勘八1号

愛知県豊田市 2006年3月訪問

横穴式石室、玄室長5.4,幅1.7m
位置:35°06′58″N 137°10′57″E (日本測地系)
    35.11935443 137.17951885(世界測地系)

青木小学校に移築された石室、上部を失うも羨道まで残る


かなり胴張りの玄室


玄室側壁と奥壁


玄室奥上から、両袖式、胴張りぶりがよく分かる、手前の奥壁が要石のよう


(見学記)
豊田市青木町、青木小学校に移築された石室です。当日学校に行ってみると校庭にまで車が止まっている、なんと卒業式でした。これはまずいところに来たなと思ったけど幸い職員室に留守番の先生がいたので聞いてみたら赴任して3,4年経つがそんな古墳は知らないとのこと、アセー。ともかく一応許可を得て自分で探してみたら何のことはない50mも離れてない職員室から見えている場所にありました、ホッ。いくら古墳らしく見えないとはいえもう少し自分の学校のことを知ってて欲しいぞ。話が横に逸れましたが石室は上部を失っていますがここも羨道までよく残っています。玄室はかなり強い胴張り、左右の側壁が奥に収斂して要石のように奥壁が置かれています。

香久礼1号

愛知県豊田市 2002年3月訪問

円墳、R12,H1.2、7C末
横穴式石室、全長7m、玄室幅1,高1.2m
位置:35°04′43″N 137°10′30″E (日本測地系)
    35.08185899 137.17202173(世界測地系)

移築石室


玄室、中央部天井が高くなるドーム状


奥から外


(見学記)
市内志賀町にあった古墳の石室を上記公園に移築、墳丘を復元している。石室は奥行はあるが幅や高さが大変小さく屈んで入るのがやっとの大きさ。天井は中央が高くドーム状になっている。7世紀末でこの地域最後の古墳でしょうね。

池田古墳(池田1号)

愛知県豊田市 2002年3月訪問

円墳、R19,H3.5
複室横穴式石室、全長7m、玄室幅2.4m
位置:35°09′24″N 137°10′36″E (日本測地系)
    35.15990401 137.17368455(世界測地系)

墳丘東側、左手に石室が開口


石室正面、羨道はかなり壊失


玄室


奥から外、両袖式、複室構造がよく分る


(見学記)
こちらは案内板あり。丘陵頂部にありNTTの施設の脇を通っていくとすぐたどり着きます。低い墳丘が残っていて前面は急な崖、そのせいでしょうか羨道はかなり壊失していますが複室構造の前室、後室は良好に残っています。玄室は藤山古墳とほぼ同様同規模の構造です。県史跡。

平井大塚古墳

愛知県豊田市 2010年3月訪問

円墳、R20
位置:35°05′49″N 137°11′31″E (日本測地系)
    35.1001903 137.18896296(世界測地系)

下方から見た墳丘、桜が市の名木に選ばれている


西側から


(見学記)
豊田市平井町8丁目、公民館側にある径20mの大型円墳ですがちょうど傾斜変換点辺りに立地しているので下から見るとかなり大きく見えますが上側から見るとそれ程ではありません。埋葬施設は分かりませんが横穴石室ではないそうです。墳丘上のエドヒガンザクラの老木がちょうど花の時期で見事でした。市の名木に指定されているそうだ。公民館に駐車場有り。

東畑1号

愛知県豊田市 2006年3月訪問

円墳、R16,H1.4、7C
横穴式石室、玄室長4.8,幅1.3m(凡そ)
位置:35°08′13″N 137°07′46″E (日本測地系)
    35.14018342 137.1264694(世界測地系)

教職員会館に移築された石室


上部を失っているが羨道まで残存、羨道がややハの字に広がる


細長い玄室


奥から外、両袖式


石室後方から、玄室はやや胴張り


(見学記)
豊田市保見町、教職員会館に石室を移築。南側を通る県道58号に会館の案内表示が出ているのでそれに従っていきます。石室は西側一番奥辺り、説明板が立っています。石室は上部を失っていますが羨道まで割とよく残っています。全長は約7.6m、玄室長も約4.8mくらい、細長いやや胴張りの玄室で小さな袖石を立てた両袖式です。
この日は雲一つない快晴、普通なら絶好の古墳日和だけどこういう露出した石室では日向と陰の部分の明るさが極端に違いデジカメの欠点がもろに出てしまう。この日廻った石室はみなこのような石室ばかりで天気が少々恨めしかった。

藤山古墳(藤山1号)

愛知県豊田市 2002年3月訪問

位置:35°09′14″N 137°09′50″E (日本測地系)
    35.15712639 137.16090894(世界測地系)

墳丘、石室正面


玄門


玄室


奥から外、両袖式


(見学記)
史跡にしてもおかしくない古墳だが案内表示や説明板は一切無し。石室は良好に残っている。玄門は袖石の上にまぐさ石をのせたコの字型、奥壁は巨石の1枚石、側壁は上部がかなり持ち送りされています。

不動古墳

愛知県豊田市 2006年3月訪問

円墳、R15
双室墳
主室、全長7m、玄室幅2m
副室、全長3.5m、玄室幅0.8m
位置:35°04′45″N 137°11′09″E (日本測地系)
    35.08241463 137.18285359(世界測地系)

主室正面、美里地区公民館に移築された


玄室


奥から外、両袖式、羨道閉塞石に大きな石が使われている


玄室奥上から、やや胴張り


手前が僅かに残る副室、こちらの方が先に造られたそうだ


(見学記)
豊田市美里1、広川台小学校南側にある美里地区公民館脇に移築されました。径15mの円墳で双室墳ですが現在は後から造られた大きい方の石室しか見ることが出来ません。それも上部を失った玄室、やや胴張りで羨道には閉塞石も残っています。

炭焼平古墳群(炭焼古墳群)

愛知県豊川市(旧一宮町)2003年3月訪問

40基以上、現存5基

4号
前方後円墳、TL34,R27,RH1.4,FW17,FH0.8
横穴式石室、全長7.6m、玄室長4.2,幅1.4,高1.9m
位置:34°52′30″N 137°26′20″E (日本測地系)
    34.87827991 137.43589032(世界測地系)
果樹園の中に保存されている、墳丘は下部しか残っていない


外護列石だろうか、後円部の方ははっきりしない


後円部石室、くびれ部辺りに入り口がある


上部を失った石室、随分細長い


玄室


後方から、ここだけ見ると竪穴石室のよう


15-18号
低い墳丘が4基並んでいる


(見学記)
県道21号沿いにあるが少し高い場所にあるため、説明板が立っているにもかかわらず見逃してしまい付近を探す羽目になってしまった。ここにあるのは15-18号の4基、墳丘はすっかり低くなっていて説明板がないと見逃しそう。石室のある前方後円墳があるはずだが説明板には何も書かれていなくてまた探す羽目に。当然同じ尾根上にあるだろうと思って南北を探してみたら南側200m、案内表示があって果樹園の中に保存されていた。墳丘はすっかり低くなっていて前方部の輪郭に石が巡っている。外護列石かと思うが説明板には何も書かれていない。後円部の方は輪郭がはっきりしない。横穴式石室も上部を失って露出している。細長い玄室でくびれ部辺りに石室入り口がある。40基以上という古墳群の内残っているのはこの5基だけ。県史跡。
しかしこんなとこに案内表示を付けるのならもっと見つけやすい15-18号の交差点辺りにでも設置して欲しかった。多分4号を見逃す人もいると思う。

御津舟山古墳

愛知県豊川市(旧御津町)2003年3月訪問

前方後円墳、TL38,R22,RH4,FW16,FH3、6C中
位置:34°49′24″N 137°19′24″E (日本測地系)
    34.82661445 137.32034624(世界測地系)

墳丘図(説明板より)


墳丘側面、道路際にあるがビニールハウスの陰になって気づかないかも


前方部後方から、周囲が少し削られているが全体に良好


後円部正面


後円部から前方部


(見学記)
穴観音古墳に行く途中、御津高校への案内標識がある道の側にあるのに見落としてしまった。全く裸の状態なのにビニールハウスが邪魔をしていたようだ。墳丘は周囲を少し削られて崖状になっているが全体に良好、つい最近墳丘に生えている樹木を伐採したようでなにか整備の計画でもあるんだろうか。町史跡。

旗頭山尾根古墳群

愛知県豊川市(旧一宮町)2003年3月訪問

現存24基

分布図:(説明板より)


全景:(南西より)


14号
現状では大半がこのような低平な状態


17号
全ての古墳で側に標柱が立っている


19号
19-24号は積み石塚、石室が2基あるようだ


石室


23号
石室


24号
 位置:34°51′31″N 137°27′35″E (日本測地系)
    34.86189322 137.45672212(世界測地系)
現状では最高位置にある、この先は採石で崖になっている、奥にあった26号は新城市に移築


石室


24号から見た尾根下方、平野が一望できる


移築石室26号はこちらから

(見学記)
現豊川市金沢町新屋敷、新城市との境界をなす東西に伸びる尾根上に分布、現存24基で個々の古墳も両自治体に分かれています。南側に町営墓地がありそこから入っていけます。尾根下の方は低い墳丘が残る程度で側に標柱が立っていないと分からないほどですが上に行くほど墳丘がある程度残り一番上辺りの19-24号は積み石塚らしい姿も見せていて19,23,24号で石室らしい石組みが見えています。もっとも積み石塚なのか自然石の散乱か分かりにくい面もありますが。19号は分布図を見ると二つの墳丘が接しているようで石室も2基あるように見えます。現状で一番上にあるのが24号、この先は山ごとごっそり削られ高い崖になっています。ここにあった積み石塚の26号は新城市桜淵公園青年の家駐車場に移築されています。県史跡。
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