善慶寺古墳群

群馬県甘楽町 2006年3月訪問

木塚古墳
横穴式石室
位置:36°13′55″N 138°54′47″E

お堂の下に石室開口


正面から見ると天井石が随分ずれている


玄室、少し埋まっている


奥から外、片袖式


金比羅古墳
横穴式石室
位置:36°13′49″N 138°54′50″E

方墳状に削られた墳丘、石室が開口するも見逃した


天神古墳
横穴式石室
位置:36°13′55″N 138°54′44″E

県道脇に残る墳丘


なかなか立派な玄室、残念ながら物置状態


奥から外、両袖式


善慶寺1217(埼群古墳館での仮称による)
横穴式石室
位置:36°13′51″N 138°54′50″E

石室正面


良好に残る玄室、奥壁はほぼ1枚石の巨石


奥から外、両袖か片袖か微妙なところ


善慶寺1228(埼群古墳館での仮称による)
横穴式石室
位置:36°13′53″N 138°54′47″E

石室が殆ど露出、左側が奥壁側


石室正面


石室内部、玄室は羨道の石を使って塞いだとの事


(見学記)

同町善慶寺にある古墳群で分布が集落と重なっているため個人敷地内にある古墳が多い。

木塚古墳
集落内を通る県道北側、集落東端にあるお堂の下に石室が開口しています。羨道は壊失しているが玄室は完存、少し埋まっているようだ。2枚の天井石の内奥のは岩質が脆そうで大きなひびが入り危険な状態です。

天神古墳
木塚古墳西側、県道脇に墳丘があり南側に石室が開口、羨道は天井石を失っていますが玄室は完存、両袖式のなかなか立派な石室です。ただし物置状態。

善慶寺1228(名称は埼群古墳館による仮称)
木塚から県道を越えた南側、民家敷地にあり、門からも墳丘が見えています。封土は殆ど流失し奥壁や羨道入り口が露出しています。入り口から覗くと以外と奥行きがない。家の方の話によると羨道の石材を使って玄室入り口を塞いだそうです。すると梁のように見えているのが玄門のまぐさ石かな。

善慶寺1217(名称は埼群古墳館による仮称)
1228から少し南に行くと道を挟んで民家脇に樹木に覆われた2基の墳丘があります。その東側のに石室が開口、羨道前面が少し破壊されていますが比較的良好に残っています。玄室は奥壁1枚石の巨石となかなか立派、養蚕関係の機械が入っているのが残念。

金比羅古墳
更に南に行くと上と南側にお堂のある一見方墳のような墳丘があります。ここにも立派な石室があるが開口部が非常に分かりにくく見逃してしまった。それ程大きな墳丘でも樹木に覆われているわけでもなく開口部が見あたらないので金比羅古墳と違うのでは、と思い更に付近一帯を探し回ってしまった。

天王塚古墳(神明塚古墳)

群馬県甘楽町 1992年1月訪問

前方後円墳、TL76,R50,RH10,FW39,FH7.5、5C前半
位置:36°14′59″N 138°55′52″E

墳丘南側側面、非常に状態がよい


(見学記)

全長76m、5C前半の前方後円墳です。墳丘は極めて良好、全体が公園となって保存されています。町史跡。

笹森古墳(笹森稲荷古墳)

群馬県甘楽町 1992年1月訪問

前方後円墳、TL100,R60,RH8,FW65,FH9、6C後半
横穴式石室、全長16m,玄室長7.2,幅2.4,高2.5m
位置:36°14′52″N 138°55′36″E

墳丘北側、左手が後円部、南側は神社があってかなり改変されているが北側は比較的良好、周溝を示す窪みも残っている


石室入り口、後円部上段に開口、普段は鍵が掛かっていて入れない


羨道、細長くやや下り坂になっている


大型割石を使った玄室


両袖式、県内でも最大クラスの規模


(見学記)

全長100m、6C後半の前方後円墳です。墳丘南側や上に神社がありかなり改変されていますが北側は比較的良好に残っており幅広い周溝の跡も見られます。後円部上段南側に石室が開口、全長16mの両袖式で県内最長クラスです。玄室に社殿が祭られていて普段は鍵がかかっていますが最初訪れたときは何故か開いていて喜んで中に入らせていただきました。羨道はかなり細長く中は真っ暗こういう時に限って懐中電灯を忘れている。しかたなく側壁に手を当てて手探りで下って行きました。まさしく黄泉比良坂を下りていくイザナギの気分。玄室とおぼしき所でカメラのストロボで石室を観察、大型の割石を使った玄室のようでその割に羨道はかなり細長く狭いようです。もう2度と入れないでしょう。県史跡。
追記:3月第2土日曜日、春の大祭日に石室公開。

二日市古墳群

群馬県甘楽町 2001年2月訪問、2006年3月再訪

金比羅山古墳
円墳、R22,H4、6C後半
L字型複室横穴式石室、全長7.7m
位置:36°14′48″N 138°55′22″E

石室開口部、ここが玄門のようだ


石室内部、奥左手に副室がある


仮称4号(埼群古墳館での仮番号u4号)
比較的墳丘が残っている方


仮称5号(〃u5号)
横穴式石室、全長凡そ7.3m、玄室長凡そ2.3m
位置:36°14′34″N 138°55′27″E

上部を失った石室が露出、墳丘周りの石垣は後世の物


長い羨道が残る


玄室


石室背後から


仮称7号(〃u7号)
径20mくらい、この辺りでは最大の墳丘


(見学記)

同町二日市、以前紹介した金比羅山古墳(これもこの古墳群に属するとのこと)の南方400m、畑の中に点々と墳丘が残っています。大半がかなり削平されているようですが1基だけ石室が見学できます。墳丘周りは後世の石垣で改変され、石室も上部を失っていますが、珍しく羨道までよく残っています。羨道の長さは5mほど、玄室も長さ2.3m、幅1.5mくらいで奥壁には巨石を据えています。このすぐ西側にこの辺りでは最大クラス(径20mくらい)の墳丘があります。上に上がると盗掘坑の竪穴があって下に横穴石室があるようだ。落下防止の鉄筋が入っているから入れないし、なくても入る気にはなれないが。

金比羅山古墳
径22m、高4m、6C後半の円墳です。墳丘は比較的残っており南側に石室が開口、L字型複室構造の石室ですが羨道はかなり破壊されています。入り口部分に柵があるが鍵はかかっていない、でも落ち葉に埋まっていて開かず中には入れませんでした。左奥に複室があるはずですが壁がないのが分かる程度です。町史跡。なお「群馬県の史跡(古墳編)」の地図は場所が大きく違っていておかげで時間をかなりロスしてしまった。

福島町53号

群馬県甘楽町 2006年3月訪問

横穴式石室
位置:36°15′18″N 138°56′08″E

県道脇に石室露出、右が奥壁側、羨道壊失


上記と反対側、天井が1枚石の巨石


奥壁側


(見学記)

同町北福島、上信電鉄上州福島駅東北300m、県道脇にすっかり露出した石室が残っています。羨道は壊失、玄室も内部は殆ど埋まっています。天井石が1枚石の巨石からなっています。

天引黒渕古墳

群馬県甘楽町 2001年2月訪問

円墳?、後期
横穴式石室、全長4.95m、玄室長2.1,幅1.9,高1.8m
位置:36°13′18″N 138°56′48″E

石室入り口、鳥居状の切石を組み合わせる、後方上に天井石が露出


羨道、羨門の石に比べて加工はやや粗い


巨石を使った玄室、奥壁は1枚石


両袖式、まぐさ石右側下部に袖石と合わせる僅かな窪みがある


(見学記)

谷の奥いかにも終末期の古墳がありそうな場所に立地しています。丘陵斜面の畑の中にあり墳丘は壊失して巨石割石の天井石が露出しています。南側に石室が開口、鳥居状に組み合わせた切石が見えています。石室は完存、全長5mの両袖式で玄室は巨石を使っていますが加工度は羨門の石に比べてやや粗い。やはり見えている部分が一番大切なのかな。町史跡。史跡としての正式名称は黒渕古墳群の塚(1基)。東側の藪の中にも古墳があるそうだが所有者も見たことがないとのこと。訪問に来て見つけることが出来ない人もいるため所有者が教育委員会に掛け合って案内表示と説明板が設置されています。感謝感謝。
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