稲荷塚古墳
埼玉県嵐山町 1999年3月訪問
円墳、R20,H3.5
複室横穴式石室
位置:36°02′02″N 139°19′43″E
南側が削られ羨道壊失

前室、奥室、奥壁は板石の1枚石、他は小口積み

前室左側壁、やや胴張り

(見学記)
R254バイパス脇、菅谷中学校校庭南側(学校外)にある径20m、高3.5m、7C後半の円墳です。南側が削られていますが半球形の墳丘は比較的良好、南側に複室構造の石室が開口していますが羨道は完全に壊失し、前室奥室が残っています。前室は胴張り型、側壁は緑泥片岩の扁平な割石を小口積みにしています(一部復元)。奥壁は一枚石ですが少し幅が足りず小口積みにしている部分もあるようです。県史跡。ここから国道を挟んだ南側に畠山重忠の居館のあった菅谷館跡(国史跡)があり郭や土塁堀の跡がよく残っています。城郭ファンにはお勧め。中に県立歴史資料館がありますが中世が主(絵巻物の説明の仕方がおもしろかった)で古墳関連の資料は殆どありませんでした。
円墳、R20,H3.5
複室横穴式石室
位置:36°02′02″N 139°19′43″E
南側が削られ羨道壊失

前室、奥室、奥壁は板石の1枚石、他は小口積み

前室左側壁、やや胴張り

(見学記)
R254バイパス脇、菅谷中学校校庭南側(学校外)にある径20m、高3.5m、7C後半の円墳です。南側が削られていますが半球形の墳丘は比較的良好、南側に複室構造の石室が開口していますが羨道は完全に壊失し、前室奥室が残っています。前室は胴張り型、側壁は緑泥片岩の扁平な割石を小口積みにしています(一部復元)。奥壁は一枚石ですが少し幅が足りず小口積みにしている部分もあるようです。県史跡。ここから国道を挟んだ南側に畠山重忠の居館のあった菅谷館跡(国史跡)があり郭や土塁堀の跡がよく残っています。城郭ファンにはお勧め。中に県立歴史資料館がありますが中世が主(絵巻物の説明の仕方がおもしろかった)で古墳関連の資料は殆どありませんでした。