太田古墳群弥宮池北支群

奈良県葛城市(旧當麻町)1998年4月訪問、1999年再訪

位置:34°29′34″N 135°42′02″E (日本測地系)
   34.49605579 135.6977319(世界測地系)

バイパスの延伸に伴って発掘、その後消滅
上は98年、下は99年の写真。ほぼ同じ場所を撮影

丘頂と左下に1基ずつ


No.1の丘頂の古墳、眺望が大変いい、堆積土を除くと元の形が良く残っている


No.1の左下の古墳、左遠方墓地辺りに平林古墳


尾根中腹に3-4基の古墳


No.8左端の古墳


No.7の尾根東側に続く、バイパスがすぐ下まで延びてきている

ナベ塚古墳

奈良県葛城市(旧當麻町)1997年3月訪問

円墳、R40
位置:34°30′16″N 135°42′14″E (日本測地系)
   34.5077211 135.70106478(世界測地系)

県道脇にあり結構目立つ


(見学記)
県道をさらに南下すると県道西側竹内地区に鍋塚古墳があって県道からも見えています。径 40m 程の中型円墳ですがかなり変形,削平されています。

三ツ塚古墳群

奈良県葛城市(旧當麻町)2003年4月訪問

6C末~7Cにかけての古墳群
横穴石室、小石室、木棺墓等34基

全景
南東から、東側半分以上が削平された


尾根上から、遠方に畝傍山が見えている


7号
方墳、5×6.5m、7C後半
横穴式石室、全長4.5m、玄室長2.3,幅1.2m
位置:34°30′17″N 135°41′24″E (日本測地系)
   34.50799877 135.68717702(世界測地系)
移築復元された墳丘、二重の列石が巡る


無袖式玄室内の小型家形石棺


10号
方墳状、7C初
横穴式石室、全長10.1m、玄室長4.8,幅2.1
石室正面


玄室


玄室奥の小石槨


玄門脇の小石槨


奥から外、両袖式


石室上から、玄室中央部にだけ敷石がある


11号
円墳、R12、6C末
横穴式石室、全長10m、玄室長5,幅2.2m
墳丘、石室正面、裾の列石が玄室床面より上にあり石室規模の割りに墳丘を小さくみせているそうだ、左奥の石室が14号


玄室


奥から外、両袖式


石室上から、こちらは玄室一面に敷石がある


13号
7C中
横穴式石室、全長7.1m、玄室長4.15,幅2.1m
石室正面


玄室


石室上から、こちらも一面の敷石、無袖に近い両袖式


14号
横穴式石室、全長3.45m
墳丘、石室正面、列石が巡る


玄室、規模の割りに背が高い


石室上から、奥に見えているのが15号


15号
横口系竪穴石室、全長3.7m
石室正面


石室内部


小石室(移築)
正面から


横から


復元石棺
底石の一部など残存部は僅か


(見学記)
暫く工事中などで近寄ることも出来ませんでしたがやっと公園化されたというので行ってみました。墳丘などの復元工事はほぼ終わっていましたが説明板の類は一切ありませんでした。下手に説明板があって撮影の邪魔になるよりはいいけどね。道路は基本工事が終わっていて尾根東側を貫通、古墳群の半分以上が消滅していますが消滅の予定だった西半分が保存されただけでも良しとしなければいけませんね。現在ここに10-15号があり、7号の墳丘と石棺、小石室が移築保存されています(他に16号が範囲外にある)。7号は一辺5,6mの小型の方墳ながら二重の列石を巡らすと言う立派な造り、石棺も終末期らしくシンプルな作りです。10,11,13号などは墳丘を小さく見せるよう裾を列石が巡っているため一見石室が突き出たようになっています。古墳群の前面に道路橋が架かっていて将来ここを通るようになると古墳群を前面に見るように走ることになるけどついよそ見をしてしまいそうだ

夫婦塚古墳

奈良県葛城市(旧當麻町)2005年4月訪問

円墳
横穴式石室2
位置:34°29′59″N 135°41′40″E (日本測地系)
   34.50299939 135.69162119(世界測地系)

丘の頂を利用して作られた墳丘、僅かに高まりが残っている


南面して並ぶ石室、ともに内部はかなり埋まっている


西石室正面


西石室内部、奥行き2m程度、袖石が支石のように立っている


東石室内部、西より若干小型、袖石もない


夫婦塚近くより見た奈良盆地


(見学記)
奈良と大阪の境界をなす金剛山地北側標高300mに近い高さの山のピークに立地した古墳です。山裾を南阪奈道が通っていてその測道から登っていきます(事情があって詳細は省略)。ここを突破すると後はあまりはっきりしないけど山道を登っていく。途中で消えかかっていたり一見長円墳に見える高まりもあるけど(ここはちょっと迷ってしまった。奈良県遺跡地図によれば古墳ではなさそう)ひたすら前進、尾根筋に出ると山道が割とはっきりしていて北に進んでいくとピークにたどり着き二つの石室がすぐ目に入ってきます。ピーク平坦面南側を利用して作られているようですが墳丘は高まりが僅かに残っている程度。南側に石室が2基開口、共に奥行きが2m少し、内部もかなり埋まっています。西石室は袖石があって石室を前後に区別、東石室は区別が無く大きさもやや小さいようです。今まで双室墳は幾つも見ましたが石室がこんなに接近して並んでいるのは初めてです。現在はここから奈良盆地は見づらいですが当時は一望できたんでしょうね。終焉の地にふさわしい場所です。
帰りに道を間違えて登りとは違う隣の尾根に下りてしまった。どうやら道が消えている辺りで間違えたらしい。引き返しても元の道が分からず、杉林で歩きやすいこともあり急斜面を下りていったら小川に出てしまった。これはまずいと思ったが引き返すのも困難。幸い人の歩いた微かな痕跡があったのでこれをたどって下りていき元の場所に戻ることが出来た、ホッ。
これでここと併せて奈良三大難物石室(勝手命名)塚平古墳、龍王山48号を制覇。中でもここが一番難しかった。OBITOさんに教えて貰わなければ行けなかったかも知れない。

首子古墳群

奈良県葛城市(旧當麻町)1997年3月訪問

現存5基

全景:二上山東麓の緩斜面に立地


1号


4号


5号(首子塚古墳)
前方後円墳
位置:34°30′56″N 135°42′09″E (日本測地系)
   34.51883075 135.69967571(世界測地系)


8号


只塚古墳
首子古墳群の1基と思われていたが下から礎石が発見され寺院跡と判明した
位置:34°31′02″N 135°42′13″E (日本測地系)
   34.5204972 135.70078669(世界測地系)
背後の山は二上山


(見学記)
国道165号バイパス沿いに現存5基分布しています。BPの西側水田になっている緩斜面に4,5(首子古墳),8号がまとまっていて,少し西に離れた学校側に1号,BPの東側に7号(只塚)があります。5号は帆立貝式とも言われていますが形は全くわかりません。4,7号は方墳です。概ね主体部は横穴式石室のようですが現在は全く見ることは出来ません。県史跡。
(その後只塚は寺院跡と判明)

兵家古墳群

奈良県葛城市(旧當麻町)2003年4月訪問

住宅開発で大半消滅

7号
8号からの遠望、古墳と知ってか知らずか家族連れが食事中


8号(丸子山古墳)
円墳、R34,H9
位置:34°29′58″N 135°41′58″E (日本測地系)
   34.50272168 135.69662078(世界測地系)

名前通りの墳丘が良好に残る


(見学記)
うかつにもここを訪問するのは初めて。本来は横口式石槨を持つ兵家古墳を見たかったのだが石室は埋め戻されている。それにしても同じ場所にあり同じ名前ながら兵家古墳は兵家古墳群に属さないとはなんともややこしいこと。古墳群の方は住宅団地で大半が消滅、はっきり残っているのは8号墳(丸子山古墳)のみ。これは名前の通り丸く大きな墳丘が残っています。北側の尾根にあるのが7号墳だと思うがはっきりは分からない。団地の住人でしょうか、家族連れでお弁当を食べていました。古墳の上だと分かっているのかな~、確かにここからの眺めはとてもいいけどね。人がいる状態で写真を撮りたくなかったので立ち去るまで暫く待っていたけど花見をしているようで立ち去る様子もないのでこちらが根負けしてしまった)

平林古墳

奈良県葛城市(旧當麻町)1997年3月訪問

前方後円墳、TL55、6C後半
横穴式石室、全長14.5m、玄室長5.7,幅3.3,高3.8m
位置:34°29′43″N 135°42′02″E (日本測地系)
   34.4985555 135.69773186(世界測地系)

南側の尾根からの遠望、急傾斜の細い尾根を利用して構築、画面中央に前方部が見えている


前方部隅から後円部


北側から


石室内部、羨道に石棺底石が残る、中には入れないが自動照明つき


(見学記)
さらに県道を南下すると道路脇に案内板が出ているのでそれに従っていくと浄水場のそばにあります。古墳の説明はもりきんさんの#3299にて)。墳丘上からの眺めがいいですよ。ここで時間切れで終わったけれど,時間があればさらに南下していて発掘中の小山2号墳に出会えたかと思うとちょっと残念。まー現説に行けたからいいけど。

笛吹古墳群(笛吹神社古墳他)

奈良県葛城市(旧新庄町)1992年4月訪問

笛吹神社古墳
円墳、R25
横穴式石室、全長10.6m
家形石棺
位置:34°28′08″N 135°42′45″E (日本測地系)
   34.47216957 135.70967577(世界測地系)
下から見た墳丘、尾根先端に立地している


石室正面、この時は鍵が開いていた


羨道


玄室、奥から土砂が流入している


家形石棺、大きな縄掛け突起が印象的


奥から外、石棺も半ば埋まっている


13D147
前方後円墳、TL42
横穴式石室?
位置:34°28′06″N 135°42′31″E (日本測地系)
   34.47161407 135.70578722(世界測地系)
墳丘


削られた崖面に小さな石室が露出していた


(見学記)
笛吹神社西側,尾根の先端にある横穴石室墳で中に家形石棺が半ば埋もれています。今回は行きませんでしたが6年前行った時は何故か鍵がかかっていなくて中に入れました。他の古墳でもごくたまにそういう時がありますがそういう時は何故か周りをきょろきょろと見回して(別にすることもないんですが)中にさっと入って写真をバチバチと撮ってそさくさと出てくるのでかえって落ちついてみれません。中に入れるだけましですが。

団子山古墳

奈良県葛城市(旧新庄町)1998年3月訪問

方墳
横穴式石室2
位置:34°28′57″N 135°42′11″E (日本測地系)
   34.48577916 135.70023186(世界測地系)

墳丘、右手に見える造出にも小石室がある


石室入り口


羨道


玄室


奥から外


(見学記)
二塚の谷を挟んだ南側杉林の中にある造出のある一辺20mの方墳です。ここも二塚と同じく主丘と造出に南向きに横穴石室があります。後者は無理ですが前者は狭いですが中に入れます。中には1年前多数の人が入った跡が点々と...と言うことはなかったですが,こういう時に限ってライトを忘れて中は真っ暗,手が天井に届かず目が慣れるまで怖い思いをしました。
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