八日市古墳群

群馬県昭和村 2001年2月訪問

残存2基のみ

位置:36°38′01″N 139°04′12″E
標柱後ろに石室天井石が露出



十日塚古墳
円墳、R15,H2
位置:36°38′04″N 139°04′16″E

上記古墳の一段上の段丘にある


(見学記)

現存2基のみ。ビニールハウスが建ち並ぶ北端に天井石が露出している。側に標柱と説明板があるがこれがなければとても古墳とは分からない。地元の方に聞いた話では昭和20年代にはまだ石室が幾つもあったそうだ。

十日塚古墳
古墳群中の残る1基で一段上の段丘上にある。径15m、高2mの円墳で上に説明板が立っているが”奈良時代(600年代)”と書かれているのは訂正して欲しい物だ。共に村史跡。

鍛冶屋地2号

群馬県昭和村 2001年2月訪問

円墳、R19,H2.3、7C後半~8C初
横穴式石室、全長7.6m,玄室長7.4m
位置:36°36′41″N 139°03′04″E

復元された石室、公園として保存


やや胴張りの玄室、床面には礫が敷かれている、規模の割に背が低い(2m以下)五鈴鏡、武具、馬具等豊富な遺物が出土


両袖式、玄門床にしきみ石


(見学記)

径19m、高2.3mの円墳で石室を復元、公園として保存されている。全長7.6mやや胴張り両袖式の玄室で奥壁や天井石は巨石側壁は自然石乱石積み、床面には礫が敷かれている。石室規模の割に高さが低く2m以下、中でうっかり立ったら天井に頭をぶつけてしまった。五鈴鏡など300点以上の豊富な遺物が出土している。上の段丘上にも五鈴鏡出土古墳の標柱があるが古墳はかなりひどい状態です。この古墳は村史跡だが平成9年指定と新しく「群馬県の史跡(古墳編)」には載っていない。実はこの古墳は同じ村史跡の森下古墳群を探しに行って偶然見つけた物。肝心の方は見つけることが出来なかった。少なくとも「群馬県の史跡(古墳編)」の地図に示す位置には何もなかった。

岩下清水古墳群

群馬県昭和村 2001年2月訪問

現在7基確認、径5-10m前後の小円墳

峡谷内の段丘上に分布


位置:36°35′23″N 139°03′20″E
唯一開口している石室


石室内部


(見学記)

残存7基、峡谷の狭い段丘上に並ぶがかなり崩壊している。送電線鉄塔下に説明板のある古墳がありこのすぐ北側に唯一石室が開口している古墳がある。ここから200m程南側に鏡石古墳がある。竪穴式石室を有する2段積み積み石塚で榛名山の噴出物で埋もれていたのが偶然発見された。現在は道路下に埋め戻されていて見ることは出来ない。
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