湯舟坂2号

京都府京丹後市(旧久美浜町)2000年4月訪問

円墳、R18,H5
横穴式石室、石室全長10.6m玄室長5.7,幅2.5m
金銅装親子双竜環頭太刀が出土したことで有名
公園として保存
位置:35°33′32″N 134°55′09″E (日本測地系)
    35.56204086 134.91639155(世界測地系)

石室正面、羨道がやや開き気味


玄室


両袖式、石室背後から


(見学記)
径18mの円墳、全長10.6mの横穴式石室を持つが天井石を失い早くから埋まっていたため450点に及ぶ豊富な遺物が出土しました。この古墳を全国的に有名にしたのが金銅装親子双竜環頭太刀柄頭、現存では唯一の物です。「日本の古代遺跡(京都)」の表紙を飾っていますが現在実物はどこにあるんでしょうね。古墳の方は保存され巨石を使った石室が公開されています。側に資料の入ったポストがあるのがうれしい。谷奥にあるけれど谷入り口の県道に案内標識が出ています。府史跡。

湧田山1号

京都府京丹後市(旧峰山町)1999年4月訪問

前方後円墳、TL100,R65,RH10,FW28

画像無し

(見学記)

多久神社背後の丘陵上にある。北側にあるのが湧田山1号墳で全長100m、後円部径65m、高10m、前方部幅28mの前方後円墳です。後円部頂は広い平坦面をなし墳丘も良好に残っている。雑木林に覆われていることもあって北側の前方部に気づかず大きな円墳だと思っていた。南側尾根沿いに数基の古墳が連なっている。府史跡。誰もいないと思っている山の中で人に会うとびっくりしますね。相手もそうだろうけど。

産土山古墳

京都府京丹後市(旧丹後町)1999年4月訪問

円墳、R50

画像無し

(見学記)

資料館前を北上し国道に合流して右に行くとすぐに竹野小学校がある。古墳は径50mの円墳で校舎すぐ西側にあるが側に説明板がなければ自然の丘と間違えそう、実際自然地形を最大限に生かして造られているそうです。凝灰岩製長持形石棺が出土していますが現在は現地に埋め戻されています。国史跡。

神明山古墳

京都府京丹後市(旧丹後町)1999年4月訪問

前方後円墳、TL190,R129,FW78,RH27
位置:35°43′55″N 135°06′49″E (日本測地系)
    35.73508141 135.11081635(世界測地系)

尾根先端を整形して構築、墳丘は良好だが林に覆われてよく見えない


(見学記)
町役場南東900m丘の下に県道が走っているがそこには案内板はなく公会堂に至る道を上っていくと説明板がある。そこから前方部を通って後円部に上れる。尾根の先端をカットして造られた全長190m高27mの前期古墳で墳丘もよく残っているが雑木林に覆われていて全体像は見にくい。国史跡。
丘の下に丹後古代の丘資料館(入館料500円)があり、側に環濠や住居が復元されている。

新戸古墳

京都府京丹後市(旧大宮町)1999年4月訪問

前方後円墳、TL35,R20,FW28,RH5,FH4
横穴式石室、全長7.2m、玄室長6,幅2,高3.4m
位置:35°33′56″N 135°05′25″E (日本測地系)
    35.56871397 135.08748594(世界測地系)

石室入口、墳丘も比較的良く残っている


奥行きの長い石室、奥壁に石棚


石棚


両袖式、持ち送りが強い


(見学記)
町役場南南西1.7km、野田川町から大宮町に至るR312が大宮町の盆地に入ってすぐに県道76号を左折、800m程行って学校を左手に見ながら右折、さらに集落内の道路を右折するとすぐにバス停脇に大きな説明板がある。古墳はそのすぐ上にあるが崖になっているので反対側から上る。全長35mの前方後円墳で墳丘は比較的良好、後円部南側に横穴石室が開口、全面が崖になっているが危険という程ではない。墳丘に比して大きな石室でさらに特筆すべきは石棚があることです。石室全長7.2m玄室長6m幅2m高3.6mで丹後最大、細長く背の高い石室です。玄室は両袖式でやや大型の割石を使い、持ち送りがある、石棚はあまり加工されてない分厚い石材が使用され奥壁の上下2枚の石の間に挟まれています。岩橋型と言うよりは普通の石室に石棚が付けられている感じです。説明板に京都で2例の石棚と書かれていたので一瞬京都2冠王と思ったが小金岐古墳群や高浪古墳等他にもあるはずなんだが。

三本松1号

京都府京丹後市(旧大宮町)1999年4月訪問

横穴式石室
位置:35°35′23″N 135°05′11″E (日本測地系)
    35.59288048 135.08359427(世界測地系)

石室正面


玄室、天井石は壊失


(見学記)
町役場北西1.5kmにある古墳群ですが、住宅や老人ホームの建設でかなり消滅しています。老人ホーム北側の林の中でかろうじて天井石の失われた石室を1基発見したのみ。実はここは新戸古墳を探していた時地図を完全に読み間違えて見つけたもの(ここに至る伏線はいろいろありますが)。運がいいのやら悪いのやら。
(追記)三本松1号と判明

大谷古墳

京都府京丹後市(旧大宮町)1999年4月訪問

帆立貝式、TL32,R26
墳丘消滅、箱式石棺のみ公園として移築保存
位置:35°34′15″N 135°06′15″E (日本測地系)
    35.57399382 135.10137308(世界測地系)

移築石棺、墳丘は模型


箱式石棺、女性人骨が出土、身に比べて蓋の幅がずいぶん広い、それにしてもずいぶん窮屈そうな石棺


石棺の両端に立石状の物がある


(見学記)
町役場南南東1.2km、丘陵上にあった古墳です。R312に「女王の丘」と書いてある大きな案内板があったので見に行った。小さな公園内にこれまた小さな帆立貝式の墳丘がある。何だと思って側の説明板を見ると本体はすぐ側の工業団地内にあったが消滅、箱式石棺だけ移築したとのこと。元は全長32m、後円部径26mの帆立貝式古墳でした。箱式石棺からほぼ完全な40代女性の骨が出土(それで女王の丘ね)、他に鏡、勾玉、剣、斧等が出土しています。それにしても墳丘の大きさに比べて石棺の小さいこと、内法1.5m×0.3mでいくら当時の女性が小さかったとはいえ、さぞかし窮屈だったでしょうね。興味深いのは石棺の前後に小さいながらも立石があること、大阪の松岳山古墳の立石を連想させます。何か関連があるのでしょうか。

大成古墳群

京都府京丹後市(旧丹後町)1999年4月訪問

海岸沿いの高台上に13基からなる
見学できるのは3基のみ
位置:35°44′28″N 135°06′44″E (日本測地系)
    35.74424709 135.10942733(世界測地系)

全景:右に9号、左7号、中央奥8号


7号
石室外観、石室向きは南西海岸沿い


玄室、小型


玄室奥から外、右片袖式


8号
石室正面、向きは西、海側


玄室、一見切石造りを思わせる


玄室奥から外、両袖式、石室入り口は崖際


石室外観


9号
石室正面、向きは南、陸側


石室側面


玄室、かなり細長い


玄室奥から外、無袖式


(見学記)
竹野小学校から国道を少し西に行くと岬に行く道があり案内板もでています。「日本の古代遺跡(京都1)」ではクラブハウスの庭園の一角に保存と書かれているが現在建物は影も形もなく行きやすい道だけが残っていて見学は容易。海に突き出た小さな岬の上に3基の石室が露出している。3基とも切石に近いような割石で構成されているが微妙に形態が異なる。中央の9号は無袖式で南向き、8号が崖際にあり天井石もなくなっているが両袖式で西向き(海側)、7号も天井石がなく右片袖式で南西向き、7,8号では羨道がややラッパ状に開いているようだ。13基からなる古墳群とのことだが他のは不明。町史跡。

岡古墳

京都府京丹後市(旧網野町)2000年4月訪問

円墳
横穴式石室、玄室長5,幅1.8m
位置:35°41′13″N 135°02′20″E (日本測地系)
    35.69008447 135.03610048(世界測地系)

石室を移築復元、


玄室、天井、中央の天井が高くなるドーム状、天井最奥部の積み方が乱れている(画面中央辺り)


無袖式


(見学記)
離湖西側(特に強調)にある横穴式石室墳で200m北西にあったのを移築復元しています。無袖式の石室で凡そ玄室長6m、幅1.8mくらい、天井は中央部が高く前後が低いドーム状です。羨道側から積んでいったんだろうか奥の天井部は積み方がかなり乱れている(それとも復元時)。海岸部でよく見かける貝が穴を開けた石が使われている。石室からは人骨6体分を始め環頭太刀などの武具、装身具、馬具等多数の副葬品が出土しています。「日本の古代遺跡(京都)」では南側にあるように書かれているが、どう見ても西側(しつこいけれど)。おかげで昨年探し損ねた。つい邪馬台国の方位の問題を連想してしまった。

桃谷古墳

京都府京丹後市(旧峰山町)1999年4月訪問

円墳
横穴式石室、玄室長5,幅2.5m
3基から成る桃谷古墳群の1号墳
位置:35°36′17″N 135°02′24″E (日本測地系)
    35.60787133 135.03721313(世界測地系)

墳丘は殆ど流失、白い説明板のすぐ上に石室がある


玄室、天井石壊失、側壁も左側がかなり破壊、状態はかなり悪いが豊富な遺物が出土


(見学記)
峰山高校南側の県道を南下すると新治地区に案内標柱が立っている。そこから西に谷筋に入っていく。舗装路を約1km行くと崖面に現代の横穴があるから、そこから道をそれて水田脇の道を行くと小さな説明板が見えてくる、古墳はそのすぐ上にある。尾根斜面を利用して造られていて南側に石室が開口、割石を使った両袖式だが状態はかなり悪く天井石は壊失、玄室片側も石が抜き取られている。その割には発掘で鏡、金環、玉類、空玉、金銅太刀、馬具等豊富な遺物が出土、特にガラス製の耳とう(漢字がでない、耳+當です。早い話が耳飾り)は日本初とのこと。史跡。側に2,3号墳があるはずだがこちらは不明。
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