焼山古墳群

兵庫県小野市 2005年4月訪問

現存十数基、4基が県史跡

分布図:青が史跡、黒が現存古墳、右側南北に走る道路が国道175号


22号
円墳
左が22,右が23号


23号
円墳
位置:34°50′00″N 134°56′43″E (日本測地系)
   34.8365639 134.94251434(世界測地系)
墳丘


24号
25号から見た24号


上記反対側、左手に短い前方部


25号
帆立貝式
位置:34°50′04″N 134°56′57″E

手前が25,奥が24号


25号から見た24号、左手に短い前方部がある


(見学記)
市内二葉町、国道175号西側脇(国道が下を通っているので直接には見えない)に帆立貝式の24、25号が保存されています。金網に囲まれた敷地内にあり裸の状態で短い前方部もよく分かります。特に鍵もかかってなかったので中に入って見学できました。ここに古墳群の説明板や分布図もあります。この西側にも円墳22、23号があってこちらも裸の状態。この4基が県史跡で他にもこの北側で幾つか残っているようです。

小野王塚古墳

兵庫県小野市 2002年4月訪問

円墳、R45,H7、5C中
位置:34°51′03″N 134°56′03″E (日本測地系)
   34.85406193 134.93140399(世界測地系)

墳丘南


墳丘西、王子古墳群を形成していたが残存はこれ1基のみ


(見学記)
市役所の北側にあるのですぐ分かる。径45mの大型円墳で円錐型の端正な姿を見せている。「日本の古代遺跡(兵庫南部)」p143の写真を見ると平地に立地しているようですが現地で見ると高台にあるのがよく分かりますね。かっては付近にいくつもの古墳があり王子古墳群を形成していたが唯一の生き残りです。県史跡。

岩倉2号

兵庫県小野市 2005年4月訪問

横穴式石室、全長9.5m、玄室長5,幅2.5,高2,8m
位置:34°49′37″N 134°53′39″E (日本測地系)
   34.83017563 134.89140802(世界測地系)

来住の森にある古墳、墳丘ははっきりしない


石室正面、羨道天井石からして相当の巨石


羨道


やや持ち送りのある玄室、奥壁は2段積み


奥から外


(見学記)
上記県道118号を東に行き女池ため池の南側を通って南下すると来住の森がありその中にある市内でも最大クラスの石室です。林の中で紅山東コースの案内表示がありそこに古墳の案内表示もある。それに従っていくと途中の分かれ道にも案内があり後は道に沿っていけばたどり着けます。樹木の覆われて墳丘ははっきりしませんが全長9.5mの石室は良好に残存、玄室は両袖式で長さ5m、奥壁は基本的に巨石2段積みですが下側のは適当なのがなかったのでしょうか右上に切石状の石を填め込んでいるのがご愛敬。市史跡。
林の中で撮影をしている人がいたがなんだかこちらを警戒しているような感じ、鳥の撮影でもしているのかと思って聞いてみたら珍しい花を撮っているが場所を知られると後から採られるんじゃないかと思っていたそうな(汗)。確かに古墳の後で花の写真を幾つかゲットしたけどね。

福甸1号

兵庫県小野市 2005年4月訪問

円墳、R10,H3
横穴式石室、玄室長4,幅1.1,高1.8m(推測値)
位置:34°50′13″N 134°53′39″E (日本測地系)
   34.8401746 134.89140795(世界測地系)

墳丘背後から、かっては谷間に面していただろうけど今はため池に面している


墳丘正面、前部が削られ羨道石材が散乱


石室開口部


持ち送りの少ない玄室


奥から外


(見学記)
内福甸町、県道118号から北側のため池越しに墳丘が見えています(県道にも石製の標柱あり)。現状では径10m程の円墳で南側が大きく削られ羨道が破壊されていますが玄室は完存、長さは4m程で持ち送りの少ない玄室です。市史跡。
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