惣計谷古墳群

兵庫県赤穂市 2018年3月訪問

横穴石室墳十数基

1-3号6,7号8号以下(クリックでジャンプ)
(訂正あり)

1号(訂正:古墳ではないそうです)
尾根筋先端辺りに立地、石材一部露出


山道で西側がだいぶ削られている


南側から見ると石材露出、内部埋没、すぐ東が川で侵食されている


2号(訂正→1号)
2号北側に良好な墳丘が残るが石材見られず


北側から、多少盗掘されているかも、左奥に1号が見えている


3号
横穴式石室
位置:34°50′02″N 134°23′40″E (日本測地系)
    34.8371119 134.3917369(世界測地系)
東側から接近すると最初に出会うのがこれ、尾根斜面裾に良好な墳丘が残る


斜面をカットした跡がよく残っている


南側に大きく開口、右側の石積みは後世のでしょうね


石垣より左の羨道奥壁が突き出ているのでそれが分かります、羨道は殆ど消滅のもよう


石室正面、立ったまま入れます


良好に残った大きな玄室、側壁は少し持ち送り、左右で差がある


下に2枚、上に巨石1枚の奥壁、隙間が少なく詰石が少ない


奥から外、無袖かな


〃縦位置


〃ストロボ無し、側壁の表面が整えられている


番号不明その1(訂正→2号)
2号側、墳丘が残る


6号
横穴式石室
3号と尾根反対側の斜面に立地、斜面なので石室位置より墳丘が下に広がっている


斜面向きに直行南向きに開口


開口部正面、入るのに問題なし


羨道後部がよく残る、最奥天井が一段下がる


変わった構造の玄門、左右の袖石は板石、その上の石は壁面から突き出てまぐさ石を支えている、左側の袖石は上の石と接触していない


良好に残る玄室、側壁はやや持ち送り


〃縦位置、奥壁は3段積み


奥から外、両袖式、右側に白い2重円文、HP「古墳とかあれ」にも見ええいるが位置が明らかに違う、原画を見てみるとどうやら蜘蛛の卵嚢の跡と思われます


〃縦位置、まぐさ石上の石が割れている


北側から見た墳丘


7号
横穴式石室
6号すぐ北側に立地、やはり墳丘が下方に伸びている


石室前部破壊、上部露出


石室正面


石室後部残存、左側に転落した天井石


6号よりだいぶ小型の石室


奥壁は2段積み、上の方が大きい


8号
尾根筋に僅かな高まり


石材が散乱、手前のが側壁かな


10号
更に尾根を登るとハッキリした石室、細長い


天井石は最後部が残るのみ


正面から、左側のは落ちた天井石か


屋根型の天井石、自然石か加工したか


何とか奥壁が見えている


背後から見るとそれ程屋根型には見えない


13号
更に登るとハッキリした墳丘


天井石が露出、東側は尾根急斜面


正面から、側壁などはハッキリしている、後方更に登るとまだ石室があるようですがこの辺りから西に向かってしまった


小型石材を使った奥壁


番号不明その2(訂正→14号)
墳丘流失、天井石露出、右奥の藪を抜けると木虎谷古墳群最上部に至る


西側から、背後を一応山道が通っている


細長い石室、前は急斜面


何とか奥壁が見えていた


番号不明その3(訂正:古墳ではないそうです)
その2の下方に墳丘のような高まりが見えていた


石室もあるようだしやはり古墳かな


手前の石材も古墳関連なのかな


見学記
赤穂市有年原、木虎谷古墳群東側、谷と名がついていますが丘陵から南に伸びる尾根筋やその斜面に分布する古墳群です。西側や南側から近づくのは難しそう、東側は道路もあるのでそちらからアプローチしました。墓地に行く道が柵で閉じられています。そこを通って西側が見通しがよく通りやすそうだったので小川を越えていくと南側斜面麓に丸い墳丘が見えていました。これが最大の石室3号のようです。はっきり言ってこれが真っ先&一番楽に見つけることが出来ます。南に開口、前部が破壊されていますが石室はよく残っています。立ったままゆうゆうと入れる程の大きさ、奥壁は下部に2枚の石を並べ上に巨石を据えるπ字型ともいえる形式です。ここから一度尾根に登り下っていくと尾根先端に墓地があります。そこから西側に降りると1,2号があります。1号は水路脇石室がかなり露出していますが内部埋没、2号は墳丘が良好に残っていますが石室は見られず。その背後に小さな墳丘がありますが古墳なのかな。反対側の西側斜面に出て北上していくと6,7号があります。6号は石室完存、玄門が少し変わった姿です。7号は後部が残っています。ここからまた尾根に登り登っていくと幾つかの石室がありますが良好なのはありません。上の方は尾根がはっきりせず斜面を探すには広すぎて見つけることが出来なかったけどHP「古墳とかアレ」に載っていなかったのを2基見つけました。そこから更に西に2,30m程行くと幾つもの石室があった、まだあるのかと思って撮っていたがその内見覚えのある石室があった、木虎谷古墳群最上部辺りでした。両者は区別する必要があるのかと思うくらい接近しています。因みに読みは”そうけだに”です。木虎谷南側の公園駐車場に車を停めて歩いていっても十分です。

蟻無山古墳群

兵庫県赤穂市 2000年4月訪問、2018年3月再訪

3基

丘陵東側麓に案内板


山道途中に新旧の説明板


ポリゴンによる3D表示(説明板より)、ハッキリしない山道まで細い窪みとなって表示されている


蟻無山古墳(蟻無山1号)
帆立貝式古墳、TL52,H12、5C前半
位置:34°49′51″N 134°23′22″E (日本測地系)
    34.83405657 134.38673738(世界測地系)
丘陵頂部に大きな墳丘


墳丘図(説明板より)、突出部と造出の大きさにそれ程の違いはない


手前に前方部があるがこのアングルでは殆ど分からない


西から見た墳丘


広く平坦な墳丘頂部


西側から見た前方部


後円部から、山道が通っています


東側から


墳丘上から見た造出


横から見た様子、見た目も前方部と変わらない


河原石を使った葺石でしょうか


2号
円墳、R10
1号西側、急斜面に構築


墳丘はよく残っている


上から見た墳丘、前はもう崖


3号
円墳、R8
山道の途中にある、説明板に載っていないと見逃すかも


冬場なら確認しやすい


(見学記)
(2018年)
赤穂市有年原、18年ぶりの訪問、以前はただ大きいだけの円墳だったのであまり面白味がなくフィルム時代ということもあって写真もそれほど撮らずアップもしませんでしたがその後の発掘で帆立貝式古墳と判明したので訪問してみました。登り口に案内板があり5分程でたどり着きます。新しい説明板が立っていますが古いのも残っていました、そちらは円墳となっています。丘陵頂部に作られ全長52m、後円部径44m、東南方向に前方部、東北方向にも造出があります。大きさはそれ程変わらず帆立貝と言うよりは造出が2ヶ所あると言った方がいい気がします。千種川対岸丘陵上に今年になって前方後円墳と確認された放亀山1号墳があります、そちらは前期前半の古墳なのでそれに続く首長墓でしょうか。西側に2基の円墳があり古墳群を形成しています。新しい掲示板に分布図が載っていますが南側の3号は位置が少し違っているような気がします。登り口辺りにお寺があって車を停めさせてもらいました。

(2000年)
丘陵頂を利用した径40m、高3m造出の付いた円墳で円筒埴輪や形象埴輪が出土、中期の古墳です。有年原・田中遺跡北西、登る道もあり上は広場になっていますが周りが雑木林で墳丘はよく分からず見晴らしも良くない。途中にある説明板辺りが造出か。県史跡。

奥山古墳群

兵庫県赤穂市 2018年3月訪問

丘陵頂部に10基前後か

その1
位置:34°50′04″N 134°23′23″E (日本測地系)
    34.83766733 134.38701502(世界測地系)
丘陵頂部に立地、平面形は大きいが背は低い、立地といいいかにも中期古墳


その2
こちらも大きい割に平坦な墳丘


墳頂が大きく盗掘されている


唯一石材露出、横穴っぽい感じもするけど立地がね


その3
緩斜面に低い墳丘


これも墳頂部は平坦


その4
段差のようにしか見えない墳丘


手前がその4,後方がその5


その5
段差状だがまだ盛り上がっている


左側古墳の前は急傾斜地


上から見ると古墳らしく見える


_1と反対側から


その5から見た2,3,4、丘陵頂部辺りが平坦で墳丘が密集している


その6
肉眼じゃないと分からないような僅かな高まり、ここも前は急傾斜


その7
登り口にありここを通ってその1に至ったが初めは気が付かず


玉堀古墳群(おまけ)
蟻無山と奥山古墳群の間の鞍部にある古墳群
墳丘が2基見えているかな、石室を持つ3号は見つからず


見学記
蟻無山古墳の説明板に載っていたので序に訪問してみました。蟻無山造出辺りから斜面を下り獣避け柵を超えて斜面を登っていきます。蟻無山よりずっと高い丘陵頂部に築造された古墳群で8基程あるようです。大きさの割にそれ程背は高くなく1基を除いて石材も全く見られず中期の古墳群かな。樹間を通して千種川が見えています。当時は周りの林も伐採されて下からもよく見えたんでしょうね。
途中の鞍部に玉堀古墳群があります。低い墳丘があるのはすぐ分かりましたが小型石室が開口した3号は見つからず。見つかればラッキーと言った程度だったから探すこともせず。

中所古墳群

兵庫県赤穂市 2018年3月訪問

7基、見学可能3基

3号
尾根先端に墳丘


墳頂に石材散乱


_1と反対側から、こちらからだと墳丘らしく見える


4号
横穴式石室、玄室長4m程
3号西側、これはもう墳丘だと分かるレベル


南側に大きな石材が幾つか転落


開口部、右側の石はずれているかも


カメラを突っ込んで撮影、奥が明るい


奥壁側が開口していました


開口部から撮影、玄室は良好に残る


ストロボ無しで撮影、側壁はやや持ち送り、左袖は明瞭だが右は袖かどうか微妙


〃縦位置


羨道奥から、入口側ほど埋まっている


玄室、奥壁下部は残っているが巨石ではなさそう


〃ストロボ無し


5号
横穴式石室、玄室長4.5m程
位置:34°50′01″N 134°22′47″E (日本測地系)
    34.83683386 134.37701586(世界測地系)
更に西側にハッキリした墳丘


反対側から


これも南側に石材露出


激狭開口部


羨道玄室ともよく残っています、これはもう入るしかない


幅の割に背の高い玄室


奥壁は巨石+1枚、墨絵のような模様がある、偶然だろうけど


奥から外、左片袖かな


〃縦位置


レベルの揃った天井


羨道奥から、こんな場所で長い羨道が残るのも珍しい


(追記)三軒家14-16号に編成替え

見学記
赤穂市有年楢原、野田2号から山裾沿いの道路を1.6km南下、地蔵立像板碑の案内板があるのでそこを曲がります。道は狭いし途中で止められる場所もありますが途中で左折して行き止まりの場所まで行った方がいい。巨大水道タンクがありその手前に駐車スペースがあります。そこから西側の尾根筋を登っていくと3基の古墳があります。どれも墳丘がよく残っていて一番手前のが3号、石室は破壊され石材が露出しています。隣が4号、南東に開口、激狭ですがカメラを突っ込んでみると奥が明るい、反対側に行ってみると奥壁上部が開口していました、やや狭いですが入るのに問題なし。切石状の石を積み重ねた左片袖式、まぐさ石も2段になっています。羨道は殆ど埋没、側壁は内傾、奥壁は側壁と同じくらいの大きさの石材です。その隣に5号、こちらも南東に開口していますがかなり狭い、羨道はかなり埋まっていますが玄室完存、幅の割に背が高く奥壁は巨石+1枚と4号とは大分様相が異なります。玄門は左片袖、切石柱状袖石を立てています。石室構造や位置からしてもこちらの方が新しそうです

三軒家古墳群

兵庫県赤穂市 2018年3月訪問

11基、8基残存
(番号暫定、HP「古墳とかアレ」に従う

丘陵麓に標柱、案内等は一切なし


8号
位置:34°49′50″N 134°22′32″E
標柱から尾根筋を登ると出会う大きな墳丘、その手前にも墳丘かどうか怪しいのがあった


墳頂は盗掘なのか大きく窪む


尾根筋上から、ハッキリした墳丘


?号
位置:34°49′49″N 134°22′35″E
ゆるい尾根筋先端に墳丘、HP「古墳とかアレ」には載っていない、撮影時は気がついてないので5号か6号かなと思って周辺捜索


石室前部が露出


石室正面、天井石は薄く側壁は割石


石室後部は良好に残存、奥壁下部が埋まって見えず


奥壁上部が石棚状、あまり突き出ていませんが


6号
位置:34°49′51″N 134°22′35″E
急斜面に石材が見えていた


近寄ってみると石室だと分かる


急斜面に構築、横から見ると僅かな高まり


細長い石室、羨道や玄室前部天井壊失


玄門袖石が板石、特に右側の加工度が凄い


玄室内部、人間一人が横たわれる程度、右側壁は垂直だが左はやや傾く


奥から外、両袖式


背後から見ると急斜面ぶりがよく分かる


見学記
赤穂市有年楢原、更に700m程南下、右手山の中に入っていく広い道があるのでそこを曲がり600m程行くと道路が右カーブしている辺りに標柱が立っています、無いよりはマシな程度。その辺りから丘陵に入っていきますが分布状況は全く分からず、更に東西に長い細長い丘陵かと思っていたら尾根筋も幾つもあったりして迷走の始まり。とにかく西端の尾根筋を登ってみると頂部が凹んだ割と大きな墳丘がありました、これが7号か8号、だとすると南北どちらかに同じ程度の墳丘があるはずだが分からず。5号が谷底辺りにあるというので一度下の谷筋まで戻って下っていきましたがどうにもありそうにない。適当な場所で登っていったら偶然ゆるい尾根筋先端に前部が破壊された石室がありました。これが5号かと思いましたが帰ってからHP古墳とかアレを見てみると載っていない石室だったようです。更に斜面を登っていくと露出した石室がありました、これは6号に間違いない。それにしてもとんでもない急斜面、墳丘は殆ど流失していますが何でこんな場所に作った。ここから東側に4号以下があるそうですが見つからず。途中で鹿に遭遇して引き返した。頂部に1号があるというので登ってみましたが頂部東側は急斜面、東西に長い丘陵というのが頭にあったのでこれは間違えて北側の頂部に来たかと勘違い、もう体力も尽きて引き返しました。分布状況が全くわからない中で石室2基見つけただけでもOKかなと自分を慰める(笑)。標柱辺りに駐車スペースあり。因みに広い道路は養鶏場に行く道のようで駐車場所辺りにゲートが有り車が通るたびに消毒シャワーを浴びせていました。

野田2号(野田桐谷2号)

兵庫県赤穂市 2000年4月訪問、2018年3月再訪

墳形不明
横穴式石室、全長7.8m,玄室長3.12,幅1.77,高2.5m
位置:34°50′44″N 134°22′40″E (日本測地系)
    34.84877713 134.37507125(世界測地系)

(2018年)
18年ぶりに訪問してみたら藪が刈られ見やすくなっていた、説明板も新たに設置


古墳正面、羨道前部天井壊失


羨道前部に板石の仕切り石が残る


羨道後部はよく残る、割石積みでやや持ち送り


玄室玄門、扉石が手前に倒れている、高さも幅も開口部にピッタリではなさそう


玄室奥壁は巨石2段積み、それ程奥行きはない


〃縦位置


天井石は3枚


奥壁前に板石、敷石か


奥から外、板状の袖石を立てた両袖式


〃縦位置


羨道奥から、下に見ているのが扉石


天井石が露出、奥に千種川が見えている


(2000年)
石室開口部、墳丘ははっきりしない、板石を使った閉塞石下部が残る


板石を使った玄門、手前に閉塞石が倒れている


玄室奥壁


玄室奥から外、両袖式、墳丘流失のため根っこが進入している


玄門から外


(見学記)
(2018年)
赤穂市有年楢原、序だったので18年ぶりに訪問してみました。古墳自体の説明は省略、狭い薄暗い場所にあるといったイメージしか残っていなかったのですが今回来てみると墓地の奥の杉林の中、下草も刈られたりして割と明るいイメージになっていました。国道373号から千種川にかかる細い橋を渡って行くと集落手前に右矢印の案内板があります。そのまま道なりに集落北側をぐるっと廻って西側の高い場所に行くと墓地入口に次の案内表示があります。石垣上の高い場所にあるけどその手前が上り坂で視線が上の方に行っているので見逃すことはないでしょう。でも道が狭そうなので私は最初の案内板先辺りで車を停めましたけどね。
新しく説明板が立っていてそれは野田2号となっていました。野田は地名っぽいですが桐谷は何処から来たんでしょうね、そして何処へ行った。ひょっとして所有者の名前かなと思い近くの家の表札を見てみましたが見当たりませんでした。検索しても”野田2号”の方が多いようでこちらに名前を変更しておきます。

(2000年)
有年原・田中遺跡辺りから国道373号を約3km北上して橋を渡ると丘陵麓にある集落入り口に案内板があります。しかし例によってその後のフォローがない、集落山側にある墓地の一角にあります。墳丘ははっきりしませんが南側に石室が開口しています。石室の前に立つとまず目に付くのが板石を使った閉塞石、下半分が残存しています。石室入り口でなく羨道途中に立てられているようだ。羨道に入ると玄門も板石を使った袖石と櫃石が目に付きます。ここにも閉塞石があり羨道側に倒れかかっています。玄室は両袖式、奥壁は巨石で上下2段積み、側壁はそれ程大きくない。床面には平石が敷き詰められ羨道より一段高くなっています。石室全長7.8m、玄室長3.12、幅1.77、高2.5m。別名祇園塚古墳。県史跡。

木虎谷古墳群

兵庫県赤穂市2000年4月訪問、14年4月再訪

総数19基、2号が石棚を有する

(2014年)

1号
横穴式石室、石室長7m、玄室幅1.7,高1.9m(現状)
位置:34°49′58″N 134°23′33″E (日本測地系)
    34.83600087 134.38979263(世界測地系)
丘陵裾辺りに立地


背の高い墳丘が良好に残る


開口部正面、石室前部はかなり破壊


石室後部は良好、側壁はやや持ち送り


〃縦位置


奥壁は縦長の巨石を2枚据え上に平石を重ねる、奥壁上部が狭まるのにあわせて側壁も持ち送りしている、この古墳群でよく見かける特徴


奥から外、無袖かな


〃縦位置


2号
円墳
横穴式石室、全長9.5m,玄室長5.2,幅2.2,高2.4m
石棚
位置:34°49′55″N 134°23′37″E (日本測地系)
    34.83516764 134.39090368(世界測地系)
古墳群の盟主墳、でも1号じゃなく2号、この古墳群の番号付けはバラバラで分かりにくい


巨大な玄室が良好に残る


〃縦位置


分厚い石棚


石棚下の奥壁は左右に2枚


石棚上は上下に2枚


奥から外、両袖式、玄門部はまるで額縁のよう


〃縦位置


墳丘背後から、右後方の民家辺りに11号があるかあったはず


3号
横穴式石室
位置:34°50′00″N 134°23′33″E (日本測地系)
    34.83655637 134.38979261(世界測地系)
1号北側、丘陵裾に立地


大きな墳丘が残る、墳頂に石室が見えている


石室最後部だけ残る、前部基部は埋まっているかな


奥壁は巨石上下2段、やはり側壁上部がせり出し幅合わせ


墳丘背後から


(おまけ)
3号奥に石棺材があるの言うので探してみたが見つからず
いかにも人工的に並べられた石材、でも石室の匂いはせず


こちらも同様、奥壁らしきものも見えているけどね


4号
箱式石棺
一部露出した箱式石棺、奥に見えているのが16号?


天井や側壁は薄い板石


内部は殆ど埋没


天井石は初めから半分くらいに割られているのかな


16号
細長い石室それとも箱式石棺?


5号
低い墳丘が残る


石室破壊か、浅く窪んで石材散乱


6号
石室後部だけ残存


側壁も僅かに残存


7号
斜面に立地、背後から見た墳丘


現墳丘の上部辺りにに開口


開口部、前上部破壊埋没


石室後部は良好に残る、側壁はやや持ち送り


奥壁は鏡石を据え上に平石を重ねて安定させている、最奥の天井石が一段下がる


奥から外、無袖かな、埋もれている巨石は天井石でしょうか


〃縦位置


8号
位置:34°50′02″N 134°23′37″E (日本測地系)
    34.83711189 134.39090362(世界測地系)
斜面に良好に残る墳丘


現墳丘上部に開口、石室前部は破壊されているようだ


玄門上部に巨石のまぐさ石、袖石が突き出ている


良好に残る玄室、側壁は僅かに持ち送り


〃縦位置


下部に大きさの異なる巨石を左右に並べ上部に巨石というちょっと変わった配置


奥から外、左片袖式、右の側壁はやや孕んできているかも


〃縦位置


9号
斜面に形のいい墳丘が残る


石室正面、天井石が転落


開口部、前部は埋没


開口部から見た内部、側壁天井石が傾いている


玄室内部は意外と良好、天井石にヒビ、右側壁もややせり出す


奥壁は基部に巨石その上は左右に2枚と8号とは逆のパターン


奥から外、全体がやや右に傾いているかも、天井石も傾いているようだ


〃縦位置


10号
高い墳丘が残っているけど


正面から見ると大きく開口


石室上部の封土は僅か、元の墳丘はかなり高かったんだろうな


玄室良好、側壁は殆ど持ち送りがない


側壁石材は小型


奥壁は巨石上下2段+上に詰石


奥から外、無袖でしょうか


〃縦位置


12号
これも割と墳丘が残る、石室前部かなり破壊


大きな開口部、上部は僅かに土に覆われるだけ


石室は良好、右側壁は持ち送りでなく、若干倒れかかっているのかも


奥壁は下に縦長巨石2枚並べ上に1枚


奥から外、右側はやや孕んでいるのかも


〃縦位置


13号
小型の細長い石室露出、天井石1枚傾いて残存


石室横から


14号
僅かな高まりが残る墳丘


石室最後部が何とか残存、手前に天井石


奥壁は小型ながら鏡石2段+平石3枚、左側壁最奥が幅を狭めている


最後部天井石は分厚い板石状


15号
僅かな高まりに天井石露出


天井石がずれて開口


天井石に加工の跡が見える


石室内部、やや埋まりながらも割と残る


奥壁、右の詰石がなければすっきりしているんだが


17号
斜面下方から見ると僅かな高まりに石材散乱


背後から見るとはっきりした墳丘と石室が分かる


天井石がずらされて開口、大人だと入れない程の小型石室


奥壁は平石積み


奥から外、左片袖式、羨道もあって小型ながら本格的な造り


袖石も四角く加工されているようだ


18号
多分手前まで石室が伸びている


最後部だけ何とか残存


どうせ一部残存なら奥壁辺りが残るのが一番嬉しい


小型ながら三角形の鏡石


19号
石材散乱状態


細長い石室の最後部残存


平石を重ねた奥壁


石室上から


20号(仮)
僅かな高まりに天井石露出


こちらが正面側、前部埋没


こちらが背後側


開口部に四角い石の上部が見えている


_2の開口部から内部、奥壁かな、1,2枚目の撮影方向があやふや奥壁ではなくて羨道閉塞石かもしれない


21号(仮)
尾根筋上から見た墳丘


横から見ると墳丘ははっきりしている、僅かに石材散乱



(2000年)
1号
位置:2号すぐ西側
石室開口部


玄室、奥壁の積み方は2号に似ている


無袖式


2号
石室開口部、羨道はかなり破壊


持ち送りのある玄室、分厚い石棚がある(厚さ45cm)


両袖式


(見学記)
(2014年)
赤穂市有年原、14年前に県史跡になっている2号を見学しましたが更に奥に古墳が密集しているというので再訪してみました。2号西側山裾に以前見つけた1号があり墳丘背後の山道を更に奥に行くと3号の大きな墳丘が見えてきます。墳頂に石室露出奥壁辺りしか残っていませんが完存していたら結構大きな石室だったろうな。ここから果樹園を通って北東に行くと斜面裾や尾根筋に古墳が密集しています。中に入れる良好な石室だけでも4基ありその他石室一部だけのを含めると十数基が密集しています。個々の古墳の説明は省略しますが興味深いのは尾根筋一番上辺りにある17号、小型の石室で一見箱式石棺かと思いましたが天井がその割に大きく内部を見ると羨道まであってちゃんとした左片袖式の石室です。さすがに羨道から遺体や遺物を入れるのは無理でしょうが子供用の石室なんでしょうかね。総数19基だそうですが19号上にも2基の古墳がありました。1基は石室が露出しているしもう1基は斜面にはっきりした墳丘があるから間違いないかなと思います。2号南側に公園が出来ていて駐車場あり。

(2000年)
有年原・田中遺跡北方、丘陵麓近くにある14基からなる古墳群です。小学校の東側を通りため池北側を通っていくと民家の背後竹林の中に2号墳があり側に説明板が立っています。南側に大きな石室が開口、羨道はかなり破壊されていますが両袖式の玄室は完存、なんと行っても最大の特徴は奥壁に石棚があること、あまり加工されてなく非常に分厚い(厚さ45cm)。説明板には棚が完全な水平でなく物を置いたのもではないだろうと書かれているがさてどうなんでしょう。墳丘は竹が密生し石室入り口付近まで竹の子が生えてきている。石室は大丈夫かいな。石室全長9.5m、玄室長5.2,幅2.2,高2.4m。県史跡。すぐ南側にかなり崩壊した墳丘があり奥壁がかろうじて残っている。西側にも無袖式の石室が開口している。石棚はないが奥壁の積み方はよく似ている。他には石室が開口している墳丘はなさそうだ(多分)。

有年原群集墳

兵庫県赤穂市2014年4月訪問

約50基(番号は仮)、6C

標柱
位置:34°49′56″N 134°23′31″E (日本測地系)
   34.83544536 134.38923714(世界測地系)

入り口と書かれているが道は殆どない


1号
急斜面に割と墳丘が残る


2号
向こう側が崖面で崩壊しているが石材見られず


3号
緩斜面に残る墳丘


小さな石が見えているが石室はなさそう


(見学記)
木虎谷1号手前に標柱がありました。その前に1号を見学中にも南側斜面に墳丘が見えていて見学したのですが墳丘が削られているにも拘わらず石室が全く見えない。木虎谷見学後斜面の上にも上がって探してみて幾つかの墳丘が有りましたが石室は全く見られない。50基程からなるそうですが木棺直葬かもしれません。木虎谷古墳群とはもう隣り合わせの状態だけど随分違うものだ。

塚山古墳群第Ⅱ支群

兵庫県赤穂市2000年4月訪問、2012年3月再訪

第Ⅰ支群28基、第Ⅱ支群16基、第Ⅲ支群以下まだ増えそう

【第Ⅱ支群】
小支群ⅡaⅡbⅡcⅡdⅡe

Ⅱa小支群

1号
正面から、殆ど破壊されている


基部は残るが天井石は最後部の1枚のみ


石室横から


石室後方から、長い窪みが残る


奥壁は何とか残る


2号
谷に向かう斜面に残る墳丘


隙間開口


石室自体は良好に残る


3号
僅かな高まり、石材数個見えるのみ


4号
谷川から見た墳丘


斜面上から見ると墳丘良好、天井石露出


石室正面、入り口埋没


中央辺りで開口


石室後部は良好に残る


露出した天井石


5号
僅かな高まりに石材露出


急斜面に立地


右上から左下方向に石室


石室後方から、天井石が1枚残る


6号
支群一番奥、墳丘石室とも一番良好


尾根上から、いい雰囲気で残る


斜め下方下から


石室正面下から、下からだと墳丘の様子がよく分からない


開口部


開口部から見た石室内部、側壁も持ち送りが殆どない


良好に残る玄室


下がやや埋まっていますが四角い石二段重ねの奥壁


奥から外、右片袖かな、袖石はなさそうだ


Ⅱb小支群

7号
横穴式石室、全長4m

平坦面に立地、墳丘流失、手前の石も石室石材でしょうか


分厚い板状の天井石1枚残存


内部は殆ど埋まりトンネル状


横から、僅かに高まりが残る


Ⅱc小支群

8号
すっかり破壊された石室、石材も細かく割られる


石室正面から、最後部天井が残る


僅かに残る石室最奥部、左が奥壁


9号
横穴式石室、全長9m、玄室長6.8m、後室長3,幅1.7,高1.9m

斜面麓辺りに良好に残る墳丘、支群中最大、右奥に見えているのが12号


石室正面側


開口部正面、前部は上部壊失


一見両袖式のようだが玄室に間仕切りを持つ複室構造


後室(縦位置)、天井がフラット


巨石2段積みの奥壁、上部の方が幅が広い


奥から外、まぐさ石にヒビが入る


前室奥から、入り口辺りが狭まっているようだ


墳丘背後から


10号
横穴式石室、全長5.6m、玄室長2.6,幅1.8,高1.6m

多少小さくなるもそこそこ残る墳丘


狭い開口部


開口部から見た石室内部、左側壁がややせり出している


鏡石は2個からなるが上部が円形になるよううまく組み合わせている


奥から外、袖石を立てた右片袖式


墳丘横から


11号
墳丘南側から


上部を失った石室露出


石室奥から


12号
横穴式石室、全長7.7m、前室長2.3,後室長3,幅1.6,高2m

墳丘東側から


墳丘北側から、非常に良好


上記反対側から


大きく開口


開口部正面


9号と同じく間仕切りを持つ複室構造


床面の石材破片


大型石材を積んだ後室


〃(縦位置)


巨石2段積みの奥壁、右上の石材が統一感を崩す


奥から外、まぐさ石や袖石に扉石をはめ込んだような溝が見えるが内側に扉をつけるわけないしな


前室奥から


13号
墳丘北側から


僅かに石材露出するのみ、左奥が14号


14号
横穴式石室、全長5.6m以上、後室長2.6,幅1.3,高1.3m

良好に残る墳丘


北側から見ると更に良好な円錐形、一部に列石が見えているかな


石室正面側から、羨道はかなり崩壊


天井石が傾く


開口部


9,12号と同じく複室構造だが間仕切り石が左側にあるのみ、まぐさ石も無し


後室、奥壁は2段積み


奥から外



Ⅱd小支群

15号
方墳or多角形墳、L10

支群最奥、墳丘良好に残る


開口部、内部はすっかり埋没


東側から、左が石室正面


墳丘裾に石列、直角に曲がっているかな


墳丘背後から、墳丘裾を仕切る石材でしょうか


Ⅱe小支群

16号
横穴式石室、全長6.4m

尾根先端に立地、墳丘流失石室下部残存、手前に細かく破壊された石材


大型石材を使った玄室


腰石の上に上が尖った鏡石を乗せる、完全に残っていればさぞかし見事だろうな


斜め後方から、奥壁は意外と薄い


玄室後方から

塚山古墳群第Ⅰ支群

兵庫県赤穂市2000年4月訪問、2012年3月再訪

第Ⅰ支群28基、第Ⅱ支群16基、第Ⅲ支群以下まだ増えそう

【第Ⅰ支群】
小支群ⅠaⅠbⅠcⅠdⅠeⅠf(仮称)
2000年(クリックでジャンプ)

Ⅰa小支群
1号
R14
石室全長8.6m(推定)、玄室幅1.5,高1.95m
位置:34°50′11″N 134°24′18″E (日本測地系)
    34.83961179 134.40229146(世界測地系)
下草が刈られて見やすくなった墳丘


石室正面


開口部、前部は少し失われているもよう


良好に残る石室


側壁はやや内側に傾く


奥壁は巧みに積むもややバランスが悪い


奥から外、無袖かな



2号
R11
石室全長6m以上

墳丘は良好に残る


開口部、前部壊失天井も傾く


内部は土圧で大きく歪む、よく崩壊しなかったなと思うレベル


3号
R12
石室全長6.9m(推定)

盗掘で大きく窪んだ墳丘


石材も殆ど抜かれている


奥壁は元位置に残っているようだ


4号
R10
石室全長6.9m、玄室長3.2,幅1.4,高1.9m

良好に残る墳丘,、右手前は羨道石材のようだ


開口部正面、天井石がずり落ちかけている


開口部から見た石室内部


良好に残る玄室、側壁は上部がやや持ち送り


巨石2段積みの奥壁、ここが余分な石材がなく一番すっきり


奥から外、片袖式、右に僅かな幅の袖石を立てる


羨道奥から、偶然でしょうが傾いた側壁と天井石のカーブが微妙に一致している


中央4号、左奥3号、右奥6号


5号
_1:低い墳丘が残る、偶々古墳見学会の人々と遭遇


6号
円墳、R17
複室石室、石室全長11.4m、玄室長6.7,幅2.5,高2.4m

群中最大の墳丘、石室、かっては方墳と思われていたが前面だけ直線状になった円墳と判明


石室正面、天井石が傾く


羨道は上部を失う


前室、左側だけ柱状の袖石がある


後室玄門


後室、巨石を使った奥壁、上段の石が右にはみ出てバランスが悪い


〃(縦位置)


手前の天井石がすこぶる巨石


奥から外


前室奥から


背後から見た墳丘


9号
5号に隣接、周溝を共有


Ⅰb小支群
7号
横穴式石室、推定全長6.6m

墳丘前面が大きく盗掘


石室最後部しか残っていない


奥壁は平面に整えられている


背後から見た墳丘、斜面カットした様子や外護列石が見られる


8号
横穴式石室、全長5.5m、玄室幅1.3m

割とよく残る墳丘、石室前面は破壊、左背後に11号


羨道天井部が開口


良好に残る石室


奥壁は腰石を据えその上に丸い鏡石


奥から外、片袖か無袖か


墳丘背後から、左奥に見えているのが6号


11号
横穴式石室、推定全長4.5m

急斜面に立地


開口部、入るのは困難


露出した天井石、1枚が折れている


かなり歪んだ玄室


墳丘横から


12号
横穴式石室、推定全長4.1m、玄室長3.4m

墳丘ハッキリせず石材露出


天井石は動かされているもよう


これが奥壁辺りでしょうか


13号
右手前の石材が13号、奥に14号以下幾つか古墳が見えている


14号
横穴式石室、全長3m

比較的残る墳丘に天井石露出


天井石は動いているようだ


奥後方から、石室埋没


斜面上から見た墳丘


15号
僅かに石材が露出するのみ


16号
石材露出


側壁と天井石の一部でしょうか


18号
斜面高い場所にある墳丘


天井石露出


細長い石室と言う程度しか分からない


不明1
僅かな高まりと中央部に石材露出


不明2
墳丘ははっきりせず奥壁辺り残存


7号に比べると奥壁の積み方は粗い


不明1,2は撮影順からして7,11号付近だと思うが分布図(大和國古墳墓取調室参照)には載ってない、と言うより初めは知らずに分布図に合わせたので番号は違っているのがあるかも

Ⅰc小支群
19号
丘陵裾辺りに立地、はっきりした墳丘が残る


20号
斜面上から見た墳丘、頂がやや窪む


左19,右20号


21号
僅かな高まりが残るのみ


22号
緩斜面に僅かな高まり


Ⅰd小支群
25号
横穴式石室、全長3.7m

丘陵中腹の斜面に気づかれた墳丘、側にあるはずの23,24号は分からず


石室正面、前部破壊


玄室後部は良好に残存


26号
比較的墳丘が残る


手前の石が石室最前部でしょうか


小型ながら石室良好


Ⅰe小支群
27号
尾根直下の斜面に構築、背後に斜面をカットした跡が残る


斜面上から見た墳丘


僅かに石材露出


内部は殆ど埋まる、一段下がっている石がまぐさ石か


28号
横穴式石室、全長6.1m、玄室幅1.2,高1.2m

尾根上に構築、石材が露出


天井石壊失も石室は先端まで残っているもよう


天井石を大半失うも玄室残存


斜め後方から、天井石が落下している


石室後方から


玄室、天井石が落ちかかっている


奥壁は四角い鏡石を据え上に平石2段


奥から外、天井石と側壁が微妙に支え合っている、よく崩れなかったなと思うレベル


Ⅰf小支群(仮称、数字も仮称)
29号
僅かな高まり、石材散乱


30号
正面から、はっきり石室と分かるレベル


横から、左側の天井石のようだ


背後から、石室部分が窪む


31号
炭焼き窯かなとも思ったがやはり石室かな


小型の玄室


下部の石が大きく石室らしい石組み


石室背後から


32号
尾根筋直下に立地


墳丘良好、前は急斜面


天井石1枚露出


内部は殆ど埋没


(2000年)
1号
林の中に藪に覆われた墳丘


大きな玄室


奥から外、大きな開口部


2号
かなり歪んだ玄室


4号
藪に包まれた墳丘


2段積み奥壁、それ程大きくない


奥から外、右片袖式


6号
大きな墳丘が残る、開口部で天井石が傾いている


羨道からして大きい、袖石が突き出ている玄門


2段積み奥壁


奥から外、両袖式


羨道奥から、手前は前室


7号
玄室


奥から外、右片袖式


11号
小型玄室奥が残る


(見学記)
(2012年)
赤穂市有年牟礼、以前は5,6基が見られるだけだったけど支群が増え藪も刈られて見学しやすくなっていたので再訪してみました。以前の写真を見てみると6号背後は藪だけどすっかり刈り払われ幾つも墳丘や石室が見えていました。こんな近くにあったのね。ただ最初訪問時もこの藪の中を探しているようで11号墳は見ているようだけど全く記憶にないな。もっともっとあったのようだけど当時は藪の中だったしな。この辺りは数はあるがまだそれ程でもないけど更に奥の第Ⅱ支群の方には墳丘石室とも良好なのが幾つもあります。一番奥には多角形墳かと思われるのも残っています。見学しやすくなったとはいえまだ遊歩道とかは整備されていないし水が流れていて足下が悪い場所もあったりして全部見学するにはやはり半日くらいかかるでしょうか。入り口近くのT字路辺りに車1台分の駐車スペースあり。

(2000年)
有年原・田中遺跡東方、南北に伸びる谷の中程にある8基からなる古墳群です。谷の西側にある道路を北上すると説明板があり、イノシシ除けの柵があるがちょっと失礼して林の中に入ると古墳が集中しています。その北側にあるのが盟主墳の6号墳、一見して他の比べて大きな方墳で石室も立派です。南側に開口する石室の前に立つと羨道天井石が大きく傾いていますが中に入るのは楽々、板石を使った桐谷2号墳と同様の構造が目に付き一見ここが玄門のようですが石室すぐ左手に柱状の袖石があり、板石は玄室を前後に分ける仕切です。後室の方がやや小さいですが側壁を見ると前室に比べて後室の方が大きくはっきり区別されているようです。奥壁は上下2段積みの巨石です。石室全長11.44m、前室長3.45,後室長3.12m。県史跡。他に中に入れるほどの石室が3基、玄室が土圧で崩壊しかかっているものや盗掘で石室がすっかり破壊されているのもあります。
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