有年原・田中遺跡
兵庫県赤穂市 2000年4月訪問
弥生時代後期の墳丘墓2,木棺墓群他、遺跡を埋め戻して上に復元、公園化
位置:34°49′44″N 134°23′29″E (日本測地系)
34.83211235 134.38868173(世界測地系)
1号
弥生墳丘墓、R19
周溝、葺石、前方部を思わせる陸橋(左側)造出のような突出部(右側)と後の古墳を思わせる要素を持つ、右手に2号墳

2号
弥生墳丘墓、R15
周溝と葺石、陸橋や突出部はない、左遠方丘の上に中期の蟻無山古墳がある

木棺墓群:墳丘の無い木棺墓、奥の1号との間に溝がありここから大量の祭祀土器が出土

(見学記)
昭和63年圃場整備に伴う発掘調査で発見された弥生時代後期の遺跡です。2基の墳丘墓と木棺墓群等からなっています。墳丘は削平されていましたが周溝が明瞭に残っていました。1号は径19mの墳丘墓で葺石が貼られ造出状の突出部や前方部を思わせる陸橋など後の古墳を思わせる要素が揃っています。又周溝内にも埋葬施設があります。2号は径15mとやや小型陸橋や突出部はありませんがやはり周溝が巡り葺石が貼られていました。やや離れた場所に墳丘を伴わない6基の木棺墓群があります。向きの違いは出身母体の違いではないかと言われています。ここと墳丘墓の間に両者を区画する細長い溝があり中から祭祀に使われた土器が多数出土しました。この重要性に鑑み遺跡は埋め戻され墳丘墓や木棺墓群、土壙が復元され公園となって公開されています。近くの同じく公園となっている東有年・沖田遺跡(弥生古墳時代の建物復元)と共に県遺跡。JR有年駅北西、国道2号線に案内標識が出ています。
弥生時代後期の墳丘墓2,木棺墓群他、遺跡を埋め戻して上に復元、公園化
位置:34°49′44″N 134°23′29″E (日本測地系)
34.83211235 134.38868173(世界測地系)
1号
弥生墳丘墓、R19
周溝、葺石、前方部を思わせる陸橋(左側)造出のような突出部(右側)と後の古墳を思わせる要素を持つ、右手に2号墳

2号
弥生墳丘墓、R15
周溝と葺石、陸橋や突出部はない、左遠方丘の上に中期の蟻無山古墳がある

木棺墓群:墳丘の無い木棺墓、奥の1号との間に溝がありここから大量の祭祀土器が出土

(見学記)
昭和63年圃場整備に伴う発掘調査で発見された弥生時代後期の遺跡です。2基の墳丘墓と木棺墓群等からなっています。墳丘は削平されていましたが周溝が明瞭に残っていました。1号は径19mの墳丘墓で葺石が貼られ造出状の突出部や前方部を思わせる陸橋など後の古墳を思わせる要素が揃っています。又周溝内にも埋葬施設があります。2号は径15mとやや小型陸橋や突出部はありませんがやはり周溝が巡り葺石が貼られていました。やや離れた場所に墳丘を伴わない6基の木棺墓群があります。向きの違いは出身母体の違いではないかと言われています。ここと墳丘墓の間に両者を区画する細長い溝があり中から祭祀に使われた土器が多数出土しました。この重要性に鑑み遺跡は埋め戻され墳丘墓や木棺墓群、土壙が復元され公園となって公開されています。近くの同じく公園となっている東有年・沖田遺跡(弥生古墳時代の建物復元)と共に県遺跡。JR有年駅北西、国道2号線に案内標識が出ています。