塚原古墳群

長野県飯田市 2002年5月訪問、2006年4月再訪

現存6基、前方後円墳1,帆立貝式3,他

分布図(説明板より)


1号(塚原二子塚古墳)
前方後円墳、TL72
位置:35°27′42″N 137°49′25″E (日本測地系)
    35.46488909 137.82056312(世界測地系)
段丘上に立地する墳丘、02年撮影


06年撮影、墳丘上に見学用の道が出来ていた


上と反対側から見た墳丘、右が後円部


前方部隅から後円部


2号(内山塚古墳)
円墳、R41
二子塚からの眺め、痕跡程度しか残っていない


3号
帆立貝式
国道を挟んだ北側にある


4号(鏡塚古墳)
帆立貝式、TL50
すっかり低くなった後円部


5号(鎧塚古墳)
帆立貝式、TL50
左側に短い前方部がある、全般にかなり低くなっている


二子塚からの眺め


(見学記)
再訪問してみると以前にはなかった説明板や墳丘脇に表示板が立っていたので以前は分からなかった鏡塚なども確認できました。もっとも二子塚以外は随分低くなっていて2号の内山塚などは痕跡程度。径が結構大きいだけによけいに低く感じます。二子塚には見学用の道が出来ていました、道以外の場所は歩いてくれるな、と言ったとこでしょうか。でも簡易な道が全体の雰囲気をあまり壊さず却って好ましいです。

塚越1号

長野県飯田市 2006年4月訪問

前方後円墳、TL73m
横穴式石室
位置:35°28′36″N 137°50′03″E (日本測地系)
    35.47988732 137.8311166(世界測地系)

西からの遠望、右が後円部


南東側から


後円部


石室開口部、かなり狭い


羨道


背の高い玄室


奥から外、両袖式


東側側壁、副室だろうか?


(見学記)
飯田市駄科、国道151号から飯田IC方面に県道を曲がると最初の信号辺りで東側に墳丘が見えています(前方部脇のお堂が目印)。全長73mの前方後円墳で前方部端が少し削られていますが全体に良好に残っています。後円部はほぼ裸の状態なのに石室入り口がなかなか見つからない、西側麓に小さく開口しているのをやっと見つけたけど植物が茂っていたら見逃すかもしれない。腹這いになって入る必要があるが(こういうときの為に雨合羽を常備しています)狭いのは入り口だけで羨道は前屈み膝を曲げて歩ける状態、玄室に入るとおかん塚に匹敵する巨大な空間が広がります(真っ暗で分かりにくいけど)。こちらの方が石積みが若干粗いでしょうか。ちょっと不思議なのは東側側壁中段に副室のような窪みがあったこと、下側は平になっているので何かを置いたのでしょうか。ここも史跡指定はされていないようで説明板も何もありませんでした。

塚穴古墳群

長野県飯田市 2006年4月訪問

2基

全景:手前が2号、左奥が1号、国道脇の擁壁の中に保存


1号
横穴式石室、玄室長6,幅1.5,高2.5m
位置:35°27′36″N 137°52′44″E (日本測地系)
    35.46322396 137.87583506(世界測地系)
開口部


背の高い玄室


奥から外


2号
横穴式石室、現存長2.8m
昭和61年に発見された石室


上部を失った玄室


(見学記)
飯田市上久堅、国道256号と県道80号の交差点から東に200mほど行った場所にあり2基の石室が擁壁の中に保存されています。1号は前からその存在が分かっていましたが2号は昭和61年の工事の際に発見されたようです。1号は前部を失っていますが背の高い玄室が残っていて実際以上に大きく感じられます。2号は上部を失っていますが1号よりやや小型のようです。

高岡古墳(高岡1号)

長野県飯田市 2002年5月訪問

前方後円墳、TL72,R42,RH8,FW42
横穴式石室、全長5.4m、玄室高1.1m
位置:35°31′55″N 137°51′59″E (日本測地系)
    35.53515956 137.86333305(世界測地系)

後円部正面、上に神社があるが墳丘の状態は良い


石室開口部、後円部南側、くびれ部付近にある


玄室、墳丘規模に比べて随分小さい


奥から外


(見学記)
JR元善光寺駅東側にある全長72mの前方後円墳です。神社境内で杉林になっているのでわかりやすい。後円部に神社があるが墳丘は極めて良好、後円部南側くびれ部に近い位置に石室が開口、羨道部は失われているが全長5m程で墳丘規模に比べて非常に小さい。下側に平石の面を揃えて立て上を平石積みにしている。県史跡。

御猿堂古墳

長野県飯田市 2002年5月訪問、2006年4月再訪

前方後円墳、TL66,R26,RH8.5,FW29,FH9、6C末
横穴式石室、全長11.5m、玄室長10.3,幅2.1,高2.9m
位置:35°27′30″N137°48′55″E (日本測地系)
    35.46155606 137.8122309(世界測地系)

南側からの遠望(02年)民家に囲まれているが状態は良い、後円部に石室が見えている


前方部から後円部(06年)


後円部か前方部、前方部は墓地になっている


石室開口部


開口部はかなり狭い


細長い玄室、床面に大きな礫が散乱している


奥壁


奥から外、片袖式かな


(見学記)
国道151号線を南から飯田市に入って小さな川を渡って最初の上川路交差点に考古資料館の案内表示がある。それに従って右折するとすぐ右手に古墳がある。民家に囲まれていて分かりにくいかもしれないが全長66mの前方後円墳で背の高い墳丘が残っている。西側前方部が墓地になっていてそちらから入れる。後円部南側に石室が開口、全長11m程だか羨道が約1mと極端に短い。割石積みの長い玄室は完存、床面に大きな礫が散乱していて歩きにくい。奥に向かって天井がやや高くなっているようだ。県史跡。資料館はお寺の側にあるがこちらも分かりにくい。主に考古関連の出土品を展示しているがちょっと雑然としている。手書きの説明がなんともはや。

大塚古墳

長野県飯田市 2002年5月訪問

前方後円墳、TL56,R35,RH8,FW17
位置:35°27′58″N 137°49′31″E (日本測地系)
    35.46933291 137.82222934(世界測地系)

墳丘北側、右側の前方部はかなり削平されている


墳丘東側、右側に緩斜面をカットした跡が残る


(見学記)
国道を更に700m程行くと道路左側にある。全長56mの前方後円墳で後円部は良好に残っているが前方部は殆ど削平されて輪郭程度しか残っていない。北側に緩斜面をカットした跡が水田の地形として残っている。西側に前方後円墳の兼清塚があるはずだが確認できなかった(と言うより大塚を兼清塚と思ってしまい東側ばかり探してしまった)。

おかん塚古墳

長野県飯田市 2006年4月訪問

前方後円墳
横穴式石室、全長9.2m、玄室幅3.2,高3.4m
位置:35°29′57″N 137°50′49″E (日本測地系)
    35.50238529 137.84389179(世界測地系)

住宅の間に残る後円部、前方部は消滅


南側に石室開口


石室正面


短い羨道


背の高い玄室


奥から外、両袖式


(見学記)
天神塚から国道151号を挟んで西方100m、住宅の間に後円部が残っています(石室のあった前方部は消滅)。南側に石室が開口、羨道は短いが殆ど立って入れる状態、玄室に入ると巨大な空間が広がっています。側の天神塚と比べて奥行きは短いが背が非常に高く3.4mほど、こういう背の高い方が巨大に感じますね。それにしても前方部は消滅しているがここといい天神塚といいよく残ったものです。それなのに史跡指定もなく説明板も全くないというのが残念です。

宮ノ脇2号

長野県飯田市 2006年4月訪問

横穴式石室
位置:35°27′38″N137°49′00″E (日本測地系)
    35.46377801 137.81361952(世界測地系)

石室開口部、奥辺りしか残っていない


石室内部、上下2段の奥壁の上側が内側に傾いているのが側の馬背塚と共通している


(見学記)
馬背塚から小道を西に行くとすぐに石室が開口しています。かなり崩壊していて玄室奥が残存している程度。小型ながら上下2段の奥壁は上のが内側に傾いていて馬背塚の石室と共通しています。

馬背塚古墳

長野県飯田市 2002年5月訪問、2006年4月再訪

前方後円墳、TL46,R19,RH6,FW21,FH5、6C後半
横穴式石室2
後円部石室全長11.7m、玄室幅1.9,高2.7m(無袖式)
前方部石室全長11.9m、玄室幅3.3,高3.3m(両袖式)
位置:35°27′38″N 137°49′02″E (日本測地系)
    35.46350028 137.81417502(世界測地系)

(02年)墳丘南側、2基の石室が開口、左が後円部、右が前方部


(06年)説明板が下に来ていた


前方部石室正面


羨道、入り口が埋まって坂になっている


巨大な玄室


奥壁


奥から外、両袖式


後円部石室正面


羨道


背が高く長い玄室、前方部石室と比べて長さは変わらないが幅が狭い


上下2段の奥壁、上のが内側に傾いている


奥から外、無袖それとも片袖式


墳丘測量図(説明板より)


(見学記)
上記交差点を直進するとすぐ左手に小さな案内板がある。ここを上っていくと(車不可)水田の脇に細長い墳丘がある。全長46mの前方後円墳で2基の石室があり共に状態良好で開口している。見た目には東側の方がやや高くこちらが後円部のように見えるが(現地の説明板もそう書かれていた)、資料によるとこちらが前方部らしい。石室の長さは共に12m程度だが西側が無袖式なのに対して東側石室は両袖式で幅高さとも大きく随分立派に見える。それにしてもこの説明板、上っていけないような墳丘の上の方に設置していますが誰に読ますつもりなんでしょうね。県史跡。

丸山古墳

長野県飯田市 2006年4月訪問

前方後円墳
位置:35°27′56″N 137°49′34″E (日本測地系)
    35.46877745 137.8230626(世界測地系)

後円部、かなり変形している


(見学記)
大塚から国道を越えて南側にある小型の前方後円墳です。かなり変形していて前方後円墳とも分かりにくい状態です。
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