宮乃脇古墳群

岐阜県可児市 2010年3月訪問

2,3号を郷土歴史館に移築

2号
横穴式石室、全長4.4m、玄室長2.7,幅1.3m
位置:35°24′01″N 137°06′51″E (日本測地系)
    35.40348628 137.11118439(世界測地系)
河原石を使った石室、基部だけが残る


仕切石で玄室羨道を区別


玄室に棺台らしき石が残る


3号
横穴式石室、全長2.3,幅0.7m
同様に河原石を使う、ずっと小形


こちらにも棺台の石がある


(見学記)
可児市久々利にある郷土歴史館中庭に2,3号の石室が移築されています。共に河原石を使った横穴式石室ですが基部しか残っていません。内部に棺台と思われる石が並べられています。2号の方には仕切石があって玄室と羨道を区別しているようです。館内には羽崎日吉古墳の家形石棺も展示されていますがこちらは撮影禁止。駐車場有り、入館料310円。この日は祭りが行われていたせいで無料だった、ラッキー。

見隠山古墳群

岐阜県可児市 2002年5月訪問

前期古墳2基

見隠山御嶽古墳
円墳

貯水槽で大きく変形


見隠山白山古墳
円墳、R41,H4.5
位置:35°25′13″N 137°04′23″E (日本測地系)
    35.42348193 137.0700765(世界測地系)

墳丘、岩盤を刳り抜いた墓壙があるそうだが埋め戻されている


(見学記)
上記丘陵の西端、住宅団地西側が自然公園となっていてその中にあります。古墳群と言っても前期の古墳が2基だけ。御嶽古墳は上に貯水槽があって大きく変形しています。白山古墳は墳丘が割と残っているが元の大きさは42mあるそうだからかなり小さくなっているようだ。岩盤を刳り抜いた墓壙があるそうだが埋め戻されて見ることは出来ない。県史跡。

前波古墳群

岐阜県可児市 2002年5月訪問

長塚古墳
前方後円墳、TL81,R46,RH8.3,FW32,FH5.9、4C末~5C初
位置:35°25′40″N 137°04′18″E (日本測地系)
    137.06785458 137.06868742(世界測地系)
前方部側から後円部、非常に状態がよい


後円部正面


西寺山古墳
前方後方墳、TL60,R40,RH6
位置:35°25′36″N 137°04′15″E (日本測地系)
    35.42987003 137.0678542(世界測地系)
大きく変形した墳丘、前方部削平、現存長40m程度


野中古墳
前方後円墳、TL58,R32,FW20
位置:35°25′39″N 137°04′13″E (日本測地系)
    35.43042549 137.06702092(世界測地系)
くびれ部北側、全体の1/4くらいしか残っていない


(見学記)
長塚古墳
市役所北側の県道122号(犬山街道)を西に800m程行くとY字交差点北側にあります。全長81mの前方後円墳で保存状態も大変よく形のいい姿を横たえています。国史跡。

西寺山古墳
交差点すぐ西側にある弘福寺前にある前方後方墳です。後方部は割と高さが残っていますが大きく変形、前方部は消滅しています。市史跡。

野中古墳
長塚のすぐ西側にある前方後円墳です。一見見たところくびれ部もあり前方後円墳のような姿を残していますが後で墳丘図を見るとくびれ部北側四分の一くらいしか残っていないようだ。

熊野古墳

岐阜県可児市 2002年5月訪問

円墳、7C
横穴式石室、全長8.3m、玄室長4,幅1.8m
位置:35°25′01″N 137°04′15″E (日本測地系)
    35.42014887 137.06785458(世界測地系)

墳丘、石室正面、羨道は上部が破壊


玄室、奥壁側壁とも小型の割石積みだが天井石は巨大な1枚石


奥から外


(見学記)
市役所南東800m、東西に伸びる丘陵の西端の麓にある円墳で常光寺の西側にあります。南側に石室が開口、羨道は天井部が失われていますが玄室はほぼ完存、側壁奥壁は小型の割石を使っていますが天井石はほぼ1枚の巨石です。県史跡。

羽崎日吉古墳

岐阜県可児市 2010年3月訪問

終末期
横穴式石室、全長4.6m、玄室長2.8,幅1.4m
位置:35°24′50″N 137°05′08″E (日本測地系)
    35.4170943 137.08257576(世界測地系)

斜面に造られた墳丘


東側から


天井部を失った石室露出


切石積み石室


玄室上横から


玄室斜め上から


(見学記)
可児市羽崎中洞、龍泉寺北側にある日吉神社背後にある終末期古墳です。東向き斜面に構築された墳丘は割と残っていて南向きに開口、天井部を失っていますが凝灰岩切石を使った石室です。天井がないからその分観察しやすいけど石材が苔むしてきて風化も進行しやすそうだ。すぐ近くにある羽崎中洞古墳の方には案内板があるのにこちらはないのは何で~。お寺に駐車場有り。

羽崎中洞横穴墓

岐阜県可児市 2002年5月訪問

横穴墓、7C末~8C初
位置:35°24′48″N 137°05′07″E (日本測地系)
    35.4165388 137.08229803(世界測地系)

正面


玄室、作り付けの石棺がある


奥から外、非常に精美な壁面、排水を考慮して入り口に向かって下っている


すぐ下にある横穴墳、こちらも内部は四角く刳り抜かれている、手前の岩は植物の根で倒壊したもの


(見学記)
更に東に行くと日吉神社があり参道を登っていくと案内板があります。岩盤を刳り抜いた横穴墳で壁面をきれいに垂直に刳り抜いていてまるで最近彫り込んだよう、玄室に作り付けの石棺がなければとても横穴墳とは思えない。全体が入り口に向かって下がっていて排水性を考慮しています。落書きがあったのか、壁面保護のためか一部でペンキが塗られていて雰囲気を損なっているのが残念。すぐ下にも同じような横穴がありました。植物の根で岩が倒れていますがまるで人が掘り出したよう、このような割れやすい岩質なのでこの様な横穴が作られたのでしょうか。県史跡。

河合次郎兵衛塚古墳

岐阜県可児市 2002年5月訪問

方墳、L30,H7、7C初
複室横穴式石室、全長15.5m
副石室2
位置:35°26′18″N 137°03′26″E (日本測地系)
    35.44153508 137.05424369(世界測地系)

墳丘南側正面、中央に主石室、左右に副石室がある、東副室は墳丘の上にある小さな石室


墳丘南西側、北向きの緩斜面に立地


前室(内部照明つき)玄門上の石材が崩壊寸前で補強材が入っている


玄室


奥から外


前室奥から外、側壁は河原の丸石を積んでいる


西副室内部、長さ7.4m、後から構築された、奥壁下部の石だけがやや大きい


(見学記)
市役所北北東1.5km、河合地区の住宅街の中にあり特に遮るものもないですが具体的な目標がないので以外と探しにくいかもしれない。一辺30m県内最大級の方墳で川原石で葺かれた墳丘が整備保存されています。石室が3基あり、中央の主石室は複室構造、天井にヒビが入っているようで補強材が入っています。西石室は後から構築されたもので河原の丸石を使った石室が素晴らしい、奥壁の下部にだけやや大きな石を据えているのが印象的でした。東石室は墳丘下段の上に方墳状に作られた小さな石室です。子供が葬られたようですがこの周囲から60個以上の須恵器が完全な形で出土したそうです。石室には柵があり内部照明で見ることが出来ますが側の公民館内にも資料室があり係りの人に頼めば内部も見学させて貰うことが出来ます。ここで市内の文化財マップをゲットできました。県史跡。
(追記)現在は関係者以外石室には入れません

八幡古墳群

岐阜県可児市 2010年3月訪問

現存6基

1号
横穴式石室
位置:35°25′48″N 137°01′11″E (日本測地系)
    35.43320121 137.01674723(世界測地系)
竹が生い茂る墳丘


周りが少し削られている


石室正面


羨道


丸い河原石を使った玄室、奥壁と側壁下部だけやや大きな石を使用


奥から外、両袖?、玄門上部の石が落下している


3号
神社北側林の中


(見学記)
可児市土田、木曽川左岸にある八幡神社周辺にある現存6基からなる古墳群です。神社南側に1号、墳丘は周囲が多少削られていますが割とよく残っていて竹が密生しています。西向きに石室開口、竹で塞がれていますが単に置いているだけなので失礼して中に入ってみました。羨道は多少埋まり玄室もそれ程広くはありませんが丸みを帯びた河原石を使った見事な石室、奥壁は普通の石材3段積み側壁下部もやや大きな石材を据えています。市内の河合次郎兵衛塚古墳の石室と似ています。竹の根が内部に進入して玄門上部の石が落下しているなど状態はよくない。神社も古墳の上に建っているそうでその北側林の中にも背の高い墳丘がありました。この西側にも幾つかあるそうだ。神社脇に駐車場有り。
(どうもここでデジカメの部品をなくしたような気がする、撮影に支障はないけど買い換えるきっかけになったな)

不考寺塚古墳

岐阜県可児市 2002年5月訪問

円墳、R17,H4
横穴式石室、玄室長3.6,幅2.6m
家形石棺
位置:35°24′49″N137°04′54″E (日本測地系)
    35.41681639 137.07868719(世界測地系)

墳丘、石室、左半分はすっかり削平


石室正面、中に家形石棺が埋まっている


石室横から


(見学記)
丘陵南側麓沿いの道を東に行くと高圧線の下をくぐってすぐの右側民家の傍らにあります。墳丘は西側半分がすっかり削られていて石室が露出、羨道も失われていますが玄室の中に殆ど埋まっていますが家形石棺が見えています。県史跡。
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