大念寺古墳(今市大念寺古墳)

島根県出雲市 1989年4月訪問、1993年4月、21年12月再訪

前方後円墳、TL92,R44,FW44,RH7,FH7、6C後半
複室横穴式石室、全長12.8m,前室長3.1,奥室長5.8,幅2.9,高3.3m
家形石棺 長3.4,幅1.7,高1.9m
位置:35°21′36″N 132°46′01″E (日本測地系)
    35.42340403 132.79991597(世界測地系)
(2021年)
出雲最大の前方後円墳、ただ墳丘は周囲がかなり削られている


開口部には柵、パンフレットと懐中電灯が入っている


開口部が大きいので内部は明るい


下から上へのアングル


前室床面に家形石棺底石が残る、放レ山古墳の有縁石床と違うんだろうか


玄室には巨大な家形石棺、横口式なので位置が左に偏る


横口部がギリギリ見えている


羨道前室天井


羨道前室側壁


〃反対側、こちらの袖石は上部がない


おまけ
墓地で奇妙なものを見つけました


板石ではなくコの字型の刳り貫きです、ひょっとして家形石棺身の一部か


墓石は古そうだけど極めて古いわけでもなく


ネガにして文字を見やすくしてみました、下の2字は”元年”か、一番上は”正”か、江戸時代として正がつく年号は正徳か正保、正徳かな


(1989,93年)
石室開口部、かなり削られている、出雲最大の前方後円墳


羨道、前室、奥室、奥室に刳抜式、前室に組合式家形石棺がある


巨大な横口付家形石棺


石棺横口部、石棺の大きさに比べて身の厚さは薄い、右側側壁との間隔はあまりない


玄室奥壁、天井、石棺の見事さの割に石の積み方はいまいちな感じ


奥から玄門上部


奥室玄門から外


前室家形石棺底部


墳丘側面、左が後円部、89年当時は墳丘が見えていたが21年現在では殆ど見られない


後円部から前方部


(見学記)
(2021年)
出雲市今市町、市街地のど真ん中に大型の前方後円墳が保存されています、やはりお寺境内にあったおかげでしょうね。後円部南西向きに大型石室開口、前回は偶々鍵がかかっておらず中に入れましたが幸運は2度も続かず、でもひょっとしたら鍵がかかってなかったかもしれないと帰ってから何となく思うようになった。入り口は大きいので内部は明るく手前の石棺底部だけでなく奥の家形石棺までよく見えています、横口式ですがそこまでは無理でした。パンフレットを入れたポストの中に懐中電灯まで入っていました、ありがたいけど正直必要ないかなと思います。墓地の中で変わったものを見つけました、かなり古い墓石の周りを石がコの字型に囲っている、平石を組み合わせたのではなくコの字型の刳抜式、背後が割れて2つになっています、それもかなり薄い、ひょっとしたら刳抜式石棺の流用かもしれない。墓石に刻まれた文字を見ると右側の4文字、下は元年のようです、上は正保それとも正徳と書かれているような。県文化財保護課が発行した小冊子に無料駐車場があると書かれていますが寺の駐車場のことでしょうか、利用させてもらったけど北側からの入り口がわかりにくい。

(1989、93年)
山陰本線出雲市駅東方800m、大念寺本堂南側にある全長92m、後円部径44m、高7m出雲最大の前方後円墳です。墳丘北側がかなり削られていますが南側から見ると前方後円墳の形がよく分かります。前方部と反対側の後円部に両袖式石室が開口(普段は鍵がかかっているようですが何故か2回目に行ったときは開いていた)。入り口部分が大きく削られていて羨道の一部は壊失しているようですが残存全長12.8m、玄室は複室構造で前室は長3.9m幅2.5m高2.2mの規模、ここにも家形石棺があったことがゴーランドによって記されていますが現在は底石だけが残っています。後室はそれぞれ6,3.1,3.5mの大きさ、奥壁に1枚石が使われていますが両壁は割石で構成され玄門にはわずかに突き出た袖石になっています。左側の壁よりに横口付刳抜式家形石棺があります。長3.3m幅1.7m高1.7mと、なんとも大きい、蓋石は縄掛け突起が無くやや平らな感じ、横口部から見ると石棺の大きさの割に身の厚さが薄く石の加工技術が優れているようです。しかしこの横口から遺体や副葬品を入れたのでしょうか、壁との隙間が1m位しか無いんですけどね。国史跡。
なお「古墳辞典」には墳丘は削平されていると書かれていますが明らかに間違いですね。

大寺古墳

島根県出雲市 1989年4月訪問、2021年12月再訪

前方後円墳、TL52,R27,FW12,RH6,FH3、5C初
位置:35°24′36″N 132°47′28″E (日本測地系)
    35.41312727 132.78852873(世界測地系)
(2021年)
山道を登っていくと後円部に至る、右に2号の案内板、こちらを先に見学


後円部頂きは広い平坦面、いかにも前期古墳


上から見た後円部、手前がゆるくカットされている


後円部から見た前方部、もうすっかりわからなくなっている、くびれ部を山道が横断


2号上方から見た後円部、初めは右側が前方部だと思ったが自然地形でした


大寺2号
2号説明板


斜面に構築、石室石材が下に転落、以前は露天だったが今はすっかり林の中


上部をすっかり失った石室


切石石室だそうです、大寺古墳とは相当時代差がありそう


奥壁、表面が整えられている、上部が割られているか


奥から外、小さな袖石の右片袖式


石室上横から


(1989年)
前方部から後円部


後円部から前方部、遠くに出雲平野を望む丘陵中腹に立地


大寺2号
横穴式石室
すぐ東側、墳丘は殆ど無く石室下部が露出


(見学記)
(2021年)
出雲市東林木町、萬福寺北側の丘陵にある前方後円墳です(大寺は字名かもしれない)。お寺から案内表示が出ています。全長52m、出雲最古の前方後円墳です。後円部頂が広い平坦面になっていて如何にも古い前方後円墳です。前回訪問時は一部植林された程度で墳丘がよく見えていましたが今回はすっかり林の中になっていました、南側にある前方部も藪の中で分かりにくくなっています。初め東に伸びる高まりが前方後円墳かと思いましたが自然地形をそのまま残しているようです。その南側に2号があります、ここも以前は日が当たる状態でしたがここも林の中になっていました。新たに説明板が立っています。両者は200年近い年代差があるようですが血の繋がりはあるんでしょうか。萬福寺には駐車場がないのですぐ手前の円光寺駐車場を利用させてもらいました。

(1989年)
これは出雲市ですが上島古墳南西約2km平田市との境界上にある全長52m、5C初頭の出雲最古の前方後円墳です。平野を一望できる丘陵中腹に立地、墳丘も良好です。主体部は竪穴石室ですが今は見ることはできません。すぐ東側の2号墳で小型の横穴石室が露出しています。市史跡。

上島古墳

島根県出雲市(旧平田市)1989年4月訪問、2021年12月再訪

円墳、R15,H2、6C前半
家形石棺 長2.3,幅1.1m、小竪穴石室 長1.85,幅0.7m
位置:35°25′13″N 132°48′09″E (日本測地系)
   35.42340403 132.79991597(世界測地系)
(2021年)
集落手前に案内板、でもこの先はT字路なのに案内がない、左が正解


上の方に説明板が見えている


私有地奥にもう一つの案内板、でも手前の道路脇には案内がない


石棺は覆い屋で保護、ここはパンフレットはなかった


家形石棺は身も蓋もよく残っている、墳丘に直接埋設


元々なのか風化なのか全体に丸みを帯びる、左側のは縄掛け突起じゃなく含まれる礫のようです


右側だけ縄掛け突起が2個、左側は見当たらない、元々短いのか削られたのか


直ぐ側に石室、横穴じゃなく竪穴だそうだ


開口部横から


石室内部、馬具が出土、副葬品専用でしょうか


(1989年)
丘陵中腹、山側から見た墳丘、小円墳ながら豪華な副葬品が出土している


刳抜式家形石棺、石室はなく直接埋葬されていた、ほぼ完全な人骨と鏡、太刀、玉類などが出土


副葬品用竪穴石室


竪穴石室内部、こちらからは馬具が出土


(見学記)
(2021年)
出雲市国富町、南側道路脇に案内表示があり200mと書かれています。でもその先はT字路、ここには案内表示がなく右に行くのか左に行くのか。幸い左遠方、丘の中腹に説明板が見えていたので行く方向がわかりました。左に行くと私有地の看板があるのでそこを通っていくと次の案内表示があります、ここに立てるくらいならT字路のとこにほしかった。その後は1本道ですが幾つも案内板が出てきます。古墳の正体は覆い屋の中の家形石棺、これで国史跡なのか。多分豊富な遺物が出た為でしょうが古墳そのものより遺物の優秀さの方が史跡指定されやすいような気がする。

(1989年)
斐伊川河口近くの丘陵中腹にある径15mの円墳です。墳丘はやや平坦になった部分に作られていて規模は小さいですが、豊富な異物が出土しています。刳抜式家形石棺を直接土中に埋設、この中から完全な人骨とともに鈴鏡、鈴釧、太刀、玉等、側に副葬品用の小型竪穴石室がありこちらからは馬具が出土しています。竪穴石室は今も見ることができ、石棺も側の小屋の中に安置されていて、かなり退化した縄掛け突起がついているのを見ることができます。国史跡。

山辺神社古墳

島根県出雲市(旧平田市)2021年12月訪問

長形墳、長辺27m
 位置:35°25′25″N 132°48′13″E(日本測地系)
    35.42673704 132.80102677(世界測地系)
狭い尾根筋を目一杯使って作られた墳丘


上は広い平坦面、いかにも前期古墳、神社を思わせるものは何もなし


南東から、角がはっきり


下側北東から、斜面なので大きく見える


おまけ
尾根から出雲平野が一望できる


雪を被った大山も望める


(見学記)
国富中村古墳のとこにあったパンフレットに山辺神社古墳が載っていたので行ってみました。すぐ南側ですが尾根上で少し歩きます。尾根切断型の古墳で高まりのある長形墳がよく残っています。でも神社の名前がついているのに社殿どころか祠も鳥居も痕跡もまるでありません。ここからは出雲平野が一望でき遠くには宍道湖や雪を被った大山も見えていました。国富中村古墳からはこの尾根が邪魔して平野からは見えない、むしろ隠すように立地しています。

国富中村古墳

島根県出雲市(旧平田市)2021年12月訪問

横穴式石室、全長9.3m以上
 位置:35°25′28″N 132°48′12″E(日本測地系)
    35.42757029 132.80074896(世界測地系)
専用駐車場(今はただの空き地)からの眺め、右はパンフ入れ、出雲市の史跡古墳に設置


石室自体は小屋の中で全く見られず、石室自体も地下にあるようですが


なので現状では説明板を見るだけ


未盗掘の複室石室(説明板より)


組合式家形石棺や豊富な遺物が出土


(見学記)
出雲市国富町、偶然案内板(国富コミュニティーセンター)を見つけたので立ち寄ってみました。案内板に”国史跡、500m”と書かれていたのも高ポイント(笑)、途中にももう一ヶ所案内板がありそこから細い道を100m程、専用駐車場もあります(現状はただの空き地だけど)。正体は国史跡に相応しいもの・・・実物が見られたらね(汗)。2002年に発見された未盗掘の石室、2基の石棺と豊富な遺物が出土、現在石室はプレハブ小屋の中で見ることは出来ません。天井隙間から入ったそうなので覗いても石室は見られないかも。遺物は出雲弥生の森博物館に展示、石室模型もあるそうです。それにしてももう20年も経っているのに公開することはないんでしょうか。

山根垣古墳

島根県出雲市(旧平田市)2001年4月訪問、21年12月再訪

方墳?、L10,H2、6C後半
横穴式石室、玄室長2.7,幅1.5,高1.5m
位置:35°26′00″N 132°48′20″E (日本測地系)
    35.43645831 132.8029704(世界測地系)
(2021年)
南側からの遠望、中央に説明板


丘陵裾辺りに立地


下側から、手前に天井石落下


石室正面、羨道は殆ど壊失


玄門、まぐさ石が半分折れている、上のは天井石


切石積の玄室


〃縦位置


奥壁は角石を下に2、上に1、奈良県天理市塚平古墳にソックリ


奥から外、両袖式


左側壁、4段でそれぞれの段の高さが揃う


右側壁、こちらは高さが揃っていない、表の整形度も粗い


天井石底面、奥から


墳丘、上側から


結構急斜面に立地、遠くに宍道湖が見えている


(2001年)
石室正面、羨道はかなり破壊、手前の石が羨道天井石


玄室、整った奥壁、床面に割石が敷かれている


奥から外、両袖式


(見学記)
(2021年)
出雲市西郷町、谷筋の丘陵麓辺りに立地している古墳です。羨道はほぼ壊失ですが切石積の玄室完存、地域性の強い石棺式石室が多い当地では珍しく機内型の石室です。奥壁は下部に2個の正方形の石材を並べ上に1枚の巨石という奈良の塚平古墳によく似ています。でも墳形は地元型の方墳のようです。西側100m程の神社に駐車スペースあり。

(2001年)
市役所西方1.8km、小さな谷の丘陵麓に位置する方墳で一辺10mと小型。西向きに石室が開口、羨道はかなり崩壊していますが玄室はほぼ残っています。長2.7,幅1.5,高1.5mの両袖式で床面には割石が敷かれています。奥の側壁の一部に切石加工が見られ鑿の跡も残っています。奥壁は上に1枚、下2枚で奈良県天理市の塚平古墳タイプです。市史跡。

山崎古墳

島根県出雲市(旧平田市)2001年4月訪問、21年12月再訪

石棺式石室
位置:35°26′55″N 132°49′17″E (日本測地系)
    35.45173464 132.81880155(世界測地系)
(2021年)
_1:駐車スペースからの撮影、左電柱の黄色い看板が目印、手前赤い建物背後の樹木辺り
_2:木に覆われて近づいてもよくわかりません
_3:かき分けると側面が見える、ヒビが入っている
_4:上からだと露出した石棺が見ている、右手前が開口部だが埋没
_5:天井石は丸く加工
_6:東側奥壁が抜かれて開口、手前の石は残骸でしょうか
_7:奥壁や側壁に窪んだような削り跡がある
_8:刳抜式玄門、これもヒビが入る
_9:北側側壁、これが一番状態がいい、やや窪んでいるのかな、本来の状態より内側に傾いているかも
_10:南側側壁、かなりヒビが入っている
_11:天井、手前の窪みはやはり後世のか

(2001年)
墳丘流失、露出した石室、天井石も丸く加工


石室、下方より、左手横口に玄門がある


刳抜式玄門、奥より、奥壁は抜かれている


(見学記)
(2021年)
出雲市東福町、丘陵麓辺りにある石棺式石室、以前は道路から見えていましたが今は木が生えてきたりしてほぼ見えなくなっているし外見の写真も撮りにくくなりました。西向きに開口していますが外側は埋まって見えません、奥壁がほぼ破壊されて内部を見ることが出来ます。天井石底面は多少窪んでいるようですがそれ程明確ではありません。石材は砂岩のようで削りやすそう、そのせいか後世のものと思われる削ったような窪みがあります。道路向かい、工場脇に駐車スペースあり。

(2001年)
市役所北方約2km、丘陵麓にある古墳で東側の大きな工場が目印です。墳丘はすっかり流失し石棺式石室が露出しています。保存状態は悪く奥壁は抜かれ側壁にもひびが入っています。玄門は横口について刳抜式、石室天井も丸く加工されています。

小谷下古墳

島根県出雲市(旧平田市)2021年12月訪問

 横穴式石室
 位置:35°28′16″N 132°50′23″E(日本測地系)
    35.47423242 132.8371323(世界測地系)
_1:民家敷地内にある横穴式石室、無人になっていて柵ができていました
_2:驚愕の石室状態、側壁が大部分壊失、天井石を石柱で支えています
_3:奥壁らしい巨石、これも天井石を支えている
_4:結局我慢できず内部に入る、柵を超えたわけじゃない
_5:正面から見た1枚石の奥壁、このような状態でも天井石は水平を保っている
_6:両袖式だが袖石が随分前後にずれている、まぐさ石にヒビが入っている
_7:右側壁、平石を積み重ねている
_8:左側壁、こちらも平石だがだいぶ大きい

(見学記)
出雲市多久谷町、民家敷地内にある古墳です。以前は人が住んでいたようですが訪問時は無人となっていました。予備知識はあったけど現実に見てみるととんでもない姿、奥の側壁が抜かれて天井石が落下しかけていてそれを石柱が支えています。ないよりマシといった程度でしょうか、今まで民家敷地内の石室を多く見てきたけどこれ程恐ろしいのは初めてでしょうか。側壁を抜いた時はまだ天井石は落ちそうではなかったんでしょうか、いつ頃からこんな姿だったんでしょうね、天井石が平石ではなく厚みのある巨石だから一層危険性を感じさせます、地震でも来たらすぐにでも落下しそう。奥壁は巨石1枚石、西向きですが羨道はほぼ埋没しています。山の奥ですが道路は割と広い、手前に広い駐車スペースあり。

奥屋敷古墳

島根県出雲市(旧平田市)2021年12月訪問

 石棺式石室
 位置:35°27′13″N 132°50′17″E(日本測地系)
    35.45673459 132.83546641(世界測地系)

_1:東側からの遠望、手前が所有者さんの家、後方林の中にある

(見学記)
出雲市多久谷町、谷奥にある石棺式石室です。手前の民家が所有者さんで聞いてみましたが割と奥の方にあるそうで行ったことはないとか(若い人だったけど)。太い竹が密生し倒竹も多く挑戦してみましたが歩くのさえ困難な状況なのでサッサと諦めました、状態も悪そうだったし、と逆隣の芝生は青い状態(汗)。

西谷墳墓群

島根県出雲市 2021年12月訪問

西谷墳墓群
 弥生後期~古墳時代後期
 四隅突出墓6基を含む20基以上の古墳群

全体分布図(説明板より)


公園主要部分、右が北側


1号
 四隅突出墓
 2C後半
小型の四隅突出墓


反対側から、北側は失われていた、後方に2号


矢印方向から発掘時の写真(説明板より)、石列は1列


2号
 四隅突出墓、46×29×3.5m
 2C後半
 位置:35°21′23″N 132°46′55″E(日本測地系)
    35.35952249 132.7793644(世界測地系)
1号から見た2号


北側突出部、石列は2重


西側突出部、上に上がれます


南側から、手前に3号突出部、比較の為あえて人を入れてみた


3号から見た2号、出雲平野や島根半島が一望できます


内部は展示室になっています、なので残存墳丘は一部だったようです


3号
 四隅突出墓、52×42×4.5m
 2C後半
2号より一段高い位置にある


3号南側突出部、石列は2重


突出部も側辺部も石列2重


上に埋葬施設を展示、大小8基あったそうだ、右が第一、左が第4主体


4号
 四隅突出墓、47×45×3.5m
 2C末
南西側突出部、これは土盛りだけ


5号
 墳丘墓、22×17×2m
 築造時期不明
 位置:35°21′18″N 132°46′57″E(日本測地系)
    35.35813379 132.77991995(世界測地系)
4号南側、一番高い場所に立地


これは突出部はない


墳丘図(説明写真より)


9号
 四隅突出墓、62×55×5m
 位置:35°21′28″N 132°47′05″E(日本測地系)
    35.36091126 132.78214187(世界測地系)
南からの遠望、独立丘陵頂部東端に立地


最大の四隅突出墓、鳥居から上が墳丘、右側に突出があるはずだがよくわからず


南西突出部、これが一番ハッキリしている


正面から、上は神社敷地で平坦


20号
すぐ西側にある方形墳、この背後に18,19号がある


(見学記)
出雲市大津町、出雲商高東側の丘陵一帯、弥生~古墳時代前期の墳墓群で特に弥生時代の大型四隅突出墓が有名です。全国で100基程の四隅突出墓があるそうですがトップ5の内4基がここに集中しています。その内の2-4号とその周辺が復元整備され公園として公開されています。着いたのが4時頃もう日没まで1時間もなかったので復元ということもありサッサと見学しました、詳細は省くけどここからの出雲平野の眺めも素晴らしかった。少し北東に離れた半独立丘陵頂部に9号があります。上が広く平坦で三谷神社が建っています。知らないと神社建設の為頂部を平坦にしたのかと思いそう。これも四隅突出墓ですが東に偏っているせいか東や北西のは突出部があっても短そう、南西の突出だけ何とか確認できますがこれも多分そうだろうなと思う程度です。すぐ西側に3基の方墳がありますがこちらは古墳時代のもののようです。出雲弥生の森博物館が併設され駐車場があります。ここに国富中村古墳の出土遺物が展示されています。因みに読みは「にしだに」と濁ります。国史跡。
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