柴山古墳群

山口県防府市 2020年1月訪問

横穴石室墳9基

1-3号入り口、北側麓にある、でも見つけたのは訪問後(古墳あるある)


1号
 位置:131°29′28″
     34°02′38″(日本測地系)
     34.04715069 131.48868236(世界測地系)
東側半独立丘陵頂部に位置する


反対側から


細長い石室、落下した天井石でわかりにくい


正面から


袖石のようで角柱状、この古墳群の特徴のようです


最奥の天井石、下に奥壁が見えているから動かされているようだ


上面が随分平ら、ひっくり返されているかもしれない


2号
1号のすぐ先に2号


その先に3号


天井を失った石室、1号に比べて幅が広い


両袖式、閉塞石がそのまま残っている


奥壁、特に大型石材はなさそう


正面側から、まぐさ石だけが残る、羨道も下部が残っているようだ


3号
表示版が立つが破壊された石室?


石材は見られるが石室構造はよくわからず


西側入口
西側麓辺りにある墓地、この墓地自体がわかりにくい


墓地奥に案内板、墓地入口に欲しかった、名前が”旦山古墳”となっている


5号
 位置:131°29′12″
     34°02′38″(日本測地系)
     34.04715059 131.48423824(世界測地系)
山道を登っていて最初に出会う


これも上部を失った石室


正面から


斜め前から


奥壁は上まで残っているようです


背後から、袖石間のはまぐさ石のようです


右側が平らなのでこちらが底面のよう


羨道下部が残る、袖石、特に正面左側のが完璧な角柱


背後から見ると墳丘が残る


6号
5号の先に6号墳丘が見えている


墳丘は残るが天井石露出


斜め前から撮影、最奥天井石が残る


ここも角柱の袖石、前は急斜面、羨道はあったんでしょうか


正面から、袖石が見事


奥壁は巨石鏡石+平石


左側側壁、下部が巨石


右側側壁、似たような構成


奥から外


4号
更に登っていくと山頂手前に石室


石室基部だけ残存


横から


後方から、ここも角柱袖石


やはり袖石があると石室らしく見える


(見学記)
防府市柴山、佐波川河口近くの独立丘稜柴山にある9基からなる古墳群ですが6基確認。1基を除いてほぼ石室下部しか残っていません、玄室長も2m程度と揃っている。丘陵東側が小丘陵になっていて頂部辺りに1-3号がある。1号は頂部にあり南東向きで天井石が玄室内に落下、袖石が残っていて両袖式でしょうか、奥壁も2段積みのが残っているようだ。他と比べてこれだけが細長い玄室。直ぐ側に2号、こちらは南西向き、両袖式石室下部が残っているがこれで特筆するのは玄門に2段に積まれて閉塞石が多分当時のままの状態で残っていることです。もう閉塞石というより扉ですね。2号に接して3号があるが石積みなのか石が葺かれているのか、石室の様子はよく分かりません。北側に階段があったので降りていったら麓に案内表示がありました(ここに駐車スペースあり)。古墳公園となっているようですが名前は旦山古墳公園となっている。勿論これが分かったのは登った後、最初は南側から送信アンテナの場所まで道があるからそこまでいって後は直登、古い竹林で倒れた竹もあって歩きにくく往生しました。
西側頂部と尾根筋に4-6号がある。中腹に墓地があってその奥に案内板があります(せめて墓地の入り口に設置してくれ、墓地そのものも場所がわかりにくい)。案内板は多分これだけ、そこから荒れた急な山道を登っていくと5号があります、基部だけ残っていて袖石を立てた両袖式、片方の袖石は四角くまるで切石のよう、直ぐ側に6号、急斜面に立地しているので羨道は完全に壊失しているが玄室は前部天井石が無くなっている他は良く残っています。立柱石を立てた両袖式、巨石ほぼ1枚石の奥壁、最奥の天井石が残っています。玄室長は2m程度しかありませんが奥壁が巨石なので大きく見えます。更に登っていくと最高所手前の平坦面に4号、ここも基部だけど羨道も残っています、これもやはり両袖式。ここも古墳公園のようですが整備された道はなく見晴らしがいいわけでもなく余程の古墳好きじゃないと来ないと思うぞ。6基の立地場所が頂部や尾根筋だったので残る3基も稜線などを探してみたのですが見つからなかった。

井出山古墳群

山口県防府市 2020年1月訪問

2基

墓地入口に案内板、でも以後は全くなし


クイズ古墳はどこだ状態(笑)


1号
 複室横穴式石室
 位置:131°36′25″
    34°06′20″(日本測地系)
    34.10881304 131.60450301(世界測地系)
墓地のほぼ中央、樹木の下にあります、でも最初は上から近づいたので開口部に気が付かず


横から見ると割と墳丘が残っている、これも石室入室後からですが


開口部、ここは前室玄門上辺り、右下に羨道開口部、天井がずれてます


開口部から見た玄室玄門


持ち送りのある玄室、奥行きはあまりない、奥壁は1枚石


 〃縦位置


天井、画面下が入口側


奥から外、両袖式、袖幅が割と広い


〃縦位置


奥から左


奥から右


前室奥から、割と広い


前室、奥から左側


墳頂に天井石が露出、角張った石だったのでてっきり墓地関連の石かなと思ってしまった、奥に2号が見えてます


2号
側壁が露出した石室


石室と分かっていたようでギリギリ保存


正面、内部は殆ど埋没


(見学記)
防府市真尾、丘陵中腹の開けた墓地の中に2基の石室墳があります。墓地下の入口辺りに観光協会の案内板があり墓地も大きくないのでこれは楽勝かと思いましたがぱっとみた限りではまるで見当たらない、かなり急斜面なので墓地全体が見やすいんですけどね。その内怪しい石材発見、でも端が直線的でこれは現代の石材かと思いましたがよく見るとその下側に開口していました。羨道は埋没しているが玄門上辺りが開口、しかも複室石室でした。石室があるのは分かっていたが中に入れるのがあるとは思わなかった、嬉しい誤算。玄室はそれ程大きくはなく前室とあまり変わらない、でも奥壁は巨石1枚石で見応えがあります。もう1基は10m程西側、墓石の傍らに開口していますが内部は殆ど埋没しています、これは分かりにくい。下の道路が狭いですが軽自動車が停められる程度のスペースが有る。

中ノ浴古墳

山口県山陽小野田市(旧山陽町)2018年2月訪問、19年2月再訪

特異な外堤を持つ円墳
位置:34°03′01″N 131°08′51″E (日本測地系)
   34.05353208 131.14509883(世界測地系)

丘陵中腹、古い墓地の背後にある


手前に外堤を持つ基壇、と言っても写真では殆どわかりませんが


墳丘上段、やや北側に偏る


大きく盗掘、僅かに小型石材が見える


基壇上部縁に外堤状高まりがある、右奥に上段墳丘


多分同じ辺り、カメラ位置を低くして撮影


高さ3,40cm程度でしょうか、上部墳丘との間に平坦面


北西側外堤


中央辺りから見た東側外堤、低くてあまりハッキリしない


西(山側)から見た基壇部


見学記
(2018年)
中ノ浴古墳
山陽小野田市山川、情報としては保育社「日本の古代遺跡山口」の分布図に載っているだけ。県遺跡地図にも載っていたけどほぼ同じ場所、こういうのはあまり正確でな事もあるのであまり期待せず探してみました。一昨年七日町古墳群を訪問した序に探したけどその時は丘陵南側から、今回は西側から挑戦してみました。山林状態の丘陵はまず入り口を見つけるのが大事、ここは麓に住宅が並んでいるので尚更、でも何とか入る道を見つけましたがどんな状態なのかさっぱり分からないのでとにかく山道を歩いていくと古い墓地がありました。その背後に高まりがありその上に墳丘らしきものがありました。墳丘は10mにも満たない大きさだが頂部が大きく盗掘されて逆に古墳を思わせます。小さな石材が僅かに見られますが主体部は完全に破壊されているもよう。これ自体は平凡だけど周りが平坦でその端が外堤のようにたくなっています、現状で1m程の高さ。改めて見ると丘陵頂部を平坦に整形し墳丘を構築、その端を堤状に盛り上げて囲んでいます。外から見ると外堤は1,2mの高さがある。外堤がある古墳と言えば平野部に構築された巨大古墳で時折見かける程度、丘陵上しかも小型古墳で外堤があるというのは記憶に無いですね。なので若干疑問を感じながら帰ったのですが、帰ってから例の本を見てみると本文中に土堤を持った古墳と書かれていました。やはりあれで間違いなかったんだ。あまり期待はしなかったのですが特異な古墳を見つけて満足しました。因みに読みは”なかのえき”です。麓の道路ゴミステーション脇に駐車可。

(2019年)
昨年は古墳のことをよく調べずに行って帰ってから特異な墳丘と判明、写真もあまり撮ってなかったのでもう一度訪問してみました。墳丘は下段が東西方向にやや長い長円形20×15m程の大きさ、その上に径10m程度の墳丘が乗っていますがやや北に偏っています。下段に外堤のような高まりがあるのが特徴、高さは5,60cm程度でしょうか、全周しているようです。まず見たことのない墳形です。上部墳丘は大きく盗掘されているのが惜しまれますが外堤部分はよく残っています。盗掘跡に僅かに小さな石材散乱、立地等からして終末期に近い古墳だと思われ石室はあったとしてもかなり退化した石室でしょうか。ゴミステーションから橋を渡って右側の民家背後に道を行くと石仏?があります。そこから林の中に入っていくとほぼ1本道で墓地にたどり着きその背後にあります。

長光寺山古墳

山口県山陽小野田市(旧山陽町)1994年4月訪問、18年2月再訪

前方後円墳、TL58,R38,RH5.3,FW26,FH3.8、4C後半
竪穴石室2
位置:34°02′33″N 131°09′00″E (日本測地系)
   34.04575518 131.14759889(世界測地系)

(2018年)
墳頂に上る道、これが後円部側面


上部は広い平坦面、前期古墳だからこれが当時のままでしょうね


西竪穴石室


側に天井石が2枚あるが植木が育ち見づらくなっている


長い竪穴石室が良好に残る


反対側、天井石が落ちているのかな


開口部側壁


こちらが東竪穴石室でしょうか


手前が天井石で奥が側壁上部なのかな


前方部半ばから見た後円部平坦面


同じ場所から見た前方部、奥に見えている高まりは切り離された尾根


後円部、何処から見たか不明


前方部側面から後円部


尾根切断部、左が墳丘、築造当時はもっとハッキリしていたんでしょうね


(1994年)
後円部側面、背の高い墳丘が良好に残っているが全体像を見るのは困難


墳頂の竪穴石室、手前が西石室、画面左奥に東石室(埋没)


西石室内部、割竹形木棺が納められ三角縁神獣鏡が出土している


見学記
(2018年)
山陽小野田市郡、竪穴石室2基を持つ前期の前方後円墳です。前回行った時は4月だったけど墳丘の様子は全くわからず、今回冬枯れ時に行ってみたら墳形がよく観察できました。後円部前方部もよく残っていて後円部頂きが平坦で前方部と高さが殆ど変わらない様子がよくわかります。前方部端は尾根をカットした跡もよく残っています。カットが甘いですが少し埋まってきたのかな。後円部中央の竪穴石室は変わりないけど(当たり前)前の写真だと石室脇の小さな樹木が大分大きくなっているのが時の移り変わりを感じさせます。東側竪穴石室も一部石材が出ていますが元の状態はわかりにくい。古墳北側を通る道路に案内板がありここに駐車可。でもこの日は当地には珍しく積雪があり手前で道路が圧雪状態で車では辿り着けず四苦八苦。

萱曲古墳

山口県宇部市 2001年4月訪問、18年2月再訪

円墳、R11.5,H4
複室横穴式石室、全長6.3m,玄室長2.5,幅1.9,高2.21m
位置:34°01′53″N 131°15′24″E (日本測地系)
   34.03464736 131.25425776(世界測地系)

(2018年)
県道から見えている白い説明板が目印、17年前と何ら変わりなし


側まで来ても開口部がわかりません


藪をかき分けると直ぐに開口、羨道壊失、ここは前室


天井石が倒れかかっている、前室側壁が随分斜めに見えるけどカメラアングルのせいか


後室玄門、袖石を立てている


ほぼ1枚石の奥壁、後室奥行きはそれ程ない


〃縦位置


天井石は2枚、やや持ち送りがある


奥から外、両袖式、袖が幅広い


側壁基部は1枚石の巨石


反対側も同様


玄室床面中央辺りに石列がある、入口側は敷石があるが奥はなさそう


前室奥から、斜めに落ちた天井石


前室側壁、かなり平面に整えられている、前室袖石も残っているようだ


反対側、際どく崩壊を免れている


(2001年)
藪に包まれた墳丘、側の説明板が目印


巨石1枚石を使った玄室


奥から外、袖石を立てた両袖式


奥から玄門、中室、羨道は殆ど壊失、中室も片側が大きく崩壊


(見学記)
(2018年)
前回はフィルム時代だったのでデジカメで撮り直すべく再訪してみました。17年ぶりだから前回のはすっかり忘れていて新鮮な気分(笑)。南を通る県道215号から説明板が見出ていますが古墳を思わせるのは全く見えません。途中段々畑(多分栽培していない)を2段程上がってやっと説明板の所にたどり着きます。説明板脇に開口、藪だけど直ぐなので入るのは難しくありません。複室石室で羨道はほぼ壊失、前室は天井が大きく傾き左側はよく見えませんが右側を見るとそれ程横幅はなさそうです。玄室完存、袖石を立てた両袖式、奥壁は縦長でほぼ巨石1枚石、側壁は左右とも巨石1枚石を据えています。天井は狭く2枚からなる。床面中央辺りに仕切のように平石が並べられている。そこから奥の床面には何もなさそうで石材が転がっているし石棺でもあったんでしょうか。踏切南側道路脇に駐車スペースあり。

(2001年)
径11mの円墳で持世温泉入り口バス停の北側にあります。墳丘は藪の中ですが側の説明板が目印。その脇に石室が開口していますが草木が茂ってちょっと入りにくい。全長6.3m複室構造の石室ですが羨道は殆ど壊失、前室も左側が大きく崩壊しています。玄室はほぼ完存、長2.5,幅1.9,高2.2mとやや背の高玄室で奥壁は一枚石、床面には礫や平石が敷かれています。

丸小山古墳

山口県下関市 2017年6月訪問

円墳、R10程度、6C後半~7C前半
横穴式石室、全長4.2m、玄室長2.4,幅1.25-1.54m
位置:34°00′25″N 130°56′26″E (日本測地系)
   34.01020053 130.93817185(世界測地系)

半独立丘陵上、頂部よりや役立った斜面に立地、丘陵南半分は以前の工事で削られた


上部を失った石室、それ以外残り具合は良い、床面前面に敷石


羨道先端まで残っている、前面に列石を配置


敷石は羨道途中まで、仕切り石で区画


右斜前から


左斜め前から


真横から


右後方から、見納めなので色んな角度から撮影


真後ろから、奥壁下部の石背後が見えている


出土遺物


丘陵頂部辺りで出土した鉄鏃、別の埋葬施設が予想される


見学記
下関市延行、丘陵から派生した小さな半独立丘陵上にある古墳です。遺跡自体は以前から知られていましたが1986年住宅開発に伴う事前調査で石室が見つかり見つかり新たに丸子山古墳と命名されました。17年本格的な発掘で石室全貌が判明、上部を失っていますが玄室や羨道下部が良好に残っていました。丘陵頂部よりやや西に下った斜面に構築、南側に平野が広がっているのに何故か北西に開口、全長4.2m、玄室長2.4、幅1.25-1.54m、両袖式ですが左袖はあまり明確ではない。床面には角礫が敷かれ一部羨道にまでおよび仕切り石で区切られている。奥壁沿いには平石が敷かれ明らかに違った区画、この片隅から臼玉が出土しています。石室前面だけに列石がある。市内では良好に残る石室だけど残念ながら発掘後消滅するようです。
(追記)17年12月現在、丘陵ごとすっかり削平されていました。移築もないようです。

みばやし古墳群

山口県下関市 1993年4月訪問、2017年1月再訪

7基以上

(2017年)
その1
位置:34°00′29″N 130°56′19″E (日本測地系)
   34.01131152 130.93622755(世界測地系)
墓地北側、最初に出会う


現状ではこれが最大かな


その2
僅かな高まりだがこれでもましな方


その3
取り敢えず高まりがあれば撮る


その4
肉眼だとハッキリ分かるんですが


その5
写す方向も大事、なるべく障害物がないようにね


その6
障害物がないと写真でも比較的分かりやすい


その7
これはもう肉眼でないと分からない


(1993年)
画像無し

(見学記)
(2017年)
下関市延行、延行送信所南方150m、丘陵最高所辺りの平坦面に分布する古墳群です。前回訪問した時は墳丘だけだったのでアップはパスしたので再訪してみました。記憶の中では開放的な墓地の中に土饅頭のような墳丘があるイメージがあったのですが行ってみるとまるで違っていました。頭の中で他の古墳と混乱していたかも(実際経験あり)、とは言え違いすぎたな、四半世紀くらい経っているからいたしかたないか。送信所東側の住宅脇を通って林の中に入ると墓地があります。その手前に背の高い墳丘があってこれが一番良好(後で古墳群に属さない岡古墳と判明)、墓地の手前にも1基、更に墓地を通り過ぎて竹林の中に5基確認できました、どれも低い墳丘です。幾つかの古墳で頂部が盗掘されていますが石材は全く見られず木棺直葬かもしれません。前回は6基、今回は7基確認したからほぼこれくらいの規模かな。送信所脇に駐車スペースあり。

(1993年)
更に東に行くと海上保安庁送信塔の南側墓地周辺にある古墳群です。小型の円墳が7基確認できました。内部主体は不明。更に東側仁馬山古墳との間にも2基有り。

岡古墳

山口県下関市 2017年1月訪問

位置:34°00′33″N 130°56′23″E (日本測地系)
   34.01242252 130.93733855(世界測地系)

みやばし古墳群北東100m辺りにある、単独墳のようで固有名が付いていました


高さ3m程、径の割に背が高い


見学記
みやばし古墳群の手前にある古墳です。てっきり古墳群に属していると思っていましたが岡古墳という別の名前が付いていました。そういう目で見るとみやばし古墳群の墳丘と比べると随分背が高いです。高さから後期古墳かと思われますが周囲が多少削られているのにもかかわらず石材は全く見られません。墳丘には太い竹が密生しています、裸の状態だったらまだ見応えがあったんですけどね。

迫山石棺(安岡八幡宮石棺)

山口県下関市 2014年2月訪問

箱式石棺
位置:34°01′39″N 130°55′10″E (日本測地系)
   34.03075336 130.91706237(世界測地系)

偶々訪問した神社で偶然見つけた、標柱は安岡八幡宮古墳となっている


標柱反対側にある、背景は一見円墳のよう、祀り事の対象になっているようだ


蓋石3枚露出、棺身も見えている、原位置のままでしょうか


蓋石の下に棺身、内部は埋没


見学記
下関市安岡、別の目的で神社に行ったら境内に”神功皇后ゆかりの武将の石棺”なんて説明板(石柱)があった。神功皇后はともかく石棺に惹かれて慌ててゴー、どうやら箱式石棺のようで現在は御霊屋のように祀られているようです。神社が低い丘陵上にあってその頂部が一見円墳風、その裾辺りにあります。蓋石3枚と身の一部が見えているが内部は埋没、3世紀のものだそうです(出土品からより神功皇后関連ということで3世紀としたのかな)。ひょっとして頂部にも別の主体部があるかもしれない、と勝手想像。実は説明板を見る前にこの脇を通っていたのですが円墳そっくりの地形だなと思ったけどここに古墳があるはずないなと通り過ぎ箱式石棺も気が付かなかったよ。現地標柱は安岡八幡宮石棺となっていますが県遺跡地図では迫山石棺となっています。神社駐車場あり。

観音岬古墳

山口県下関市 1988年4月訪問、2017年1月再訪

前方後円墳、R27、5C
位置:34°01′21″N 130°54′26″E (日本測地系)
   34.0257536 130.90484134(世界測地系)

(2017年)
南西からの遠望、海に突き出た岬上に立地


墳丘のように見えますが殆ど林です


グランド側に保存、説明板がなくなっていた、林が透けていて墳丘が低いのが分かる


後円部墳頂は広く前期古墳を思わせる


江戸時代の墓石でしょうか、人工物があったのはこれだけ


(1988年)
響灘に突き出た岬上に立地、前方部削平


(見学記)
(2017年)
下関市安岡本町3丁目、岬に立地した前方後円墳です。北バイパスから岬の上に乗っかったような古墳が遠望できるので行ってみました。以前は説明板が立っていたがそれがなくなっているが他は変わりなし、全体が雑木に覆われていて中に入っていく道もありません。それでも強行突入、前方部が壊失していますが南西側に出っ張りがあり多少は残っているようです。後円部は上部は広く平坦になっていて前期古墳を思わせます。上には墓石が1個あるのみ(明治か江戸後期か)。入り口辺りに駐車スペースあり。

(1988年)
安岡の西側,海に突き出た村崎ノ鼻の南端に位置する前方後円墳ですが径27mの後円部のみ残っています。
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