小目津古墳

和歌山県みなべ町(旧南部町)2008年3月訪問

円墳、R8
横穴式石室、全長4.9m、玄室長2.7,幅1.5,高1.9m
位置:33°45′54″N 135°18′21″E (日本測地系)
    33.76835773 135.30305791(世界測地系)

下の公園からの遠望、左手尾根筋西側奥の方にある


(見学記)
現みなべ町小目津、小目津崎西側の海に面した斜面に位置しています。北側はホテル敷地なので東側の公園から接近することになります。公園から見て一番東側の尾根以外は海に面していて接近が難しくないだろうと思い(今考えてみるとまるで根拠がなかったですが)一番東側の尾根に挑戦。尾根下に接近するだけでも大変で何とか斜面にとりつき尾根筋に至る。尾根筋を上から下まで歩いてみたが石室らしきものは無し。すると西側斜面かなと思ったが樹木が茂って見通しが利かず歩けるような場所でもないので断念。後日もう一つ西側の尾根にあることを知る。ちょっぴり悔しさを込めて失敗談をアップ(苦笑)。

三昧塚古墳

和歌山県紀の川市(貴志川町)2008年3月訪問

円墳、R40、5C中
位置:34°12′30″N 135°18′55″E (日本測地系)
    34.21163817 135.31249353(世界測地系)

大きな墳丘が残る、下段は元の地面のようだ


(見学記)
紀の川市貴志川町神戸、貴志駅北側150m段丘の端近くに立地する径40mの大型円墳で裸の状態で残っています。周りが水田になっていて一番下の段は元の地表面かもしれない。南西にある鑵子塚はパス。

丸山古墳

和歌山県紀の川市(貴志川町)2008年3月訪問

円墳、R42,H6.3、5C
組合式箱式石棺
位置:34°12′47″N 135°18′46″E (日本測地系)
    34.21635974 135.30999371(世界測地系)

墳頂部に露出した箱式石棺蓋石、手前に縄掛け突起がつく


長さは2.8m、幅1-1.23m、南辺側に副室がある


副室と蓋石


石棺内部、各面が1枚石で構成されているようだ


(見学記)
紀の川市貴志川町上野山、貴志川中学校グランド東側に径42m高6mの大きな墳丘が残っているが全体が竹林に覆われて墳丘を見ることが出来ない。墳頂に結晶片岩で出来た大きな組合式箱式石棺があります。露出しているのは蓋石(長2.8m)だけで本体は埋まっていますが蓋石一部が壊され中を覗くことが出来る。写真を見ると各面も1枚石で構成され平面も非常に整えられているようだ。いわゆる箱式石棺とは一線を画する立派なものです。蓋石にも西側に縄掛け突起がついています。また南辺側には小さな複室があり蓋石が外された状態で露出しています。県史跡。

北古墳群

和歌山県紀の川市(貴志川町)2008年3月訪問

6基

全景(西から)


全景(南東から)トタン屋根があるのが1号


1号
横穴式石室、玄室長2.6,幅2,高2.4m
位置:34°12′21″N 135°19′59″E (日本測地系)
    34.20913884 135.33026934(世界測地系)
開口部、羨道が埋まり地下に降りるような感じ


玄門


石棚のある岩橋型玄室


奥壁、正面から見ると石棚が分かりにくいな


1枚石の天井


奥から外、両袖式


2-5号
_1:1号南側


6号
_1:他のとはやや離れて立地、右遠方に1号


(見学記)
紀の川市貴志川町北、国道424号を南下すると丹生神社の入り口に信号のある交差点がありもう一つ南側の道路を東に行きます。道路が登りにさしかかって50m程登るとイチョウの木の影に説明板が立っています。ここからも登って行くと墓地の北側に数基の古墳があります。1-5号があるはずだが確認できたのは4基だけ。1番北側の1号で石室が開口、入り口部分がトタン屋根で覆われています。羨道は埋没していてまるで地下に降りるようになっています。玄室は完存、岩橋型の石室で奥壁に石棚、背が高く天井は1枚石です。右側壁上部に長い平石がある。岩出市の船戸1号にも同様の平石があったけど何か意味があるのかな。道路を隔てた南側に6号の墳丘がある。説明板の道路反対側に駐車スペース有り。市史跡。

平池古墳群

和歌山県紀の川市(貴志川町)2008年3月訪問

1号
前方後円墳、全長31.5m
位置:34°12′32″N 135°18′16″E (日本測地系)
    34.21219345 135.30166131(世界測地系)
僅かな高まりが残る墳丘、左手前の石は正体不明


北側から、右池の中に2号、左遠方に3号


2号
円墳
位置:34°12′28″N 135°18′15″E (日本測地系)
    34.21108247 135.30138359(世界測地系)
池の中に島のように残る


3号
円墳、R17
位置:34°12′31″N 135°18′16″E (日本測地系)
    34.20969377 135.30166136(世界測地系)
池南岸に残る


(見学記)
平池周辺にある古墳群です。北側池の側にあるのが1号、全長31mの前方後円墳ですが僅かな高まりが残る程度。公園整備に際してここも整備されたんでしょうか一応前方後円墳の形をしているけど南側が後円部かな。すぐ脇に意味ありげな緑泥片岩の巨石が置かれているが何の説明もない。南側池の中に島のように浮かんでいるのが2号、南側池の縁にあるのが3号、共に円墳です。池の周辺が公園となっていて北西隅と南側に駐車場有り。

双子三昧塚古墳

和歌山県紀の川市(貴志川町)2008年3月訪問

前方後円墳、TL42,R23.4,FW32
位置:34°12′31″N 135°18′29″E (日本測地系)
    34.21191577 135.30527206(世界測地系)

樹木に覆われた墳丘


(見学記)
紀の川市貴志川町長原、平池北東にある全長42mの前方後円墳。全体が樹木に覆われている。説明板あり。

室山古墳群

和歌山県海南市 2008年3月訪問

7基

麓案内板から見た遠望、画面中央山頂辺りに2号、右に流れた尾根先端に1号


1号
円墳、R20,H4、6C後半~7C初
複室石室、全長7m以上
石棚2,石梁4
位置:34°10′13″N 135°12′34″E (日本測地系)
    34.17358514 135.2066698(世界測地系)
山中腹の尾根先端に立地


南側に開口


石室正面


前室玄門かな


岩橋型玄室、奥壁に石棚、上に石梁


画面下は石棚、石梁が3本見えている


ストロボ撮影


石棚と3本の石梁、前のと併せて石梁4本


天井石


奥から外、両袖式


2号
円墳、R15,H3
横穴式石室、全長5.9m、玄室長2.8,幅1.8,高2.5m
石棚1,石梁2
位置:34°10′12″N 135°12′28″E (日本測地系)
    34.17330736 135.20500329(世界測地系)
山頂近くに立地


入り口は柵で閉鎖(1号も同様)


石室正面


幅の狭い羨道


岩橋型石室、奥壁に石棚、上に石梁


画面上が石棚、石梁は水平に架けられている


石棚上部


右が石棚、左が水平石梁、中央天井石


奥から外、両袖式


(見学記)
海南市黒江、JR黒江駅北西和歌山市との境界にある独立丘陵の大山にある7基からなる古墳群で1,2号で石室を見ることが出来ます。大山南東麓に案内表示があり急傾斜の細い山道を10分ほど登ると尾根先端に1号があります。径20mの墳丘はよく残っていて南側に石室開口、現在入り口に柵がありますが鍵がかかっていなかったので取り外して内部に入る(後で戻しておきました)。玄室は背の高い岩橋型、石棚が2、石梁が4あるそうだが今写真を見直しても複雑でよく分からない。石棚1と石梁3は確認できるんだが。更に山道を5分ほど登り山頂直前に2号があります。こちらも南側に開口、こちらも柵があるけど隙間から入らせてもらいました。全長5.9mで羨道玄室ともよく残っています。羨道は幅が大変狭い。玄室はこちらも岩橋型で石棚1石梁2、石梁の一つは水平に架けられています。それにしても山頂近く奥壁や側壁の小さな石ならともかく石棚や石梁の巨石をどうやって運びあげたんでしょうね。斜面もかなり急傾斜だしな。現在側壁がかなり孕んできていて危険な状態、小口積みだけに今にも崩れそうで余計に怖く感じました。山頂にも3号墳あり。県史跡。

船戸山古墳群

和歌山県岩出市 2008年3月訪問

現存7基

1号
円墳、R10
横穴式石室、全長5.6m、玄室長2.1,幅1.7,高1.6m
位置:34°14′37″N 135°18′53″E (日本測地系)
    34.24691173 135.31193726(世界測地系)

丘陵頂部に立地、墳丘ははっきりしない


石室正面、羨道はかなり破壊


岩橋型石室、石棚や梁はない


玄室上部、側壁の上部に平石がある


狭い天井部、右が奥壁側


奥から外、両袖式、袖の位置が前後にずれている


2号
円墳、R15
横穴式石室、全長6.6m、玄室長2.95,幅1.8,高2.9m
石障、棺台、石棚
3号から見た墳丘、左手に石室開口


南側に開口、入り口部分は覆い屋で保護


羨道前室前道と複雑な構造、煤けて黒くなっている


岩橋型石室、上部に石棚、下は棺台かな


玄室上部


狭い天井、右が奥壁側


棺台上部、2枚の石からなり石槨状


棺台下左側


棺台下右側


床面中央の石障


奥から外、両袖式


奥から見た前室


3号
丘陵上側から見た墳丘


墳丘は良好に残るも墳頂部盗掘


(見学記)
岩出市船戸、船戸山団地西側の丘陵上に7基現状保存されていますが見学できるのは3基。JR船戸駅南側の住宅団地があり県道9号の信号のある交差点から入ってすぐ右手に真っ直ぐ行くと突き当たりが古墳群のある林です。林に入って少し登ると右手に2号がありますが取りあえず丘頂部にある1号へ。頂部は笹が茂って意外と分かりにくいですが1号が西向きに開口しています。前部が盗掘されて羨道は殆ど破壊、盗掘の仕方が何か計画的な感じです。玄室は完存、緑泥片岩小口積みの岩橋型ですが石棚や梁はありません。玄門は両袖式ですが石を何段も積み重ねています。左右の幅が少し違うし前後にもずれているようだ。2号は低い墳丘で南側に開口、入り口が覆い屋で保護されています。石室は良好に残っていて羨道前室前道玄室と複雑な構造、全体が下り坂になっていて元の斜面に沿って石室を構築したんでしょうか(その方が築くのが楽だろうし)。中にはいると入り口辺りは煤で真っ黒、何をしたんでしょうね。玄室前は左右に板石をおいていかにも通路な感じ。玄室は岩橋型で床面には石障、奥壁は石棚が上下に二つある複雑な構造です。ただ下側の石棚はかなり下にあり2枚の石からなっていて石槨状、下にも四隅に柱石のようなのがあるし敷石も敷かれていて石棚でなく棺台かもしれない。でも上部だけでなく下の空間も何かに使ったんだろうか。1号と2号の中間に大きな墳丘があってこれが3号かな。円錐形の墳丘が良好に残っているが墳頂に大きな盗掘跡があります。石材は出てないけど岩橋型の石室ではないのかな。石室自体はそれ程大きくないのでこういう複雑な構造を撮るのは大変。1-3号が県史跡。
ここを見学の際一番注意しなければいけないのがサギ。高い樹上に巣を作っていて糞を落としています。初めは気がつかず何かがボトボト落ちる音がなんだと思っていた。撮影中も体やカメラに直撃するんじゃないかと気がきじゃなかったですね。その意味で2号入り口の覆い屋は助かった(笑)。

崎山古墳群

和歌山県印南町 2008年3月訪問

14号(切目崎塚穴古墳)
円墳、R20,H3、6C後半
横穴式石室、全長6m、玄室長2.65,幅2.18-2.2,高2.25m
位置:33°46′44″N 135°14′19″E (日本測地系)
    33.78224357 135.23584207(世界測地系)

国道脇に立つ大きな標柱、古墳はそのすぐ奥


南側に開口


羨道前部はかなり壊失


羨道、玄門


背の高い玄室


奥壁、石材は側壁と変わりなし


狭い天井


奥から外、両袖式


18号
円墳、R8
横穴式石室、全長4.5m、玄室長2,幅2m
位置:33°47′09″N 135°14′13″E (日本測地系)
    33.78918711 135.23417543(世界測地系)
上部を失った石室が露出


方形プランの玄室、奥壁中央の石は不自然で別物かも


玄室奥上から


玄室斜め後方から


19号
円墳、R12
墳丘は良好に残る


(見学記)
印南町島田崎山、国道42号沿い信号のある交差点脇に宗教法人弘竜庵の駐車場がありその西側道路向かいの海岸保安林の中に18,19号があります。駐車場から説明板が見えています(18,19号と書かれているが肝心の古墳群名は書かれてないんだよね)。左側にあるのが18号、両袖式の石室が露出、羨道玄室とも下部しか残っていません。玄室は2m四方の正方形プランで奥がやや広がる。僅かに残る奥壁の中央は他と違った小型の石が積まれていてこれは石室本来の物とは違うかも知れない。すぐ北側にあるのが19号、墳丘は割とよく残っているが主体部は不明。町史跡。

切目崎塚穴古墳(崎山14号)
国道を更に南下、切目崎辺りから上り道になって上り詰めた辺り左手に大きな標柱が立っています。南側に石室開口、説明板が立っています。石室前はまるで溝を掘られたよう、羨道も一部破壊され玄門辺りはよく残っています。玄室は完存、奥壁側壁ともやや丸みのある中型の石材を積み重ね持ち送りがあり天井部は大変狭く背の高さが強調されている感じです。玄門は両袖式、左右の袖石は幅がやや違っています。石室全長6m、でも羨道と玄室をあわせた長さは4.55m、前面の溝は墓道でこの部分を含んでいるのかも。県史跡。
カーナビの地図にこの古墳が載っていたのでラッキーと思ってそれに従っていったら地図の間違いで位置が西側すぎで何もなかった。この余計な物が載っていなかったら後50mも行けば標柱が見つかったのにね。

隅田八幡宮古墳

和歌山県橋本市 2008年3月訪問

円墳、R16
横穴式石室、全長5m以上、玄室長3.3,幅1.7,高1.7m
位置:34°19′45″N 135°38′49″E (日本測地系)
    34.33246204 135.64412825(世界測地系)

石室開口部、手前の巨石は羨門扉石だそうだ


羨道


精美な切石積みの玄室


奥から外、両袖式、側壁の一部が少し突き出ているようだ


左側壁(奥から)


右側壁(奥から)


(見学記)
橋本市隅田町中島、隅田八幡宮西方100mの低い台地上にある古墳です。八幡宮との間に小さな谷があり谷の入り口辺りから登っていったら上は一面の細竹が密生して移動もかなわず古墳がどの辺りにあるかも見当がつかない。谷筋を入っていったら細竹を刈った跡があったので何とか入れることが出来ました。古墳の場所は樹木があって見当がついたので何とか接近、最後の5mは強行突破して石室にたどり着くことが出来ました。石室前には巨石が落下しているけどこれは羨門扉石だそうな。入り口以外羨道玄室はよく残っています。切石積みの非常に精美な石室、思わず凄いとうなりたくなるような石室です。奥壁は巨石の1枚石の上に角石を積み重ねています。玄門辺りで側壁の一部が突き出ているけど土圧のせいか本来のものかは不明。苦労して訪問した甲斐のある石室でした。市史跡。
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