少林山古墳群

群馬県高崎市 2005年5月訪問

少林寺境内と背後の山に分布

2号(天頭塚古墳)
円墳、R12、6C中
横穴式石室、全長6.2m
位置:36°19′36″N 138°57′38″E

移築復元された墳丘、全面に葺石がある


石室正面、玄門にアクリル板がある


玄室


玄室床面仕切石


奥から外


A号
横穴式石室

石室開口部


小型の玄室


B号
横穴式石室

墳丘、かなり変形


石室正面、羨道は天井部壊失


玄室、天井石がかなりの巨石


(見学記)

少林寺境内とその背後の山に分布する古墳群で横穴石室主体ですが見やすいのは境内のA,B号と移築復元された2号(天頭塚古墳)だけです。B号は駐車場から建物前を通って行った先にあります。墳丘は大分削られているようで石室が露出、前面上部が破壊されています。玄室天井石はかなりの巨石、中に石仏が祀られています。A号はこの少し上にありますが藪の中でよく知った人に案内して貰わないと分からないかも。小型の石室です。上の広場に2号が復元されています。前面に葺石をされた墳丘で石室は完存、玄門にアクリル板を設置してそれごしに見学するようになっています(ホームページの方を見たら中に入ったのはバレバレだけど)。

下芝谷ツ古墳

群馬県高崎市(旧箕郷町)2001年2月訪問

方墳、L20、6C初頭
位置:36°22′32″N 138°58′24″E

下段は地山と盛り土、上段は積み石塚の特異な方墳、火山泥流で埋没、現在も地下に保存


(見学記)

一辺20m2段築成の方墳だが下段は地山の削り出しと盛り土、上段は積み石塚という特異な古墳です。しかも斜面の立ち上がりが急でまるでメキシコのピラミッドの様。内部主体は竪穴石室でここから金銅製飾履、武具、馬具、装身具など豊富な遺物が出土しています。とまるで見てきたような書き方をしていますが現物は火山泥流で埋まり発掘後も埋め戻されて現地には説明板と場所を示す盛り土があるだけです。かみつけの里博物館に模型(一部)や復元された金銅製飾履が展示されています。町史跡。

下佐野寺前古墳群(漆山古墳他)

群馬県高崎市 1997年2月訪問、2006年再訪

前方後円墳1他、新幹線高架沿いに分布

漆山古墳
前方後円墳、TL62,RH7.5
位置:36°17′51″N 139°01′29″E

97年当時


06年現在、すっかり裸になっている、左側前方部端が少し削られている


石室正面


羨道、途中に石の梁がある


玄室、ほぼ一枚石の奥壁


奥から外、両袖式、構造が榛東村長久保31号と似ている


佐野村30号
円墳、R21,H3.3
位置:36°17′47″N 139°01′26″E

定家神社脇の良好な古墳


(見学記)

(1997年)
浅間山古墳西方1.2km烏川左岸に位置する古墳群です。群の真ん中を新幹線が走っていて高架沿いに古墳が幾つか残っています。定家神社境内にあるのがわかりやすく形もよい。その西方100m辺りにあるのが全長62mの前方後円墳漆山古墳、藪に覆われていて分かりづらいが前方部は消滅しているようだ。後円部に横穴石室があるそうだが墳丘に近づくのも困難。

(2006年)
漆山古墳
97年訪問当時に石室を見逃して悔しい思いをしていたので再訪してみました。前回藪に覆われていた墳丘はすっかり裸の状態で背の高い墳丘が良好に残っていました。前方部消滅と書いたけどこちらもしっかり残っている。ただ端の方が削られていてちょっと寸詰まな状態です。後円部南側に石室が開口、こんな石室を見逃すとはね(多分当時も開いていたんだろうけど接近もままならない状態だったしな)。羨道は短いが背の高い玄室は完存、奥壁も1枚石の巨石です。玄門上のまぐさ石は無いというか少し手前の羨道に梁のように架けられたちょっと変わった構造です。石材が砂岩のせいか鑿の跡が明瞭に残っている。その分脆そうで少しひびが入っている。

シドメ塚古墳

群馬県高崎市 1992年1月訪問

円墳、R25,H4、7C後半
横穴式石室、全長8.6m,玄室長4.1,幅2.5m
位置:36°21′28″N 138°56′39″E

墳丘


石室開口部、落ち葉ですっかり埋没している


石室内部、自然石乱石積み


(見学記)

東に延びる舌状台地先端の緩い傾斜地に立地している径18mの円墳です。南に自然石乱石積みの横穴式石室が開口していますが閉鎖されていて中にはいることは出来ません。県史跡。付近にも的場古墳群など幾つかの古墳が分布していますがわざわざ見る程の物は無いです。

桜塚古墳

群馬県高崎市 1997年2月訪問

円墳、R22,H7
位置:36°17′41″N 139°00′24″E

現状はこの数字よりは大分小さいようだ


(見学記)

鶴田団地内の幼稚園脇に丸い墳丘が残っている。径21.6m、高7mの円墳だが、現状はこの数値より大分小さいようだ。上に名前の元となった桜が生えている。すぐ南側にも小円墳が見えていて付近に小円墳が幾つかあったようだ。市史跡。

恩行寺古墳

群馬県高崎市(旧吉井町)1992年1月訪問

円墳、R40,H7、4C
位置:36°14′48″N 138°57′50″E

墳丘北側、丘陵北端に立地、墳丘良好


(見学記)

平坦な丘陵の北端、平野を見下ろす位置に立地する円墳で径40m、高7m。載頭円錐型の墳丘は良好に残っているが南や西側にあった周溝部分は墓地造成で破壊されているようだ。古墳からかなり離れた場所に説明板がある(帰りに見つけた)。それによると”竪穴式粘土槨があり6C後半~7C前半”と書かれているがちょっと疑問。「群馬県の史跡(古墳編)」にも発掘調査はされていないと書かれているのだが。町史跡。

御伊勢山古墳

群馬県高崎市 2000年1月訪問

円墳、R30-40位
位置:36°18′52″N 139°04′36″E

大きな墳丘が残っているが説明は何もなし


(見学記)

慈眼寺南東400m、地形図に大きな墳丘らしき物が描かれていたので行ってみたら径3-40m程の大きな墳丘があった。説明板は何もなかったが偶々近くで発掘が行われていて現場の人に聞いて名前が判明。
追記:前山古墳としていましたがその後御伊勢山古墳だと判明。前山古墳はこの南東側にある。

御穴塚古墳

群馬県高崎市(旧吉井町)2006年4月訪問

横穴式石室
位置:36°15′33″N 139°00′42″E

社殿の背後に墳丘が残る


玄室内部、小型ながらなかなか立派な奥壁


露出した天井石


(見学記)

同町真庭、上信電鉄真庭駅北側の集落内にある神社本殿北側にかなり削平された大きな高まりがあり石室天井石が露出しています。羨道は壊失しているが玄室完存、錯誤しに見学となりますが小型ながらなかなか立派な石室です。

剣崎長瀞西遺跡

群馬県高崎市1997年1月訪問

積石塚古墳群(97年発掘当時)
平野を見下ろす丘陵北側緩斜面に立地

遺跡全景、中央遠方が剣崎長瀞西古墳


積み石塚と言っても全部石ではないようだ


みな周溝が巡る


方墳


墳丘は元々低いようだ


方墳?、中央に埋葬施設


遺跡南側果樹園内に10基ほどの古墳がある。
墳丘は流失、石材露出、遠方が長瀞西遺跡


こちらは横穴石室のようだ


(見学記)

霊園東側の道を北に行くと小学校脇にある。径25m、高6mの円墳で藪に覆われているが北側の平野を一望できる目立つ場所にある。このすぐ東側で97年当時発掘が行われていた。北向きの緩斜面に立地する古墳群です。元々背の低い墳丘のようで周溝、葺石を伴い、中にははっきり方墳と分かるのもあった。その後別冊歴史読本「古墳研究最前線」にこの遺跡が紹介されていた。それによれば名称は剣崎長瀞西遺跡、積み石塚とのこと。それを知っていればもっとよく見ておけば良かった。すぐ南側の果樹園の中にも古墳が点々とある。墳丘は殆ど流失し崩壊した石材が露出している。こちらは横穴石室のようだが別系統の古墳群だろうか。

元島名将軍塚古墳

群馬県高崎市 1990年1月訪問

前方後方墳、TL91,R51,FW40,RH8.6,FH4.7、4C後半
位置:36°19′13″N 139°04′19″E

台地縁辺に立地する、左が前方部、神社があり大きく変形している


後方部正面、こちらから眺めると状態はよい


前方部から後方部、大きく盗掘を受けている


(見学記)

高崎市歴史民俗資料館北側にある全長91mの前方後方墳です。二つ塚を思わせる程度の墳丘は残っていますが前方部に神社があり後円部も盗掘を受けていてなど全般にあまり芳しくありません。北側から後方部を眺めると状態がよい、前面が何となく直線状で前方後方墳らしく見えます。4C中頃の前期古墳です。市史跡。
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