手繰ヶ城山古墳群

福井県永平寺町(旧丸岡町)2003年5月訪問

前方後円墳、TL129、4C中
位置:36°05′24″N 136°19′03″E

前方部隅から後円部、尾根を利用して構築、非常に背が高い


前方部から後円部、北半分が裸で墳形がよく分かる


後円部から前方部


後円部南側の陪墳


墳丘図(説明板より)


(見学記)

永平寺町から国道416号を西に行くと松岡町との境界近くに案内表示が出ています。それに従って林道のような道を第2駐車場まで車で行くことが出来ます。古墳まではここから340m程ですがそれ程急な山道でもありません。古墳は全長129m、4世紀半ばのの前方後円墳、尾根の頂を利用して造られていて非常に背が高く、墳丘も良好に残っています。後円部頂は広い平坦面で中央部に前期の大型前方後円墳に時々見られる僅かな高まりがあるけど当時のものかどうかはわかりません。ここからは九頭竜川を挟んで真北にやはり前期の前方後円墳群である六呂瀬山古墳群が遠望できます。後円部東側には尾根を利用した方墳が2基造られていますがこれも六呂瀬山古墳群と同じ状況です。墳丘は永平寺町との境にあるようで松岡町側の西半分が裸の状態で前方後円墳の様子がよく分かります。これほどはっきりした墳丘が昭和46年に発見されたとは意外です。国史跡。

泰遠寺山古墳

福井県永平寺町(旧丸岡町)2003年5月訪問

帆立貝式(消滅)、5C中
舟形石棺

春日山古墳の側に移築保存




(見学記)
全長65mの帆立貝式古墳ですが墳丘は消滅、石棺だけだが春日山古墳の側に移築保存されています。身の木口部と側面に1個ずつ縄掛け突起のついた舟形石棺です。同じ場所に猪谷の石棺の標柱も立っていますが石棺はありませんでした。スペースはあるからどこかに移されているんだろうか。

春日山古墳

福井県永平寺町(旧丸岡町)2003年5月訪問

円墳、R20、6C末
横穴式石室
横口式舟形石棺
位置:36°05′11″N 136°18′11″E

石室正面、公園整備の際発見、覆いを架けて保護


羨道


玄室、石棺、奥壁は石棺の陰にならない部分だけ大型石を使用、床面に扁平な丸みを帯びた平石を敷き詰めている


山陰によくある横口式石棺


石室背後から


(見学記)

国道416号を更に西に行って市街地に入り消防署脇から松岡公園に登っていく途中の忠霊塔脇にあります。道路建設の際に発見されたとのことで天井石を失った石室が露出覆い屋を架けて保護されています。玄室には右側壁際に舟形石棺があります。山陰地方によく見られる横口式で鑿による削り跡も見られるなど保存状態も良好です。床面には十数センチくらいの扁平な丸みを帯びた石が敷き詰められているのが特徴です。自然石のようだがどこから持ってきたのだろうか。奥壁は直接見える部分は大型の石を使っていますが石棺の陰になっている部分は小型の石を使っていてちょっぴり省資源型でしょうか。県史跡。
松岡公園から山上の尾根伝いにある前期前方後円墳を含む松岡古墳群に至る道があるようですがさすがに時間がなくて訪問できませんでした。

東諏訪間1号

福井県永平寺町 2003年5月訪問

円墳、R15
横穴式石室、玄室長4.5,幅1.5,高1.8m(目測値)
位置:36°05′17″N 136°19′37″E

石室正面、民家敷地に保存されている


墳丘側面、天井石が露出、遠方の山の頂に手繰ヶ城山古墳がある


羨道


玄室、小型ながら奥壁は1枚石、側壁も石が立てられている


奥から外、袖石を立てた両袖式


(見学記)

永平寺町の国道416、364号を永平寺方向に600m程南下し、道を左にそれて山際の道を南下します。場所がよく分からないときは神社を目当てに行くけどここにはなかった。土地の人に聞いてみたら白鳥神社の北側ゴミ集積所の所に案内表示が出ているとのこと。引き返してみたら確かにありました。うっかり見過ごしていた。古墳はこのすぐ裏にあります。古墳は径15m程の円墳で南側に石室が開口、天井石が露出し羨道も天井部が失われていますが玄室はほぼ完存しています。玄室長4.5m程度でそれ程大きくはないが奥壁は1枚石、側壁も石が立てられていて終末期に近い石室だと思われます。民家の敷地内にありますが特に境界などはありません。
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