牛沢十字路古墳

群馬県太田市 1989年1月訪問

帆立貝式
位置:36°15′27″N 139°21′32″E

文字通り交差点脇の民家の庭にある


(見学記)

朝子塚西方,文字どうりR354牛沢交差点側にある全長41mの前方後円墳です。民家の敷地内で藪に覆われていて墳丘を確認する程度。

鶴山古墳

群馬県太田市 1989年1月訪問、1998年3月再訪

前方後円墳、TL102,R43,FW43,RH8,FH3.5、5C後半
位置:36°19′16″N 139°20′37″E

89年当時、桑畑の中にあった、右手に低い墳丘が見える


後円部


98年、1枚目とほぼ同じ位置から


北側から


前方部から後円部


(見学記)

鳥崇神社北西約1Km,畑の中にある全長104mの前方後円墳です。半球形の後円部と低平な前方部と形のいい墳丘で前方部は多少変形を受けているようですがよく残っています。墳丘裾がなだらかに尾を引いていてまるでベールをかぶせたよう,空中写真を見ると特にそう感じます。県史跡。

塚廻4号

群馬県太田市 1990年1月訪問

帆立貝式、TL23,R18,RW9、6C後半
位置:36°16′54″N 139°25′37″E

耕地整理で水田下から7基の古墳を検出


4号墳を整備して埴輪を復元


発掘時の写真(説明板より)後円部左手に僅かに3号の墳丘が見えている


(見学記)

市街地東部龍舞地区にある古墳群の内の1基です。土地改良事業で7基の古墳を偶然発見,現在水田下に周濠だけが残っていますが4号墳が墳丘を復元,上に埴輪を並べて展示されています。全長23mの低平な帆立貝式古墳で周溝を伴っています。埴輪が現位置のまま発見されその造形の見事さなどから一括して国重要文化財に指定され県博物館に保存展示,古墳自体は県史跡。すぐ脇に3号墳の周溝と墳丘の一部(本当に極僅か)が見えています。HP「群馬の古墳」に書いてあったけど事前に知っておかなければまず気づきませんね。

富沢古墳群

群馬県太田市 1998年3月訪問

県営富沢団地内に十数基保存

稲荷塚古墳
前方後円墳?
位置:36°15′35″N 139°21′19″E

上に生品神社が乗る


他の古墳
左手鳥居の先が生品神社






団地内に複製の埴輪が飾られている




(見学記)

牛沢十字路北西,蛇川沿いにある市営富沢団地内にある古墳群です。地形図を見ると古墳群と団地がほぼ重なっていてこれは消滅しているなと思いましたがHP「群馬の古墳」には団地内の神社に古墳があるとなっていたのでこれだけでもと思って行くと,古墳があるはあるは集合住宅の棟の間に確認出来ただけでも14基の古墳が残っていました。市営だからこれほど残せたんでしょうね,民間の開発だったら殆ど全滅だったかも。ただ帆立貝式の5基は神社のある稲荷塚(前方部のみ)を除いて消滅しているようです。しかしせっかく残してくれたのだから説明板の一つも設置してくれたらいいのに何もありません。いたる所に埴輪の模型が飾られているのにね。この北方500mの所にある冠神社境内にも変形していますが大小5基の古墳があります。

高山天神山古墳

群馬県太田市 1990年1月訪問

(画像無し)

(見学記)

「日本の古代遺跡(群馬東部)」の地図には八幡山の東側の独立丘陵上に前方後円墳1,円墳1があるようになっていますが現地に行ってみると周りがすっかり整地された大きな神社と東側に円墳状の高まりがあるだけ。「前方後円墳集成」にも載っていません。

高林古墳群

群馬県太田市 1998年3月訪問

利根川沿いの低地に立地、前方後円墳7基を含む80基以上

分布図:東毛病院南側の門にある


愛宕山古墳
前方後円墳
位置:36°15′23″N 139°22′18″E

長勝寺墓地にある、前方部消滅


諏訪山古墳
前方後円墳
位置:36°15′11″N 139°22′25″E



高林西原公園古墳
病院南側の公園内


中原古墳
帆立貝式
位置:36°15′09″N 139°22′16″E



47号
前方後円墳
位置:36°15′14″N 139°22′26″E



63号


74号
帆立貝式
位置:36°15′12″N 139°22′15″E



77号
前方後円墳
位置:36°15′16″N 139°22′11″E

東毛病院駐車場内


96号
円墳
位置:36°15′01″N 139°22′06″E



(見学記)

太田市南部,R354,407交差点南東高林南町一帯に分布している古墳群です。消滅しているのを含めて80基程の古墳群で帆立貝式が7基(こちらは前方部が消滅しているのもあるがみな現存しているようです)含まれています。墳丘だけでなく畑にもそこかしこに埴輪片が散乱していてかなり古墳があったことを伺わせます。個々の古墳の説明は省略しますが病院駐車場脇にある帆立貝式の77号と北側の円墳が保存状況もよく見やすいです。病院南側の養護学校正門脇に古墳群の説明と分布図があり,学校玄関脇に体育館建設時に出土した子供を乗せる裸馬の埴輪が展示されています。これは「日本の古代遺跡(群馬東部)」の表紙及びP23に載っている埴輪です。

菅ノ沢御廟古墳

群馬県太田市 1998年3月訪問

円墳
横穴式石室
位置:36°19′37″N 139°22′53″E

良好な墳丘が残る


社殿の後ろに石室が開口、羨道は殆ど壊失


玄室、奥壁は1枚だがそれ程大きくはない


(見学記)

巖穴山すぐ西側丘陵突端にある円墳です。神社で墳丘裾が少し削られていますがその後ろに石室が開口,羨道は消滅していますが玄室が残っています。これは前方後円墳の毛里田八幡山古墳を探す途中で偶然見つけたものですが肝心の八幡山の方はすぐ西側にあるはずだが道が分からず発見できず石室と石棺があるそうなので大いに残念。

御嶽山古墳(御嶽山1号)

群馬県太田市 2005年5月訪問

円墳、R15
横穴式石室、全長4.2m
位置:36°20′35″N 139°21′18″E

ゴルフ場の中、神社敷地として保存された墳丘


石室開口部


巨石を使った玄室


奥から外


(見学記)

鳳凰ゴルフ場の中に神社が残されていてその小さな林の中に古墳があります。神社があるから当然下からの参道があると思ったが地元の人に聞いても(たった二人だけど)知らないようだ。差し障りがあるかも知れないので詳細は省くけど何とか神社に到着(ちょうど激しい雷雨が降り始めてゴルファーが雨やどりして姿が見えなかったのが幸いしたかも)。小屋のような神社の背後に墳丘があり南側に石室が開口しています。雨が降りしきる中、落ち葉が積もって狭くなった入り口からはいるのは大変だったけど中に入ってしまえばこちらのもの、落ち着いて写真を撮ったつもりだったがやはり気がせいていたのか中の様子もよく覚えていないし撮る枚数も少なかったようだ。後から写真を見てみるとすごい巨石墳ですね。奥壁は1枚石だし側壁も一部でかなりの巨石が使用されています。写真を撮ればさっさと去りたかったけど墳丘の写真を撮るために暫く雨やどり、でも雨が弱くなってきてゴルファーの姿も見えてきたので雨の降りしきる中強行撮影して下りてきました。我ながら無茶をするなと思う今日この頃、でもこの古墳を見るためにここでゴルフをしたという人の情熱には負けるけど。

御嶽神社古墳

群馬県太田市 1989年1月訪問

前方後円墳
位置:36°15′28″N 139°22′47″E

背の高い墳丘が残るが前方部は不明


(見学記)

前記交差点北西にある古墳です。全長59mの前方後円墳ですが現状は前方部消滅円錐形の円墳状です。石室があるそうだがそれも全く分からず。この辺りから南東の末広町にかけて前方後円墳8基を含む東矢島古墳群が分布していましたが御嶽神社古墳以外全滅しているようです。

太田天神山古墳

群馬県太田市 1990年1月訪問

前方後円墳、TL210,R120,RH17,FW126,FH12
位置:36°17′20″N 139°23′41″E

墳丘図


近くの陸橋からの遠望、東国最大の前方後円墳


墳丘南側、冬場は結構透けて見えている


後円部北側、周りを広い周溝が巡る


前方部から後円部


くびれ部にある長持形石棺の一部(90年当時)現在は落ち葉に埋もれているようだ


陪墳A号


(見学記)

太田市といえばまずここでしょう,全長210m東国最大の前方後円墳です。背の高い後円部とくびれが弱く後円部径とほぼ同じ幅の前方部でその分大きな感じのする墳形です。後円部を県道がかすめていますが墳丘は概ね良好,2重周溝があり現在内掘まで保存されています。くびれ部上段に盗掘を受けて転落した縄掛け突起のついた長持形石棺の底石があります。半ば埋もれかけているので注意しないと見逃すおそれあり(現在は見られないかも)。墳丘全体が落葉樹林となっているので冬に行くと樹間越しに墳丘の全体像が見通せます。後円部と前方部隅(こちらは消滅)に陪墳有り。別名男体山古墳。国史跡。
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