九流谷古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

前方後方墳
位置:34°31′06″N 135°37′54″E

多分これだと思うのだが

一須賀古墳群

大阪府太子町 1998年3月訪問

太子町河南町にまたがる丘陵にある大群集墳
近つ飛鳥風土記の丘として整備
位置:34°30′00″N 135°38′48″E(博物館)

A群 B群 C群 D群 E群 I群 J群 K群 O群(クリックでジャンプ)


A群
1号(仮称)


殆どの石室でこのような右片袖式


2号(仮称)



B群
7号



9号


石棺は複製


数少ない左片袖式


10号


12号



B13号


14号




15号




16号
左15,右奥16号



珍しく羨道までよく残る




C群
1号(仮称)
墳頂が盗掘され火山の様


9号


D群
2号


閉塞石が一部残る



4号





8号



9号


10号
羨道がトンネルのように残る


手前が玄室


12号




持ち送りが強く天井が狭い


14号


右が奥壁側


E群
1号(仮称)


何故か玄門の上の石が残っているのが幾つもある



2号(仮称)




F群
3号




I群
2or3号
奥の建物が博物館


5号


20号
20,21号とも博物館脇に移築


21号


J群
1号


2or3号


4号


6号


7号
散策路の上から眺められる、右奥が6号





8号
上に橋を架けて散策路を通している


9号


10号


11号


12号


13号



14号
これも数少ない左片袖式


K群
9号




10号


11号



13号


O群?
蝦夷塚古墳
石室が僅かに見えている


(見学記)

太子町から河南町にかけての丘陵に分布する大群集墳で一部が近つ飛鳥風土記の丘に指定されています。関西の皆さんは行かれた人が多いようなので詳細は省略しますが写真を撮りながら回っていると丸一日かかりました。ここの場合コースから外れてもあまり条件のいい石室にはお目にかかれないのでコースだけにとどめて置いた方が無難なようで。展望台からは王陵の谷が一望できて最高でした(大阪の空がきれいであればもっと良かったけれど。しかし博物館といい,管理棟といい,休憩所といい,あの建物はなんですか,外面に金をかけるより中身にもっとかけんかい(何故か関西弁)。しかも月曜日に行ったら博物館の休館日は園内も入園禁止とのこと,山火事を心配しているようですがあまりにもお役所仕事です。黙認と言うことで一応入れて貰いました。

葉室古墳群

大阪府太子町 1998年3月訪問

石塚古墳
円墳、R30、6C末~7C初
位置:34°30′27″N 135°38′44″E

公園内に保存


西側から


釜戸塚古墳
円墳、R45、7C前半

盗掘ですっかりへこんでいる


北側に斜面をカットした深い周溝が残る


葉室塚古墳
長形墳、75×55、7C前半

西側公園から


南から、東西に石室があるが西側は破壊


(見学記)

風土記の丘に通ずる道の途中にある古墳群で長形墳の葉室塚,円墳の石塚,釜戸塚からなっています。それぞれかなり大型の横穴石室があったようですが盗掘で石室ごと破壊を受けていて葉室塚は西半分,釜戸塚は中央が大きく窪んでいます。釜戸塚は馬蹄形の周溝が巡っていて今も北側に掘割の跡が残っています。天皇陵クラスに匹敵するかなり重要な古墳群のようですが石塚が公園内に保存されている他はお寒い限りです。

二子塚古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

双方墳?、TL61
横穴式石室2
位置:34°30′27″N 135°39′17″E

南から見た墳丘、中央部が大きく削平


東側墳丘


露出した石室側面


家形石棺、かまぼこ型の蓋石が見事


上記反対側から


(見学記)

太子学園北側,小さな尾根の先端に位置する古墳です。双方墳と言うことですが両丘の間が土取りで穴凹状態。東丘に横穴石室のの側面が露出,中に家形石棺があります。縄掛け突起はなく蓋はかまぼこ型の非常に精緻な造りです。西丘にも石室がありますが現在は見ることが出来ません。ここから東方やや下の方に推古陵古墳が見えています。史跡。

仏陀寺古墳

大阪府太子町 1998年3月訪問

横口式石棺
位置:34°30′41″N 135°39′13″E

仏陀寺境内に石棺が露出、墳丘流失


かまぼこ型の蓋石


(見学記)

推古陵北方,丘の頂付近にある古墳です。寺の門を入るとすぐ左側に刳抜式家形石棺が露出,縄掛け突起は無く小口部に蓋の付いた横口式,墳丘は消滅していますが石室はなく石棺を直接埋めたようです。蘇我倉山田石川麻呂墓の伝承有り。現在石棺は椿の古木に抱かれて永眠中。府史跡。

牛石古墳

大阪府堺市 2008年3月訪問

円墳、6C後半
位置:34°29′01″N 135°29′33″E (日本測地系)
    34.48688802 135.48969556(世界測地系)

天井石が1枚露出するのみ、説明板がないと何なのか分からない

檜尾塚原11号

大阪府堺市 2008年3月訪問

位置:34°28′21″N 135°28′50″E (日本測地系)
    34.47577807 135.47775239(世界測地系)

移築復元、まるでトーチかのよう、説明板が壊されてさっぱり分からない状態


石室内部、かまど塚だと言うことだが

太秦高塚古墳

大阪府寝屋川市 1999年3月訪問

帆立貝式?

画像無し

(見学記)
役所東方1.2kmにある径30mの円墳もしくは帆立貝式古墳です。浄水場の中にあるため見学は不可だが入り口すぐ左側にありフェンス越しに墳丘や周溝などを見ることが出来る。太秦古墳群唯一の生き残り。市史跡。

寝屋古墳

大阪府寝屋川市 1999年3月訪問

円墳、R30,H3
横穴式石室、玄室長4m
位置:34°45′31″N 135°39′29″E (日本測地系)
    34.76185986 135.65523061(世界測地系)

公園の中に保存されている


石室正面、玄室部分のみ残存


玄室、内部は半ば埋まる


(見学記)
大阪病院の道路を隔てた南側の公園内にある古墳です。径30mの円墳で墳丘は現状保存、周りに周溝が復元されています。南側に巨石を使った横穴石室が開口しているが羨道は失われ玄室部分の4m程が残存している。入り口に柵があり内部も半ば埋まっている。府史跡。

石宝殿古墳

大阪府寝屋川市 1999年3月訪問

横口式石槨墳
位置:34°44′57″N135°39′40″E (日本測地系)
    34.75241651 135.65828609(世界測地系)

石室正面、手前は羨道側壁、石槨入り口左側に閉塞扉用の軸受け窪みがある


石槨横から


石槨内部、見事に刳り貫かれている


(見学記)
JR東寝屋川駅南東600m、北側の住宅密集地の狭い道を通って行くが所々に高良神社と古墳の案内板が出ている。神社に着くと鳥居の前に説明板がありその脇の山道を行くとすぐ石室が見えてくる。古墳は南側斜面に立地、墳丘はすっかり無くなり横口式石槨が露出している。石槨の前に羨道が付いていたようだが今残っているのは左右の側壁1枚ずつのみ。石槨は外観は余り加工されていない丸みを帯びた巨石で平たい底石に逆凹型に刳り貫いた蓋石をかぶせている。石槨前面には扉石をはめ込む四角い刳り貫きがあり、左側上下には軸受け用のほぞ穴が付いているが、何度も開け閉めしたんだろうか。背後に墳丘裾を示す列石があり、八角墳の可能性もあるそうです。国史跡。
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