鎧塚古墳群

長野県長野市 2006年4月訪問

桑根井空塚古墳
円墳、R17,H3.4、6C
合掌型横穴式石室、全長6.1m、玄室長4.2,幅1.45m
位置:36°32′54″N 138°14′02″E (日本測地系)
    36.55143534 138.23076474(世界測地系)
墓地と化した墳丘


石室正面


合掌型石室


奥から外


桑根井鎧塚古墳?
空塚すぐ西側、詳細不明


(見学記)
小学校まで戻って藤沢川沿いに東に登っていくと峠鞍部辺りで左側に2基の墳丘が見えてきます。手前のが桑根井鎧塚だろうか、詳細は不明。奥にあるのが桑根井空塚古墳、墳丘は墓地になってかなり改変されていますが東向きに開口する合掌式石室の玄室部分が残っています。入り口でお地蔵さんが通せんぼしていますがこれは特に屋根を支えているわけではありません。お地蔵さんに触れないように中にはいるのは大変だったがやはりどうしても中に入りたくなる。笹塚と同じ構造で一回り小さい玄室のようです。県史跡。
ここを見学している辺りから雨が強くなってきた。デジカメの場合特にレンズが小さく雨にあてたくないので撮影が困難、古墳巡りの七つ道具に傘も必要だなと思った。この後も週間予報では雨続きのようなので市内の他の石室はパスしてしまった。

竹原笹塚古墳

長野県長野市 2006年4月訪問

合掌型横穴式石室、全長6.9m、玄室長4.2,幅1.4,高1.8m
位置:36°33′41″N 138°13′32″E (日本測地系)
    36.5644892 138.22243215(世界測地系)

緩斜面に立地した墳丘


石室外観


玄室正面


典型的な合掌式石室


奥から外


側壁


墳頂に露出した天井部


(見学記)
長野市松代町東条、東条小学校から東に緩斜面を登っていくと道路脇にあります。墳丘はかなり改変されているようですが割と残っていて東側に石室が開口、典型的な合掌式石室です。大室168号はどちらかというと屋根と言った感じでしたがこちらは側壁を傾けて左右を合わせたと言った感じがしますね。その分石室は狭い気がしますね。それにしても左右をバランスよく合わせるには相当難しそうだし、内部空間も狭くなるのになんでこのような形式にしたんでしょうね。まー技術だけの問題じゃないでしょうが。県史跡。

菅間王塚古墳

長野県長野市 2006年4月訪問

積み石塚円墳、R34,H6.7
合掌式石室
位置:36°33′43″N 138°13′55″E (日本測地系)
    36.56504527 138.22881991(世界測地系)

県内最大の積み石塚、急斜面に立地している


斜面上方から、遠方の山は皆神山


盗掘された墳頂部石室、合掌式だったそうだ


(見学記)
笹塚から更に登っていくとT字路に突き当たった辺りに案内表示が出ています。そこからは歩いていった方がよさそう。県内最大の積み石塚でかなり急斜面に立地しています。大室古墳群で積み石塚に慣れた目にもその大きさには目を見張ります。墳頂に石室がありここも合掌式だったそうだがかなり盗掘を受けて現在ではその様子は分かりません。すぐ側にも積み石塚らしいのがあってこちらも結構大きい。頂からは大塚越しに皆神山が遠望できなかなかの眺めです。県史跡。

長原古墳群

長野県長野市 2006年4月訪問

若穂団地とその周辺に現存5基

1号
位置:36°35′36″N 138°15′13″E (日本測地系)
    36.59643076 138.2504825(世界測地系)
団地内公園に保存された墳丘


7号
横穴式石室
位置:36°35′35″N 138°15′18″E (日本測地系)
    36.59615307 138.25187123(世界測地系)
団地内神社脇に保存された古墳


墳丘、石室正面


天井部を失った石室、奥の1枚だけ残る


やや胴張り、細長い玄室


奥から外


(見学記)
長野市若穂保科、若穂団地とその周辺に5基現存しています。団地のほぼ中央にあるスーパーの南東側に稲荷神社がありその脇に7号墳が保存されています。墳丘ははっきりせず羨道部も前庭風のようだけどただ壊失しているのだけかもしれない。玄室は天井部を失っている以外は完存しています。割と背が高く奥行きのある石室ですがその割に幅が狭い。100mほど西側にも1号墳があって小公園となっていますがこちらは墳丘が見えるだけです。

大室古墳群(大室谷支群)

長野県長野市 2002年5月訪問、2006年4月再訪

5支群に分かれ総数約500基
大室谷支群166基が国史跡として公園整備中

【大室谷支群】

(入り口付近)

23号
高速道の建設で移築復元された墳丘


石室正面


羨道


玄室、奥壁がちょっと変わっている


奥から外、左右で幅の違う両袖式


26号
墳丘、石室は埋没


27号
墳丘


238号
積み石塚、表示板がないとただの石積みにしか見えない


239号
外護列石を持つ墳丘


石室正面


石室入り口から


玄室


奥から外、両袖か無袖か微妙なところ


240号
墳丘


石室正面、羨道は殆ど壊失


玄室、奥壁は1枚石の巨石


243号
墳丘、石室正面


側壁がすっかり露出


墳丘反対側


石室


奥から外


244号(将軍塚古墳)
円墳、R18,H8.5、6C後半
横穴式石室、全長11m、玄室長6.5,幅2.2,高2.5m
位置:36°35′27″N 138°13′45″E (日本測地系)
    36.59392976 138.22604173(世界測地系)
盟主墳的存在の墳丘、外護列石や葺石を伴う


石室正面


羨道


巨大な玄室、奥壁もほぼ1枚石


奥から外、両袖式


246号
復元された墳丘、背後に外護列石が3列巡っている


石室正面


石室内部


狭い谷の入り口を通して遠方に平野部が望める


(谷中部)

38号
うっかり見逃しそうな墳丘


玄室、奥壁の積み方が少し変わっている


奥から外、両袖かな


48号
石室正面、羨道壊失、塞いでいるのは羨道天井石か


横から見ると


玄室


奥から外


184号
石室正面


玄室、天井石が大分外されている


石室上から


185号
輪郭のはっきりした積み石塚


箱式石棺が露出





186号
墳丘、石室正面


玄室


奥から外、玄門にロの字型に石を配したよくあるタイプ


187号
なだらかな積み石塚


天井部を失った石室


側壁の積み方がこの群にあまりないタイプ


石を立てて並べ上に平石を乗せている


189号
積み石塚


箱式石棺





190号
基底部しか残っていない石室


191号
墳丘


石室正面


羨道、入り口が狭くカメラを突っ込んで撮影


193号
なだらかな裾を引く積み石塚


195号
石が散乱しているとしか思えないような積み石塚


墳頂に2基の石室が露出、どちらとも竪穴式かな


大きい方の石室





小型の方


196号
板状の石を使った石室


197号
墳丘


石室正面


羨道


玄室


奥から外、こちらから見ると片袖にも見える


198号
墳丘、奥は197号


天井を失った石室


かなり胴張りの玄室


ちょっと変わった積み方の奥壁


玄門には閉塞石が残っているようだ


200号
墳丘


石室正面


玄室、天井石は1枚しか残っていない


奥から外、両袖式


201号
下部しか残っていない石室


204号
墳丘


石室正面


玄室


奥から外


205号
墳丘


基底部しか残っていない石室


207号
積み石塚、裾が立ち上がっているのは不定形なのが多い


209号
積み石塚


211号
墳丘


開口部


見かけの割に石室良好


(谷奥)

74号
墳丘


羨道、玄門


玄室


奥から外、両袖式


76号
石室開口部、羨道破壊


上部が露出


玄室、奥の石材が抜かれている


奥から外


77号?
天井が露出した墳丘


101号or102号
群最高所辺り、下との標高差は約150m


129号
天井石が玄室に落下


131号
墳丘、石室正面


玄室


奥から外


135号
上部を失った石室、ひょっとして合掌式だったかも


137号
墳丘、石室正面


玄室


奥から外、両袖式かな


154号
良好に残る墳丘


玄室


奥から外、両袖式


155号
積み石塚、中央に石室が見えている


天井部を失った石室


石積みは168号と似ていてる


156号
積み石塚


細長い合掌式石室


石室上から


165号
一見平凡な積み石塚


墳頂部に小型石室が2基ある、それぞれの主軸は直行


細長い合掌式石室





箱式石棺のような細長い石室


石の形状からしてこちらも合掌式だったかも


167号
墳丘


開口部、羨道は崩壊


玄室


奥から外


168号(大平塚)
合掌式石室
積み石塚、墳丘裾にやや大きな石を積んでいる


167号から見た墳丘


主体部がかなり上方にずれている


合掌式石室








石室背後から


石室内部、奥壁や側壁の面が極めて整えられている


172号
墳丘、石室正面、羨道はかなり破壊


羨道、玄門


玄室


奥から外


173号
墳丘


石室上部が露出


玄室、奥の天井が抜かれている、奥壁は1枚石


奥から外


176号
大きな積み石塚


墳頂部破壊された石室


177号
墳丘


石室内部は埋没


180号
墳丘


奥壁


(見学記)
(2002年)
JR大室駅南方の丘陵に分布、166基からなく古墳群です。谷の入り口が上信越自動車道で塞がれていますがその下をくぐっていくとすぐに244号(将軍塚古墳)の大きな墳丘が目に付きます。群中最大の石室を持ち背の高い墳丘もよく残っています。周囲の古墳がすっかり背が低くなっているのでその大きさが際だちます。全長11mの石室は羨道が一部破壊されているようですが玄室は完存、石材もかなり大きく他のと格の違いを見せています。周囲には幾つも古墳がありますが239,240,242,243号で石室に入ることが出来ました。特に242号は公園化に向けて整備されたのでしょうか中はすっかりきれいになっていました。ここは奥壁がユニーク、背の高い石を立てていますが幅が少々足りなかったようで左側に小さな割石を詰めています。少し谷の奥に入っていくと資料館がありました。建設はすんでいるようですが周囲の道路が未舗装のままで02年5月現在未公開でした(7月に公開されたようです)。ここの古墳群は合掌式石室で有名ですが分布状況が全く分からず探すことは出来ませんでした。県史跡。

(2006年)
大室古墳群大室谷支群その1
02年に来た時は入り口付近を眺めただけだけど古墳館が出来たので再訪してみました。北側を通る川沿いの県道に案内表示があり(あまり目立たない)途中にも案内表示が出ています。高速道の下をくぐって将軍塚を横目に見ながら少し登ると古墳館があり手前に広い駐車場があります。古墳館では殆ど大室谷支群だけですが古墳群の説明やビデオなどがあり分布図(コピー)も置いています。入場無料、月曜休館です(休館日には駐車場も使えません)。古墳館辺りも以前とそれ程変わっていませんが246号墳が復元というか修復というか墳丘周りをセメントで固められていました。ここに石室が露出していたら02年当時気がつくだろうから当時はどうなっていたんだろう、思い出せない。将軍塚も最初見たときは随分背が高く感じたけど今回はそれ程でもなかった。2度目で感動が薄れたのかも。周りに古いビニールシートが放置されています。調査の時使ったんだろうけど何と言っても看板の古墳なんだからどうにかして欲しい。大室谷支群166基が国史跡に昇格しています。
写真を撮り直している内に26号側で不思議な石室を発見。小さな墳丘の内部に1m四方のミニ石室を持っています。造りを見るとなかなか本格的な構造をしているようだし当時のものだと思うけどどうなんだろう。内部に釜飯の容器が5,6個入っているのがかなり気になる。(長野市教育委員会に問い合わせたら地元で「炭焼き窯」と呼ばれおそらく昭和になってからの所産とのことでした。嫌な予感が的中したけどアップしなくてよかった(大汗)

大室古墳群大室谷支群その2
まだ遊歩道は未整備ですが古墳館から林業に使われていたセメント舗装の道を登っていきます。暫く古墳のない空白地帯がありますがそのうち古墳が幾らでもある状態になります。最初の内は全て撮っていたけどさすがにきりがないので石室のある古墳だけに限定。それでも結構多い。横穴式石室だけでなく竪穴式石室のようなのや箱式石棺もあります。積み石塚も裾が壁のように立ち上がっているのや(墳形が円でないのが多い)、なだらかな裾を伸ばしているものなど色々なタイプがあります。個々の古墳の説明は省いて番号の付け方の説明をすると(古墳館に詳しい説明があります)、一応ある順番に従って1番からつけられているのですが大室谷の場合、谷東側下から付けられて一番上まで行くと今度は谷西側下る方向に順に付けられています。その為すぐ近くにあっても番号が大きく異なることがあり、入り口辺りでその傾向が顕著です。大室谷の場合はたいてい表示板があるから問題なけど北谷の場合は表示板がないのが多く番号を類推するのが困難でした。

大室古墳群大室谷支群その3
いよいよあこがれの合掌式石室、案内板が出ているので林道から逸れて行くと積み石塚だらけの場所の中に合掌式石室168号があります。さすがにここだけは簡単な説明板が立っていた。ここも積み石がなだらかなタイプ、でも墳丘裾には外護列石のようなやや大きめの石が巡らされています。斜面にあるせいかどうかは分かりませんが主体部が随分上方にずれています(この傾向は他の古墳でもあった)。かって合掌式石室天井は玄室に落ち込んでいたそうですが復元、そのせいかどうかは分かりませんが二組の合掌式天井の内手前のはかなり傾斜が浅い。この後幾つかの合掌式石室を見ましたがこんなに浅いのはここしかありませんでした。天井だけでなく玄室を構成している石もかなりの巨石でしかも壁面がすごく平面に整えられていて将軍塚の規模とはまた違った有力者の墓を思わせる石室でした。この周囲には他にも156号、165号で合掌式石室がありました。箱式石棺を思わせる細長い石室で合掌部分も僅かに残っている程度ですが思わぬ収穫でした。この後は群の一番上まで行く予定でしたが林道もなくなっているようで100号辺りで断念。この辺りでも下からの標高差は150mくらいあります。普通ならこれくらいの高さを登るのは結構きついけど古墳巡りしながら登ると疲れを感じさせません。遊歩道も追々整備されるようですがこの雰囲気を壊さないで欲しいですね。

大室古墳群(北谷支群)

長野県長野市 2006年4月訪問

5支群に分かれ総数約500基
大室谷支群166基が国史跡として公園整備中

【北谷支群】

(農業大学校内)

281号
大きな石材を使った積み石塚


282号
かなり大きな積み石塚の墳丘、この杉林の中に大きな積み石塚が何基も集中している


283号
同じ林の中の積み石塚


上記反対側


284号
急斜面に気づかれた積み石塚


289号
同じ林の中の積み石塚


290号?
周囲だけが積み石か


348号
墳丘背後から


天井石が露出


石室正面


長大な玄室、群中最大クラスかも


奥から外


349号
墳丘、石室正面


玄室、以外と状態がよい


奥から外


425号
天井を失った石室が露出


石室正面、傾斜地に立地しているのがよく分かる


羨道、玄門


玄室、天井だけでなく奥壁もすっかり破壊


奥から外、玄門の構造がよく残っている


355号
墳丘周囲が列石のように残っている


412号
積み石塚、半球形の形がよく残っている


415号?
長方形の積み石塚


430号(上の大塚穴古墳)
位置:36°34′53″N 138°13′24″E (日本測地系)
    36.58448649 138.22020981(世界測地系)
下から見上げた墳丘


上から見た墳丘、遠くにアルプスの山並みが見えている


石室開口部、羨道は消滅しているようだ


かなり埋まった玄室


奥から外


434号?
積み石塚


傾斜変換点辺りに築造、両側の辺がほぼ直角に交わっている


上記反対側、まるで印象が違う


墳丘上から、平面形は三角形に近い


盗掘のため石室が露出、大室谷で見た積み石塚の石室と違い石室が下の方にある


石室側壁


437号?
小型の積み石塚


(北谷地区)

306号
墳丘


石室正面


良好に残る玄室、奥壁は1枚石


奥から外、僅かな幅の両袖式か


308号
墳丘


石室正面


玄室、こちらも奥壁は1枚


奥から外、両袖式


309号
開口部


玄室


奥から外、両袖式


床面の仕切り石?


310号
天井部が露出した墳丘


312号
なだらかタイプの積み石塚


313号?
立ち上がりタイプの積み石塚、急斜面ながら良好に残る


314号?
313号のすぐそば、一回り大きい


317号
墳丘


石室開口部、内部は埋没


318号
山道で半分に削られた石室、右側が玄門袖石


321号
石室開口部、玄室奥が残存


平石を積み重ねた奥壁


327号
墳丘、北谷地区最高所辺り


開口部


良好に残る玄室、奥壁はやはり平石を積み重ねている


奥から外


338号
僅かに石材が露出した墳丘


隙間からカメラを突っ込んで撮影、小型ながらほぼ一枚石の奥壁だった、すぐ近くにある339-341号の石室は見逃す


(中谷地区1)

360号
良好に残る墳丘


石室開口部


玄室も良好、巨石の上に平石を重ねている奥壁


奥から外、両袖式


361号
墳丘、石室正面


玄室、巨石一枚石の奥壁


奥から外、両袖式、羨道は埋没している


362号
墳丘


玄室、平石を積み重ねた奥壁


奥から外、右片袖か


363号
石室開口部


小型の玄室、奥壁、側壁とも平石を積み重ねている


364号
墳丘、石室正面


玄室、奥壁の石に会わせて左右の側壁の積み方を変えている


奥から外、両袖式


365号
墳丘


小型の玄室


366号
墳丘


石室正面


玄門辺りから見た玄室


奥から外、両袖式、羨道までよく残っている


367号
墳丘、石室前面は崩壊


石室開口部


やや幅の狭い玄室


368号
石室正面、羨道部は崩壊


玄室、奥壁は縦長の1枚石


奥から外、両袖かな


369号
墳丘、石室正面


良好に残る玄室


奥から外、両袖式


370号
良好に残る玄室、奥壁は平石3,4段積み


奥から外、無袖式か


(中谷地区2)

371号
良好に残る墳丘


開口部


羨道も良好、まぐさ石が石梁のよう


玄室


奥から外、両袖式


373号
石室正面


玄室、1枚石の奥壁


奥から外、両袖式


374号
墳丘、開口部


玄室、縦長1枚石の奥壁


奥から外、片袖か


375号
墳丘


玄室


奥から外、両袖式


378号?
墳丘、石室は埋没


380号
墳丘


石室正面


羨道、玄門


玄室、巨石の左と上に小型の石を積んでいる


奥から外、両袖式、少し歪んでいるのかも


381号
墳丘


露出した天井石、内部は埋没


386号
墳丘


墳丘正面


石室正面


幅の狭い玄室


奥から外


387号
墳丘


露出した天井石、かなり破壊されているようだ


406号
墳丘、石室正面


開口部


玄室


奥から外


409号
墳丘


石室開口部


玄室


奥から外


(見学記)
大室古墳群北谷支群その1
大室谷の南側の谷筋にある支群です。大室谷がほぼ1本の谷なのに比べてこちらは奥の方が三つの谷に分かれています。こちらは古墳館に分布図がある程度で案内表示は一切ありません。現在入り口辺りに農業大学校が出来ていますが特に入るのに制限はないようです。駐車場に車を止めてまず目に付くのが430号別名上の大塚穴古墳、大室古墳群の中では数少ない固有名詞のついた古墳です。急斜面に作られていて下から見るとかなり大きいが上から見るとそれ程でもない。墳頂部に石室が開口、羨道は破壊されているようで玄室もかなり埋まっています。他の分布状況は全く分からないのでとにかく構内を歩き回って石室3基発見、そのうち348号はかなり長い玄室で群の中でも最大クラスかも。北側の杉林の中には割と大きな積み石塚が集中しています。それにしてもかなりの急斜面に構築、斜面を整地しなくてすむからある意味省エネかも。西側にある434?は墳丘が高く立ち上がるタイプの積み石塚ですが盗掘のため石室が見えています。大室谷と比べて石室が随分下にある。また平面形もほとんど三角形と言った感じです。

大室古墳群北谷支群その2
大学の東側、積み石塚の282号などがある杉林から林道を上っていきます。この先は全く様子が分からない状態だったが登り初めてすぐ306,308,309号の石室を見つけることが出来てホッ、この3基は状態よく残っています(でも後から埼群古墳館にある339-341号を見逃しているのが分かった)。更に奥にも積み石塚が状態よく残っている。かなり急傾斜地で積み石塚でなければ墳丘が流失していただろうなと思わせる場所でした。最奥辺りにある321,327号では奥壁が平石積みでさすがにこの辺りでは巨石が手に入りにくかったんでしょうか。

大室古墳群北谷支群その3
北谷地区を降りてきて大学の裏を通っていると412号辺りで南側に入っていく道があったのでまだ時間があるからちょっと行ってみるかと入ってみた。すぐ道を逸れて杉林の中にはいると円錐形の良好な墳丘(360号)があり、玄室も良好に残っていた。この後も密集状態で良好な墳丘次々とあり大半で玄室も良好に残っていた。結局ここだけで22,3基発見、嬉しい悲鳴を上げながら撮影をしていったけどさすがに日没がせまり残りがどのくらいあるかも見当がつかないのでさすがに断念。残りは翌日朝7時から撮影(昼前から雨が降り始めたから結果的に正解だった)、さすがに疲れた。

大室古墳群北谷支群その4
結局大室古墳群だけで4日、雨があったので実質二日半かかったけどそれだけの価値がある古墳群でした。これだけの石室が密集しているのは奈良や大阪にないこともないけど見学しやすく状態がいいのが揃っているのはそうそうないだろう。しかも積み石塚や合掌式石室など珍しいのもあるしほんとうに貴重な存在です。大室谷支群だけでなく古墳群全体を史跡指定して保護して保護して欲しいですね。 
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