形して造られていて三方は急な崖になっていますが尾根側は浅い溝で区切られています。墳頂から長持形石棺と箱式石棺が出土、盗掘で長持形石棺の底石しか残っていませんが現地に覆い屋を設けて展示しています。当時離山は湖の中の小島で小さい割に背が高く石棺を運ぶのはさぞ大変だったでしょうね。それにしても王者の石棺と言われる長持形石棺が平凡そうな古墳から出土したというのも驚きですね。平成2年に発見されたそうだがネーミングが苦しいですね。離山古墳は先客があるし、離山2号とするには時代系統とも全然違うようだし。

網野銚子山古墳

京都府京丹後市(旧網野町)1999年4月訪問

前方後円墳、TL198,R115,FW80,RH16,FH10
日本海側最大の前方後円墳
位置:35°40′30″N 135°01′57″E (日本測地系)
    35.67814122 135.02971243(世界測地系)
海を望む丘の崖際に立地、写真で見るよりはるかに大きく感じられる


小銚子山古墳
円墳、R20

銚子山古墳陪墳、後円部側


寛平法王塚古墳
円墳
銚子山古墳陪墳、前方部側、大仰な名前が付いているが殆ど削平されている


(見学記)
町役場南東400m低い丘陵の崖際にあり、全長200m高16m日本海側最大の前方後円墳です。墳丘は藪に覆われていますが巨大な全体像はよくわかります。ただ他の大型古墳でも感じますが全長よりも背の高い墳丘の方が視覚的に巨大に感じます(私だけか)。 前方部側から上に登ると後円部頂は広い平坦部になったいて日本海がよく見えます。当時の港だった離湖は見えないようですが当時は崖下まで海だったかも。後円部側に小銚子塚古墳、前方部側に寛平法皇塚古墳と2基の円墳があります。小銚子塚と銚子塚の間には周溝のようなわずかな段差がある。後者は名前だけは立派ですが殆ど削平され基部がわずかに残っているのみ。3基とも国史跡。

赤坂今井墳丘墓

京都府京丹後市(旧峰山町)2000年4月訪問

弥生墳丘墓
位置:35°38′25″N 135°03′12″E (日本測地系)
    35.64342339 135.05054478(世界測地系)

最大級の弥生墳丘墓


尾根先端、背後をカットして構築


(見学記)
中世の山城を発掘するつもりが弥生墳丘墓が出てきたというびっくり箱のような遺跡。谷の中に突き出た尾根の先端、背後をカットして墳丘を構築している。方墳状の墳丘で背後の溝と共によく残っている。山城と考えるには場所も低いし狭いような気もするが(後知恵だけど)。たいして大きくない谷だけど当時はこれくらいの方が水田を作りやすかったんでしょうか。
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