坂口古墳石棺

佐賀県伊万里市 2014年3月訪問

箱式石棺、長1.58,幅0.62-0.48,高0.6m
位置:33°16′26″N 129°52′55″E (日本測地系)
    33.27720041 129.87966625(世界測地系)

城山公園内に移築


蓋石側板小口板も板石に加工された石材


手前が頭部側、幅が少し広くなっている


石棺内部


見学記
伊万里市松島町、城山公園に移築された箱式石棺です。板石で構成され長さは1.58m頭部の方がやや幅広くなっています。そちら側に装飾用の扁平な石が並べられていたそうな。公園には駐車場がありません、ナビの指示通りに走ったら上の方まで入って行きましたがそこで作業していた人の話によると一般車は本来入ってはいけないそうな(汗)。市文化財。

鎮西山南麓古墳群

佐賀県上峰町 2014年3月訪問

横穴石室多数も良好なのは多分1基のみ(番号は仮)

1号
横穴式石室、玄室長1.7,幅1.5
位置:33°21′21″N 130°25′17″E (日本測地系)
    33.35914755 130.41906296(世界測地系)

植え込みに囲まれているが道路脇で直ぐ分かる


石室正面、狭い開口部


短い羨道、玄門には構造らしきものがない


玄室は小型で玄門からでも殆ど奥壁しか撮れない


〃縦位置、小型ながら一応ドーム状


奥から外、両袖式、袖石は殆ど置いているだけ


2号
僅かな高まりに石材露出


奥の方が何とか残る


奥壁


3号
墳丘は割と残る


開口部、内部は埋没


4号
はっきりとした墳丘が残る


開口部


多少埋没するも石室は良好のようだ


5号
基部だけ残った石室


右が入口側でしょうか


6号
石室だなと思う程度


7号
ここも基部だけ残る


8号
基部だけ、左が羨道右が玄室か


奥壁


9号
畑段差部分に露出、袖石でしょうね、大きさからして1号より規模が大きそう、側壁も一部残る


見学記
上峰町堤、船石遺跡から県道46号を北上、高速下を潜ると鎮西山公園の案内があるのでそれに従って行きます。途中に駐車場更に行くと登山口駐車場更に車で入っていくと左側にやや開けた場所がありそこに4基の古墳があります。植え込みに囲まれているのがあり小型石室が残っています。玄室は長1.7幅1.5m程、両袖式ですがまぐさ石はなく羨道天井が一段下がっています。石室に入れるのはこれだけ、すぐ上に上部を失った石室露出更にその上に2基ありますが隙間から覗ける程度です。登山口駐車場に戻って西側の竹林の中に4基並んでいますがどれも石室がかなり破壊されています。更にその手前水田段差部に石材露出、柱状の石と大型石材が見えていますが石室のどの辺りなのかな。
山を超えて下った麓に奥の院古墳群があるそうですがあまり状態は良くないようなのでパス。

東尾大塚古墳

佐賀県みやき町(旧北茂安町)2014年3月訪問

円墳、R24-25,H4.3、5C中~後半
横穴式石室
位置:33°19′44″N 130°27′29″E (日本測地系)
    33.3322061 130.45572883(世界測地系)

南北に伸びる低平な丘陵上に立地


大きさの割に背の低い墳丘、上に桜の古木


北西側に小石室がある(石碑足元辺り)


玄室天井部露出、短い羨道があるが埋まっているようだ


ほぼ方形の玄室、小型ながら奥壁1枚石、奥壁手前に石材がある


左側壁はほぼ1枚石


右側壁も1枚石、石室自体が小さいので見た目程巨石ではない


見学記
みやき町東尾、北茂安中学校南西300m辺り、やっと見つけた東尾大塚、場所が分かりづらい上に道も狭く古墳近くは未舗装の道路です。背振山山系から南に伸びた低い台地上に立地、墳丘も良好に残っていて現状径24m高4.3m。墳丘西側に偏った辺りに只字式石室(説明板のママ)、言わんとすることは分かるけどあまり使われないような語句は使ってほしくないな。北西に開口していて石室自体もかなり小型奥壁や側壁は積み重ねがなく1枚仕様です。説明板によれば三角縁倣製鏡(神獣鏡とは書いていない)や短甲等が出ているそうで(多分この石室ではないだろ)5世紀の古墳だろうけど石室自体は7世紀仕様な様相、石室の位置自体も中心から大きくずれていることを考えると古い墳丘を再利用して新しい石室を造った可能性は考えられないかな。奈良のホケノ山古墳でもそういう例があるしね。一応古墳側まで入っていける。町史跡。

船石遺跡

佐賀県上峰町 2014年3月訪問

古墳2、支石墓2

古墳1
横穴式石室
位置:33°20′20″N 130°25′43″E (日本測地系)
    33.34220457 130.42628564(世界測地系)

神社境内にある、遺跡自体は低い舌状地形の先端にある


石碑の土台や左の石も石室石材のようだ、奥に船石


墳丘背後


僅かに石材露出


隙間から撮影するもかなり困難、切石石室でしょうか


古墳2
社殿脇に天井石が残る、鼻血石と呼ばれている


支石墓1
船石と呼ばれている巨石


まさしく船の形


下部に支えている石もある


支石墓2
_1:古墳1の墳丘にあり亀石と呼ばれている


見学記
上峰町堤、佐賀東部中核工業団地東方にある船石神社境内にある支石墓2古墳2からなる遺跡です。いかにも舌状台地の先端といった場所です。境内に巨石が有りそれぞれ亀石船石鼻血石と呼ばれていますが亀石船石が支石墓です。特に船石はいかにも船といった格好ですこぶるつきの巨石下には支石も残っています。亀石は大分小さく古墳の墳丘に寄り掛かるような状態ですが動かされているのかな、あの位置では墳丘に取り込まれてしまうよね。社殿脇にあるのが鼻血石で石室天井石だそうです。はっきりした高まりがあるのが古墳で背後で一部側壁が露出しています。内部を覗くも隙間が狭くて狭くてよく分からないけど巨石を使った新しい感じの石室です。床面にプラスチック波板が敷かれているけどかっては中に入れたのかな、今はそれらしい開口部は全く見当たらないんですけどね。県史跡。

城山古墳群

佐賀県神埼市(旧神埼町)2014年3月訪問

3基残存(番号は仮)

1号
複室石室、前室長1.8,幅1.8m、後室長2.2,幅2.2m(測定値)
位置:33°20′09″N 130°21′28″E (日本測地系)
    33.33914822 130.35545774(世界測地系)

墓地の奥にあるが樹木に覆われて分かりにくい


横から見ると割と墳丘が残る


石室前で羨道天井石がずり落ちている


開口部、複室でここは前室玄門


前室(縦位置)


後室、あまり奥行きはない、奥壁基部に巨石を据える


〃縦位置、ドーム状それ程高くはない


狭い天井、天井石は1枚


奥から外、袖石を立てた両袖式


前室奥から、袖石が後室のより不揃い


墓地にあった石材、石室の石材でしょうか、円文(画像右下に拡大)があるけどさてどうでしょう


2号
天井部が露出した石室、かなり破壊


石室内部、左が奥壁かな


3号
お寺の背後にある


上部を失った石室露出、石材は大型


見学記
神埼市神埼町城原、日の隈公園北方にある種福寺周辺にあり3基見学可能ですが良好なのは1基のみです。寺西側に墓地がありその中にあるのが1号(数字は全て仮)、南に開口する複室石室ですが羨道は壊失天井石が倒れている(墓地内にも天井石らしきものあり)。前室後室は完存、前室は1.8m四方と結構大きい。後室はそれより一回り大きい程度の2.2m四方、奥壁は2段積み天井はそれ程高くはないがドーム状天井石は1枚です。内部に畳藁がしかれているのが残念。墓地の中に石室石材かなと思われるのが立てられていて線刻円文がありました。古墳時代のものかどうかは不明ですがこの円文しかないというのがいかにも怪しい、でも単純な線刻だと時代判定が殆ど不可能ですね。その東側に2号、石室後部が露出内部も前部は埋没後部が僅かに見える程度です。寺背後の斜面にあるのが3号、天井を失った石室後部が残存していますがかなりの巨石です。石の祠が2基置かれています。寺駐車場あり。
墓地はかなり古いようで江戸初期の年号が入った墓石も有りました。時代とともに墓石の形も変遷しているのがわかって墓石ファン(いるのかな、いるだろうな)には面白いかもね。

伊勢塚古墳

佐賀県神埼市(旧神埼町)2002年4月訪問、14年3月再訪

前方後円墳、TL78,R36,RH7,FW28、6C中
装飾横穴石室、全長16.7m,玄室長3.8,幅3.2,高4m
位置:33°20′36″N 130°23′00″E (日本測地系)
    33.34664784 130.38101095(世界測地系)

(14年)
一見二段築成の円墳に見えるが後円部


長い羨道、左右の側壁は巨石、多分薄いのだろう左側壁が少しせり出している


背の高い玄室、奥壁は基部に鏡石を据える


狭い天井、天井石は1枚


奥から外、袖石を立てた両袖式、まぐさ石はそのまま羨道天井石になっている


袖部左側、袖石は薄い板石のようだ、側壁基部の石がすこぶる巨石、奥壁鏡石よりずっと大きい


反対側、こちらの袖石も板状だが大分厚い、こちらの側壁基部も巨石


羨道奥から


(02年)
後円部西側、かなり削られている


石室正面、羨道途中に柵がある


羨道、玄門


背の高い玄室、赤い円文があるそうだが全く分からない


奥から外


墳丘図(説明板より)、くびれ部が県道で切断されている


(見学記)
県道31号を西に行って東背振村から神埼町に入ってすぐ右側に大きな墳丘が見えてきます。これだこれだと思い墳丘を越えていったら何のことはない西側に入り口があった。円墳が良好に残っているなと思ったけど説明板によれば全長78mの前方後円墳でくびれ部が県道で切断されているとのこと、二度びっくり。西向きに石室が開口、墳丘が削られているので羨道も少しは短くなっているかもしれないがそれでも割と良好に残っています。羨道も立って歩けるほどの大きさ、途中に柵がありますが玄室には内部照明がついています。奥壁に赤い円文があるそうだが全く確認できなかった。帰り際に県道の反対側に行ってみると前方部の端が確かに残っていました。説明がないとここが古墳だとは全く分からなかったでしょうが。県史跡。

男女山古墳群

佐賀県佐賀市(旧大和町)2014年3月訪問

100基以上、実質残存1基だけか

複室横穴式石室
位置:33°18′52″N 130°14′02″E (日本測地系)
    33.3177597 130.23157986(世界測地系)
遠望、右手石碑の立っているのが古墳


背後から見た墳丘、石碑(天皇関連)があったから助かったか、あるいはその逆か


羨道天井石がずれ落ちている


開口部正面、前が急傾斜で下がれない


羨道後部が残る、その奥に前室後室


巨石鏡石を据えた奥壁


〃縦位置、最上部が抜けているので明るい


奥から外、両袖式、左袖石のほうが大きい


板状の袖石、上の石を側壁に食い込ませている


反対側も同様


前室奥から


前室側壁、基部に大型石材、その上の積み方は粗い


反対側も同様、左上の石だけ随分異質


露出した天井石


隙間から見た後室内部


見学記
佐賀市大和町大字久留間、丘陵中腹にある男女山神社周辺に100基以上有りましたが果樹園開梱などで殆ど消滅、現在見学可能なのは神社前にある1基のみです。墳丘の上に石碑が立っていて南側に開口、複室石室ですが羨道は殆ど壊失ですが前室後室はよく残っています。前室は結構横幅がある。後室石材はかなりの巨石奥壁も下部に巨石を据えています。玄門は板状の石を立てた両袖式。ここも奥壁に隙間があって内部は明るく見学しやすい。神社に駐車場あり。

池上古墳群

佐賀県佐賀市(旧大和町)2014年3月訪問

前方後円墳2,円墳1

導善寺古墳
前方後円墳、TL70,R40,RH4,FW125C前半
位置:33°17′00″N 130°15′06″E (日本測地系)
    33.28665064 130.24935751(世界測地系)
北西側から見ると比較的前方後円墳らしい形状


前方部から後円部


後円部から前方部、寺があったそうですっかり平坦になっている


風楽寺古墳
前方後円墳、TL46,R24,RH5,FW14,FH24C後半
位置:33°17′06″N 130°15′15″E (日本測地系)
    33.28831719 130.25185735(世界測地系)
全体が墓地になっているが形状は比較的良好


側面、前方部は低平だが元の状態なのかな


北側から


後円部正面、左遠方に南古墳


風楽寺南古墳
円墳5C初頭
位置:33°17′03″N 130°15′15″E (日本測地系)
    33.28748391 130.25185737(世界測地系)
こちらもすっかり墓地になっている


かっては前方後円墳とされていたが発掘の結果円墳と判明


右遠方に風楽寺古墳、後円部だけの比較ならこちらの方が大きいかも


しってんさん
風楽寺古墳北西にある塚、四天王石像を祀っているので”しってんさん”


見学記
風楽寺古墳・風楽寺南古墳
佐賀市大和町大字池上、地福寺北側にあるのが円墳の風楽寺南古墳、その北側にあるのが前方後円墳の風楽寺古墳です。寺の名前と古墳の名前が一致しませんがかっては別のお寺があったのでしょうか。共に全体が墓地になっていますが墳形は割と良好に保たれています。南古墳は規模としては風楽寺古墳後円部よりずっと大きいようです。「前方後円墳集成」には帆立貝に近い前方後円墳として載っていますが調査の結果円墳と判明しました。西側には前方後円墳の導善寺古墳があり池上古墳群を形成しています。風楽寺古墳北側の墓地も少し高くなっていてひょっとして古墳があったかも。北西側には”しってんさん”という四天王石像を立てた塚がありこれもひょっとして古墳の可能性があるかな。この辺りは集落になっていて微高地だった可能性がありその地形を利用した古墳群があったかもしれませんね。側の道路が広くて駐車に問題なし。

導善寺古墳
鳳楽寺古墳西方200m程の所にある全長70mの前方後円墳です。こちらは市史跡となっているせいか説明板があります。ただそれに載っている古墳サイズの数値が前方後円墳集成(こちらは道善寺古墳となっているが多分間違い)のより一回り大きくなっている。後円部は残っていますが前方部は寺があったそうですっかり削平、ただ周溝や葺石埴輪など古墳関連のものは一切出土していないそうです。市史跡。

姫御前古墳

佐賀県小城市(旧小城町)2014年3月訪問

円墳、R25
横穴式石室、全長10m
位置:33°16′45″N 130°10′32″E (日本測地系)
    33.28248228 130.17325273(世界測地系)

山頂から北に伸びる尾根先端に構築、肉眼だともっとはっきり墳丘が分かるのですが


羨道開口部、東向き


長い羨道が良好に残る、羨道がここまで良好に残るのも珍しい


玄室も明るく見えています


玄室もほぼ完存、石材はそれ程巨石ではない、墳丘上部で石材露出、光が漏れている


〃縦位置、背の高いドーム状、手前の石は割れて落花した天井石


狭い天井部、一部割れて落下


奥から外、両袖式、袖部は石を積み重ねている


羨道奥から


線刻、斜格子文かな、線刻は多数あるが落書きも非常に多く確認困難


墳丘上部で天井露出、左側が奥壁側、正面の石が割れて破片が玄室に落下している、左側の石も動かされているようだ、割りかけた跡の矢穴もある


石室上部の石材、概ね平石で奥行きがあるようだ、左側の木も石材を支えているような(違)


天井隙間から見た玄門部


〃奥壁側壁


見学記
小城市小城町栗原、多久市との境界辺りにある峰山と鏡山との鞍部に大きな石碑(果樹鉱害碑)がありそこから南に山道を200m程登った所です。尾根先端に構築された径25m高10mの大きな墳丘が残っています。それでも天井石が露出しているんだから元はどれ程大きかったのやら。東側に開口、長い羨道が良好に残っています。羨道がここまで完全に残っているのもかなり珍しいかもね。長い羨道を通って玄室に入るとそこは巨大な空間、高さ4mはあろうかという背の高い玄室です。天井石が割れて一部落下しているので内部は明るい。線刻があるはずですが落書き線刻が非常に多いのが玉に瑕、名前等が彫られていると初めからパスできるけど迷うのも多いんだよね。そんなに気楽に来れるような場所ではないのでこんな所に来るのは余程の古墳好きだと思うけどそんな人がなんで落書きなんてするのかな。石碑の場所に駐車場所有り、ただそこまでの道は狭く急傾斜。市史跡。

一本松古墳群

佐賀県小城市(旧小城町)2014年3月訪問

70基以上、現存13基
(番号は全て仮、西側からつけています)

1号
位置:33°17′23″N 130°09′52″E (日本測地系)
    33.29303674 130.1621419(世界測地系)

割と大きな墳丘が残るが石材見かけず


右奥1号、左2号、手前3号


4号
僅かな高まり、一部石材露出


5号
横穴式石室

割と墳丘が残る


南向きに開口


玄室内部、奥壁、天井が抜かれ内部に細竹が繁茂、かなり掃除しました


奥から外、両袖式、天井はまぐさ石1枚だけ残存


6号
僅かな高まりが残るだけ


7号
横穴式石室

墳丘背後から、右7号左8号、7号の墳丘の荒れが目立つ


石室正面、天井壊失など状態はよくない


石室前に盛り土、石室内に流入した土を掻きだしたと思ったのですが


細長い羨道、天井石が落下


小さな玄室、右側の石は落下した天井石のようだ、ここもかなり掃除しました


奥壁側壁とも下部に大型石材を据える


天井石1枚残存、今にも落ちそう


奥から外、天井石が落ちている


8号
横穴式石室

東向きに開口した2基、右8号左7号


石室正面、羨道上部は壊失、墳丘上が平らなのは元の状態なのでしょうか


手前8号、奥6号、ともに石室前に盛り土があるのがわかる


8号前のは弧状になっていて古墳付属施設のようだ


羨道奥が残る、まぐさ石はあるが袖石は見かけない


玄室奥壁、同型の三角形の石を左右に並べ、上に平石をわたしその上に四角い石とかなりデザインを意識したような積み方


〃縦位置、それ程高くないがドーム状、天井に隙間があって内部は明るい


奥から外、一応両袖式、右は一応石を積み重ねているが左は上部が側壁材となっている


9号
小さいがはっきりした墳丘、遠方の林の中に11-13号がある


少し削られているが石材は見えず


10号
訪問して真っ先に見られるのがこれ、道路で半分くらい削平


一部石室石材露出


11号
横穴式石室
位置:33°17′20″N 130°09′59″E (日本測地系)
    33.2922035 130.16408623(世界測地系)

尾根筋平坦面に立地


天井壊失して石室露出


横から


石室正面、天井はまぐさ石1枚だけ残存


玄室、鏡石らしい丸い巨石を据えた奥壁


左側壁、下部に巨石を据える


右側壁、奥の石の方が余程奥壁らしい


奥から外、両袖式、石を重ねた袖部、一部側壁に食い込んでいる、強度の為か


12号
横穴式石室

斜面に築かれた墳丘、草刈りされて見やすくなっていた


墳丘背後の開口部


石室正面、羨道上部は大きく破壊


玄門辺りが開口


玄門、左右に板状袖石が残る


ほぼ1枚石の奥壁、玄室自体は小型


右側壁、基部石材がやや大型


左側壁はほぼ1枚石、奥壁隙間から撮影


奥から外、両袖式、左右の袖の構造が微妙に違う


13号
はっきりした墳丘が残るが排水路で半分くらい削られている


石室正面、内部は埋没


見学記
小城市小城町畑田、国道203号を多久市から小城市に入って200m程細い道に入ると案内表示が出ているのでそこを曲がり後はほぼ1本道、高速道を超えて400m程、大きな説明板が立っています。70基以上ですが現存13基、説明板周辺に10基ありますがかなり小さくなった墳丘もあるので草が茂っていたら見逃すかもね。はっきりした石室が残っているのは3基、説明板近くににあるのは南西に開口、玄室天井石が外れて玄室内に細竹が密生しているので見学は大変です。東側に石室墳が2基並ぶ。片方は細長い石室だが天井石落下玄室内では落下したのが突っ立っています。ここもツル植物が茂っていて掃除が大変。その隣のは良好に残った石室が有ります。入り口は小さく入りづらいですが小型の石室完存、奥壁に特徴がありおむすび型の相似形の石を左右に並べ上に平石をかけその上に四角い石を置いています。デザインを考えてこんな配置をしたんでしょうか。石室前に半円形の盛り土が有りますが古墳関連施設だろうか。隣の石室前にも盛り土があるが半円形になっていない。これだけなら盗掘で掘り出された土が盛り土状になったかと思うけどそうだとすると半円形になることはないだろうしな。50m程東側に3基並んでいます。一番下のは奥壁側が開口するも内部埋没他の2基は石室が残っています。ここは石室内に植物が茂ってないのでその分見学は楽(笑)。一番上のは天井部を失いまぐさ石だけ残っていますが他は良好、両袖式で玄室は長2.2m幅1.8m決して大きくはないが残った中では一番大きいかな。そのすぐ下にあるのも羨道天井を失うが玄室はよく残っている。1.5m四方と小型だが奥壁側壁は1枚石で構成されています。特に駐車場所はないが説明板前辺りになんとか1台分駐車可。市史跡。
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