丸藪古墳

愛媛県四国中央市(旧土居町)2007年3月訪問

横穴式石室
位置:33°57′18″N 133°27′39″E (日本測地系)
   33.9583139 133.45822937(世界測地系)

燧灘を望む緩斜面に立地


羨道開口部、立石は羨門の石か


羨道


玄室側壁開口部


玄室、奥壁はほぼ1枚石、外見から想像できないほど良好


奥から外、両袖式


羨道、奥から


(見学記)
土居町津根(現四国中央市)、国道11号津根交差点を南に曲がると突き当たりのT字路東側に長津公民館があり入り口左側の近隣案内図に丸藪古墳や大空高原古墳群の2基(他にもう1基)が載っています。古墳は道路脇の畑の中、古墳の所だけ高い樹木が生えているからすぐ分かります。墳丘は殆ど流失しかろうじて石室を覆う程度にしか残っていませんが外見からは想像できないほど羨道玄室とも良好に残っています。石室は西向きですが羨道入り口は大分埋まっていて狭い。玄室側壁に盗掘による開口部がありそこから入れます。玄室は長さ5mくらい、奥壁はほぼ1枚石の巨石、玄門は両袖式で上の櫃石もかなりの巨石です。羨道も大分埋まっていますがこういう状態で多分羨門まで残っているのは珍しい。市史跡。

宝洞山古墳群

愛媛県四国中央市(旧川之江市)2002年4月訪問、2007年2月再訪

3基、残存2基

1号(天生津古墳)
円墳、R20,H5
横穴式石室、全長8.5m、玄室長4.1,幅1.8,高1.9m
位置:34°00′22″N 133°35′11″E (日本測地系)
   34.00941985 133.58377448(世界測地系)
上の道路から見た墳丘、よく残っている


南西側から


石室開口部


長い羨道


見事な玄室、奥壁は巨石、側壁もほぼ垂直に立ち上がる


奥から外、両袖式


2号
遠望、手前の林が1号(02年)


住宅街の中に残された墳丘(07年)


背後の周溝部分までよく残されている


石室開口部、玄門辺りのようだ


玄室内部、奥行きはそれ程なくかなり埋没


奥から外、両袖式


(見学記)
中央病院南側の丘陵にある3基からなる古墳群で1,2号が残存している。2号は丘陵頂部近くにあるが周囲がすっかり住宅地として開発され孤立峰のようになっている。説明板も何もないが南側に石室が開口、内部はかなり埋まっているようだ。墳丘背後も斜面をカットした跡が分かるよう、斜面のごく一部が残されている。1号墳(別名天生津古墳)は南側50m、住宅街下の斜面にある。こちらも案内板はないが説明板が立っている。墳丘は西側が大きく削られているが全長8.5mの石室はほぼ完存、奥壁に巨石を使ったなかなかのものです。入り口に柵があって中に入れないがちょっと隙間から失礼させてもらいました。1号が市史跡。実は帰ってくるまで2号墳を同じ丘陵にあるお姫山古墳と勘違いしていました。1号脇の説明板には2号は30m程上にあると書かれていましたが実際にはその倍以上離れていたしね。ただお姫山古墳には石室が2あるとなっていますがどう見ても1基しかなかったからおかしいとは思っていたんだけど。と言うわけでお姫山古墳は見逃してしまいました。

朝日山古墳

愛媛県四国中央市(旧川之江市)2002年4月訪問

円墳、R17,H4.5
横穴式石室、全長6.7m、玄室長4.5,2.0,2.4m
位置:33°58′29″N 133°35′25″E (日本測地系)
   33.97803548 133.58766291(世界測地系)

墳丘、石室入り口


羨道


玄室、奥壁は結晶片岩の巨石


奥から外


(見学記)
六五番札所三角寺へ行く道の途中にあります。道路脇にあるが特に案内表示もないのでうっかりすると見逃しそう。尾根の先端にある古墳は墳丘、石室とも良好に残っています。硬い結晶片岩を使った石室で奥壁は一枚石の巨石です。県史跡。

谷が内古墳

愛媛県西予市(旧宇和町)2007年2月訪問

横穴式石室、玄室長2.7,幅1.8m(凡そ)
位置:33°22′13″N 132°29′44″E (日本測地系)
   33.37363686 132.49305189(世界測地系)

丘陵斜面に石室露出、羨道や玄室前部が破壊されている


右側に玄室袖石が残っているようだ


玄室内部、奥壁両側の石が抜かれている


(見学記)
現西予市宇和町小野田、小森古墳から県道30号を東に行き小川を渡って次の十字路を南に曲がり宇和養護学校脇を通り過ぎて大きく右カーブした辺りに駐車スペースがあります。そこから少し先に林の中に入る山道があり右手斜面に古墳があります。石室が開口しているが羨道はすっかり壊失、玄室も前部が破壊され奥壁両側の石も抜かれているなど状態はよくない。玄門袖石らしき石が残っているのでかろうじて規模が分かります。奥行き2.7m、幅1.8m程度。市史跡。

河内奥ナルタキ古墳群

愛媛県西予市(旧宇和町)2007年2月訪問

円墳、R14-16,H2.5、6C後半
横穴式石室、全長6.8m、玄室長4.8,幅1.8,高1.73m
位置:33°23′54″N 132°28′53″E (日本測地系)
   33.4016886 132.47888549(世界測地系)
丘陵中腹斜面に立地、手前1号、奥2号、1号は発掘中でした


墳丘正面


墳丘横から


石室正面


入り口から見た石室内部


玄室


1枚石の奥壁


奥から外、側壁がせり出しているのかも


2号から見た墳丘


2号
墳丘正面、一見開口しているようだが


墳頂部盗掘、石室破壊


(見学記)
現西予市宇和町岩木、谷状地形の中にある集落の一番奥に案内表示がありますが、ここから少し下がって新しい家の脇から新しい道があってそちらを行くと行き止まりだが車を止めておけます。ここに案内表示が出ていて林の中に入っていくと2基からなる古墳群があります。現在発掘中のようで杉林がすっかり切り払われ墳丘が露わになっていました。誰もいなかったので自由に見学、1号は玄室長4.8mの細長い玄室、奥壁は1枚石、良好に残っているようだが側壁の一部がせり出しているかもしれない。2号は1号のすぐ上にあり墳丘も一回り小さいようだ。正面から見ると石室が開口しているように見えて期待したが入り口埋没、上に登ってみたら大きく盗掘され石室もかなり破壊されているようでした。市史跡。
ここからかなり上の方に石室墳の東大谷古墳があるが道もなく場所もはっきりしないので断念。

松の本古墳

愛媛県西予市(旧宇和町)2007年2月訪問

円墳、R14、7C前半
横穴式石室、玄室長4.7,幅1.34,高1.28m
位置:33°24′13″N 132°30′22″E (日本測地系)
   33.40696634 132.50360569(世界測地系)

かろうじて残る墳丘


山側から


石室正面、ここが玄門


意外と大きな玄室、奥壁は1枚石


奥から外、両袖式


(見学記)
現西予市宇和町田苗真土、中川小学校北北西約1km、山裾を走る県道北側にため池があり小さな案内表示が出ています。そこから真っ直ぐ北に200m程行くと突き当たりにもう一つの案内表示があります。そこから山裾を歩いていくと左手上に小さな墳丘が見えて側に説明板が立っています。墳丘は石室を覆う程度にしか残っておらず羨道も基部が埋没していますが長さ4.7mの玄室は完存、奥壁は1枚石、硬い石材を使い両袖式で袖幅は僅かと樫木駄馬古墳と共通していますね。市史跡。
この西側山の中腹に妙法寺裏山古墳(市史跡)があります。先ほどの突き当たりから新しい林道が出来ていたのでこれ幸いと登っていき途中にある古墳も確認、中腹の平坦なピークから降りていく山道があったのでこれこれと思いながら下っていったら途中から藪がひどくなって降りられなかった。結局時間と体力の無駄遣いになってしまった。

小森古墳

愛媛県西予市(旧宇和町)2007年2月訪問

前方後円墳、TL61m
位置:33°22′32″N 132°29′44″E (日本測地系)
   33.37891397 132.49305169(世界測地系)

前方部から後円部、尾根状の丘頂を利用して構築


後円部から前方部


前方部隅から後円部


(見学記)
現西予市宇和町山田、丘陵北側に突き出た小山塊から更に北に突き出た尾根上地形の上に気づかれた全長61mの前方後円墳です。下から見ると前方後円墳を気づくには最適な場所だなと思いますね。県道30号に案内表示があり南側鞍部まで車で入っていけます。墳丘上は杉林がすっかり切り払われかなり広く見えますが墳丘が低平で輪郭もはっきりせず、知らずに来たら前方後円墳とは思えないかもしれない。案内板はあるのに説明板がないのが残念。市史跡。

樫木駄馬古墳

愛媛県西予市(旧宇和町)2007年2月訪問

円墳、R11.9、H4.5、7C
横穴式石室、全長6.76m、玄室長3.76,幅1.5,高1.4m
位置:33°23′20″N 132°30′57″E (日本測地系)
   33.39224599 132.51332746(世界測地系)

急斜面に立地、画面ほぼ中央にある


石室正面、羨道床面に仕切り石がある


斜め前から、羨門の石も残っているようだ


玄門


玄室


1枚石の奥壁


奥から外、両袖式


(見学記)
現西予市宇和町坂戸、国道56号に大きな案内表示があるのでそこの信号のある交差点を東に曲がり所々に案内表示があるのでそれに従って行くと古墳のすぐ近くまで車で行けます(初めてではなかなか奥まで行きづらいけど)。最後は急斜面の山道を150m程登りますがここにも案内表示が出ています。急斜面の杉林の中に立地した墳丘は藪が茂って見づらいですが南側に石室が開口、羨道の天井部が壊失していますが玄室完存、羨道床面には仕切り石が残り入り口羨門の石も残っているようです。玄室は背はそれ程高くはないが奥壁は巨石の1枚石、玄室長3.6m宇和地方最大級の石室です。市史跡。

粟尻古墳群

愛媛県西予市(旧宇和町)2007年2月訪問

4,5基

1号
円墳、R16
横穴式石室 全長7.5m、玄室長5,幅2,高2.6m

位置:33°22′11″N 132°29′05″E
 (日本測地系)
   33.37308107 132.48221942(世界測地系)
標高300mの高所にある古墳、石段があるからと言って下からの道があるとは限らない


墳丘正面


羨道、天井部は壊失


乱石積みの玄室


奥壁辺り、下部に巨石を据える


奥から外、両袖式


2号
小型石室がすっかり露出


残存長2m程度


石室内部、奥壁上側の積み方がちょっと変わっている


(見学記)
現西予市宇和町山田、小森古墳から小山塊の東側をぐるっと廻って南側の鞍部に行きます。古墳群はここの南側の山の上、下の平野から100m程の高所にあるが道が分からない。西側に新しい林道が出来ていたのでこちらから行って後は道無き道を直登してみたが藪が深くなって断念。次は東側の山裾の道を行くと登っていく山道があったので行ってみたが途中で道が消えている。でも推定位置まであと100mくらいの感じだったので急斜面を直登、やっとピークにたどり着いたが笹藪が茂っているけど古墳はありそうもない。東側にもう一つピークが見えたのでそちらにも行ってみたが古墳のこの字もない。でもふと気が付いたがこの二つのピークの間が尾根状の丘になっている。市の教育委員会から送って貰った詳細地形図にこの地形が載っているじゃないか。とすれば古墳は最初のピークの西側にあるはず、と思って行ってみたら大正解、1号墳の墳丘がありました。雨がぱらつく中すごく苦労したけどその分喜びも倍増でした。1号は西向きに開口、石室も良好に残っていて玄室長5mくらい、構造も他の古墳と似ています。すぐ側に2号墳の小型石室がすっかり露出、奥の方だけが残存しています。奥壁上部の石が平石を縦に並べていて見たことがないような構造、当時のものかなそれとも改変されているのだろうか。西側に3-5号があるそうだが見た感じ何もなさそうだしあっても痕跡程度らしいので探索は止めた。1号石室内には祠があって石室前には階段がついてます。当然お参り用だから下まで道があるだろうと下っていったら途中から水流で道が流され道と言うより溝のようになっていた。それでもなんとか降りていったら最初の鞍部の杉林の中に出てきた。ここも最初探したんだけど道を見つけられなかったな。道を見つけても多分到達は出来なかったかもしれないけど。雨で中断したこともあってここだけで5,6時間かけたけど天気も悪い条件も悪い中で見つけられただけでもめっけものの古墳でした。市史跡。

天神2号

愛媛県西条市(旧東予市)2007年3月訪問

横穴式石室、全長約5m
位置:33°57′05″N133°02′30″E (日本測地系)
   33.95469472 133.03910292(世界測地系)

墳丘、石室正面


石室開口部


玄室、少し傾いているようだ、奥壁も若干傾いているよう


奥から外、片袖かな、天井石も傾いているようだ


(見学記)
東予市福成寺、山裾にある実報寺西側丘の上に神社が見えています。長い石段の下に鳥居がありその前を更に西に道なりに行くと林の中に入ってすぐ右手に古墳があります。低い墳丘が残っていて西向きに石室が開口、羨道はかなり破壊されているようですが5m程度の玄室が残っています。ただ一見して全体が斜面下方側に歪んできているようで奥壁も少し傾いているかもしれない。市内唯一の横穴石室だそうだ(説明板では地下式横穴となっている。現地の説明板には時々こういうあまり使われないような用語が出てきますね)。市史跡。
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