与井2号

兵庫県上郡町 2005年3月訪問

円墳、R25
横穴式石室、玄室長5,幅2.5,高3.5m
位置:34°51′38″N 134°22′17″E (日本測地系)
   34.86377556 134.36868243(世界測地系)

下の道路からの遠望


石室正面、羨道は壊失


巨石を使った巨大玄室


奥から外、巨大な袖石が残っている


天井


(見学記)
町内与井、消防署北側JRの線路越しに墳丘が見えてます。はじめHP大和國古墳墓取調室で下の道路からの遠望写真を見たとき目の前にあるのになんで石室に入らなかったんだろうと思ったが現地に来てよくわかりました。線路の向こうにあるのはわかっていたが向こう側に行く道が全くないんだわ。結局前の家の庭を通らして貰い行くことが出来ました。それなりの甲斐が十分にある古墳で羨道は壊失しているが巨石を使った玄室は完存、下から見たのでは想像もできない大きさで思わずウワーと声を上げました(笑)。羨道が無くて中が明るいから余計に大きく見えるのかも知れない。線路を越えなければ行けないから見学会などの集団ではあまりお勧めできないけどとにかくすばらしい石室です。

宇治山1号

兵庫県上郡町 2005年3月訪問

横穴式石室
位置:34°51′58″N 134°23′36″E (日本測地系)
   34.86933061 134.39062495(世界測地系)

石室を僅かに覆う程度に残る墳丘、羨道は壊失


背の高い玄室


奥から外、右片袖式か


(見学記)
町内宇治山、丘陵斜面小さなため池の北側杉林の中にあります。周りをフェンスで囲まれているが鍵は掛かっていなかったし近くにいた人に聞いて(所有者ではないけど)見学させて貰う。羨道は壊失墳丘も石室をかろうじて覆う程度にしか残っていないが玄室は完存、全長5m、高さ2.5m(目測)ほど、背の高い石室です。
ここの南側に墓地がのった小丘がありなんだか丘尾切断型の古墳のよう。殆ど地山で盛り土はなさそうなので古墳ではなさそうだが気になるな~。

西野山古墳群

兵庫県上郡町 2001年4月訪問、2002年2005年再訪

4号
位置:34°51′14″N 134°23′04″E (日本測地系)
   34.85710972 134.38173707(世界測地系)
山頂にある小さな墳丘


5号
山頂から伸びる尾根先端に立地、墳頂を大きく盗掘されている


8号
横穴式石室
位置:34°51′09″N 134°23′06″E (日本測地系)
   34.85572099 134.38229262(世界測地系)
石室開口部、西野山南東麓に立地


羨道


玄室、奥壁は下に2個、上に1個の巨石を配置


奥から外、両袖式、羨道壁面が整えられている


石室背後、左側が奥壁、上部がすっかり露出している


9号
横穴式石室
位置:34°51′14″N 134°23′13″E (日本測地系)
   34.85710975 134.38423686(世界測地系)
墳丘、石室正面


羨道、やや埋まる


背の高い玄室


奥から外


10号
横穴式石室
位置:34°51′06″N 134°23′02″E (日本測地系)
   34.85488773 134.38118163(世界測地系)
露出した天井石、西野山南西麓近くの尾根上に立地


石室正面、羨道壊失


玄室、右奥がやや崩壊しかけてる


奥から外


(見学記)
(2001年)
団地の南側に独立丘陵の西野山に分布する古墳群です。どの辺りにあるのか全く分からない状態で探して西側にある集落の南端でかろうじて1基発見しました。薄暗い竹林の中に石室上部が露出、羨道前面もかなり破壊されているようですが巨石を使ったなかなか立派な石室で、奥壁は下2枚上1枚の奈良県塚平古墳タイプです。「日本の古代遺跡(兵庫南部)」 P204 に載っている5号とは違うのでこれが6号か7号でしょうか。他は見つけることが出来なかった。
(追記:8号と判明)

(2002年)
昨年は1基しか発見できなかったので今年も途中なのでちょっと立ち寄ってみる。昨年発見した6号?から麓沿いの竹林の中を北に行ってみると、あったー。集落の北はずれあたりにしっかり墳丘が残っていました。これが7号でしょうか、羨道はやや埋まって狭いですが玄室は背が高くて広い。コウモリがいるのはともかくゲジゲジがかなりいるのがちと気持ち悪いですが。古墳群にはもう1基大型石室を持つ5号があるが未だ不明。少なくとも7号の北側や、6,7号の間にはないと思うが。
(追記:9号と判明。「日本の古代遺跡(兵庫南部)」に載っている5号墳の写真は木虎谷2号の誤り)

(2005年)
HP大和國古墳墓取調室で10号にも石室があると知って3度目の訪問。ただこの時はちょっと勘違いして西野山の頂上まで登ってしまった、それも道無き斜面を(汗)。登ってみたら何のことはない、石仏巡りの道が通っているではないか。まーよくあることですが。幸い石室はないが頂上にも幾つかの古墳があった。頂上にあるのが4号墳(かな?)、小さな墳丘です。北側に3号があるはずだがこれはわからなかった。南西に伸びる尾根の先端に5号、これは割と大きな墳丘だが墳頂が大きく盗掘されている。前記HPでしっかり確認して4度目の訪問。やっと10号墳の石室を見つけることが出来ました。西野山南西麓近くの尾根上古い墓地の中にあります。何のことはないここは前の3回とも来ているではないか。しかも墳丘と露出している天井石も見ているのに石室と気づいていない!!(大汗)。前の3回とも反対側の神社から登ってきたため石室開口部と反対側に出たのとすぐ側にも巨石が露出している場所があってその類かと思っていた。一度頭に刷り込まれるともはや確認することもないですね。開口部側から見るとすぐ石室だとわかるくらい残っているんですが。それにしてもここくらい手間をかけさせられた古墳群はありませんね。さすがにもうないだろうな。

丸尾古墳

兵庫県上郡町 2005年3月訪問

円墳、R12
横穴式石室、全長10.4m、羨道長4.6m、玄室長5.8,幅2,高2.2m
位置:34°52′24″N 134°21′59″E (日本測地系)
   34.87655171 134.36368285(世界測地系)

墓地の中にある墳丘


石室正面


奥壁が抜かれた玄室、左側にかなり歪んでいる


奥から外


羨道に残る陶棺の身、蓋は赤穂市有年考古館に保存


露出した天井石、手前のはかなり加工されているようだ


(見学記)
県庁舎裏の墓地の中にある古墳で県道5号にも小さな案内表示が出ています。小さな墓地だし墳丘脇に説明板が立っているのですぐわかります。墳丘上にもお墓があったりしてかなり削平されているようだが石室は奥壁上部が抜かれている程度で割とよく残っています。ただ地圧で玄室がかなり歪んでいるのが残念。羨道に亀甲式陶棺の身が残っています。蓋の方は赤穂市有年考古館に保存されているが博物館などでしか見られない陶棺が残っているのが非常に珍しい。それにしても長さが2.18mあるのに幅が33cmしかなく遺骸を入れるにしてもかなり狭かったのではないだろうか。なお説明板に玄室長5.8mとなっているがとてもそれほどはなさそう。それとも現在奥壁のように見えるのは後世の物なんだろうか。県史跡。
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