矢部古墳

千葉県山武市(旧山武町)1995年1月訪問

前方後円墳,TL36,R24,FW19,RH3.2,FH2.5
位置:35°36′39″N 140°23′12″E

丘陵側から見た墳丘、板附古墳群のすぐ西側にあるが単独で存在

大塚古墳群

千葉県山武市(旧松尾町)1994年1月訪問

円墳17基

1号(姫塚古墳)
円墳、R85,H9.1
位置:35°39′31″N 140°25′27″E

写真では分かりにくいが堂々たる墳丘


2号
円墳、R29,H1.6

1号に次ぐ大きさだが低い墳丘しか残っていない


14号
円墳、R20,H2.5

1,2号以外は径20m以下の小円墳


(見学記)

芝山古墳群の谷を挟んだ南側、木戸川右岸の台地上に位置しています。円墳ばかり17基からなる古墳群です。
北側の送電線鉄塔がある辺りから上っていくと台地上に畑があってその左側、竹林の中の崖際にに1,2号があります。1号墳(姫塚)は径66m高9.1mと大型の円墳です。又大型の古墳にありがちな載頭円錐形ではなく墳頂部まで丸い形をしています。周りに周溝がありその外側にも外堤が巡っています。南西側に盗掘跡がある他は全体が良く残っています。この古墳があるから地名が「大塚」なんでしょうが,それなら何故これが「姫」塚なんでしょうか?。近くの芝山古墳群の「姫塚」なら「殿塚」に対する名前だと判りますが,姫という名からは小さな印象を受けますが,ここは姫塚だけがぬきんでて大きく,それ以外は皆小さな円墳ばかりだし,何か女性に関する遺物なり伝説があったんだろうか。1号のすぐ南側に2号墳が有ります。径29m高1.6mと大きさの割に低く偏平な感じです。畑の南側に3-6号,さらに鉄塔を挟んだ西側に7号墳が1基だけ離れて寂しく立っています。畑の西側の松林の中に12-17号が,さらに西側に8-11号がまとまって分布しています。6号が径 23m ある他は十数m程の小さなものばかりです。特に7,10,11号は高さが1m以下で冬場の植物の茂っていない時でないと分かりにくいでしょう。まぁ,色々な意味で古墳巡りは冬がシーズンですね。

大堤古墳群

千葉県山武市(旧松尾町)1993年2月訪問

前方後円墳2,円墳3基

大堤権現塚古墳
前方後円墳、TL115,R53,RH10,FW60,FH12
位置:35°37′52″N 140°27′07″E

墳丘側面、大きな墳丘が良好に残っている


右後円部、左外堤


4号
前方後円墳、TL31,R16,RH3,FW20,FH3.3
位置:35°37′40″N 140°27′00″E

墳丘側面、左が後円部


(見学記)

国道126号線沿いに大堤権現古墳の案内板が出ていますからそれに従って行きます。といってもその後のフォローがないですが。こういう例はよくありますね。案内板に従って行くといつのまにか行方不明になってしまうというのが。

大堤権現古墳
全長115m、後円部径60m、 高12mの前方後円墳です。周りに周溝と外堤が巡っています。前方部端が神社によって大きく削られ,後円部にも盗掘跡がありますが全体に墳丘は良く残っています。どっしりとしたボリューム感のある墳丘です。後円部の盗掘跡の場所に石室があったようですが今は見えません。前方部の片隅に小さな円墳があります。陪墳でしょうけれど主墳に比べてその小ささが印象的でした。
主墳から西に篠竹の中の道を行くと杉林の中に小型の前方後円墳と円墳が1基ずつあります。前方後円墳が4号墳で全長31m、後円部径20m、高3.3m程,円墳もほぼ同じくらいの大きさです。共に墳丘は良く残っています。付近に小円墳が2基あります。まだ他にも存在するかも知れないけれど判らなかった。

蕪木古墳群

千葉県山武市(旧松尾町)1995年1月訪問

前方後円墳4,円墳14

朝日ノ岡古墳
前方後円墳、TL70,R47,RH7,FW42,FH7
位置:35°38′29″N 140°27′04″E

前方部隅から後円部、墳丘が良好に残っている


前方部正面


5号
前方後円墳、TL47,R20,RH4,FW20,FH4
横穴式石室(埋戻し)
位置:35°38′28″N 140°27′12″E

前方部隅から後円部、石室はくびれ部にあるそうだ


7号
前方後円墳、TL27,R15,RH2,FW14,FH2.9
位置:35°38′22″N 140°27′16″E

民家敷地に土手のように残っている

板附古墳群

千葉県山武市(旧成東町)1993年2月訪問

前方後円墳3,方墳2、円墳28

遠望、平坦な丘陵地上に立地、主要な古墳は崖際に位置している、付近には前方後円墳を含む同様な古墳群が多数ある


駄ノ塚古墳
方墳、L60
位置:35°36′50″N 140°23′35″E

三段築成の墳丘、県内では竜角寺岩屋古墳に次ぐ規模、横穴石室を持つが埋め戻されている


西の台古墳
前方後円墳、TL95,R50,FW38,RH5.8,FH5

前方部から後円部、後円部が崖の崩壊で半分ほど壊失


前方部側から後円部


不動塚古墳
前方後円墳、TL62,R34,FW36,RH6.8,FH6
横穴式石室
位置:35°36′39″N 140°23′36″E

後円部正面、墳丘は良好に残っている


石室開口部、くびれ部にある


玄室、墳丘規模の割に小さな石室


奥壁、まだ奥があると思われたのか破壊されている


奥から外、この地域では殆ど唯一といってもいい開口石室だが現在は埋め戻されている


A号
円墳、R20,H2.8
崖際に立地

麻生新田古墳群

千葉県山武市(旧山武町)1994年1月訪問

山武町、成東町にまたがる古墳群
前方後円墳1、方墳2,円墳13

2号
円墳,R33,H6.1
位置:35°37′51″N 140°24′34″E

この地域では珍しく裸の墳丘


4号(経僧塚古墳)
円墳、R45,H6.7
横穴式石室(破壊)、箱式石棺
位置:35°37′44″N 140°24′49″E

二段築成の墳丘、多数の形象埴輪が出土している


左墳丘、右中堤、二重周溝を持つ


箱式石棺露出部、墳丘1段目テラスにある

龍角寺古墳群

千葉県栄町(~成田市)1986年7月訪問、1988年1994年2月訪問

前方後円墳36,円墳71,方墳6
栄町から成田市にかけての台地上に分布(*印が成田市)
約7割が房総風土記の丘として公園となっている

100号101号(復元古墳)105号(岩屋古墳)106号(みそ岩屋古墳111号(クリックでジャンプ)

9号(TL39,R22.5,RH5.2,FW18,FH4.8)


14号(R14,H3.2)


16号(R17,H4.1)
この辺りまでは公園の外


21号(TL42,R26,RH5.7,FW18,FH3.5)



22号(R19.5,H2)


24号(TL28,R20,RH3.1,FW14,FH1.2)


26号(R16,H1.9)


27号(R21,H4.3)


28号(R25,H3.9)


29号(R18,H1.7)


30号(TL21,R11,RH1.3,FW10,FH1)


31号(TL18,R9,RH1.3,FW10,FH0.9)


32号(R18,H2.9)


33号(R16,H2)


34号(R22,H2.8)


35号(TL26,R17,RH3.2,FW10,FH0.8)


37号(TL31,R21,RH3.7,FW9,FH1)


38号(R16,H2.1)


39号(R19,H3)


40号(R29,H2.1)


41号(R19,H2.9)


42号(R22,H3.8)


43号(R12,H1.2)


44号(R19,H3.3)


51号*(TL26,R19,RH3,FW11,FH1.3)


53号*(TL27,R22,RH2.6,FW12,FH1.6)
くびれ部に箱式石棺がある


54号*(TL32,R20,RH3,FW18,FH1.8)


56号*(TL28,R17,RH2.7,FW17,FH0.8)


57号(TL48,R33,RH5.8,FW35,FH6.3)
くびれ部がはっきりしない、千葉県でよく見かけるタイプ


58号(TL26,R20,RH4.2,FW11,FH1)


60号(R20,H3.2)


63号(R17,H2.3)


64号(R19,H2.9)


65号(R14,H1.7)
幅の狭い周溝が巡る、左後方に63,66号


66号(TL19,R13,RH1.5,FW8,FH0.9)
63号墳頂から、中央奥が69,左が65号


68号(TL30,R19,RH2.6,FW19,FH1.9)
左68,右70号、どちらもくびれ部がはっきりしない


69号(R28,H2.5)


70号(TL43,R27,RH2.7,FW30,FH2.3)


71号(TL27,R15,RH2.7,FW14,FH0.6)


72号(TL20,R13,RH2.2,FW11,FH0.7)


76号(R18,H1.7)


78号(R35,RH4.5)
最大クラスの円墳、資料館脇にある


79号(R15,H1.9)


84号*(TL22,R15,4H2.2,FW12,FH0.7)


92号*(R18,H1.4)


93号*(R25)


97号*(R19,H3.3)


100号(L22,H1.6)
数少ない方墳


101号(TL26,RH3.8)
復元前(88年)


復元後


103号*(TL21,R14,RH1.4,FW10,FH1.2)


105号(岩屋古墳)
方墳、L78,H13.2
横穴式石室2
位置:35°49′03″N 140°16′49″E

全国第2位規模の方墳


西側石室正面、東側の石室は埋戻し


切石積みの石室、南側にある上福田岩屋古墳と同じ構造だがあちらはT字型、墳丘規模の割に石室は小型


106号(みそ岩屋古墳)
方墳、L35,H4.7
横穴式石室、玄室長3.1,幅2,高2m
位置:35°49′09″N 140°16′44″E

墳丘


石室開口部


石室正面


109号(R26,H3.1)


110号(R26,H2.9)
この2基はやや孤立して存在


111号(浅間山古墳)
TL66,R45,RH6.7,FW48,FH7
複室横穴式石室
位置:35°49′28″N 140°16′19″E

97年発掘風景、人のいる所が石室入り口辺り


石室正面、板状の石が使われている


玄室玄門


玄室


板石を使った箱式石棺、埼玉県小見真観寺古墳石室と構造が似ている


箱式石棺右側


箱式石棺左側


羨道玄門(奥から)

公津原古墳群

千葉県成田市 1988年訪問、2000年3月再訪

成田ニュータウン建設でかなり消滅
残存40基、全て県史跡として保存


瓢塚古墳舟塚古墳石塚古墳天王塚古墳38号←クリックで前方後円墳にジャンプ


1号
円墳、R25,H2


2号
円墳、R23,H2


3号(瓢塚古墳)
前方後円墳、TL35,R21,RH6,FW15,FH4
位置:35°46′18″N 140°17′45″E

墳丘側面、非常に姿のいい形をしている


前方部隅から


西側から、周溝が窪みとして残っている、右遠方に1号、左後方に2号


前方部から後円部(88年)


5号
方墳、L35,H2

手前が5号、後方6号




6号
方墳、L34,H2


7号
円墳、R25


8号(舟塚古墳)
前方後方墳、TL85,R45,RH7,FW50,FH7
位置:35°46′37″N 140°17′38″E

西側から、手前が前方部


三段築成の様子がよくわかる、前方後方形をしているのは上段だけ、下の二段は長形墳状


東から


9号
円墳、R13,H2


10号
円墳、R33,H3


11号
円墳、R15,H2


12-14号
手前より14,13,12号、説明がないとただの土盛りにしか見えない


16号(石塚古墳)
前方後円墳、TL40,R20,RH4,FW15
位置:35°46′46″N 140°17′29″E

墳丘側面、左が後円部


前方部隅から


17号
円墳、R13,H2

左17号、右18号、19,20号と共に吾妻小学校校庭に保存


下段の部分は元の地表面


18号から


18号
円墳、R15,H2

こちらも下段は元の地面


17号から


19号
円墳、R19,H1.5


20号
円墳、R14,H2




21号(天王塚古墳)
前方後円墳、TL63,R35,RH4.3,FW30
位置:35°47′03″N 140°17′17″E

前方部側から後円部、神社の社地になっている


22号
円墳、R8,H1.5

住宅地の中に22,23,24号保存


23号
方墳、L18,H2.5
位置:35°47′15″N 140°17′12″E



24号から、右が22号


24号
円墳、R11,H2


右24,左23号


26号
円墳、R10,H1.7

25-27号は現状保存


28号
円墳、R14.5,H2


29号
円墳、R9,H1


30号
円墳、R10,H1

30-38号が外小代公園内にある


31号
手前31,後方30号


32号
円墳、R12,H1

手前低い墳丘、後方38号


33号
円墳、R12,H1.5


34号
手前34,左奥35号


35号
円墳、R12,H1.5


36号
円墳、R14.5,H1


37号
円墳、R12.5,H1


38号
前方後円墳、TL15,H6
位置:35°47′36″N 14°17′22″E

小型の前方後円墳


なかなかいい姿をしている


公園全景
手前30号、後方中央が38号


右が38号


(見学記)
成田市にはかって公津原古墳群(実際にはもっと細かく分けているようです)がありましたがニュータウンの建設に伴いかなりの数の古墳が破壊されましたが,現在38基の古墳が史跡指定を受けて保存されています。円墳,方墳,前方後円墳,前方後方墳とバラエティに富んでいて墳丘も大変見やすい状況です。この北方には竜角寺古墳群もあり房総風土記の丘としてその大部分が保存されています。歩いて回れば公津原で半日,竜角寺で半日と丸1日たっぷり楽しめます。ではニュータウン南側から順に紹介します。

1-4号
ニュータウン中央を南北に連抜く道路を北に行くと消防署のある交差点の手前二つ目の横断歩道橋の右側の緑地に4基の古墳があります。その内3号墳が前方後円墳の瓢塚古墳(全長35m、高6m)で非常に整った形をしていて,周りを周溝が巡っています。(個人的には1番気に入っている前方後円墳です)。側に円墳の1号、2号、道路を挟んだ北側に4号があります。

5-7号
さらに少し北側,センタービルの南側に5号,6号と2基の方墳が接していて,西側のショッピングビルの側に7号があります。この3基は周りを生け垣で囲んで墳丘内に入れないようにしています。6号の側に古墳群の案内板があります(全部載ってないのが残念)。しかしこの古墳に葬られている人はあまりの環境の変化にさぞかしびっくりしているでしょうね(霊の存在を信じているわけではありませんが)。

8-9号
センタービルの道路を挟んだ北側に市立図書館があり,その西側の赤坂公園内に8号墳の舟塚古墳(全長85m、高7m)があります。3段築成の前方後方墳ですが上段以外は長方形といった感じです。西側に円墳の9号があります。

17-20号
少し南に戻って消防署のある交差点を西に行き,NTTのビルを左に見ながら交差点を右(北)に曲がって行くと吾妻小学校があり,その校庭に4基の円墳があります。校門の側にあるのが17号、18号です。一見すると2段築成のように見えますが,下段に見えるのは元の地表面でこれを削って校庭を造ったため2段のようになっています。いわば座布団の上に古墳がのっかている感じです。校庭の東端に19号、20号がありこちらも同様です。

16号
20号の道路を挟んだ南東側に16号墳の石塚古墳があります。全長33m、高3mの前方後円墳で墳丘上に多少木が生えていますが良く観察できます。石塚と名前が付いていますが少なくとも墳丘表面には石に関するものは全く見えません。

12-15号
16号のすぐ西側に4基の小円墳が直線上に並んでいます。どれも径4-5m,高1m程の小さなものです。

10-11号
さらに少し南に下がって行くと11号、さらに南に10号があります。10号は残っている中では最大の円墳です。

21号
吾妻小学校まで戻ってさらに北上し,やや大きな交差点を左に曲がると21号墳の天王塚古墳があります。全長63m、高4.3mの前方後円墳ですが全体が神社の境内で,古墳も杉林に覆われていて墳丘は見にくい状況です。

22-24号
天王塚の前をさらに西に行くとニュータウンの西側外郭道路に出ます。ここを少し北上して東側の住宅地内にはいると少し小高くなった公園内に3基の古墳があります。円墳の22号と方墳の23号、24号です。当然古墳ののっかている面が元の地表面ですから,いかに開発に伴って地面が削られるか良く分かります。

25-29号
外郭道路をさらに北上すると外小代公園の少し手前に5基の円墳があります。道路左側に25号、26号、27号がありますがこちらは薮の中にあったりして良く観察できません。右側の28号、29号は互いに接していて良く観察できます。

30-38号
さてゴールも間近です。 少し小高くなった外小代公園内に1基の前方後円墳と8基の円墳がまとまって存在しています。ほぼ裸の状態で墳丘が良く観察できますよ。前方後円墳は38号墳で全長15m、高6m(見た目はこんなに高くないです)と小型のもので前方部も非常に低いです。他の円墳も高さが低く小型のものです。

外郭道路をさらに行くとT字路がありそこを左に曲がると房総風土記の丘に至ります。所々に案内板がでているので迷うことは無いでしょう。100基以上の古墳が有る大古墳群です。

上福田岩屋古墳

千葉県成田市 2000年3月訪問

方墳
横穴式石室(T字型)
位置:35°48′44″N140°17′16″E

石室正面


奥壁、切石を煉瓦のように積み上げている


玄室左側


玄室右側、玄門


天井、画面下部が羨道側、玄室上部が屋根型をしている、貝殻化石を含む石が特徴的

大谷木古墳

千葉県睦沢町1995年1月訪問

前方後円墳、TL42
位置:35°22′01″N 140°19′13″E

平野部に立地
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示