内裏塚古墳群
千葉県富津市 1986年7月訪問、1994年2月再訪
総数32基、現存22基
前方後円墳11、方墳5(消滅を含む)
平野部に2km四方に渡って分布
稲荷山古墳
前方後円墳、TL120,R52,FW84,RH10,FH10、6C中
位置:35°18′59″N 139°50′59″E
前方部斜め後方から、前方部が大きく発達、周溝が水田となって残っている

上野塚古墳
前方後円墳、TL44,R32,FW24
位置:35°19′39″N 139°51′41″E
左手に僅かに前方部が残る、青堀駅前に保存

前方部から後円部、擁壁に大型前方後円墳の測量図がある

亀塚古墳
方墳、L33~37
位置:35°18′56″N 139°51′59″E
樹木に覆われた墳丘

九条塚古墳
前方後円墳、TL103,R57,FW73,RH7.2,FH7.2、5C末~6C初
位置:35°18′59″N 139°51′42″E
墳丘東側、樹木に覆われ周溝跡が残る

三条塚古墳
前方後円墳、TL121,R62,FW93,RH7,FH8、6C後半
位置:35°19′06″N 139°51′55″E
後円部が削られ露出した横穴石室石材、幾つかの古墳で石材が露出しているがみなこの様な貝が穴をあけた石材を使用

内裏塚古墳
前方後円墳、TL144,R80,FW90,RH12,FH11、5C中
群中最大
位置:35°19′20″N 139°51′36″E
右手こんもりした林が後円部、墳丘は良好に残っている

西原古墳
前方後円墳、TL60,R30,FW37
位置:35°19′35″N 139°51′38″E
後円部の一部のみ残存、石材露出

姫塚古墳
前方後円墳、TL70
位置:35°18′46″N 139°51′02″E
後円部の極一部残存、左遠方に稲荷山古墳

奇妙な石材を使った横穴石室

森山塚古墳
方墳、L27
位置:35°18′50″N 139°51′55″E
復元整備された墳丘

割見塚古墳
方墳、L40
位置:35°19′12″N 139°51′56″E
左墳丘、画面中央に浅い周溝が残る、横穴石室があるが見ることは出来ない

(見学記)
内裏塚古墳群
富津岬近くの海岸沿いの平野にある古墳群で大型の前方後円墳4基(県史跡)を含む22基が残っています。全て平野部に存在し見つけるのは容易ですが,東西南北2kmの範囲に分布しているので自転車で回るのが最適でしょう。
上野塚古墳
内房線青堀駅前広場に保存されている全長44mの帆立貝式に近い前方後円墳です。後円部と前方部のごく一部が残っています。擁壁に内裏塚古墳等の平面図が表示されています。
西原古墳
上野塚からすぐ北側のR16に出て西進しすぐ細い道を南に行って線路に突き当たった辺りにある全長70m程の前方後円墳ですが,現在残っているのは後円部の極一部のみです。崩壊しかかった石室の石材が見えています。他の幾つかの古墳でも石室の石材が見えていますが皆共通してぼつぼつ穴の開いた石材が使われています。現代人が見ると余りみっともないと感じるんですが(私だけか)当時の人にとっては何か意味があったのでしょうか。それともただ手には入りやすかったと言うことでしょうか。
古塚古墳
さらにR16を西進し青堀小学校の南側にある全長88m程の前方後円墳です。線路によって墳丘西側の一部が削られていますが全体に保存状況は良好です。全体が林に覆われていますが墳丘に登って行くこともできます。
青木亀塚古墳
古塚のすぐ南西にある古墳です。かなりの変形を受けていてただの自然地形かとも思われていましたが(実際そのような自然地形が幾つかあるそうです)発掘の結果全長103mの大型前方後円墳と判明しました。現状はかなりの変形を受けていてどちらが前でどちらが後かはっきりしません。(正解は前方部が南西向き,他の前方後円墳もおおむね南もしくは南西に前方部が向いています)
内裏塚古墳
R16を少し東に戻って県道大貫・青堀線を南下すると前方に内裏塚古墳が見えてきます。全長144mと群中最大の前方後円墳で墳丘も良く残っていますが樹木に覆われていて形を確認することは困難です。後円部に神社があり東側から登って行けます。さらに前方部に細い道が続いていて元の県道に出ることが出来ます。(だからといってどうという事は無いんですけど。後円部北東に内裏塚北方古墳が有るはずで民家の庭の一角にそれらしき塚がありましたがそれかどうかはっきりしません。
白姫塚古墳
内裏塚西南西200mにある径25m程の円墳です。民家に囲まれていますが墳丘は良く残っています。
白姫塚南方古墳
白姫塚南南東 150m の林の中にある径20m程の円墳です。上部がかなり削平されていて中央もへこんでいてまるで円形の土手のようです。墳丘の土も黒い腐植土で古墳という感じがしません。
九条塚古墳
内裏塚南方600mの県道脇にある全長105mの前方後円墳です。墳丘は良く残っていますがこれも全体が樹木に覆われています。北東側から後円部に登る道があります。
武平塚古墳
九条塚南方170mにある推定70m程の前方後円墳ですが後円部東側一部と前方部の極一部が残っている程度です。民家の中にあって見学は困難です。
武平塚南方古墳
武平塚南西200mにある古墳で比較的最近になって発見されました。現状は16×9mの長円形の残丘です。これも民家の中にありますが道路から眺めることが出来ます。
姫塚古墳
武平塚古墳西1km、県道北側にある推定70m程の前方後円墳ですが,後円部の一部が残っている程度で小さな円墳と言った感じです。地割りや地形にも前方後円墳を類推させるような物は全く残っていません。石室の石材が露出しています。
稲荷山古墳
姫塚から北北東に見える森が稲荷山古墳です。全長106m、前 方部の発達した前方後円墳です。墳丘はくびれ部辺りが少し削平 されている程度でよく残っていて墳丘上に上がることもできます。 周濠も水田となって残っています。
森山塚古墳
武平塚東300m、山王公民館脇にある一辺27mの方墳です。かなりの変形を受けていましたが現状は復元されているようです。
亀塚古墳
森山塚北250m、道路が直角に曲がる所に位置する一辺37m程の方墳です。墳丘西側に大きく削られた跡があり,裾部も多少削られています。墳丘は杉林となっています。
三条塚古墳
亀塚の北側に堀で囲まれた区画があり(これが江戸時代の飯野陣屋跡です),この中の西側,飯野神社の裏にある全長122mの前方後円墳です。墳丘東側及び前方部両隅が大きく変形を受けていますがこれも藩校が建てられていたためです。後円部の削られた部分に石室の石材が少し露出しています。
蕨塚古墳
三条塚北200m、陣屋外側にある全長48mの前方後円墳です。墳丘はかなり変形を受け雑木林に覆われていて,何とか前方後円墳と判る程度です。
割見塚古墳
蕨塚のすぐ北側にある一辺40mの方墳です。雑木林に覆われた墳丘は良く残っていて周濠も僅かな窪地となって残っています(特に北側)。切石造り,副室構造の横穴石室があるそうですが,現在はその入口さえも全く判りません。残念。なおすぐ北西側にある前方後円墳のような高まりはただの残土の山です。間違えないようにしましょう。
八丁塚古墳
割見塚北120mにある径24mの円墳で墳頂から東側にかけて大きな盗掘坑があります。周辺は荒れ地で墳丘もススキでぼうぼうです。
西谷古墳
八丁塚北300mにある径22mの円墳です。古墳に至る道が判らず説明省略。
笹塚1,2号墳
八丁塚北東700m、百目木川右岸に接近して存在する円墳です。西側が1号墳で径21m、東側が2号墳で径20mです。共に墳丘の残りは良好ですが2号の方は中近世に塚として利用されたせいか方墳状になっています。古墳は疎林の中にあります。
総数32基、現存22基
前方後円墳11、方墳5(消滅を含む)
平野部に2km四方に渡って分布
稲荷山古墳
前方後円墳、TL120,R52,FW84,RH10,FH10、6C中
位置:35°18′59″N 139°50′59″E
前方部斜め後方から、前方部が大きく発達、周溝が水田となって残っている

上野塚古墳
前方後円墳、TL44,R32,FW24
位置:35°19′39″N 139°51′41″E
左手に僅かに前方部が残る、青堀駅前に保存

前方部から後円部、擁壁に大型前方後円墳の測量図がある

亀塚古墳
方墳、L33~37
位置:35°18′56″N 139°51′59″E
樹木に覆われた墳丘

九条塚古墳
前方後円墳、TL103,R57,FW73,RH7.2,FH7.2、5C末~6C初
位置:35°18′59″N 139°51′42″E
墳丘東側、樹木に覆われ周溝跡が残る

三条塚古墳
前方後円墳、TL121,R62,FW93,RH7,FH8、6C後半
位置:35°19′06″N 139°51′55″E
後円部が削られ露出した横穴石室石材、幾つかの古墳で石材が露出しているがみなこの様な貝が穴をあけた石材を使用

内裏塚古墳
前方後円墳、TL144,R80,FW90,RH12,FH11、5C中
群中最大
位置:35°19′20″N 139°51′36″E
右手こんもりした林が後円部、墳丘は良好に残っている

西原古墳
前方後円墳、TL60,R30,FW37
位置:35°19′35″N 139°51′38″E
後円部の一部のみ残存、石材露出

姫塚古墳
前方後円墳、TL70
位置:35°18′46″N 139°51′02″E
後円部の極一部残存、左遠方に稲荷山古墳

奇妙な石材を使った横穴石室

森山塚古墳
方墳、L27
位置:35°18′50″N 139°51′55″E
復元整備された墳丘

割見塚古墳
方墳、L40
位置:35°19′12″N 139°51′56″E
左墳丘、画面中央に浅い周溝が残る、横穴石室があるが見ることは出来ない

(見学記)
内裏塚古墳群
富津岬近くの海岸沿いの平野にある古墳群で大型の前方後円墳4基(県史跡)を含む22基が残っています。全て平野部に存在し見つけるのは容易ですが,東西南北2kmの範囲に分布しているので自転車で回るのが最適でしょう。
上野塚古墳
内房線青堀駅前広場に保存されている全長44mの帆立貝式に近い前方後円墳です。後円部と前方部のごく一部が残っています。擁壁に内裏塚古墳等の平面図が表示されています。
西原古墳
上野塚からすぐ北側のR16に出て西進しすぐ細い道を南に行って線路に突き当たった辺りにある全長70m程の前方後円墳ですが,現在残っているのは後円部の極一部のみです。崩壊しかかった石室の石材が見えています。他の幾つかの古墳でも石室の石材が見えていますが皆共通してぼつぼつ穴の開いた石材が使われています。現代人が見ると余りみっともないと感じるんですが(私だけか)当時の人にとっては何か意味があったのでしょうか。それともただ手には入りやすかったと言うことでしょうか。
古塚古墳
さらにR16を西進し青堀小学校の南側にある全長88m程の前方後円墳です。線路によって墳丘西側の一部が削られていますが全体に保存状況は良好です。全体が林に覆われていますが墳丘に登って行くこともできます。
青木亀塚古墳
古塚のすぐ南西にある古墳です。かなりの変形を受けていてただの自然地形かとも思われていましたが(実際そのような自然地形が幾つかあるそうです)発掘の結果全長103mの大型前方後円墳と判明しました。現状はかなりの変形を受けていてどちらが前でどちらが後かはっきりしません。(正解は前方部が南西向き,他の前方後円墳もおおむね南もしくは南西に前方部が向いています)
内裏塚古墳
R16を少し東に戻って県道大貫・青堀線を南下すると前方に内裏塚古墳が見えてきます。全長144mと群中最大の前方後円墳で墳丘も良く残っていますが樹木に覆われていて形を確認することは困難です。後円部に神社があり東側から登って行けます。さらに前方部に細い道が続いていて元の県道に出ることが出来ます。(だからといってどうという事は無いんですけど。後円部北東に内裏塚北方古墳が有るはずで民家の庭の一角にそれらしき塚がありましたがそれかどうかはっきりしません。
白姫塚古墳
内裏塚西南西200mにある径25m程の円墳です。民家に囲まれていますが墳丘は良く残っています。
白姫塚南方古墳
白姫塚南南東 150m の林の中にある径20m程の円墳です。上部がかなり削平されていて中央もへこんでいてまるで円形の土手のようです。墳丘の土も黒い腐植土で古墳という感じがしません。
九条塚古墳
内裏塚南方600mの県道脇にある全長105mの前方後円墳です。墳丘は良く残っていますがこれも全体が樹木に覆われています。北東側から後円部に登る道があります。
武平塚古墳
九条塚南方170mにある推定70m程の前方後円墳ですが後円部東側一部と前方部の極一部が残っている程度です。民家の中にあって見学は困難です。
武平塚南方古墳
武平塚南西200mにある古墳で比較的最近になって発見されました。現状は16×9mの長円形の残丘です。これも民家の中にありますが道路から眺めることが出来ます。
姫塚古墳
武平塚古墳西1km、県道北側にある推定70m程の前方後円墳ですが,後円部の一部が残っている程度で小さな円墳と言った感じです。地割りや地形にも前方後円墳を類推させるような物は全く残っていません。石室の石材が露出しています。
稲荷山古墳
姫塚から北北東に見える森が稲荷山古墳です。全長106m、前 方部の発達した前方後円墳です。墳丘はくびれ部辺りが少し削平 されている程度でよく残っていて墳丘上に上がることもできます。 周濠も水田となって残っています。
森山塚古墳
武平塚東300m、山王公民館脇にある一辺27mの方墳です。かなりの変形を受けていましたが現状は復元されているようです。
亀塚古墳
森山塚北250m、道路が直角に曲がる所に位置する一辺37m程の方墳です。墳丘西側に大きく削られた跡があり,裾部も多少削られています。墳丘は杉林となっています。
三条塚古墳
亀塚の北側に堀で囲まれた区画があり(これが江戸時代の飯野陣屋跡です),この中の西側,飯野神社の裏にある全長122mの前方後円墳です。墳丘東側及び前方部両隅が大きく変形を受けていますがこれも藩校が建てられていたためです。後円部の削られた部分に石室の石材が少し露出しています。
蕨塚古墳
三条塚北200m、陣屋外側にある全長48mの前方後円墳です。墳丘はかなり変形を受け雑木林に覆われていて,何とか前方後円墳と判る程度です。
割見塚古墳
蕨塚のすぐ北側にある一辺40mの方墳です。雑木林に覆われた墳丘は良く残っていて周濠も僅かな窪地となって残っています(特に北側)。切石造り,副室構造の横穴石室があるそうですが,現在はその入口さえも全く判りません。残念。なおすぐ北西側にある前方後円墳のような高まりはただの残土の山です。間違えないようにしましょう。
八丁塚古墳
割見塚北120mにある径24mの円墳で墳頂から東側にかけて大きな盗掘坑があります。周辺は荒れ地で墳丘もススキでぼうぼうです。
西谷古墳
八丁塚北300mにある径22mの円墳です。古墳に至る道が判らず説明省略。
笹塚1,2号墳
八丁塚北東700m、百目木川右岸に接近して存在する円墳です。西側が1号墳で径21m、東側が2号墳で径20mです。共に墳丘の残りは良好ですが2号の方は中近世に塚として利用されたせいか方墳状になっています。古墳は疎林の中にあります。