尾山古墳

徳島県美馬市(旧穴吹町)2002年5月訪問

円墳、6C末~7C前半
横穴式石室、玄室長3.8,幅2.3m
位置:34°03′05″N 134°09′52″E (日本測地系)
   34.05469711 134.16177225(世界測地系)

下部のみ残存する石室、説明板では段の塚穴型と言うことだが


石室横から


(見学記)
穴吹橋南端から国道を横切ってさらに踏切を渡ると案内表示が出ている。後は表示にしたがって行く(後から思うと遠回りの道のような気もするが)。古墳は個人宅の庭先にあるのでことわって見学。墳丘は割と残っているが石室は上部を壊失し基部しか残っていない。段の塚穴型と言うことだがどうやって確認したんだろう。町史跡。

大国魂古墳

徳島県美馬市(旧美馬町)2002年5月訪問

円墳、6C後半
横穴式石室
石棚
位置:34°02′45″N 134°01′12″E (日本測地系)
   34.04914156 134.01734112(世界測地系)

崖に面した墳丘


玄室、石棚、石棚上部の空間は狭い、塚穴型としては最古級


奥から外


(見学記)
小学校北側に神社があり鳥居の脇に八幡古墳群と一緒に説明板があります。長い石段を登っていくと右手に古墳があります。墳丘上には大きな盗掘跡があったのでこれは石室は駄目かなと思っていると崖に面した場所に石室が開口、玄室も完存していました。小さいながらもドーム状石室で奥壁には小さな石棚があります。すぐ上の奥壁が大きく内傾しているので棚の上の空間は殆どありません。何かを乗せるなんて事は出来なかったのではないでしょうか。段の塚穴が他石室としては最古クラスのものだそうです。町史跡。

野村八幡神社古墳

徳島県美馬市(旧脇町)2002年5月訪問、2007年3月再訪

円墳、R20,H6、6C後半
横穴式石室
石棚
位置:34°03′24″N 134°06′05″E (日本測地系)
   34.05997444 134.09872377(世界測地系)

墳丘南側、前面が削平され羨道天井石が落下している


羨道


玄門


段の塚穴型玄室、石棚がかなり分厚い


石棚上部、すぐ上から奥壁が内傾している


玄室(ストロボ撮影)


狭い天井部、他も共通して緑泥片岩の綺麗な石が使われている


奥から外、両袖式


羨道出口、床面に暗渠が一部露出している


(見学記)
県道12号沿い、美馬町との境近くの野村八幡神社境内にあります。本殿脇にある墳丘は南側が少し削平され羨道天井石が石室前に落下していますが概ね良好に残っています。羨道でも立って入れるほどの大きさ、入り口部分には配水施設が僅かに露出しています。玄室は段の塚穴型で背が高い。奥壁の石棚は分厚く、他との違いを際だたせています。天井石は綺麗な緑泥片岩が使われていますがこの地域の他の石室も大抵そうです。側壁は自然石乱石積みで太鼓塚等とは異なる。県史跡。

三島古墳群

徳島県美馬市(旧穴吹町)2002年5月訪問

3基

1号
前方後円墳?、TL15、6C後半
横穴式石室2
位置:34°03′05″N 134°07′54″E (日本測地系)
   34.05469671 134.12899865(世界測地系)
後円部石室正面、珍しく北側に開口


羨道


玄室、段の塚穴型と忌部山型の折衷型だそうだ


奥から外、玄門部に仕切り石がある


前方部石室、西向き、内部は殆ど埋没


2号
円墳
横穴式石室
位置:1号すぐ東側
墳丘


石室正面


羨道、羨道途中の側壁に板石があり対岸にある荒川古墳に似ている


玄室、やはり折衷型


奥から外


(見学記)
国道192号沿いにある三島中学校裏山の林の中にある3基からなる古墳群です。国道に小さな案内表示が出ていて要所要所にも案内板があるのでたどり着くのは容易です。斜面の僅かな平坦面に構築されていてそのせいでしょうか1,2号とも珍しく北向き(川の方向)に石室が開口しています。1号は説明板では前方後円墳、発掘で確認されたわけではないでしょうが確かにそれらしき姿をしています。全長15m程で前方後円墳とすれば最小クラス。石室は平面型が奥が広がる羽子板型で隅が丸くなる忌部山型、天井部は段の塚穴型といった両者の折衷型です。前方部にも小さな石室がありますが内部は殆ど埋没し石材が僅かに露出している程度です。すぐ東側の2号墳も石室は同様の構造、羨道の途中に途中の側壁に緑泥片岩の柱状の石を立てているのが目に付きます。床面につもった落ち葉の中に長さ20cmはあろうかと思われる巨大ミミズがいた。一瞬蛇かと思ってちと焦った。3号墳はやや離れた場所にあるようで見学できなかった。町史跡。

八幡古墳群

徳島県美馬市(旧美馬町)2002年5月訪問

3基

1号
円墳
横穴式石室
石棚
位置:34°02′37″N 134°01′15″E (日本測地系)
   34.04691963 134.01817431(世界測地系)
墳丘、石室開口部、入り口側は埋没


側壁最上部が開口、正面の石が天井石


塚穴型玄室、石棚


玄門、左右の幅が非対称


3号
円墳
横穴式石室
位置:34°02′40″N 134°01′17″E (日本測地系)
   34.04775287 134.01872983(世界測地系)
墳丘、石室開口部、珍しく東向きに開口


塚穴型玄室


奥から外


(見学記)
重清東小学校西約2kmに重清西小学校があり、この周囲にある3基からなる古墳群です。南側の小公園となっている場所に1,2号があります。1号は南側に石室が開口、でも中を覗いてみるとすっかり埋まっている。これは駄目だと諦めかけたが説明板を読んでみると石棚があると書かれている。と言うことは誰かが見たはずだと思って慌てて戻ってよく見てみたら墳丘東側、側壁最上部が開口していて中を覗くことが出来た。危ないとこだった。一人では中にはいると出てこれなくなる恐れがあるので覗くだけにしたが小型ながらも石棚のある段の塚穴型石室で良好に残っています。玄門は両袖式だが左右が非対称、やはり岩橋千塚古墳群でも同じような物があり比較的古いタイプと言うことでここでもそうだろうか。2号はすぐ西側にあるが石室は不明。3号は小学校東側の民家敷地内にあります。家の人がいたのでことわって見学させて貰いました。庭の一部で墳丘周囲が改変されていますが玄室は完存、石棚はないが段の塚穴型の背の高い石室です。付近の古墳が殆ど南向きに開口しているのにここは東向きに開口しています。町史跡。

拝原古墳群

徳島県美馬市(旧脇町)2002年5月訪問

現存3基、段の塚穴型石室

北原古墳
円墳
横穴式石室
位置:34°04′09″N 134°10′12″E (日本測地系)
   34.07247263 134.16732715(世界測地系)
麦畑の中に浮かぶ墳丘


羨道


背の高い玄室、奥壁下部巨石とすぐ上の石との間に平石を詰めている


奥から外、側壁は太鼓塚や棚塚と異なり砂岩自然石


中拝原古墳(拝中古墳)
円墳
横穴式石室
位置:34°03′49″N 134°10′21″E (日本測地系)
   34.06691775 134.16982686(世界測地系)
墳丘、石室正面、周囲はかなり改変されている


玄室、北原古墳とほぼ同じ構造


奥から外


東拝原古墳(拝東古墳)
円墳
横穴式石室
位置:34°03′41″N 134°10′34″E (日本測地系)
   34.0646958 134.17343754(世界測地系)
墳丘南側、東側が大きく削平されている


石室正面、玄門手前で幅や高さが狭まる


玄室、やはり同じような構造ながら奥壁が1枚石でなく持ち送りも小さい


奥から外、3基の中で規模が一番大きい


(見学記)
脇町東部の拝原地区にある古墳で3基残存、共に町史跡です。
北原古墳
「日本の古代遺跡(徳島県)」p170の地図には国道193号が出ておらず地図と現地の様子を確認(後で思えばすぐ側に中拝原古墳があったのだが)。取りあえず北側の北原古墳に向かう。現地は扇状地の緩い緩斜面で水田になっていて見通しはきくのだがかえって目標になる地形が見あたらず探すのに結構苦労しました。古墳は国道の旧道東側の水田の中にポツンと残っていました。黄金色に実る麦畑の中に丸い緑の墳丘、南側には石室が開口と、今回の旅行の中で一番気に入った光景でした。石室は段の塚穴型でほぼ完存、外見からは想像できないほど背の高い石室が残っています。側壁は砂岩の自然石乱石積みでこれは他の2基とも共通。奥壁下部の岩とすぐ上の内傾する岩との間に平石を一列に詰めていますが石棚を意識したのでしょうか。

中拝原古墳
国道193号と県道12号交差点北側100m、道路が大きく右カーブする辺り、民家の裏にあります(側に標柱が立っているがこれには拝中古墳となっている)。南側に石室が開口、墳丘周囲が石垣となって改変されているが石室はほぼ完存、北原古墳と同じような構造です。

東拝原古墳
上記交差点東側200m、目標としていた神社の南側水田の中に古墳の残骸のような物があった。まさかこれではないだろうと思って周囲を探した見たが見つからず、取りあえず写真を撮って他をまわる。翌日気になって再度探してみたら何のことはない神社東側の民家の陰にあった。墳丘は東側が大きく削られ石室の一部が露出しているが石室はほぼ完存、やはり段の塚穴型で3基の中では一番規模が大きい。奥壁下部が一枚岩ではなく砂岩の乱石積みな点が異なる。ここも標柱に記された名前が拝東古墳となっている。とすると北原古墳も拝北古墳なのだろうか、標柱があったが倒れていて字はすっかり消えていた。

願勝寺1号

徳島県美馬市(旧美馬町)2002年5月訪問

箱式石棺(移築)
位置:34°02′55″N 134°03′45″E (日本測地系)
   34.05191907 134.05983786(世界測地系)

画像無し

(見学記)
町役場東方約1km、願勝寺境内に歴史資料館がありその前に何の説明もなく箱式石棺が置かれていました。多分これが願勝寺1号(消滅)から出土したものでしょう。資料館も普段は無人でお寺で鍵を借りて見学するようです。

戎古墳

徳島県美馬市(旧穴吹町)2002年5月訪問

円墳
横穴式石室
位置:34°03′05″N 134°09′59″E (日本測地系)
   34.05469711 134.16371645(世界測地系)

石室正面、玄室部分がかろうじて残る


ドーム状玄室


奥から外、段の塚穴型だが特徴の狭い天井がなく中央部がやや高くなるだけ


(見学記)
「日本の古代遺跡(徳島県)」には穴吹高校寄宿舎横にあるというのでここを目指す(高校北西400m、尾山古墳はこれを探す過程で見つけた)。当然寄宿舎内にあると思ったので管理人さんに聞いてみたが知らないと言う。でも親切な方で地元の歴史に詳しい知り合いの方に電話して聞いて貰ったら門のやや手前、無人の民家の裏にあると言うこと、戻ってみたら確かに道路から石室が見えていた。管理人さんには本当に感謝。墳丘はほぼ玄室辺りだけが残っている状態、羨道も殆ど失われていますが玄室はほぼ完存、ドーム状の玄室で段の塚穴型に見られる狭い天井もなくなっていて持ち送り状の天井です。それにしても状態の悪い尾山古墳が町史跡になっているのにこちらは途中にあるのに案内表示もなく地元の方にもすっかり忘れられている状態です。それだけに見つけることが出来たのは嬉しかった。

段の塚穴

徳島県美馬市(旧美馬町)2002年5月訪問、2007年3月再訪

2基あわせた史跡名称

太鼓塚古墳
円墳、R37,H10、7C前半
横穴式石室、全長13.1m、玄室長4.8,幅3.4,高4.25m
位置:34°03′23″N 134°04′39″E (日本測地系)
   34.05969664 134.07483685(世界測地系)
吉野川を見下ろす段丘上に立地、左が太鼓塚、右が棚塚


石室入り口


羨道、外に向かってやや開く


玄門


段の塚穴型玄室、背が高く側壁は平石積み、奥が広がる羽子板型の平面型、奥壁中段の石がやや突き出ている、その上の石は大きく内傾している


玄室上部


狭い玄室天井


奥から外、両袖式、まぐさ石の上も大きく内傾している


棚塚古墳
円墳、R20,H7、7C前半
横穴式石室、全長8.65m、玄室長4.5,幅1.9,高2.8m
石棚
位置:太鼓塚すぐ西側
石室正面


羨道


玄室、奥壁に石棚がある、石棚以外基本的に太鼓塚と同じ構造


薄い石棚、中央がやや窪んでいる


玄室合成写真


玄室天井、画面右が入り口側、奥が広がっている


奥から外、両袖式、やはり上部の石が大きく内傾


(見学記)
徳島県に来て真っ先に訪問したのがここ。古墳のすぐ下を通る県道12号に案内表示があったのでバイクを止めて階段を登っていくと何のことはない、すぐ側に駐車場があった。2基並んだ墳丘の大きい方が太鼓塚古墳、南側に開口する石室前に立つと吉野川の広い河原が一望できます。石室には柵があるが常に開きっぱなしの状態、羨道からしてかなり大きく立ったままで中に入れます。玄室は背が非常に高く側壁が平石積みなど同じ中央構造線にある和歌山の岩橋千塚古墳群とよく似ています。石材が同じだと構造まで似て来るんだろうか。ただ奥壁やまぐさ石の上部が大きく内傾していて玄室断面が家形をしているのが大きく異なっています。西隣の棚塚もほぼ似たような構造、こちらは奥壁に石棚がついています。それにしても板状の巨石を持ち送りしながら内側に大きく傾けていく構造には驚かされました。何とも珍しい構造と思っていたら近くの石室も殆ど同じような構造をしていた。地図などには段の塚穴と載っていますがこれは2基をあわせた史跡名勝です。国史跡。

荒川古墳群

徳島県美馬市(旧美馬町)2002年5月訪問

荒川古墳
円墳
横穴式石室、全長8.6m、玄室長3.4,幅2.6m
石棚
位置:34°03′03″N 134°02′33″E (日本測地系)
   34.05414105 134.03983932(世界測地系)
石室開口部、かなり狭い


羨道、途中の側壁両側に立石が埋め込まれている


塚穴型玄室


石棚


奥から外


海原古墳
円墳
横穴式石室、全長9.1m
石棚、石障
位置:34°03′08″N 134°02′23″E (日本測地系)
   34.05552977 134.03706177(世界測地系)
羨道玄門、羨道はかなり壊失、玄門は狭い


玄室側面、側壁がすっかり壊失している、その分構造がよく分かる


塚穴型玄室、石棚、石障


石障、玄室床面と同じく礫が敷かれる


奥から外、よく崩れなかったものだ


平野古墳
円墳、R10
横穴式石室
位置:34°03′15″N 134°02′24″E (日本測地系)
   34.05747397 134.03733959(世界測地系)
石室開口部


2m四方と狭い玄室、この地域では少ない平凡な奥壁


奥から外、上部は持ち送りがあり塚穴型


(見学記)
町役場北西1.2km、緩やかな河岸段丘上にある古墳群です。個々の場所はよく分からなかったが「日本の古代遺跡(徳島県)」に道案内の標柱が立っていて見学は楽と書かれていたので安心して行ったけどかなり苦労しました。重清東小学校脇に案内の標柱が立っているが(実は最後に見つけた)、その先の道が分かれていて何の役にもたたない。こうなれば人に聞くしかないがなかなか合わないんだよね。やっとの事で平野古墳の場所を聞いて行ってみた。高速道のすぐ北側で民家の脇に小さな墳丘があった。墳丘はすっかり竹が生えていて石室入り口はすぐ側まで行かないと見えず危うく見逃すところだった。石室自体はかなり小さくこの地域によく見かける段の塚穴型と言うほどのものでもなく平凡なものでした。後から思うにここが見つけるのが一番難しかったかもしれない。
海原古墳はここから南200mにあります。すぐ北側の銀色の屋根の農家が目印。ここは見てびっくり、墳丘東側が削平され石室も側壁がすっかり壊失して玄室がむき出しになっています。石柱で何とか支えていますがよく崩れなかったものだ。ただその分段の塚穴型石室の構造がよく分かります。ここにも石棚とその下に他にはない石障が見られます。
荒川古墳は海原古墳南東300m、古い公民館の脇にあります。南側の墓地の一角に石室が開口、かなり狭く這って入るしかありません。羨道の途中に側壁に埋め込むように石柱があるのが珍しい。羨道天井もここらか一段低くなっています。玄室は石棚のある段の塚穴型です。3基とも町史跡。
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平家蟹

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