玉丘古墳群

兵庫県加西市 2002年4月訪問

前方後円墳3、大型円墳5,他
一部を除いて公園として整備、墳丘自体は現状保存

クワンス塚古墳
造出付き円墳、R35、5C前半
左手が造出


幅の広い周溝が巡る


逆古墳
位置:34°55′16″N 134°51′19″E (日本測地系)
   34.92433099 134.852524(世界測地系)
公園外、詳細不明


笹塚古墳
帆立貝式
位置:34°55′27″N 134°50′46″E (日本測地系)
   34.92738597 134.84335766(世界測地系)
北側、大きく削られている


南側、2001年の発掘で竪穴式石槨を検出


実盛塚古墳
円墳、R20、5C


玉丘古墳
前方後円墳、TL109,R63,RH9,FW58,FH7、中期
組合式家形石棺
位置:34°55′08″N 134°51′12″E (日本測地系)
   34.92210897 134.85057937(世界測地系)
南からみた周溝西側、幅の広い周溝が巡っている


家形石棺破片、墳丘は良好だが後円部頂に大きな盗掘跡、があり石棺破片が露出している、縄掛け突起や溝が見えている


陪墳1号
円墳、R20、5C
画面奥が玉丘古墳、以前は前方後円墳と思われていたが、前方部(画面右)は自然地形だったようだ,
元前方部から見た墳丘、画面左奥にクワンス塚古墳




陪墳2号
方墳、L24、5C前半


壇塔山古墳
円墳、R17、5C前半
かなり削平されている


(見学記)
全長109mの前方後円墳玉丘古墳(国史跡)を盟主とする中期の古墳群で大半が平野部に立地しています。主墳の玉丘古墳は広い周溝が巡っているが南側から堤を渡って中に入れます。墳丘は良好に残っていますが後円部頂に大きな盗掘坑があり組合式家形石棺破片が露出しています。縄掛け突起や溝が明瞭に残っているので石棺と分かりますが。すぐ西側に陪墳1号がある。かっては前方後円墳と思われていたようですが前方部はただの自然地形だったようです。どう見ても後円部が前方部に比べて小さすぎるけどね、後知恵ですが。現在玉丘古墳を中心に広い公園として整備、駐車場もあります。でも側の道路に古い案内板があったからうっかり行き止まりの道に入ってしまった。あと100mも行けば駐車場だったんだけどね。
同じ古墳群で市役所東側に笹塚古墳があります。帆立貝式だそうですが現状は平べったい円墳状、北側が無惨にも大きく削られています。国の史跡で周囲に広い区画が確保されているようなのでここも将来は公園になるのでしょうか。

新池1号

兵庫県加西市 2002年4月訪問

横穴式石室
位置:34°50′37″N 134°53′16″E (日本測地系)
   34.84684059 134.885019(世界測地系)

墳丘、羨道殆ど埋没


奥壁が倒されて開口


玄室奥より


玄室


(見学記)
糠塚山古墳群南方1kmの所にため池がありその北側の道を行って突き当たりの林の中すぐの場所にあります。羨道はかなり埋まっていますが背後の奥壁が倒されて開口しています。小型ながらやや背の高い玄室です。

大村1号

兵庫県加西市 2010年1月訪問

横穴式石室、全長9m、玄室長4,幅1.8,高1.6m
位置:34°53′40″N 134°50′20″E (日本測地系)
   34.89766694 134.83613641(世界測地系)

谷筋に向かう緩斜面に立地、奥に見えるのがため池堰堤


墳丘は石室を僅かに覆う程度にしか残っていない


右が羨道入り口、左側に見えているのは落下した天井石


石室正面、右側の石は羨門の石だろうか


斜め前から


羨道


玄門辺り、左右に柱状袖石


玄室、奥は埋没


奥から外、両袖式


(見学記)
加西市大村町、大村公民館北東100m、ため池の前にあります。かっては谷に向かう緩斜面に立地していたんでしょうか。墳丘はかなり流失石室を僅かに覆う程度にしか残っていません。南向きに開口、羨道羨門の石が露出、羨道玄門も良好に残っていますが玄室奥が破壊されています。奥壁が残っていないと石室としていまいち。公民館側の神社に駐車可。

糠塚山古墳群

兵庫県加西市 2005年5月訪問

(4号以外は仮称)

2号
残土状態の墳丘、右奥林の手前に1号


3号
露出しているのは石室の石か


4号
横穴式石室
位置:34°51′06″N 134°53′15″E (日本測地系)
   34.85489526 134.88474179(世界測地系)
すっかり削平された墳丘、石室が露出


かなり破壊された玄室


側壁


(見学記)
万願寺川南側、小野市との境界をなす糠塚山西側麓に分布する古墳群です。南側の4号墳で石室が露出、と言ってもかなり破壊されています。この北側にも3基あったが内2基は残土の山状態、大きな石があるから古墳かなと思う程度です。

新村古墳群

兵庫県加西市 2010年2月訪問

5号
横穴式石室、全長5.2m、玄室長3.5,幅1.4,高1.5m
3基中一番上にある


石室正面、羨道の一部崩壊


開口部


玄室、他の2基に比べてやや小型


奥壁は1枚石+α


奥から外、無袖か両袖か


6号
横穴式石室、全長7m、玄室長4.2,幅1.8,高2m
7号から見た5,6号


良好に残る墳丘


南東側から


石室正面


入り口から見た石室


持ち送りの殆どない玄室、奥壁は1枚石+α


奥から外、両袖式


7号
横穴式石室、全長8.5m、玄室長4.5,幅2.3,高2.3m
位置:34°50′48″N 134°52′48″E (日本測地系)
   34.84989579 134.877242 (世界測地系)
墳丘良好、群中最大


墳丘、石室正面


開口部


入り口から


玄室、石材は荒々しい


奥壁は巨石1枚石+α、何故か今は亡き某歌手の写真などが


奥から外、両袖式


(見学記)
加西市網引町、県道79号を加古川市側から北上して500m程、右側に周辺寺の案内表示があるのでそこを左折、50m行くと小さなため池がありその北側にあります。周りは藪に囲まれて進入困難、東側県道脇に小さな祠がありそちらから進入可(と言っても痕跡道くらいしかなく冬場か春先じゃないと困難でしょう、しかも見つけたのは見学後だし)。藪を抜けると3基の古墳(5-7号)が三角形の位置に立地、その間は広場のようになっていて奇跡的に下草が生えておらず見学容易、3基とも墳丘石室が良好に残っています。南東のが7号で石室全長8.5m、南西のが6号で7m、どちらも袖石を立てた両袖式奥壁はほぼ巨石1枚と構造がよく似ています。三角形の頂点にあるのが5号でこちらは全長5.2mとやや小型、無袖式かな。他に2号で石室が開口しているそうだが見忘れた。3基とも苦労して見学する甲斐のある古墳です。7号で今は亡き某歌手の写真などが飾られていたのが残念。多分誰かが個人的にしたのだと思うけどさすがに片付けるのは憚られた。
ここは場所がなかなか分からず近くの集落内を彷徨いていたら犬が激しく吠えたのを不審に思った住人の方が出てきたのでこれ幸いと聞いてみたらその人が詳しく知っていて場所を教えてくれました。古墳犬じゃないけど犬も偶には役にたつ(笑)。何年か前に大学の調査も入ったそうで痕跡道もその時つけられたのかな。祠辺りに駐車可。

明神山古墳

兵庫県加西市 2010年1月訪問

円墳、R15
横穴式石室、玄室長2.5,幅1.8,高1.9m
位置:34°55′20″N 134°53′13″E (日本測地系)
   34.92544262 134.88418719(世界測地系)

鳥居の奥に古墳がある


背後から、比較的墳丘が残る


石室正面


羨道は殆ど壊失


小ぶりな玄室、石材も小型


上から、天井石は1枚しか残っていない


(見学記)
加西市別府町、県道371号別府西交差点を北に曲がり更にすぐ左折、集落内を100m程行くとお堂がある。その脇から山道を登ると赤い鳥居がありその左奥にある。冬場ならお堂からも古墳が見えている。低い尾根先端に構築された古墳で墳丘は比較的残っているが石室露出、羨道は殆ど壊失天井石も1枚しか残っていませんが奥壁や側壁はまずまずの状態です。全般に小型の石材を使っています。お堂脇に駐車スペースあり。

皇塚古墳

兵庫県加西市 2010年1月訪問

竪穴石室
位置:34°57′01″N 134°52′02″E (日本測地系)
   34.9534951 134.8644662(世界測地系)

独立丘陵頂部にある墳丘


竪穴石室を持つが埋戻し


(見学記)
加西市上野町、半独立丘陵頂にある古墳です。南側石部神社に案内表示があり比高60m程度の丘を真っ直ぐ登っていけば5分足らずで到達できます。墳丘は残っているが竪穴石室は埋戻し。楽にこれるから来たようなものです。上からの見晴らしも樹木が邪魔をしてそれ程でもない。神社に駐車場有り。

岸呂古墳群

兵庫県加西市 2010年2月訪問

2号
横穴式石室、玄室長4,幅1.6,高1.4(現状)
位置:34°54′02″N 134°49′41″E (日本測地系)
   34.90377712 134.82530429(世界測地系)
石室前に石仏が並ぶ


石室正面、羨道は壊失


石室内部、石仏は入ってないようだ


玄室


ほぼ1枚石の奥壁


奥から外、奥行きがないから殆ど写りませんが


4号
横穴式石室、全長6.1m、玄室長3.6,幅1.6m
位置:34°54′00″N 134°49′53″E (日本測地系)
   34.90322171 134.82863727(世界測地系)
石室正面、前部壊失


玄室内部


〃(縦位置)


三段積み奥壁


奥から外


露出した天井石


(見学記)
加西市岸呂町、丘陵南側に広がる果樹園の中にある古墳群で2,4号が見学可。南側ため池家の側から果樹園に入っていくと東西に広くて見当が付かない。でも2号の別名が行者塚、西側林際に石の祠が並んでいていかにもある雰囲気。近寄って林の中にはいるとありました(ちなみに果樹園所有者でも地元でない方がいて知らなかったよ)。古墳は墳丘が比較的残り南東向きに石室開口、羨道は破壊されているようですが玄室完存。持ち送りの殆どない玄室で奥壁はほぼ巨石1枚石です。石室前に石仏が3体並んでいるけど石室内は何も無し。2号辺りから果樹園の南側を限る道路を東に400m程行くと林際に2台の廃車がありその側に天井石が露出これが4号。南側に石室開口、こちらも前部が破壊されているが規模は2号とほぼ同じ、奥壁は3段積みです。南限の道路所々に駐車可。

剣坂大塚古墳

兵庫県加西市 2005年4月訪問

横穴式石室
位置:34°53′26″N 134°49′14″E (日本測地系)
   34.89377771 134.81780486(世界測地系)

封土が殆ど流失した墳丘


石室上から、天井石が玄室に落下


かろうじて残存している玄室奥


石棚


石棚、下側の石は直接接していない


石棚上部の空間


玄室に落下した天井石、右が側壁、画面下が石棚


(見学記)
ビニールハウスの西側にあるとのことなので剣坂古墳から眺めると県道南側山の麓にビニールハウスがズラッと並んでいる。取りあえず行ってみて2,3人の人に聞いてみたが知らないようだ。さて困ったと思っているとちょうど通りかかったバイクに乗った元気なおばあちゃん(推定年齢70才)に聞いてみると知っていた。さすが年の功。聞いた場所から見えるのだが何のことはない県道北側、南北に並ぶため池の間にあった。墳丘はすっかり小さくなり草茫々の状態で知らないと古墳にも見えないかも。上にあがってみると天井石が玄室に落下したひどい状態だが奇跡的に奥の辺りが残っていて石棚も残存、こんな状態でよく残ったもんだ。石棚は1枚石で左右の側壁に食い込ませて支えられているようです。下側にも支石のような立石があるが直接には触れていない。上側はかなり平ですが下側は殆ど未加工の状態でやはり上側の空間がメインなんでしょうか。撮影の後で見学記をメモ書きしながら歩いていたら物の見事に天井石と側壁の隙間に足を踏み入れて填ってしまった。隙間が小さいから足だけですんだけど危ないとこだった。最初に来たとき危ないなと思っていた場所だったんだけどね(汗)。

剣坂古墳

兵庫県加西市 2005年4月訪問

位置:34°53′51″N 134°48′59″E (日本測地系)
   34.90072138 134.81363847(世界測地系)

上部を削平された墳丘


(見学記)
東剣坂町の集落東側、水田の中に墳丘がポツンとあります。上部がすっかり削平され台状になっている。板状の石が立った状態で露出しているが石室の石だろうか。
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