平柳古墳群

滋賀県東近江市(旧湖東町)2000年3月訪問

天満宮境内に約10基残存(番号は仮称)
位置:35°08′48″N 136°16′22″E (日本測地系)
    35.14988451 136.26989117(世界測地系)

1号


2号
社殿東側に形のいい墳丘が残っている


3号
横穴式石室
墳丘、石室正面、唯一石室が開口している


小型の石材ながら整った玄室


奥から外、右片袖式


7号
一見状態の良い墳丘


反対側、ざっくり削られ石材が露出している


(見学記)
天満宮の境内に約10基の古墳がある。社殿西側のはかなり削られていて状態が悪いが東側のは状態も良く形の良い墳丘があり浅い周溝も残っている。内1基で石室が開口、玄室羨道とも良好に残存。右片袖式で下部にやや大きな石を据え付けているが他は小型石材の乱石積みです。この隣でも石室入り口の石材が見えている。社殿前の平たい踏み石も石室の天井石を利用しているのかも知れない。

平石古墳群85号

滋賀県東近江市(旧八日市市)2000年3月訪問

円墳
横穴式石室
位置:35°04′18″N 136°09′20″E (日本測地系)
    35.07488987 136.15267849(世界測地系)

丘麓に石室が開口、古墳群をなすが他は不明


玄室、巨石を使い、側壁は一様に内側に傾斜


奥から外、両袖式、細長い石室、全長7~8m程度


(見学記)
雪野山東麓沿いの道を北上すると集落の手前に「史跡平石古墳群」の石碑がありその脇に石室がぽっかり口を開けている。説明板はないが全長7~8m程度、巨石を使った石室が良好に残っている。側壁が一様に内側に傾斜、全体に細長い石室。古墳群と言うからには他にもありそうだが少し山側にも登ってみたがさっぱり分からず。
(追記)85号と判明

八之塚古墳群

滋賀県東近江市(旧愛東町)2000年3月訪問

自然堤防状に立地、現存8基

3号
玄室がかろうじて残存


4号
右3号、左4号、左奥の林の中に5号がある


5号
円墳、R20,H3.4
位置:35°07′08″N 136°15′23″E (日本測地系)
    35.12210852 136.25350316(世界測地系)
群中最大、墳頂近くに僅かに石室露出


(見学記)
8基残存している古墳群で細長い微高地状に立地している。中央付近の畑の中に3,4号があり3号で横穴石室が開口している。天井石が無くあまり状態は良くないが玄室部分が残存、石室石材とも小型で現墳丘の頂部にある。4号の東側林の中に5号墳がある。群中最大で高3.4m、径は20m程度、背の高い墳丘が残っているが、南側に盗掘跡が残っている。かっては石室が開口していたそうだが現在は埋没して見ることは出来ない。国道307号脇に説明板が出ていて偶然遭遇した。

八幡社古墳群

滋賀県東近江市(旧八日市市)2000年3月訪問

雪野山北側山麓の谷筋に分布、前方後円墳1、円墳18基
山裾の12基が県史跡として保存、公園化

分布図:谷筋北側に密集して分布、中央下の前方後円墳風のものはただの広場


全景
東側平野からの眺め、山裾の谷筋にあるのがよく分かる


雪野山尾根上からの眺め、41,42,44,46,47号が見えている


41-46号:広場からの眺め


41号
円墳、R11、7C前半
横穴式石室、玄室長2.9m
墳丘上部削平、奥にあるのが40号


両袖式石室、石室上部壊失


左側の42,43号は墳丘が一部重なる


46号
前方後円墳、TL21,R11,RH3.5,FW9,FH2
横穴式石室3
A号(後円部):両袖式、全長7.2m
B号(くびれ部):左片袖式、全長5.2m
C号(前方部):両袖式、全長7.6m、奥に副室がある
位置:35°04′46″N 136°08′54″E (日本測地系)
    35.08266682 136.14545676(世界測地系)
前方後円墳としては最小クラスながら石室が3基ある、A,C,Bの順に構築された


前方部斜め後方から


前方部正面、谷に向かう緩やかな斜面に立地しているのがよく分かる、奥に47号が見える


A号玄室、三角持ち送りがあり角がはっきりしない


かなり持ち送りがある


B号玄室


C号玄室、ここだけ閉鎖、左奥に副室があるのが分かるだろうか


(見学記)
更に北上すると高圧線と交わる辺りに八幡神社があり参道脇、小さな沢沿いに古墳群が分布している。前方後円墳1,円墳18基からなる古墳群でそのうち山裾側の12基が県史跡に指定されている。墳丘はかなり密集していて中には殆ど重なり合っているのもある。2基で一組となっているとのこと。特に注目すべきは47号、全長21m、後円部径11m、高3.5mの小型前方後円墳ながらなんと3基の横穴石室を持つ。南側に開口していて3基とも状態良好、後円部(A室)は全長7.2mの両袖式、くびれ部(B室)は全長6mで左片袖式、前方部(C室)は全長7mの両袖式で奥に副室があり玄室平面形が逆L字型をなす。A,C,Bの順に造られたそうでAに比べるとBは全体に粗末な感じ、二つの間で構築するのもかなり難しかったんではないだろうか。A,B室は入れるが一番入りたかったC室は柵があって入れない、残念。他に41号で天井石を壊失した石室が見られる。
史跡指定の古墳は公園内に保存され笹が植えられていて墳丘が見やすくなっている。これ以外は僅かな高まりがある程度でわかりにくい。

百々矢1号

滋賀県東近江市(旧五個荘町)2005年4月訪問

横穴式石室
位置:35°08′16″N 136°11′18″E (日本測地系)
    35.14099384 136.18545266(世界測地系)

神社境内に残る墳丘、著しく変形している


天井石が露出


玄室内部、子供の遊び場と化している


(見学記)
町内山本、丘陵北側麓にある百々矢神社境内にある古墳です。鳥居の脇に墳丘がありますが大きく変形、天井石も露出しています。隙間から中を覗いてみると子供の遊び場になっている。確かに大人は無理だが子供なら何とかは入れそうだがこういう所で事故でも起こされると鹿児島県の防空壕での事故でもあったように他の石室でも閉鎖される所があるんじゃないかとちょっと心配です。石室自体は割と良好に残っているようだ。
プロフィール

平家蟹

Author:平家蟹
古墳のお部屋
ブログ館

へようこそ。

基本的には

と同じ内容です。
メール連絡が必要な方は↑からお願いします

ブログ内検索
市町村名、古墳名などを入力して検索してください
最新記事
FC2ブログランキング

更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

各県市町村別
最新コメント
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示