三重県津市(旧安濃町)2008年3月訪問
4支群18基、現存14基ほど
分布図(説明板より)
A1号横穴式石室
位置:34°46′22″N 136°25′09″E (日本測地系)
34.77603811 136.41627045(世界測地系)
良好に残る墳丘

開口部

玄室、奥壁

奥から外、片袖式、床面にもかなり土砂が堆積
A2号石材が散乱、奥にも3,4号があるがはっきりしない
B3号横穴式石室
位置:34°46′20″N 136°25′11″E (日本測地系)
34.77548263 136.41682597(世界測地系)
天井部が露出

石材も抜かれている模様

内部、側壁がせり出している
C1号崩壊した石室

背後から
C2号横穴式石室
位置:34°46′16″N 136°25′06″E (日本測地系)
34.77437164 136.41543731(世界測地系)
斜面下から見上げた墳丘

羨道部はかなり破壊

開口部

羨道、袖石がなくまぐさ石が目立つ

やや持ち送りのある玄室

奥壁、中段に最大の石を積んでいる

奥から外、片袖式

急斜面の割のよく残る墳丘
C3号僅かに石材が見えるのみ
D2号横穴式石室
石室正面

まぐさ石が1枚残るだけ
D3号盗掘ですっかり破壊
D4号墳丘は割と良好
D5号横穴式石室
墳丘

隙間からカメラを突っ込んで撮影、奥の玄室は残っているようだ
D6号横穴式石室
位置:34°46′15″N 136°25′09″E (日本測地系)
34.77409391 136.41627055(世界測地系)
墳丘、右側に開口部

石室正面、右手前の石は後世のかな

開口部

入り口から中

乱石積みの玄室

〃(ストロボ)

奥壁

奥から外、片袖式
(見学記)大名塚から西に行って県道28号を北に200m程行くと経が峯登山者用駐車場がありそこに案内表示があります。案内板から150m(実際は50m程度)行くと古墳群説明板があり分布図も載っています。古墳群は4支群からなっている(説明板ではかっては18基有ったが現在は18基しか残ってないと訳の分からないことが書かれている。分布図から見ると現存14基のようだ)。説明板の背後にあるのがD支群の6基、ほぼ直線状に並んでいて東端の6号で玄室が完存、片袖式あまり持ち送りがなく側壁奥壁とも乱石積みです。他にD2号で天井石が1枚残ったかなり破壊された石室が露出、5号で僅かな隙間からカメラを突っ込んで撮影すると石室が残っているようです。1、4号は墳丘は割と残っているが主体部不明。ここから山側に少し登るとC群の3基があるが1,3号は石室が大きく破壊、2号で玄室が完存しています。D6とほぼ同様の構造だが奥壁の石材がやや大きめ、おかしな事に奥壁中段に一番大きな石材が積まれています。A群はここから上の方だと登っていったが登れども登れども古墳が見あたらない。前日のユガミ谷古墳群の失敗が頭によぎる。そんなに離れているわけではないのでさすがに間違えたと思って分布図の所まで引き返してよく見たらまるで方向違い麓近くの平坦面でした。あらためてA群めがけて前進、でもこちらは道が全くなく墳丘が見えるまでは心配で1号が見えたときはホッとした。1号は墳丘石室とも良好羨道がやや埋まって狭いですが玄室完存、ここも他と似たような構造で石材が若干大粒になっている感じです。内部は真っ暗で撮影しようとしたら上からカマドウマが雨のように降ってきた(汗)。頭の上でぴょんぴょん飛び跳ねるのを感じながら撮影続行、まーゲジゲジでなくてよかったけどね。背後に2.4号が並んでいますが石材が僅かに露出する程度ではっきり分からない状態です。B群は3号だけ残存、こちらは東側を通る県道から行った方が楽。玄室天井部分が露出、一部は玄室内に落下しているようで側壁も傾き状態はあまりよくないです。