穴八幡古墳
埼玉県小川町 1999年3月訪問
方墳、L32,H5.6
複室横穴式石室、石室全長8.2m
位置:36°03′11″N 139°15′09″E
墳丘、2重周溝の一部を復元

石室正面

石室内部、複室両袖式、緑泥片岩の切石を使用

測量図

(見学記)
町役場西方1km台地の頂上近く八幡神社南側にある古墳です。以前は円墳と思われていますが最近の発掘の結果、二重周溝を持つ終末期の方墳と判明しました。墳丘は一辺32m、高5.6m外側の周溝は一辺61.4mに達します。南側に緑泥片岩の板石を使った複室構造の両袖式石室が開口、柵があって中には入れませんが側の説明板に図が載っています。それを見ると石組みが非常に左右対称を意識しているようです。また二カ所の玄門は板石が縦に置かれ通路のようになっています。この構造は行田市の八幡塚古墳や和歌山県岩橋千塚古墳群の石室等に見られます。床面には付近で算出しない白い玉石が敷かれ又東海地方で作られた長頸壺が出土するなど広範囲の要素を持った古墳です。又入り口両側にあるL字型に加工された巨大な緑泥片岩の板石は江戸時代末の物だそうだがこれも左右対称で当時の物としてもおかしくないような気がするが。現在古墳周辺が公園化され墳丘は現状のままですが西側に二重周溝の一部が復元されています。県史跡。
方墳、L32,H5.6
複室横穴式石室、石室全長8.2m
位置:36°03′11″N 139°15′09″E
墳丘、2重周溝の一部を復元

石室正面

石室内部、複室両袖式、緑泥片岩の切石を使用

測量図

(見学記)
町役場西方1km台地の頂上近く八幡神社南側にある古墳です。以前は円墳と思われていますが最近の発掘の結果、二重周溝を持つ終末期の方墳と判明しました。墳丘は一辺32m、高5.6m外側の周溝は一辺61.4mに達します。南側に緑泥片岩の板石を使った複室構造の両袖式石室が開口、柵があって中には入れませんが側の説明板に図が載っています。それを見ると石組みが非常に左右対称を意識しているようです。また二カ所の玄門は板石が縦に置かれ通路のようになっています。この構造は行田市の八幡塚古墳や和歌山県岩橋千塚古墳群の石室等に見られます。床面には付近で算出しない白い玉石が敷かれ又東海地方で作られた長頸壺が出土するなど広範囲の要素を持った古墳です。又入り口両側にあるL字型に加工された巨大な緑泥片岩の板石は江戸時代末の物だそうだがこれも左右対称で当時の物としてもおかしくないような気がするが。現在古墳周辺が公園化され墳丘は現状のままですが西側に二重周溝の一部が復元されています。県史跡。