山ノ神古墳

滋賀県東近江市(旧五個荘町)2005年4月訪問

横穴式石室
位置:35°07′32″N 136°11′38″E (日本測地系)
    35.12877305 136.19100748(世界測地系)

水田の中に石室露出


玄室が祠として利用されている、小石は古墳とは関連なさそう


石室内部


こちらが奥壁側


(見学記)
百々矢1号と山の南反対側、水田の中に石室がすっかり露出しています。石の祠として利用されているようで側壁の一部が抜かれてまさしく祠のようになっています。石室内部や周りにも小石が積まれていますがこれも祠関連の物かも知れない。

天狗前古墳群

滋賀県東近江市(旧蒲生町)2000年3月訪問

雪野山南端公園内に2基保存

7号
円墳
横穴式石室、石室全長8m、玄室長4.5,幅2,高2.5m
位置:35°04′01″N 136°09′32″E (日本測地系)
    35.07016817 136.15601174(世界測地系)
側の斜面に巨石が露出、墳丘の中にも残っている


やや胴張り、持ち送りのある玄室


奥から外、右片袖式、湖東地域によくある階段式玄室と言うことだが


その他
7号西側


(見学記)
雪野山の南端、細長い尾根上にある古墳群です。南側を高速道がかすめ上は公園になっています。東側にあるのが7号墳で石室が開口、全長7m、玄室長4.5,幅2.2,高2.5m。羨道は埋まり奥壁も一部抜かれていますが玄室はよく残っています。やや胴張り持ち送りのある玄室で右片袖式割石積み、説明板に湖東地域によく見られる階段状石室と書かれているがよく分からない。東側の斜面に巨岩が幾つも露出、墳丘側の岩もかち割られた痕があります。これを石室に使ったんだろうか。西側にも1基墳丘が見えている。
公園駐車場に公園案内板がある。これには天狗前古墳群はなく谷を越えた西側にある横山古墳群が載っているがこちらは行かない方が身のためだ。

正瑞寺古墳群

滋賀県東近江市(旧五個荘町)2003年3月訪問

1号(正瑞寺古墳)
横穴式石室
位置:35°10′04″N 136°10′22″E (日本測地系)
    35.17098968 136.16989961(世界測地系)
石室正面、本堂裏の斜面にある


羨道


県内有数規模の玄室、天井は巨大な1枚岩


奥から外


2号
横穴式石室
思いがけずもう1基あった、入り口は埋没、墳丘もかなり削られている


隙間から覗いた石室内部


(見学記)
(2001年)
県内有数の石室を有する古墳だそうだが見つけることが出来なかった。寺自体もかなり分かりにくいところにあるが何とか見つけることが出来、山門石段の下に古墳の名を記した札がありこれは楽勝と思ったら後がさっぱり。無住の寺なので住職さんにも聞くことが出来ずさて困った。偶々墓参りに来ていた人3人に聞くことが出来たが名前は知っている物の場所は良く知らず凡その場所もみな違う有様。結局見つけることが出来ず撤退しました。

(2003年)
猪子山古墳群を見学したので山のちょうど反対側にある正瑞寺古墳を再捜索してみました。本堂裏の斜面にあるのがあっさり見つかりました、それも2基 。本来真っ先に探すべき場所を前回何で探さなかったのだろう、思うに前回は何人もの人にあってしかも名前だけは知っていたが場所は知らなかったから却ってそれに惑わされたのかもしれない。とにもかくにも結果オーライ、一度失敗した古墳を見つけることが出来ると嬉しくなりますね。ところが石室の中で写真を撮っているとフィルムがひっかかったせいか36枚取りのフィルムが26枚でストップ、フィルム交換する羽目になってしまいました。石室の中で写真を撮るときはいつものこり枚数を確認して中でフィルム交換することがないようにしているけどこの時はちと焦りました。幸い石室が大きくて入るのがそんなに困難ではなかったからよかったけどね。もう1基は墳丘が大きくえぐられていますが石室は何とか無事、入り口が埋まっていますが隙間から内部が覗けた。ギリギリ中に入れるかなと思ったけど万が一出てこれなくなったらやばいのでさすがに断念しました。

勝堂古墳群

滋賀県東近江市(旧湖東町)2000年3月訪問

残存5基

赤塚古墳
円墳、R35位
横穴式石室
位置:35°08′48″N136°14′27″E (日本測地系)
    35.14988397 136.23794828(世界測地系)
墳丘、石室正面、平野にあるのでかなり大きく感じられる


巨石を使った玄室、半ば埋没


奥より外、両袖式、顔料のせいか壁面が写真よりもっと赤く感じられる


弁天社古墳
円墳
赤塚からの眺め、外堤がきれいに残存、径60m


赤塚(右)、弁天社(左)公園として保存されている


朝日塚古墳
これが骨塚か?


おから山古墳
背後の林の中に背の高い墳丘が残存、石室入り口の巨石が1個露出している


行者塚古墳
位置:35°09′04″N 136°14′10″E (日本測地系)
    35.15432787 136.23322641(世界測地系)
集落の中、周囲をかなり削られながら背の高い墳丘が残存


(見学記)
湖東平野のまっただ中にあり5基が残存

赤塚古墳
勝堂集落の南東、水田の中にあり西側の弁天社古墳と共に公園として保存されている。径30m位の円墳で平野の中にあるのでよく目立つ。南側に石室が開口、巨石を使った両袖式で側壁の一部が崩壊して土砂が流入し玄室が半ば埋まっている。顔料が塗られているせいか石材が赤っぽくこれが名前の由来でしょうね。

弁天社古墳
小型の割に背の高い墳丘が残っている。外堤がきれいに巡っていてこの径が60mと大きい。南側が1/4程欠けているのは石室前面で初めから無かったのだろうか。

おから山古墳
集落南側、状態は良さそうだが墳丘全体が雑木林に覆われている。石室入り口辺りの巨石が1個露出、大きな石室が予想される。

行者塚古墳
集落のほぼ中央背の高い墳丘が残っているが周囲は相当削られているようだ。何とか残ったのは上にあるお堂のせいかな。

朝日塚古墳
集落の北側小さな墳丘が残っている。朝日塚の石碑が建っているがこれが骨塚か。

神郷亀塚古墳

滋賀県東近江市(旧能登川町)2001年3月訪問

前方後方墳、TL37,R25,FW18、3C前半
位置:35°10′24″N 136°11′12″E (日本測地系)
    35.17654485 136.18378687(世界測地系)

最古級の前方後方墳と判明


前方部が僅かに残る


(見学記)
今年初めの発掘で3C前半、最古級の前方後方墳と判明し一躍注目された。現墳丘は平地にあり後方部は割と残っているが前方部は土手のような地形が僅かに残っているだけ。やはり見かけだけでは分からないものだ。側の平加神社の社有地でこれが幸いしたようです。

熊の森古墳

滋賀県東近江市(旧八日市市)2001年3月訪問

前方後円墳?
位置:35°05′54″N 136°13′47″E (日本測地系)
    35.10155362 136.22683861(世界測地系)

妙法寺古墳群中の1基、左遠方樹木の辺りが八咫の森古墳か神社があるが墳丘は無し


墳丘側面


(見学記)
妙法寺古墳群中の1基で水田の中に前方後円形の墳丘が残っているが前方後円墳かどうかは不明、「前方後円墳集成」には載っていない。他に綾の森古墳、八咫の森古墳があるが近くにある小神社がその跡か、墳丘は全く残ってないようだ。

狐塚古墳群

滋賀県東近江市(旧五個荘町)2005年4月訪問

位置:35°09′04″N 136°10′25″E (日本測地系)
    35.15432525 136.17073215(世界測地系)

水田の中に3基残存


僅かに石室の一部が残るだけ


殆ど崩壊状態の石室


(見学記)
能登川町から五個荘町に抜けるきぬがさ山トンネル東側出口当たり、倉庫の大きな建物の道路を挟んだ西側水田の中にあります。3基ほどあるようですがどれも大きく崩壊していて石材の残骸のように見えています。

木村古墳群

滋賀県東近江市(旧蒲生町)2000年3月訪問

円墳6,方墳2があったが2基を除いて消滅
2基は墳丘を復元し公園として保存

天乞山古墳
方墳、L66,H10.3
竪穴式石室(復元)
北側高速バス停からの眺め、方墳としては全国第4位の規模


かなり大きな造出、南側にも造出があり造出を2基持つ方墳としては松江市大庭鶏塚古墳等全国に数例しかない


左手に南側の造出、北側に比べて小さく墳丘軸からもやや外れている


墳頂竪穴石室、破壊が激しく推定復元


久保田山古墳
円墳、R57,H6
位置:35°04′14″N 136°10′10″E (日本測地系)
    35.07377884 136.16656624(世界測地系)
天乞山墳頂からの眺め、南北に造出を持つ、遠方の山が雪野山、頂に雪野山古墳がある


南側造出、一見帆立貝式のよう、信楽焼製の埴輪が並んでいる


高速バス停からの眺め、こちらは北側の造出が小さく主軸からも外れている、右手に県内最大の円墳ケンサイ塚(R70-80)があったが今は跡形もない


大型古墳が2基並ぶ


(見学記)
雪野山南東の平野にある円墳6基、方墳2基からなる古墳群だが紹介する2基以外は全て消滅。特にケンサイ塚古墳は径7-80mと県内最大の円墳だったが痕跡さえ残っていない。残存の2基は公園として保存されきれいに修復されている。

久保田山古墳
径57m、高6.0mの円墳で5C中頃の築造。南北に造出があり南側のがやや大きく帆立貝式に近い感じの墳丘です。北側のはやや小さく軸も墳丘中心からややずれている。後から築造したんだろうか。修復前に既にかなり削平を受けて主体部も殆ど残っていなかったが基底部の葺石が明瞭に残っていた。全体を葺石で覆って復元し信楽焼の円筒埴輪が並べられている。

天乞山古墳
一辺66m、高10.3m、2段築成の方墳で南北に造出があり5C前半の築造。方墳としては全国第4位の規模、又造出を2基持つ方墳としては他に三重県明合古墳、島根県大庭鶏塚古墳など数例が知られているだけの貴重な存在です。造出は久保田山と違って北側のが大きく、南側は小さくやはり軸が中心からずれています。墳頂には竪穴石室が復元されていますが盗掘でかなり石が抜き取られていたため推定復元にとどまっています。平野にあるので墳頂からの眺めは大変良く、目の前には雪野山がそびえています。でも山頂の雪野山古墳から既に百年近く立っており当時は見えていたんだろうか。
修復前は墳丘が森に覆われていたようで側の高速道路を通っても全く気がつかなかった。ある年突然巨大な墳丘が出現しびっくりしたなーもー。高速だもの早々脇見運転もできないし。

猪子山古墳群

滋賀県東近江市(旧能登川町)2003年3月訪問

2003年山面支群発掘

14号
山道の下にある墳丘、かなり急斜面にある


羨道、かなり埋まっている


玄室


奥から外、土砂が流入


15号
山道によってかなり削られた墳丘、14号と向き合うように石室が開口


石室正面、羨道は殆ど壊失


玄室、奥壁の一部が抜かれているがほぼ完存


奥から外


23号
麓近くにある墳丘、形ははっきりしない


石室正面、羨道は殆ど壊失


玄室、発掘中で床面が清掃されていた


奥から外、遠方の林の中に30号がある


露出した天井石


30号
横穴式石室、全長10.5m、玄室高2.8m
位置:35°10′18″N 136°10′19″E (日本測地系)
    35.17487807 136.16906654(世界測地系)
墳丘、石室正面、右奥に52号、こちらも23号と向かい合うように開口


羨道


玄室、隙間が少なく見事な積み方


奥から外


52号
墳丘


東側、こちらが石室正面か


(見学記)
発掘が行われているというので行ってみました。能登川病院裏の丘陵北側斜面から麓にありますが北側一帯に市街地が広がっていてたどり着くのに結構苦労しました。関係者は誰もいませんでしたが石室の中には自由にはいることが出来ました。病院裏の30号は墳丘も良好に残っていて石室もかなり見事でした。面白いと思ったのは石室が西向きで東側にある23号(こちらは石室が東向き)と向かい合っているようになっていることですね。少し上の斜面にある14,15号もやはり石室が向かい合うように開口していますがなにかペアのような意識があったんだろうか。かといって30号すぐ側にある52号は逆に30号の反対側に石室が開口しているようだし(埋め戻されていたからよく分からないが)。頂上にある神社まで参道があるので序でに行ってみました。露出した巨岩を祭るように神社があってここからの眺めがまた素晴らしい。春先のせいか相変わらず霞がかかっていますが琵琶湖や愛知川の流れ、平野の利用状況が一望できました。

池田古墳

滋賀県東近江市(旧八日市市)2001年3月訪問

円墳
横穴式石室
位置:35°05′14″N 136°16′02″E (日本測地系)
    35.09044513 136.2643359(世界測地系)

墳丘、石室正面、前面に外護列石があるようだ


石室開口部


羨道


玄室、土砂が流入しかなり埋没


奥から外、両袖式、石材は殆ど加工されてない


(見学記)
池田集落の北側、水田の中に円錐形の墳丘がポツンと残っている。南側に石室が開口、その前面墳丘裾には外護列石が巡っているようだ。石室は割と良好に残っているがかなり埋まっているようで特に玄室には新しい土砂が流入していて埋没寸前石室の石材はあまり加工されていない自然石を使用している。
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