神野二塚古墳

兵庫県加古川市 2005年5月訪問

前方後円墳
横穴式石室
前方部石室、玄室長3.5,幅2,高1.8m(凡そ)
後円部石室、玄室長3.6,幅1.65,高1.95m
位置:34°46′55″N 134°52′26″E (日本測地系)
   34.78518046 134.87113249(世界測地系)

前方部石室開口部


〃羨道


〃玄室、奥壁の積み方が粗い


〃奥から外


後円部石室、奥壁側が大きく破壊


〃玄室奥から


〃羨道奥から


(見学記)
地蔵寺から池尻橋を渡った神野町にあります。低い丘陵の麓に神社がありその背後にあるとの情報から地形図上で候補を二カ所ほど絞り行ってみたがどちらも外れ。近くに交番があったのであまり期待せずに行ってみたら無人だったけど壁に掛かった町内の地図に載っていた。それもマーカーでしっかり色づけ。誰か他にも聞いた人がいるんだろうか。場所は集落の中にある稲根神社の背後、確かに丘陵上だけど随分低くてこれでは5万分の一の地形図では表現されないわ。古墳は以前は2基の円墳と思われていましたがどうやら前方後円墳のようです。本殿脇から上っていくとそこが後円部で奥壁側が大きく破壊された石室が露出しています。西側の前方部にも石室が開口(こちらには1号墳の標柱が立っている)、こちらは羨道玄室ともよく残っています。乱石積みの玄室ですが奥壁の積み方が随分雑、高さも後円部の石室と比べて低くやや差が感じられます。

地蔵寺古墳

兵庫県加古川市 2005年5月訪問

横穴式石室
位置:34°47′13″N 134°51′49″E (日本測地系)
   34.79017995 134.86085559(世界測地系)

石室開口部、建物の下になっている


羨道天井石


羨道


巨石を使った玄室、側壁も巧く組み合わせている


奥から外


地蔵寺石棺
石棺を利用した石棺仏、左が蓋石、右が石棺身の側石


(見学記)
(2002年)
これは他のを探していて偶然見つけた。現代の石も置かれているので単なる石材置き場かなと思ったがどうみても古墳の石室。やはり教育委員会に問い合わせたところ昭和10年頃に破壊された古墳で元は径30mほどの円墳とのこと。それにしても空き缶が投げ入れられるなどかなりひどい状態です。

(2005年)
石棺を見に一度行ってますが石室もあるとの情報を得て再度訪問。でも小さな寺なのに境内をくまなく探してもそれらしき物はない。ひょっとして住職さんの住居部分かなと思ったがそれならお手上げ。諦めて帰ろうと山門を出ると石垣の下に通路のような道があったのでそこを行くと小屋の影に説明板が立っていた。古墳はすっかり建物の下になり石室も石垣の中に開口しています。入り口も植物が茂って入りにくいが(ちょっと掃除してから撮影)羨道天井石の巨石が見えています。側壁特に右側は小型の石が積まれていて当時の物かどうかは不明。玄室は完存、それ程大きくはありませんが巨石を使い、側壁も巨石を巧みに組み合わせて隙間無く積み上げています。それにしても石棺だけでなくこんな見事な石室が残っていたとは。境内に石棺があることだし存在を知らないと寺に来ただけではまず見逃すだろうな。

広尾二塚古墳(小畑古墳)

兵庫県加古川市 2002年4月訪問

前方後円墳
位置:34°48′38″N 134°51′12″E (日本測地系)
   34.8137886 134.85057856(世界測地系)

左手が後円部、かなり削平されている、この地域では最古の古墳


(見学記)
僅かな尾根状の高まりを利用して造られた前方後円墳で後円部が大きく削られているがなんとか形状は分かる。説明板によればこの地域で最古の古墳だそうだ。

平之荘神社石棺

兵庫県加古川市 2002年4月訪問

位置:34°47′39″N 134°51′57″E (日本測地系)
   34.79740146 134.86307756(世界測地系)

神社入り口に蓋石が立てられている


東側蓋石、120×94×32cm


西側蓋石、128×88×29cm


(見学記)
ここは地図を完全に読み間違えて来たらなんと偶然にも石棺蓋石が2個もあった。入り口両脇にほぼ同大の縄掛け突起のない蓋石が立てられています。特になにかが彫刻されているわけではないですが何か意味があったのでしょうか。

日岡古墳群

兵庫県加古川市 2002年4月訪問

前方後円墳4,大型円墳1,小型円墳10

車塚古墳
円墳
位置:34°46′22″N 134°52′02″E (日本測地系)
   34.77601471 134.86446646(世界測地系)
周りに周溝が巡る


西大塚古墳
前方後円墳、TL67,R40,RH3.5,FW22,FH1
位置:34°46′29″N 134°52′01″E (日本測地系)
   34.77795896 134.8641887(世界測地系)
墳丘側面、左が後円部


南大塚古墳
前方後円墳、TL86,R54,RH7.7,FW25,FH5
位置:34°46′25″N 134°52′01″E (日本測地系)
   34.77684796 134.8641887(世界測地系)
墳丘側面、左手前方部先端は修復されている


前方後円墳として他に北大塚、勅使塚、陵墓参考地の褶墓がある

(見学記)
丘陵上に前期の大型古墳が集中している。前方後円墳4,大型円墳1,他後期の石室墳もあるそうだがこちらは分からなかった。訪問時は4月で花見客が多数来ていて写真を撮るのは困難かと思ったが古墳の辺りは桜が植えてないせいか人があまりおらずなんとか人の写ってない状態で撮影できた、ホッ。

平荘湖古墳群

兵庫県加古川市 2002年4月訪問

約100基からなる古墳群、工業ダム建設でかなりの古墳が水没(数字は仮称)

分布図:上が南、白抜きのマークが水没古墳


1号
横穴式石室、全長6m
簡単な説明があるだけ


5号
位置:34°47′41″N 134°51′15″E (日本測地系)
   34.7979569 134.85141196(世界測地系)
墳丘、石室正面、珍しく墳丘が残っている、分布図中央下辺り、周囲に幾つも壊れた石室がある


玄室、焚き火で煤けている


7号
石室正面、5号のすぐ側ながら波打ち際にあるため封土がすっかり流失した


奥から外、石室から湖面が眺められると言う、滅多にない光景


石室側面


石室背後、左奥に8号


8号
波に洗われる石室、これも滅多にお目にかかれない光景


石室側面


池尻16号
方墳
家形石棺
位置:34°47′17″N 134°51′17″E (日本測地系)
   34.79129093 134.8519675(世界測地系)
家形石棺蓋石、古墳自体は水没、弁天神社境内にあった蓋石を神社ごと移設(分布図▲マーク)


縄掛け突起もかなり大きい


(見学記)
工業ダムのために沈んだ多数の古墳を偲んで付けられた名前のようだ。現在は湖の北岸ほぼ中央にいくつかの石室がまとまってみることができる。大半は石室基部しか残っていないが1基だけ墳丘石室が良好に残っている。花見客が来るせいだろうか中で焚き火をして壁面が煤けているのが残念。すぐ側にもやや大きな石室があるがこちらは波打ち際にあるため封土がすっかり洗い流され石室が完全に露出している。ほんの僅かな標高の差が2基の運命を大きく分けてしまった。水没した古墳の中で最も重要なのが池尻16号(稚児ヶ窟古墳)、一辺42mの大型方墳で、全長13.8mの大型石室を持っていた。ただ家形石棺は水没以前に既に持ち出されていて弁天神社境内に安置されていたが神社も水没するため一緒に移築された。現在は南側堰堤の西橋に神社がありそこに蓋石が置かれている。縄掛け突起が6個つく重量感のある蓋石です。身の方も別の場所に保存されているそうです。

円福寺石棺

兵庫県加古川市 2002年4月訪問

位置:34°49′23″N 134°50′24″E (日本測地系)
   34.82628711 134.83724631(世界測地系)

刳抜式家形石棺


蓋石はやや丸みを帯び縄掛け突起はない


(見学記)
境内の宝篋印塔(こちらは県文化財)の脇に何の説明もなく置かれている。刳抜式家形石棺で蓋はやや丸みを帯びた縄掛け突起のない形式。保育社「日本の古代遺跡(兵庫南部)」によれば近くの安楽寺にも石棺があるはずだがくまなく探しても見つからない。後で教育委員会に訪ねてみたところ志方東小学校に家形石棺があるとのことでした。
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