八釣マキト古墳群
奈良県明日香村 2000年3月訪問、2003年3月再訪
新発見の古墳群、尾根上に横穴式石室墳が並ぶ、1、4号の石室が移築保存
1号
玄室長3.5m、6C中頃
石室正面、墳丘はあまりなかったようだ

玄室

右片袖式、玄門に仕切り石

移築復元された石室

2号(消滅)
玄室長3.3m、6C後半
墳丘があって目立ったせいか破壊が著しい

3号(消滅)
玄室長2.0m、7C初頭
尾根東側から、手前が3号、奥に見えているのが1号

右側が羨道(埋没)、奥に4号墳が見えている

玄室

4号
竪穴系小石室75×55cm、7C前半
何ともかわいい石室、中に棺台なのか石が2個ある、再葬墓とのこと

移築保存された石室

5号(消滅)
位置:34°28′34″N 135°49′48″E (日本測地系)
34.47939355 135.82716505(世界測地系)
天井石を壊失した石室、両袖式、群中最大の石室

玄室、天井石を壊失している割に状態はよい

石室背後から、羨道途中に仕切り石がある

玄室床面(上から)2基の棺台?

(03年)
古墳公園
1,4号の石室を移築、公園とは名ばかりの狭い場所

説明板

(見学記)
これも新発見の古墳群、尾根筋に4基の横穴石室と小竪穴系石室が検出されている。横穴石室は天井石を壊失しているがその割には状態はよい。尾根を掘り込んで石室を造っているようで元々余り目立った墳丘はなかったようだ。
1号:右片袖式、5号に次ぐ大きさで玄室長3.5m。6C中頃。玄門に仕切り石がある。側に明日香村による古墳被葬者の慰霊碑が立っている。
2号:東側、玄室長3.3m。6C後半。これは墳丘があって目立ったせいか破壊が激しい。
3号:右片袖式、玄室長2.0m。7C初頭。
4号:0.75×0.55mの小竪穴系石室。7C前半。3号の側にある何ともかわいい石室、しかし中にしっかり棺台と思われる石がある。子供の墓だろうか、それにしても何故側の石室に合葬しなかったんでしょうね。(再葬墓らしいとのこと)
5号:一番西側、尾根先端。他の古墳の番号を付けた後で検出されたようだ。両袖式で石室も一番大きい。玄室奥に棺台(2基分?)があり、羨道途中にも仕切石がある。5号は資料がなかったので数値は不明。
1号から4号の順に築造されたようだが段々規模が小さくなっていますね。奈良県のように調査が行き届いていると思っていた場所で山奥でもなく平野に埋まっていたわけでもなく、まだ新規の古墳が発見されると言うのが唯々驚き。残念ながら発掘後消滅の予定だそうだ。
(2003年追記)
1,4号が古墳公園として保存されたと聞いたので行ってみました。地形がすっかり様変わりして場所がよく分からなかったけど何とかたどり着くことが出来ました。元の尾根の先端付近、公園と言うにはあまりにも狭い場所ですが2基保存されただけでも幸いと言うべきでしょうか。1号以外は殆ど余裕がなく4号もその小ささ故に保存できたようです。元の尾根はすっかり畑と化していました。
新発見の古墳群、尾根上に横穴式石室墳が並ぶ、1、4号の石室が移築保存
1号
玄室長3.5m、6C中頃
石室正面、墳丘はあまりなかったようだ

玄室

右片袖式、玄門に仕切り石

移築復元された石室

2号(消滅)
玄室長3.3m、6C後半
墳丘があって目立ったせいか破壊が著しい

3号(消滅)
玄室長2.0m、7C初頭
尾根東側から、手前が3号、奥に見えているのが1号

右側が羨道(埋没)、奥に4号墳が見えている

玄室

4号
竪穴系小石室75×55cm、7C前半
何ともかわいい石室、中に棺台なのか石が2個ある、再葬墓とのこと

移築保存された石室

5号(消滅)
位置:34°28′34″N 135°49′48″E (日本測地系)
34.47939355 135.82716505(世界測地系)
天井石を壊失した石室、両袖式、群中最大の石室

玄室、天井石を壊失している割に状態はよい

石室背後から、羨道途中に仕切り石がある

玄室床面(上から)2基の棺台?

(03年)
古墳公園
1,4号の石室を移築、公園とは名ばかりの狭い場所

説明板

(見学記)
これも新発見の古墳群、尾根筋に4基の横穴石室と小竪穴系石室が検出されている。横穴石室は天井石を壊失しているがその割には状態はよい。尾根を掘り込んで石室を造っているようで元々余り目立った墳丘はなかったようだ。
1号:右片袖式、5号に次ぐ大きさで玄室長3.5m。6C中頃。玄門に仕切り石がある。側に明日香村による古墳被葬者の慰霊碑が立っている。
2号:東側、玄室長3.3m。6C後半。これは墳丘があって目立ったせいか破壊が激しい。
3号:右片袖式、玄室長2.0m。7C初頭。
4号:0.75×0.55mの小竪穴系石室。7C前半。3号の側にある何ともかわいい石室、しかし中にしっかり棺台と思われる石がある。子供の墓だろうか、それにしても何故側の石室に合葬しなかったんでしょうね。(再葬墓らしいとのこと)
5号:一番西側、尾根先端。他の古墳の番号を付けた後で検出されたようだ。両袖式で石室も一番大きい。玄室奥に棺台(2基分?)があり、羨道途中にも仕切石がある。5号は資料がなかったので数値は不明。
1号から4号の順に築造されたようだが段々規模が小さくなっていますね。奈良県のように調査が行き届いていると思っていた場所で山奥でもなく平野に埋まっていたわけでもなく、まだ新規の古墳が発見されると言うのが唯々驚き。残念ながら発掘後消滅の予定だそうだ。
(2003年追記)
1,4号が古墳公園として保存されたと聞いたので行ってみました。地形がすっかり様変わりして場所がよく分からなかったけど何とかたどり着くことが出来ました。元の尾根の先端付近、公園と言うにはあまりにも狭い場所ですが2基保存されただけでも幸いと言うべきでしょうか。1号以外は殆ど余裕がなく4号もその小ささ故に保存できたようです。元の尾根はすっかり畑と化していました。