谷脇古墳

奈良県宇陀市(旧菟田野町)1998年4月訪問

円墳、R16,H5
T字型横穴式石室、玄室長2.5,幅3.5
位置:34°28′03″N 135°57′10″E (日本測地系)
   34.47078535 135.94993367(世界測地系)

墳丘遠望


石室正面


羨道、玄室に箱式石棺が見えている


玄室、箱式石棺


石室は乱石積みに対して石棺は精巧な切石造り


奥から外、T字型石室で奥行きがあまりなく苦しいアングル


(見学記)
大宇陀町役場南東約2km,守道(もち)小学校西 400m にある径 16m の円墳です。場所は分かりにくいですが鶏舎の裏で側にさび付いた説明板が立っています。南側に石室が開口,両袖式ですが玄室長 2.5m,幅 3.5m,羨道長 3m,幅 1m のいわゆるT字型石室です。河原石を使った持ち送りのある玄室はこれだけ見ると古い印象を受けますが床面ほぼ中央に切石の板石を使った組合式箱式石棺があるのが最大の特徴で6C中頃の古墳です。ここから2体分の人骨が出土しています。県史跡。

谷畑古墳

奈良県宇陀市(旧榛原町)1999年3月訪問

円墳、R30,H4
位置:34°31′43″N 135°57′22″E (日本測地系)
   34.53188962 135.95326646(世界測地系)

西側からの遠望、住宅開発で取り残された丘の頂にある


(見学記)
榛原第一小学校西側、団地造成によってピラミッド状に残された丘の上にある径 30m 程の円墳です(「日本の古代遺跡(奈良中部)」では”あった”と過去形になっていますが確かに現存しています)。一見平凡に見える古墳がこのような形でわざわざ残されたのか不思議でしたが発掘によって宇陀唯一の典型的な前期古墳と判明したためのようです。長さ 8.5m のに 5m を越える木棺がありその内外から、鏡、筒型銅器等多数の副葬品が出土しています。それにしてもこの丘を見ると団地造成がいかに台地を削るかがよくわかります。南側にあった神木坂古墳群が消滅、横穴石室と箱式石棺が1基ずつ谷畑古墳の脇に移築されています。保存されたのはいいのですがこんな高い所に移して誰が見に来るんでしょうね。小学校校庭ではだめだったんでしょうか。私も最初は谷畑古墳の脇に移築とあったので丘の周囲を探したが見つからず念のためと思って登ってきたら草むらに埋もれた石室があった次第。なおこの西方 500m にあった磚槨墳の西峠古墳も団地造成で消滅。(その後西峠古墳石室が移築保存されている事が判明)

丹切古墳群

奈良県宇陀市(旧榛原町)1999年3月訪問

宇陀地方最大の群集墳、榛原高校建設でかなり消滅

12号?(15号か)
荒れ果てた墳丘、台風の強風で杉がなぎ倒されていた


玄室


奥から外


13号?
墳丘


木が倒れて石室天井が露出


玄室


33号
磚槨墳
箱式石棺
位置:34号すぐ上の尾根上
石室正面


玄室奥壁


奥から外、箱式石棺、


石室上から、天井石は奥しか残っていない


34号
磚槨墳
箱式石棺
位置:34°31′11″N 135°57′36″E (日本測地系)
   34.52300189 135.95715509(世界測地系)
墳丘に見えるのは校庭造成で尾根を削り残した物


玄室奥壁、33号と比べると石材が大きい


箱式石棺


(見学記)
榛原高校東や南側の尾根上に分布する50基程からなり、宇陀地方最大級の古墳群ですが高校建設でかなりの数が消滅しています。高校から東側に続く尾根上に一番濃密に分布していたようです。正門左側プールの脇に34号 15B034 がある。一見ご飯のてんこ盛りのような古墳が見えてきますがこれは墳丘ではなく、本来尾根に横穴をあけて石室を構築した特異な古墳で尾根が削られて石室部分だけが残された物です。奥壁側壁とも小型の割石を使った左片袖式、内部に蓋石は無くなっていますが薄い板石を使った箱式石棺があります。壁際によっているのは追葬の予定があったのでしょうか。入り口に柵があるからそのためにも事務室にことわった方がよいようです(事務長さんに案内してもらいましたが本音を言えば一人の方がよかった)。すぐ上の尾根に33号15B037 があります。フェンスに鍵がかかっていて開けてもらわないと行けませんが反対側の法清寺側からも行ける。古墳は尾根から少し下がった斜面上に立地、南側に石室が開口、天井石は1枚しか残っていませんが両袖式でやや持ち送りのある典型的な磚積みの石室です。玄室奥ほぼ中央部に箱式石棺がある、こちらの方が34号に比べて板石がやや厚く節理に沿って割った様子がよくわかります。34号から東側に続く尾根上に8基の古墳が接するように築かれています。上の方は僅かな高まりしか残っていませんが下の方の3基は墳丘が残っていて内2基で石室が開口、山道と反対側に開口しているうえに倒木などでかなりわかりにくい。内部はかなり埋まっているがともに小型の割石を使用、天井石はわりと大きい。昨年の台風で新しい土砂が流入したり倒木で天井石が露出したりしている。寺を挟んだ北側の尾根にも古墳があるようだが、杉が伐採されているにもかかわらず墳丘は全く不明。

高田垣内古墳群(仮称)

奈良県宇陀市(旧榛原町)1998年4月訪問

15B152
前方後円墳、TL30,R15
位置:34°30′25″N 135°57′15″E (日本測地系)
   34.51022536 135.95132229(世界測地系)

前方部隅から後円部


15B155
前方後円墳、TL21,R12

後円部


石室が僅かに露出

松源院香久山古墳

奈良県宇陀市(旧大宇陀町)1999年3月訪問

横穴式石室
位置:34°28′36″N 135°55′38″E (日本測地系)
   34.47995029 135.92437983(世界測地系)

墳丘、右手に石室が開口している


羨道


玄室、右側が一部崩れかかっている


奥から外


(見学記)
町役場西方 400m の低い丘陵上にある円墳です。松源院東側に民芸館がありその裏手丘の上に有ります。南西側に石室が開口、入り口に柵があるが何故か鍵がついているのに開いているラッキー。羨道玄室ともよく残っていて両袖式だが段差は僅か、玄室は奥壁側壁とも比較的大きな割石を使っている。天井石の一部が落下しかかっていて柱で支えているのが何とも怖い。

大野向坊古墳

奈良県宇陀市(旧室生村)1999年3月訪問

横穴式石室
位置:34°33′49″N 136°01′06″E (日本測地系)
   34.56688565 136.01548334(世界測地系)

石室斜め前から,、道壊失


石室正面


玄室、切石に近い巨石で構成


(見学記)
近鉄大阪線室生口大野駅北側にある変電所の東側斜面にある古墳です。墳丘は殆ど無く玄室部分が残存露出、奥壁側壁天井石とも分厚い板状の巨石を使った石室です。

奥之芝古墳群

奈良県宇陀市(旧榛原町)1999年3月訪問

4基中2基が団地内に保存

1号
磚槨墳、石室長6.3,玄室長2.6,幅1.2,高1.5
位置:34°32′02″N 135°57′45″E (日本測地系)
   34.53716683 135.95965456(世界測地系)
石室を公園内に移築保存


羨道


玄室、磚積みの壁面が美しい


奥から外


2号
磚槨墳、石室長7,玄室長3,幅2,高1.9
位置:34°31′53″N 135°57′49″E (日本測地系)
   34.53466721 135.96076558(世界測地系)
墳丘、石室正面


石室正面


玄室、1号より側壁の傾きが大きい


箱式石棺、薄い板石の組合式


奥から外


(見学記)
榛原小学校から国道を挟んだ東側にある4基からなる古墳群で1号は石室のみ移築保存、2号は現状維持、3,4号はわからず。
1号
ひのき団地北側の公園内に石室を移築、墳丘を復元しています。石室は両袖式の磚槨墳で全長 6.3m 玄室は 2.6,1.2,1.5m の大きさでさほど大きくはありません。奥壁側壁とも榛原石を使った典型的な磚積みで天井は板石を架けています。玄門部にL字型にカットした板石を使って羨道と玄室の側壁に共通させている部分が左右2カ所ずつ対称の位置にあるが何か意味が有るんだろうか。

2号
1号南側 300m の位置にある径 10m 程の円墳です。墳丘は低く南側に石室が開口羨道はかなり破壊されていますが玄室は完存、1号よりやや大きい同構造の磚槨墳ですがこちらの方が持ち送りがやや強い。玄室に榛原石の板石で造られた組合式は古式石棺があります。鎌倉時代にすでにバラバラにされ床面にしかれていたようですが現在は一部欠けていますが元のように組み合わされています。底石には側石をはめ込むためのほぞ穴が掘られ上面にも突起があって蓋石と組み合うよう丁寧な工作が施されています。柵があって中には入れません。県史跡。

能峠古墳群

奈良県宇陀市(旧榛原町)1999年3月訪問

南山支群の石室4,小型石室8を移築保存
位置:34°30′49″N 135°57′35″E (日本測地系)
   34.51689143 135.95687741(世界測地系)

移築古墳全景


1号
玄室、箱式石棺2


箱式石棺、薄い板石を利用


3号
天井を失った玄室


4号


玄室、移築した証拠に石材に数字が


6号


7号


11号


(見学記)
榛原高校南 500m の所にある古墳群ですがこの内南山地区の支群が圃場整備によって消滅、そのうち横穴石室4基と小型石室8基がすぐ東側の丘の麓に移築保存されています。1号墳では板石を使った組合式箱式石棺が2基有ります。大半は6C後半から7C前半の築造で幾つかでは追葬が確認され又平安時代の木棺や鎌倉時代の火葬跡もあり石室外でも江戸時代の火葬場も検出されていて不連続ながら相当長期間にわたって葬儀場として利用されていたようです。元の古墳群には古いタイプの方形台状墓も含まれています。
この古墳群は北側にある五平前1号墳を探しに来て偶然見つけた物、こちらの方は棚田の中にあって石室のみが残存露出していますが藪に埋もれて詳細は不明。

西峠古墳

奈良県宇陀市(旧榛原町)2005年4月訪問

方墳、L8,H1.5、7C中
横穴式石室、全長4.39m、玄室長2.09,幅1.05,高0.87m
位置:34°31′46″N 135°57′05″E (日本測地系)
   34.53272272 135.94854474(世界測地系)

移築石室


榛原石を使った磚積み石室


(見学記)
団地の一角に石室が移築復元されています。入り口に柵があり中には入れませんがそれ程大きな石室でもなく奥まで十分見通せます。この地域に特徴的な磚積みの玄室ですが同じ町内にある丹切古墳群や奥之芝古墳群と比べると石材がやや大きく積み方も荒いような気がします。7C半ばの築造だそうでこの地域でも最後の古墳でしょうか。

見田・大沢古墳群

奈良県宇陀市(旧菟田野町)1998年4月訪問

変形前方後方墳1,方墳4
位置:34°28′38″N 135°58′37″E (日本測地系)
   34.48050717 135.97409892(世界測地系)
東側からの遠望


尾根頂部、西側から


頂部にある2基の古墳


上記右側の古墳


西側尾根


1号
一隅突出型前方後方墳

墳丘側面、左手が前方部


尾根上から、尾根をカットしている


尾根上の墳丘


(見学記)
菟田野町役場北西約1km,南北を谷に挟まれた丘陵の西端の細い尾根上に位置する方墳5,前方後円墳1からなる古墳群です。方墳は方形台状墓の可能性もあるそうで,宇陀地方の発生期の古墳群として国の史跡に指定されています。ただその割には案内板も何もなく簡単な説明板(内容も一部意味不明な文章がある)があるだけというのはちょっと寂しい。古墳自体はほぼ裸か疎林の中で大変見やすく,昭和56年に発掘されたときの痕跡が未だに残っています。それだけほったらかしだったんでしょうね 。
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