新宮山古墳

奈良県御所市 1997年4月訪問

円墳、R25、6C中
横穴式石室、全長13.6m、玄室長6.3,幅2.5,高3m
家形石棺(二上山系凝灰岩)、箱式石棺(結晶片岩)
位置:34°25′50″N 135°45′16″E (日本測地系)
   34.43384198 135.75161733(世界測地系)

石室正面


羨道、石棺


玄室奥壁


左家形石棺、奥箱式石棺


箱式石棺薄い板石を使用、赤い色が残っている


奥から外


(見学記)
さらに北1km,稲宿集落西側にある円墳です。集落内に巨勢の路の案内石碑がありその中の安楽寺塔婆に従って行くと新宮山古墳の案内が出てきます。古墳は北に伸びる細長い尾根の先端部に位置し横穴式石室が開口しています。全長 13.6m の石室は羨道玄室ともよく残っていて羨道が多少埋まっていますが中にはいるのは容易です。玄室には奥に箱式石棺,手前に刳抜式家形石棺があります。箱式石棺は3枚の大きな板石が崩れた状態で見えているだけですが,家形石棺は6個の縄掛け突起が付いていて作りも丁寧なようです。突起の1つが欠け奥の小口部に穴が開いている他は遺存状態は良好ですが羨道側に落書きがあります。中に墨書きのきれいな字がありますから,これを見た人が私も書いてみようとして落書きしたんでしょうね。一つの落書きが多くの落書きを生みます。止めましょうね,落書きは。県史跡。

ネコ塚古墳

奈良県御所市 1992年4月訪問

墳、L63
位置:34°26′28″N 135°44′13″E (日本測地系)
   34.44439594 135.73411871(世界測地系)

宮山古墳北側にある大型方墳

宮山古墳(室大墓古墳)

奈良県御所市 1992年4月訪問

前方後円墳、TL238,R105,RH25,FW110,FH22、5C
竪穴石室2,長持形石棺
位置:34°26′23″N 135°44′12″E (日本測地系)
   34.44300723 135.73384099(世界測地系)

條ウル神古墳からの遠望(右側)遠方中央の丘は前方部でなく自然の丘、左側丘頂部に巨勢山471号がある


南側から、右が後円部


竪穴石室開口部、現在は前に説明板がある


長持形石棺


竪穴石室側壁


もう一つの竪穴石室天井石、天井石に縄掛け突起(手前)が付いている、千葉県弁天山古墳に同例がある

水泥古墳

奈良県御所市 1997年4月訪問

水泥北古墳
円墳、R20,H6、6C後半
横穴式石室、全長13.4m、玄室長5.6,幅3、高3.4m
位置:34°24′32″N 135°44′43″E (日本測地系)
   34.41217752 135.74245202(世界測地系)
墳丘、石室正面、個人宅の裏庭にある


羨道


玄室、南古墳より一回り大きい、こちらにも石棺があったようだ


奥から外、両袖式


水泥南古墳
円墳、R25,H5、7C前半
横穴式石室、全長15m、玄室長4.6,幅2.4,高2.6m
家形石棺2
位置:34°24′30″N 135°44′44″E (日本測地系)
   34.41162203 135.74272979(世界測地系)
墳丘、石室正面


羨道、石棺


玄室奥壁


玄室石棺(奥から)縄掛け突起が退化、装飾化している


羨道石棺の蓮華文、仏教の影響を示す証拠


(見学記)
吉野口駅南西約1km,奉膳(ぶんぜ)集落の西方,丘の南側麓近くにあります。近くまで行かないと案内板は出ていません。古墳は 100m 程離れて水泥南塚(水泥蓮華文古墳)と水泥北塚(水泥塚穴古墳)とがあります。共に国の史跡です。南塚は最近発掘され整備保存されています。玄室と羨道に家形石棺(前者は二上山凝灰岩,後者は竜山石)があり,以前は半ば泥に埋まっていた石室内部も清掃されています。覗くことは出来ても中に入れません。内部に照明がついていますが手前の石棺が羨道を殆ど塞ぐように入いっているので奥は殆ど見ることは出来ません。手前の石棺の縄掛け突起の小口部に蓮華文が見られ仏教と古墳文化の結合として有名です。北塚は西尾氏邸の裏にありますので家の方に断ってから見学しましょう。石室はこちらの方が大きく巨石を使っていて全長 13.4m,玄室長 5.6m,幅 2.9m,高 3.3m 程あります。現在石棺はありませんがかって破片が出土しているそうです。さて南塚の側にバイクを止めていると地元の自治会役員の方が仙台ナンバーを見てわざわざ遠くから来たということで石室を空けて中に入れてくれた。超ラッキー。でもその前にカメラのカバーを無くした。 まさに禍福はあざなえる縄のごとしだ。入れてくれたのはいいが玄室に入るのも一苦労,石棺と羨道天井の僅かな隙間を腹這いになっていってやっと入ることが出来ます。照明があるので内部は詳細に見ることが出来ます。石棺は蓋を少し補修していますが縄掛け突起が六個付いた立派な物です。羨道の石棺もほぼ同様のデザインですが側面の突起の出っ張りが少し小さくなっています。これは羨道に入れる際邪魔にならないよう削ったためだそうです。玄室側の小口部の突起にも蓮華文があります(こちらの方が鮮明)。玄室は石棺二個が入るスペースがあるようですが何故入れなかったんでしょうね。入れなかったのか、それとも入れられなかったのか。

巨勢山古墳群(條ウル神古墳他)

奈良県御所市 1992年4月訪問、1997年3月、2002年3月再訪

700基以上からなる全国有数の群集墳

條庚申塚古墳
円墳、R19.5
横穴式石室
位置:34°26′21″N 135°44′44″E (日本測地系)
   34.44245193 135.74272904(世界測地系)
石室開口部、玄室奥辺りしか残っていない


玄室奥壁


條ウル神古墳
墳形不明
横穴式石室、玄室長7.1,幅2.4-2.7,高3.8m以上
家形石棺(縄掛け突起が側面に3、小口部に1の計8個)
位置:34°26′24″N 135°44′50″E (日本測地系)
   34.44328519 135.74439552(世界測地系)
墳丘(東から)


玄室、石棺、02年、巨大石室と石棺が再確認されて話題となった


323号
円墳
横口式石槨墳
位置:34°25′53″N 135°43′45″E (日本測地系)
   34.43467478 135.72634193(世界測地系)
石室正面、群中現存唯一の石槨墳


組合式石槨、閉塞石を填め込む溝がある、天井石にひびが入って危険な状態


471号
前方後円墳、5C後半
位置:34°26′15″N 135°44′07″E

前方部隅から後円部(92年当時)手前辺りに室古墓が埋っていたようだ


772号
6C後半
471号前方部隅を利用して造られた小型石室


巨勢山室古墓
木炭木槨墓、平安初期
巨勢山471号前方部斜面を利用して構築


(見学記)
條ウル神古墳
3月23日、條ウル神古墳の現地説明会に行ってきました(この日のために旅の予定を一部変更。当日はまずまずの天気でバイクでお出かけ、車なら無理だけどバイクなら側まで行けるだろうと思ったのが大間違い、要所要所に人が配置されていて近寄れず結局西側の臨時駐車場に行く羽目に。駐車場は既に車や人で一杯、新聞で大々的に報道されたせいでしょうか大阪や京都などの近隣ナンバーも混じっていました。バイクのナンバーを見た係の人から仙台から来たのと聞かれてしまった。まー間違いではないけどね。ここで説明がされていて後は各自歩いていく。途中に木炭木槨墓の発見された471号がある。ここは10年前に一度来ているがまさかこんな物が埋っていたとはね。更に條ウル神古墳までは1キロ半もあるがかなり手前から行列が並んでる。係の人が2時間待ちですよと言っていてちょっとびびるが並ぶしかないよね。幸い1時間くらいですみました。でも肝心の石室見学は石室の手前から覗くだけ、これは覚悟していたが時間が4人一組でわずか15秒程度、しかも側で係の人がストップウオッチ片手にしっかり計ってるよ。初めの頃は1分くらいだったがだんだん短くなってきたとのこと、まーあの人手ではしょうがないですね。でも写真を撮るのに夢中で殆ど石室の印象が残ってないんだよね。戻ってみると行列がすっかり短くなっているのでもう一度並んで見学、私もも好きだな~。(次の日、OBITOさんと合う予定があったので再度訪問、都合4回見学してしまった)。帰りに室大墓に寄ってみるとここでも石室前に行列が、と言うわけでここの写真は10年前の物です。

巨勢山323号
巨勢山に来たので唯一の横口式石槨墳の323号を見学しました。一応OBITOさんから様子を聞いていたけどかなり大変でした。尾根上にある墓地から僅かの距離ですが道がなく笹藪の中を強行突破、笹だけでなく茨の棘が刺さってしんどいこと。距離も短く100%あるのが分っているから行けますがそうでなければとても行けませんね。石室の様子は写真を見てのとおり、花崗岩を使った天井はひびが入って危険な状態でした。せっかく来たので記念品を置いておく(條ウル神古墳の整理券ですが)。帰りは来た道を通るのがいやだったので杉林の斜面(殆ど崖)を降りていくとちゃんと道があるじゃないですか。こちらを通れば楽に来れたのにね。苦労して上に登ると降りていく道が見つかるのはしばしばありますが。

ヒガンド古墳

奈良県御所市 1997年4月訪問

前方後円墳、TL27,R15,RH3.7,FW13、6C初
位置:34°25′57″N 135°45′12″E (日本測地系)
   34.4357862 135.75050626(世界測地系)

墳丘遠望、尾根上に立地


前方部隅から後円部


(見学記)
さらに北1km,稲宿集落西側にある円墳です。集落内に巨勢の路の案内石碑がありその中の安楽寺塔婆に従って行くと新宮山古墳の案内が出てきます。古墳は北に伸びる細長い尾根の先端部に位置し横穴式石室が開口しています。全長 13.6m の石室は羨道玄室ともよく残っていて羨道が多少埋まっていますが中にはいるのは容易です。玄室には奥に箱式石棺,手前に刳抜式家形石棺があります。箱式石棺は3枚の大きな板石が崩れた状態で見えているだけですが,家形石棺は6個の縄掛け突起が付いていて作りも丁寧なようです。突起の1つが欠け奥の小口部に穴が開いている他は遺存状態は良好ですが羨道側に落書きがあります。中に墨書きのきれいな字がありますから,これを見た人が私も書いてみようとして落書きしたんでしょうね。一つの落書きが多くの落書きを生みます。止めましょうね,落書きは。県史跡。

権現堂古墳

奈良県御所市 1997年4月訪問

円墳、R15,H4、6C前半
横穴式石室、玄室長5.5,幅2.5,高2.3m
家形石棺
位置:34°25′16″N 135°45′29″E (日本測地系)
   34.42439859 135.75522842(世界測地系)

石室正面、手前が奥壁側


家形石棺、丸い縄掛け突起がかなり大きい、石棺は2基あったが1基は破壊、石室も崩壊防止の鉄骨が入っている


石棺内部、石枕が造りつけられている


(見学記)
吉野口駅から北東約 500m の樋野集落内の神社境内にあります。円墳で墳丘はかなり荒れていますが,横穴式石室が開口しています。中には入れませんが奥壁側が開口しているので石棺が目の前にあります。刳抜式家形石棺でかなり大きな縄掛け突起が四個付いていていかにも古式な感じです。破壊された小口部から中を覗くと奥に石枕を見ることが出来ます(要懐中電灯)。石枕が奥にあるという事は羨道側ということで遺体は頭を羨道側に向けて埋葬されたのでしょうか。又石棺内部に後世の物と思われる石仏らしき物が掘られていましたがあれはどうやって掘ったんでしょうね。県史跡。
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