渋野古墳群

徳島県徳島市 2003年4月訪問

前方後円墳1,円墳4
マンジョ塚、花折塚は原型をとどめない

渋野丸山古墳
前方後円墳、TL90,R40,RH10、5C前半
位置:34°00′23″N 134°31′53″E (日本測地系)
   34.00970696 134.52868252(世界測地系)
南側から、左側前方部端が少し削られている


後円部側、県内最大の前方後円墳


前方部側から後円部、竹林から筍が侵入してきている


新宮塚古墳
竪穴石室
位置:34°00′16″N 134°32′21″E (日本測地系)
   34.00776302 134.53645967(世界測地系)
尾根先端に構築、下段の部分は尾根が削られたためで本来の墳丘ではない


墳頂には囲いがあるだけ


天王の森古墳
円墳、R26,H6
位置:34°00′23″N 134°31′45″E (日本測地系)
   34.00970689 134.52646049(世界測地系)
周囲を石垣で囲まれ古墳とはわからない状態


(見学記)
市内渋野町にある前方後円墳1,円墳4からなら前期古墳群で丘陵南側の麓に点々と存在しています。一括して県史跡ですがうち2基は殆ど原型をとどめない状態です。
新宮塚古墳
丘陵から突き出た尾根の先端に構築された円墳です。すぐ前の道路に案内表示があり鉄の階段を上ると神社社殿の背後にあります。と言っても墳丘はあまりはっきりせず墳頂に囲いと説明板があるだけ。背後の尾根が大きく削られていてこちらから見ると一見2段築成の墳丘のよう。

渋野丸山古墳
新宮塚から800m程西に行くと右手に大きな後円部が見えてきます。一部樹木の陰になっていますが説明板も立っているからわかるでしょう。全長90m県内最大の前方後円墳です。前方部端や後円部の一部が削られていますが割と良好に残っています。ただ北側が竹林でここから筍が多数侵入してきているのがちょっと心配です。

天王の森古墳
丸山古墳の東方、八幡神社西側にあり古墳の上にも祠があります。周りがすっかり石垣で囲まれ側に標柱が立っていないと古墳ともわからない状態です。

気延山古墳群

徳島県徳島市 2003年4月訪問

奥谷1号
前方後方墳、TL50、4C後半
位置:34°03′24″N 134°28′14″E (日本測地系)
   34.0599774 134.46785429(世界測地系)
前方部端、県内唯一の盛り土前方後方墳、墓地になっているが状態は良さそう


宮谷古墳
前方後円墳、TL37.5,R25、4C初
位置:34°03′15″N 134°28′15″E (日本測地系)
   34.05747773 134.46813204(世界測地系)
尾根を利用して構築、左側の前方部ははっきりしない


後円部、竪穴石室は埋戻し


矢野古墳
円墳、R13、6C末~7C初
横穴式石室、全長8m、玄室長3.8,幅2.4,高2.5m
位置:34°03′28″N 134°28′14″E (日本測地系)
   34.06108837 134.46785429(世界測地系)
丘陵麓近くにある墳丘


石室開口部、羨道天井石がずり落ちている


石室正面


羨道


巨石を使った玄室、天井中央部が一段高くなっている


奥から外、袖石が壁面に殆ど埋め込まれている


(見学記)
矢野古墳
気延山東側麓近くに構築された円墳で南側に石室が開口、巨大な羨道天井石がずり落ちかかっているが石室は概ね良好。奥壁は巨大な1枚石、側壁は小型の割石だが所々に巨石が使われていたりしてちょっとちぐはぐです。両袖式だが袖石は殆ど側壁に埋め込まれている。天井石は3枚からなるが中央の一枚が巨大、また奥のは意識的だろうか手前側が欠かれていて中央の石と高さを合わせ中高式の天井のように見せている。県史跡。
すぐ東側の麓に徳島市立考古資料館(入場料無料)があります。受付で市内の文化財の本が地図付きで売られていたが矢野古墳の位置は大きくずれていた。目の前にあるから間違いはしないだろうがこれで購入意欲はなくなった。むしろ図書室で県内の古墳を紹介している本を発見(名前は忘れた)。詳しい地図付きだったが既に大半の古墳は訪問済みだった。ちょっと残念。

奥谷1号
矢野古墳のすぐ南側尾根上にある前方後方墳です。県内唯一の土盛り前方後方墳だそうだ。一部墓地になっているが状態はよさそう。

宮谷古墳
更に南側に阿波史跡公園があり入り口から入ってすぐ左手の尾根の上にあります。全長38m、4Cの前期前方後円墳です。現在殆ど裸の状態ですが前方部は低くてよくわからない。後円部にある竪穴石室は埋戻し。それ程高くはないでが平野を一望できる場所です。

樋口古墳群

徳島県徳島市 2003年4月訪問

円墳2基

1号
横穴式石室
位置:34°01′51″N 134°30′49″E (日本測地系)
   34.03414798 134.51090617(世界測地系)
石室開口部


玄室、奥壁下部に大型の石を据える、天井中央部が高く四隅が丸いなど忌部山型石室に似る


奥から外、両袖式


2号
円墳、R11
横穴式石室、全長4.8m、玄室長3.5,幅1.6,高1.8m
墳丘、石室正面


開口部


玄室、1号すぐ西側にあるが微妙に構造が異なる


奥から外、左片袖式


(見学記)
上八万小学校裏山のミカン畑にある石室墳と言うことで探してみました。南側にある丘は裏山とは思えないけど小学校林になっていて登る道もあるのでこれは容易かなと思ったけど探せども探せども杉林ばかりでミカン畑などまるでない。それ程大きな丘陵でないし南側は住宅開発されているのでこれは破壊されたかなと思ったけれど、取りあえず地元の方に聞いてみると古墳のことは知りませんでしたがミカン畑は知っていました。場所は南側にあるバス停のすぐ上。入ってみると確かにミカン畑がありましたがもう殆ど廃業状態。でも2基の古墳はすぐ見つかりました。2基とも石室は小型ですが玄室は完存、平石を小口積みにした忌部山型に似た石室です。開口部と反対側の裾に標柱が立っていましたがこんなとこに立てられてもな~。有名古墳を見つけるよりこのような発見困難な古墳を見つけた方が満足感が大きい。

穴不動古墳

徳島県徳島市 2003年4月訪問

円墳、R16,H3.5、6C末~7C初
横穴式石室、全長9.3m
位置:34°03′20″N 134°30′21″E (日本測地系)
   34.05886714 134.50312904(世界測地系)

築山として利用されている墳丘、羨道は殆ど破壊


巨石を使った玄室


(見学記)
気延山から鮎喰川を挟んだ東側、名東町の地蔵院境内にある石室墳です。山門を入るとすぐ左手に古墳があります。全長9.3mの石室は羨道が殆ど破壊されているが玄室は完存、巨石を使い、側壁もほぼ垂直に立ち上がり壁面をきれいに平面に整えるなど高度な技術を思わせる石室です。柵があって中に入れないが見学するには特に不便はない。でも写真を撮ろうとすると隙間が狭くてレンズは何とかはいるがこの状態でストロボをたくと中が陰になってしまう。幸い外が明るかったので何とかストロボ無しでも写すことができました。露出時間1/2秒でギリギリだった。
北側にあるため池東側にも巨石がありますがこれも玄室奥壁らしい。西側尾根上には岩盤を穿って墓壙を作った節句山古墳群がありますが今行ってもさっぱりわかりません。さらに尾根筋を南側に行くと姥が懐古墳があり、かなりの規模の石室を持つそうだが古い給水塔先の古墳までは行くことができたがその先は道が消えていてさすがに諦めました。
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