大代古墳群

徳島県鳴門市 2007年3月訪問

前方後円墳1,円墳2

古墳群遠望、下を徳島自動車道が通る


1号
前方後円墳
位置:34°10′07″N 134°34′21″E (日本測地系)
   34.17191115 134.56978735(世界測地系)
前方部隅から後円部


後円部から前方部、右奥に見えているのが3号


2号
1号後円部から


(見学記)
鳴門市大津町大代、鳴門IC西1km、尾根上に並ぶ前方後円墳1、円墳2基からなる古墳群ですが徳島自動車道の建設で下にトンネルを通して保存されました。現在3基とも裸の状態で下から見えていますが今のところ立入禁止となっています。

ぬか塚古墳

徳島県鳴門市 2003年4月訪問

円墳、R15
横穴式石室、全長5.2m、玄室長3.3,幅1.55,高2.3m
位置:34°09′01″N 134°30′55″E (日本測地系)
   34.15357963 134.51257068(世界測地系)

個人邸宅の庭先にある墳丘


奥壁下部に大型の石を据えた玄室、天井石はほぼ1枚石の巨石


奥から外


(見学記)
JR板東駅東方500mにあるが正確な場所が分からない。近所の方に聞いても知らない人が多くてやっと知っている人に巡り会えて場所を教えて貰いました。古墳は川側の板東氏宅の庭先にあります。幸いご主人が家の前にいたので断って見学させて貰いました。径15mの円墳で南側に右片袖の石室が開口、ともに良好に残っています。玄室長は3.3mとそれ程大きくありませんが天井石は巨大な1枚石で出来ています。近くの春日神社も古墳の上に建っています。

西山谷2号

徳島県鳴門市 2007年3月訪問

墳丘消滅、3C後半
竪穴石室、長4.7,幅0.83m
位置:34°08′24″N 134°27′17″E (日本測地系)
   34.14330113 134.45202144(世界測地系)

現在板野町歴史文化公園に移築保存



(見学記)
3C後半の前期古墳ですが墳丘は消滅、竪穴石室が板野町歴史文化公園に移築、薄い板石を積み上げた長さ4.7mの石室で覆い屋の中に保存されています。ただ歴史公園の案内板にはこの古墳のことは何も書かれていなくて探すのにちょっと苦労しました。埋蔵文化財研究所の脇にあります。

葛城神社古墳

徳島県鳴門市 2003年4月訪問

横穴式石室
位置:34°09′38″N 134°32′41″E (日本測地系)
   34.16385644 134.54201217(世界測地系)

社殿の後に石室の一部が露出


石室内部


(見学記)
東林寺東方500m、県道脇にひっそりと神社があります。林の中の小さな社殿の裏に古墳があり石室の一部が露出している。羨道はすっかり埋まっているが側壁上部に隙間があって中を見ることが出来る。と言っても真っ暗で何も分からないが。

宝憧寺古墳

徳島県鳴門市 2003年4月訪問、2007年3月訪問

前方後円墳、TL42、4C末
位置:34°09′16″N 134°31′49″E (日本測地系)
   34.1577461 134.52756897(世界測地系)

前方部側から後円部


前方部から後円部


(見学記)
トンネルから200mほど東に宝憧寺があり、背後の尾根先端にある全長42m、4C末の前方後円墳です。墳丘も比較的良好、古墳とは関係ないが上に天和三年、寛文四年の碑文がある五輪塔が2基建っている。県史跡。

萩原古墳出土石棺

徳島県鳴門市 2007年3月訪問

位置:34°09′13″N 134°31′49″E (日本測地系)
   34.15691284 134.52756898(世界測地系)

箱式石棺を宝憧寺境内に移築


3基あるはずなんだが


(見学記)
鳴門市大麻町池谷、宝憧寺境内に3基の箱式石棺が移築されていますが冬場でも草むらで分かりにくい状態です。同じ境内に前方後円墳の宝憧寺古墳がある。

尾山古墳

徳島県美馬市(旧穴吹町)2002年5月訪問

円墳、6C末~7C前半
横穴式石室、玄室長3.8,幅2.3m
位置:34°03′05″N 134°09′52″E (日本測地系)
   34.05469711 134.16177225(世界測地系)

下部のみ残存する石室、説明板では段の塚穴型と言うことだが


石室横から


(見学記)
穴吹橋南端から国道を横切ってさらに踏切を渡ると案内表示が出ている。後は表示にしたがって行く(後から思うと遠回りの道のような気もするが)。古墳は個人宅の庭先にあるのでことわって見学。墳丘は割と残っているが石室は上部を壊失し基部しか残っていない。段の塚穴型と言うことだがどうやって確認したんだろう。町史跡。

大国魂古墳

徳島県美馬市(旧美馬町)2002年5月訪問

円墳、6C後半
横穴式石室
石棚
位置:34°02′45″N 134°01′12″E (日本測地系)
   34.04914156 134.01734112(世界測地系)

崖に面した墳丘


玄室、石棚、石棚上部の空間は狭い、塚穴型としては最古級


奥から外


(見学記)
小学校北側に神社があり鳥居の脇に八幡古墳群と一緒に説明板があります。長い石段を登っていくと右手に古墳があります。墳丘上には大きな盗掘跡があったのでこれは石室は駄目かなと思っていると崖に面した場所に石室が開口、玄室も完存していました。小さいながらもドーム状石室で奥壁には小さな石棚があります。すぐ上の奥壁が大きく内傾しているので棚の上の空間は殆どありません。何かを乗せるなんて事は出来なかったのではないでしょうか。段の塚穴が他石室としては最古クラスのものだそうです。町史跡。

野村八幡神社古墳

徳島県美馬市(旧脇町)2002年5月訪問、2007年3月再訪

円墳、R20,H6、6C後半
横穴式石室
石棚
位置:34°03′24″N 134°06′05″E (日本測地系)
   34.05997444 134.09872377(世界測地系)

墳丘南側、前面が削平され羨道天井石が落下している


羨道


玄門


段の塚穴型玄室、石棚がかなり分厚い


石棚上部、すぐ上から奥壁が内傾している


玄室(ストロボ撮影)


狭い天井部、他も共通して緑泥片岩の綺麗な石が使われている


奥から外、両袖式


羨道出口、床面に暗渠が一部露出している


(見学記)
県道12号沿い、美馬町との境近くの野村八幡神社境内にあります。本殿脇にある墳丘は南側が少し削平され羨道天井石が石室前に落下していますが概ね良好に残っています。羨道でも立って入れるほどの大きさ、入り口部分には配水施設が僅かに露出しています。玄室は段の塚穴型で背が高い。奥壁の石棚は分厚く、他との違いを際だたせています。天井石は綺麗な緑泥片岩が使われていますがこの地域の他の石室も大抵そうです。側壁は自然石乱石積みで太鼓塚等とは異なる。県史跡。

三島古墳群

徳島県美馬市(旧穴吹町)2002年5月訪問

3基

1号
前方後円墳?、TL15、6C後半
横穴式石室2
位置:34°03′05″N 134°07′54″E (日本測地系)
   34.05469671 134.12899865(世界測地系)
後円部石室正面、珍しく北側に開口


羨道


玄室、段の塚穴型と忌部山型の折衷型だそうだ


奥から外、玄門部に仕切り石がある


前方部石室、西向き、内部は殆ど埋没


2号
円墳
横穴式石室
位置:1号すぐ東側
墳丘


石室正面


羨道、羨道途中の側壁に板石があり対岸にある荒川古墳に似ている


玄室、やはり折衷型


奥から外


(見学記)
国道192号沿いにある三島中学校裏山の林の中にある3基からなる古墳群です。国道に小さな案内表示が出ていて要所要所にも案内板があるのでたどり着くのは容易です。斜面の僅かな平坦面に構築されていてそのせいでしょうか1,2号とも珍しく北向き(川の方向)に石室が開口しています。1号は説明板では前方後円墳、発掘で確認されたわけではないでしょうが確かにそれらしき姿をしています。全長15m程で前方後円墳とすれば最小クラス。石室は平面型が奥が広がる羽子板型で隅が丸くなる忌部山型、天井部は段の塚穴型といった両者の折衷型です。前方部にも小さな石室がありますが内部は殆ど埋没し石材が僅かに露出している程度です。すぐ東側の2号墳も石室は同様の構造、羨道の途中に途中の側壁に緑泥片岩の柱状の石を立てているのが目に付きます。床面につもった落ち葉の中に長さ20cmはあろうかと思われる巨大ミミズがいた。一瞬蛇かと思ってちと焦った。3号墳はやや離れた場所にあるようで見学できなかった。町史跡。
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