鷺山古墳

埼玉県本庄市(旧児玉町)1999年2月訪問

前方後方墳、TL60,R37,FW30,RH5.4、4C中
位置:36°12′19″N 139°09′57″E

手前が前方部、かなり分かりにくい、小独立丘陵上にある県内最古クラスの前方後方墳


(見学記)

大久保山丘陵と生野山丘陵との中間にある小さな独立丘陵上にある全長60mの前方後方墳です。前方部は輪郭が殆どわからず後方部も墳丘はよく残っているがまるで残土のようで古墳らしい感じがしない。県内最古の前方後方墳で重要な古墳と思われるが説明板の類は一切無し。

大久保山古墳群

埼玉県本庄市 1999年2月訪問

東谷古墳
位置:36°12′41″N 139°11′08″E

笹藪に覆われた墳丘


墳頂近くの盗掘跡に石材露出


石室内部


前山1号
円墳、R40,H5

尾根先端に立地、2号は消滅



(見学記)

上越新幹線と関越自動車道に挟まれた大久保山にある古墳群です。と言っても見つけたのは東谷古墳と前山1号墳だけ、他にあるかどうかは不明。

東谷古墳
丘陵上に早大本庄校舎があり、南東から入っていく道路右側の林の中にある円墳です。大きさは30m程度か。墳丘は比較的良好ですが墳頂が盗掘を受け石室が露出、かなり破壊され残っているのは奥壁と思われる一部のみ、これが奥壁だとすれば墳丘の割に小さな石室です。

前山1号墳
丘陵東側、幅広い尾根の先端に位置する円墳です。保存状態もよく径40m、高5mの堂々たる墳丘です。眼下を新幹線が走っていますが2号墳はこれで消滅。

(付録)
大久保山を見学中、東富田観音塚の案内板があちこちにたっていた(これには古墳のことは書かれていない)。これも古墳だろうと思い案内板に従って行くといったん北側の麓まで降りたあげく今度は山頂近くまで上るようになっている。そこまで行くと今度は麓に降りるよう指示した案内板が (+。+)アチャー 。このまま降りると元の場所に戻るのに時間がかかるので(バイク等で来るとどうしても元の場所に戻らなくてはならない、これが弱点の一つ)地図を見てみると北側麓からやや離れたあたりに神社やお寺があるので多分その辺りだろうと見当をつけてバイクで行った。場所はすぐわかり観音塚の標識もあったがあるのは古い御堂と市文化財の松の古木だけ、塚は影も形も無し、くたびれたー。雨がポツポツ降ってきたので急いで帰ろうとすると神社の乗った古墳があって説明板によるとこの辺りは東富田古墳群があるらしい。しかし雨が降りそうで探している余裕もなく帰ろうとするとこんな時に限って古墳が見つかる。気はせくけれどやはり写真を撮ってしまう(ほとんど性ですね (^^;)。車に戻ってしばらくして本降りの雨、ぎりぎりセーフ。

長沖・高柳古墳群

埼玉県本庄市(旧児玉町)1999年2月訪問

前方後円墳や帆立貝式を含む149基確認
現在神社や寺の境内、畑の中に点々と残っている

_1:背は低いが比較的大きい方


_2:畑の中の3基


封土の中に小礫を多数含む
位置:36°10′44″N 139°07′43″E


(見学記)

町役場南方1km長沖地区、県道脇の飯玉神社から西側500mのお寺にかけての河岸段丘上に分布する古墳群です。総数149基、現在はもっと減っていると思われますがそれでもそこかしこの畑の中や境内、藪の中に古墳が残っています。唯一残っている前方後円墳が寺の西側にありますが前方部ははっきりせず、後円部もドーム屋根のように丸く低くなっています。

庚申塚古墳

埼玉県本庄市(旧児玉町)1999年2月訪問

円墳、6C後半
横穴式石室、石室全長7.7m、玄室長5.6m
位置:36°10′21″N 139°08′56″E

墳丘、石室正面、秋山古墳群主墳、周囲にも幾つか小古墳がある


羨道からして側壁がかなり傾いている、隙間に扁平な小石を詰めている


やや胴張りの玄室奥壁は1枚石、側壁はやや小型の割石、天井石が斜めに架けられている、何のため?、側壁上部に填め込まれた石は落下止め?


入り口側天井、天井石が斜めに2重に架けられている


(追記)
石室上部は昭和初期に見よう見まねで復元した考古学的に全く意味のない積み方だそうです。

(見学記)

広木大町古墳群西方の低い丘陵上にある古墳群で現存27基。一番目につくのが庚申塚古墳で下の国道からも台状の墳丘が見えています。2重周溝を持つ6C後半の円墳で南側に全長7.72mの両袖式石室が開口、片岩の割石を使った石室は羨道玄室とも持ち送りが大変強い。玄室は奥壁は巨大な1枚石、やや胴張りで側壁上部には隙間につっこんだ棒石が突き出ている。この石室でなんといっても興味深いのは天井石、ふつう天井石は石室主軸に対して直角に架するものだがここの場合2枚の巨石が斜めに架されている。当然前後に三角形の隙間が出来るがここもより小型の板状の石を何枚も上から重ねている。かえって構築しにくいと思うけれど何でこういうことをしたんだろうか、適当な大きさの石が無かったせいかな。緻密さと粗雑さが同居した石室です。石室ファンにはお勧め。町史跡。この周囲や南側集落内にも幾つかの古墳がありそのうち2基で石室入り口が見えていたが内部は埋没。また南側山の上に前方後円墳の秋山諏訪山古墳がある。すぐ近くまで墓地の造成が行われていたが古墳は篠竹の藪に覆われはっきりしない。しかしこの篠竹ほど始末の悪い物はない。外からは見通せないし中には入れないし伐採すれば竹槍を植えているようで歩きにくいし時には何もないところで盛り上がっていて遠目には古墳があるように見える。何度騙されたことか。

金鑽神社古墳

埼玉県本庄市(旧児玉町)1999年2月訪問

円墳、R67、5C中
位置:36°12′04″N 139°09′29″E

上に神社があり南側が削られているが比較的良好、格子目タタキの円筒埴輪が出土している


(見学記)

生野山丘陵北側の東西に延びる丘のほぼ中央にある児玉地方最大の円墳で径67m、5C中頃の比較的古い古墳です。北側を県道がかすめていますが南側の参道からでないと入れません。階段を上っていくと社殿との間に緑泥片岩の敷石がしかれていますがこれは箱式石棺の石材を使った物だそうです。墳丘は南側が社殿によって大きく削られています。ここの最大の特徴は全国でも10例程しかない格子目叩きの円筒埴輪が出土していること、渡来系の技術だと言われています。県内では同じ埴輪が生野将軍塚古墳(南側の丘陵上にある円墳)や公卿塚古墳(東富田古墳群、消滅)から出土していますがどれもすぐ近くにある古墳です。町史跡。この神社は本殿が無く背後の山(この場合古墳ですね)を拝む古い形式を残している。なおこの辺りには同名の神社が幾つもあるので注意が必要。

東富田古墳群

埼玉県本庄市 1999年2月訪問

熊野十二社神社古墳
円墳、R25
位置:36°13′14″N 139°10′45″E



121号

旭・小島古墳群(本庄市)

埼玉県本庄市 1999年2月訪問

本庄市から上里町の低丘陵に分布する
住宅地となり大半が消滅している

小島諏訪神社古墳
円墳
位置:36°14′52″N 139°10′27″E

比較的良好に残っている


蚕影山古墳
円墳


山の神古墳
円墳
位置:36°14′44″N 139°10′23″E



右が山の神、左が蚕影山古墳


古墳跡?


(見学記)

市内住宅街にある古墳群です。まず小島2丁目に大小2基の古墳があり側に”本庄市指定文化財136,137号”の標柱が立っています。大きい方の137号の裾にトレンチ(だろうな)が掘られ墳丘断面が見えていましたが墳丘の上にゴミを含む廃土がかぶさっていました。墳丘はやせ細っていくのが普通ですがこういう太り方はごめん被りたいですね。すぐ西側で古墳が丸ごと発掘されています。人が居ず墳丘にもビニールシートが被せられていて詳細は分かりませんがかなり変形しているようです。北側300mにも諏訪神社の乗った古墳があります。更に北西500mガソリンスタンド南側でも発掘が行われています。この場所は地形図に塚を示す記号がありかなり大きな墳丘があったようですがすっかり削平され僅かに墳丘立ち上がり部分が一部で残っているだけです。4~50m位の円墳があったようです。ここも人が居ないので詳細は分からず。更にGS前の道路を西に行き上里町に入ってから200mの所にあるのが浅間山古墳。赤い鳥居が目印。玄室側壁上部が開口、中を覗くことが出来ます。切石とまではいかないが小型の割石を隙間無く組み合わせ壁を構築、上の方は丸石がそのまま使われています。奥壁は丸い円弧を描いていて行田市にある八幡山古墳石室のミニ版といった感じ。しかも持ち送りが殆どないから最初上から覗いたとき一瞬井戸かと思ってしまった。墳丘は北向きの斜面に位置していますが石室入り口は南側にあります(埋没していますが)。
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