真野古墳群

福島県南相馬市(旧鹿島町)1996年12月訪問

A群26基、B群14基残存。全て国史跡。

分布図


A9号
手前9号、奥8号


A20号
前方後円墳
位置:37°41′36″N 140°57′28″E

唯一の前方後円墳だが後円部壊失、ここにA群の説明板がある


A32号
各古墳の脇に標柱が立っているので探しやすい


A62号


B1号
位置:37°41′34″N 140°56′44″E

奥が1号、手前2号、ここにB群の説明板がある


B10号


B19号


(見学記)

鹿島駅西方寺内地区にA群,さらに西の小池地区にB群が分布しています。現在49基残存していて国指定史跡になっています。

A群
県道脇に説明板と分布図があります。この側にあるのが前方後円墳の20号ですが現在残っているのは前方部の一部のみです。この近くにも前方後円墳の24号がありましたが消滅しました。説明板に載っている古墳26基の内120,121号以外は全て確認できました。古墳の側に標柱が立っていますから案内図どうりに行けば見つけるのは比較的容易です。4,53,57号は標柱のみで墳丘は消滅しています。27,41,49,59号がやや大きい他は小型の円墳で全体に一部削られているのが多いようです。41号は古墳の側に廃土の山があっててっきりこれが古墳だと思って写真を撮った後上に登るとその向こうに本物の41号があった。皆様も見学の際は間違えないように。

B群
道路脇に説明板と分布図がありここから東方に3-4基ずつまとまって地形に沿って(長者堀沿い)直線的に分布しています。A群に比べて墳丘がやや大きく保存状況も良いです。説明板に13基載っていますが全て容易に見ることが出来ます。

塚野目古墳群

福島県国見町 1999年1月訪問、2004年5月再訪

前方後円墳2,帆立貝式1,円墳8基残存

1号(八幡塚古墳)
帆立貝式、TL68,R52,RH6、5C後半
位置:37°51′40″N140°33′14″E

墳丘南東、前方部消滅、大きな後円部が残っている


4号(錦木塚古墳)
前方後円墳、TL42,R18
横穴式石室(埋戻し)
位置:37°51′29″N140°33′11″E
(桑折町に属するが便宜上こちらにアップ)

墳丘南西、手前が前方部、南の平野を望む低い丘陵端に立地


北側


天井石の1枚、動かされている


(見学記)

国見町、桑折町にまたがる低い丘陵上に分布する古墳群で帆立貝式1,前方後円墳2,円墳8(現存数)からなっています。

国見八幡塚古墳(1号)
正法寺東側、他とはやや離れた北側の尾根上に位置する最大の古墳でかっては径40mの円墳と考えられていましたが発掘の結果全長66m、後円径52m周溝のある帆立貝式の古墳と判明。ただし前方部は消滅して墓地となっています。現在は上に神社があり載頭円錐型の墳形をしています。円筒埴輪、朝顔型円筒埴輪、器財埴輪などが出土、中期古墳としては県内最大級の古墳です。塚野目1号墳。県史跡。

錦木塚古墳(4号)
1号の南側、東西に延びる丘陵上に古墳群が分布していますがその最西端にある全長42mの前方後円墳(4号墳)で後円部に横穴石室があります。現在は土嚢が積まれて見ることは出来ませんが「図説福島の古墳」の写真を見る限り石室上部は無くなっていますが切石を使った胴張りの両袖式石室、玄門の閉塞石まで残っています。羨道の方は割石が使用されています。7C前半の築造で最後期の前方後円墳です。現在は草ぼうぼうの状態で墳形もはっきり分からず、畑の持ち主の方の話では以前は町が草刈りをしていたがここ数年は全くしていないとのこと。「図説福島の古墳」には割とはっきりした写真があって期待して来ただけにちょっとがっかり。
5号墳は4号のすぐ東側りんご畑の中、周囲、上部とも削られまるで四角い壇のよう、結構大きい。6号墳はさらに東崖っぷちにある前方後円墳ですが僅かに細長い高まりがある程度でかなりひどい状態。分布図がなければ古墳であることさえ分かりません。なおこの4,5,6号墳は桑折町に属します。さらに東側500m辺りの果樹園や水田脇に12,20,22,23号がありますがこれもひどい状態、23号が比較的ましなのは上に石の祠があるせいでしょうか。

森山4号

福島県国見町 2004年5月訪問

円墳、R18,H3.25、7C後半
横穴式石室、玄室長2.4,幅1.34
位置:37°52′34″N 140°34′00″E

覆い屋で保護された石室


石室正面、羨道、玄室天井壊失


玄室上より、奥壁は細長い1枚石、近くの宮城県内の石室と似ている


玄室


奥から外


奥上から、胴張りの様子がよく分かる


(見学記)

国見町のホームページに載っているのを見つけたので割と近い場所だしデジカメでの初めての撮影も兼ねて行って来ました。場所は長栄寺の裏山、平坦な丘陵の南端に位置しています。寺から歩いて1分もかからず覆い屋に保護された石室があります。玄室天井石を失い羨道も殆ど壊失していますがやや胴張りの小型の玄室、細長い石を立てた奥壁と非常に特徴のある石室です。宮城県内の横穴石室とよく似ていて当時は同じ勢力範囲だったのでしょうか。4基からなる古墳群ですが他は分からず。町史跡。

観音森古墳

福島県喜多方市(旧塩川町)1999年5月訪問

前方後方墳
位置:37°36′00″N 139°55′19″E

画像無し

(見学記)

舟森山北側の道を東に400m程行くと道路北側に竹屋観音堂(町文化財)がありその東側林の中に背の高い墳丘があります。「図説福島の古墳」では前方後方墳となっていますが「前方後円墳集成」には載っていません。墳丘西側は前方部のように見えますがくびれ部ははっきりせず、平面形も三角形のようで前方後方墳にはとても見えません。側に円墳1基あり。

十九壇古墳群

福島県喜多方市(旧塩川町)1999年5月訪問

前方後方墳1、方墳3残存

1号
方墳、16×13,H2.2

左1号、右2号



2号
方墳、12×13,H1.6

平野を望む低い丘陵端に立地


3号
前方後方墳、TL23,RH2.6、4C末
位置:37°35′31″N 139°55′13″E

果樹園の中にある墳丘


多少復元しているかも



(見学記)

舟森山南方800m平野に突き出た低いなだらかな丘陵所に分布する古墳群です。名前通り以前は19基の古墳がありましたが現存は4基のみ。1,2,4号は一辺十数mの方墳で3号が全長23mの前方後方墳です(1号脇に説明板があるが文では前方後円墳、図では前方後方墳になっている)。小型ながらも墳丘は大変良好、裸の状態で大変見やすい。後方部も平面形が直線上をなし前方部も犬のしっぽのようにピンと高くなっています。3号は4C末の古墳で、他の古墳も出土した箱式石棺等から4Cから7Cにかけて築かれた古墳群です。町史跡。

舟森山古墳

福島県喜多方市(旧塩川町)1999年5月訪問

前方後方墳
位置:37°35′54″N 139°55′01″E

集落内にあり大きく変形


(見学記)

町役場東方2km、深沢地区の山裾に3基の前方後円(方)墳があります。駒形小学校の道路を挟んだ南側にあるのが舟森山古墳、地籍図から前方後方墳と推定されています。前方部は消滅、背の高い後方部だけが残っていますがそれにしては長い長方形の墳丘です。稲荷神社があって上はすっかり平らになり相当変形しているようです。

深沢古墳

福島県喜多方市(旧塩川町)1999年5月訪問

前方後円墳、TL42
位置:37°35′47″N 139°55′06″E

左が後円部、前方後方墳の可能性もある


背の高い後円部が残っている


(見学記)

舟森山南東200m水田の中にある全長42mの前方後円墳です。後円部頂に神社があり周囲も多少削られているようで保存状況はそれ程良くありませんが後円部に比して小さな前方部など3基の中では一番前方後円墳らしい姿をとどめています。ただ前方後方墳の可能性もあるようです。標柱裏の説明文におかしな表現があったので後半部分をちょっと紹介。
”この古墳には陪墳が見あたりません。仏教が伝わると死者を火葬にしたと言われているところも見ても弥生式文化時代の後期にきずかれたものでしょう”
誰が書いたんでしょうね。町史跡

勿来金冠塚古墳

福島県いわき市 2000年5月訪問

円墳、R30,H3.5
横穴式石室、全長8m
位置:36°53′35″N 140°46′55″E

石室開口部、県内最大級、名前の由来となる金冠の破片が出土

悪戸古墳群

福島県石川町 2004年5月訪問

11基、現存9基。谷平野を望む斜面上に分布

1号
円墳、R20,H3
横穴式石室、全長6m
位置:37°10′36″N 140°24′53″E

墳丘、石室正面、民家の裏で墳丘も少し削られている


開口部、羨道はかなり破壊


玄室、奥がやや広がる


奥から外、無袖式


2号
墳丘


3号
墳丘


7号
墳丘


9号
露出した石室


奥壁


(見学記)

国道118号を南下、石川町に入ってから国道を逸れてJR野木沢駅に向かいます。駅の南側に案内表示がある(帰りに見つけたけど)。古墳群は小さな谷平野に面する斜面上に密集、民家裏の林に現存11基からなる古墳群です。民家に向かう道にまず露出した石室が迎えてくれます。これが9号で天井石は結構大きいですが玄室奥しか残っていません。民家の裏にあるのが1号墳、田植えでしょうか家の方が留守なので失礼して見学させて貰いました。墳丘はかなり削られ開口している石室も羨道は殆ど破壊されていますが玄室は完存、無袖式の玄室ですが奥がやや広がる、奥壁は1枚石ですが側壁は下部に大型の石を据え上部は乱石積みの状態です。背後の林の中に2-8号の墳丘がある。割と墳丘が残っているが石室は開口せず一部で石材が露出しているだけ。県史跡。

稲荷塚古墳

福島県福島市 1999年1月訪問

円墳または帆立貝式、R30
位置:37°43′46″N 140°25′49″E

墳丘西側


(見学記)

八幡塚南方350mの水田の中にある古墳です。現状は径30m程の円墳ですが帆立貝式とも言われています。近くの水田から樽形はそう(漢字が出てこない)が出土、八幡塚よりやや古い5C半ばの古墳です。すぐ北側を東西に道路が走っていますが他の場所は拡幅されているのに古墳のある50m程は狭いままです。古墳やお稲荷様に遠慮しているのか、それとも処置に困っているのでしょうか。拡幅しなければならない程交通量の多い道路ではないんですが。
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