三島塚古墳

群馬県高崎市 1997年2月訪問

円墳、R58,H5.5、5C前半
位置:36°18′17″N 139°00′11″E

墳丘良好、見た目よりもっと大きい


(見学記)

丘陵麓の平野部にある5C前半の円墳で径58.4m、高5.5mとかなり大きい。上に神社があるが状態も大変良く周囲に浅い周溝が巡っていた。市史跡。

倉賀野古墳群

群馬県高崎市1990年1月訪問、1997年再訪

前方後円墳3,円墳1

大鶴巻古墳
前方後円墳、TL123,R72,FW54,RH10.5,FH6、5C後半
位置:36°17′30″N 139°02′29″E

小鶴巻古墳からの眺め


東側から


南側から、前方部は上部が多少削平されているが後円部は良好


南側アパートからの眺め、幅広い周溝が巡っている、遠方には上州の山並みが見える


墳丘西側側面、後円部3段、前方部2段築成がよく分かる


右大鶴巻古墳、左小鶴巻古墳


大山古墳
円墳、R60,H7、4C末
位置:36°17′23″N 139°02′21″E

_1:群中最初の古墳、径60mという程には大きく感じられない


小鶴巻古墳
前方後円墳、TL87.5,R45,FW40,RH6,FH2.5、6C後半

段々小型化していったようだ、右手が後円部、建物に囲まれ目立たない


手前前方部、左後方後円部


前方部から後円部上段


浅間山古墳
前方後円墳、TL176,R105,FW75,RH14,FH5.5、5C初頭
位置:36°17′45″N 139°02′13″E

南側前方部斜め後方から


東側前方部斜め後方から、手前の高まりは周溝外堤か


西側周溝跡、左手が墳丘、周囲を盾形周溝跡の水田が巡り一巡りして見学できる


墳丘西側側面、県下第2位の規模、後円部3段、前方部2段築成


(見学記)

JR倉賀野駅西方1.5km辺りに分布、前方後円墳3,円墳1からなる。

浅間山古墳
一番北側にある全長176m後円部径105m前方部幅75m後円部高14m前方部高5.5mの大型前方後円墳で5C初頭の築造、県下第2位の規模です。緩斜面に立地、後円部は雑木林、前方部は畑となっていますが墳丘は良好、後円部を北側から眺めるとその大きさが実感できます。馬蹄形の周溝が水田となって残っています。周りが全て水田だから墳丘をぐるっと1周していろいろな方向から墳丘を眺めることが出来ます。大型古墳でこういうことが出来るのも結構珍しい。国史跡。

大山古墳
大鶴巻古墳から小さな谷を隔てた南側にある円墳です。径60m高7mと結構大きな墳丘ですが周囲をかなり削られているのかそんなに大きな感じはしない。4C末の古墳で群の中では最古。

大鶴巻古墳
浅間山古墳の南東500mにある全長123m後円部径72m前方部幅54m後円部高10.5mの前方後円墳です。墳丘はほぼ裸の状態、前方部は耕作で上部が削られているようですが後円部は良好、周りを周溝が巡っています。この古墳を眺めるには南側にあるアパートの最上階がベスト、馬蹄形の周溝や墳丘の形がよくわかります(最良のアングルを求めて階段を3度も上り下りして疲れた)。国史跡。

小鶴巻古墳
大鶴巻古墳の北側に周溝に接するようにある全長88m後円部径45m前方部幅40m後円部高6mと一回り小さな前方後円墳です。前方部の向きも大鶴巻と90度ずれています。くびれ部上部が切断されている他は良好ですが周りに建物などがあって全体の形が少しわかりにくい。6C前半の築造で3基中一番新しい。規模が段々小さくなっているようだ。

片山1号

群馬県高崎市(旧吉井町)2006年4月訪問

円墳、R33、4C末~5C初
粘土槨(移築)

多胡碑記念館敷地内に移築、奥が多胡村115号

金古愛宕山古墳

群馬県高崎市(旧群馬町)1990年1月訪問、1997年再訪

前方後円墳?、R30,H3、7C初頭
横穴式石室、全長9m,玄室長3.2,幅2.1,高2.3m
位置:36°24′39″N 139°00′06″E

墳丘、正面に石室が開口


羨道、まぐさ石が一段下がっている


玄室、天井、切石に近い積み方がされている、地下水がしみこんで上部が濡れている


両袖式、石を積み上げた袖部


(見学記)

金古古墳群の内の1基です。径40m程の円墳で墳頂部に神社があります。自然石乱石積みの両袖式横穴式石室が開口していますが入口部分がセメントの通路になっていて最初は石室らしく感じません。中が暗くて羨道奥辺りで天井の石に思いきり頭をぶつけてしまった。人様のことは笑えない。町史跡。
北側に同じ古墳群で前方後円墳の金古入道山古墳,金古高山古墳がありますが共にかなり変形しています。

上小塙稲荷山古墳

群馬県高崎市1992年1月訪問

円墳、R45,H9、6C初頭
石室全長10m、玄室長5.5,幅2.0m
位置:36°21′22″N 138°58′54″E

平野にある大型円墳、北向きに横穴石室が開口(白い説明板横)


石室開口部、県内初期横穴石室


玄室、清掃されてきれいになった


無袖式、玄門にしきみ石がある


(見学記)

径45m、高9mの大型円墳です。平野にありかなり目立つはずだが上に神社があり全体が杉林に覆われているため側に行かないと墳丘が分からない。横穴石室があるが変わっているのは北向きに開口していること。墳丘中断に開口、全長10m、幅2mの無袖式で玄門にしきみ石があって玄室羨道を区別している。6C初頭県内初期の横穴石室です。以前は多少荒れていたが内部が清掃されてきれいになったがその代わり入り口に柵が付けられ中に入ることが出来なくなった。県史跡。

慈眼寺古墳群

群馬県高崎市2000年1月訪問

円墳3基残存
位置:36°19′01″N 139°04′31″E

A号:円墳、R8,H1.3


C号:円墳、R10,H2
寺の裏に割と良好に残っている


(見学記)

将軍塚南東400m、慈眼寺裏の林の中に径十数m、高1~2m程度の墳丘が3基あり、比較的状態はよい。南側のB号の上に江原重久(何者かは不明)の墓がありこれが県史跡。

本田古墳群

群馬県高崎市(旧箕郷町)2005年5月訪問

上郊22号
横穴式石室
位置:36°23′24″N 138°57′59″E

墓地に残る墳丘


石室正面、羨道壊失


玄室、長2.5m、幅2m程度


上郊23号
横穴式石室
位置:36°23′23″N 138°57′58″E

背の高い墳丘が残る、上の方に石室がある


石室開口部


玄室、長2.5m程度


奥から外、閉塞石かどうかは不明


(見学記)

松山寺南東400mに生原北野神社がありここに上郊22,23号があります。鳥居をくぐるとすぐ右手に背の高い墳丘があります、これが23号。上に祠があり石段を登ると墳頂近くに石室が開口、羨道は埋まっていますが小型の玄室が残っています。神社東側に墓地がありそこに22号があります。羨道を壊失して玄室がぽっかり開口、23号と同じくらいの規模でしょうが開放的な分大きく感じます。

保渡田古墳群

群馬県高崎市(旧群馬町)1992年1月訪問、1997年2006年再訪

前方後円墳3基、3基ともほぼ同規模で2重周溝を持つ、5C後半から6C初頭にかけての築造、全て国史跡

八幡塚古墳
前方後円墳、TL102,R56,FW53
舟形石棺
他と違いこれだけが前方部南向き、血筋の違いを表しているとのこと
位置:36°22′42″N 138°59′21″E

上92年、中97年、下01年、かっては畑の中に細長い高まりが見える程度だったが墳丘、周溝、外堤、葺石、埴輪が修復された


1と同じ、下の写真では内側堤の上に埴輪列が再現されている


北側から、周溝内に4基の中島がある


周溝中島(南西)右遠方に二子山、左奥の建物がかみつけの里博物館


後円部頂に舟形石棺展示室がある、礫槨、石棺を発掘された状態で展示


身は完存、蓋はかなり破壊されている、身、蓋にも縄掛け突起が付いている


手前に副葬品用小石室がある、その際小口部の縄掛け突起を現場で削ったそうだ


二子山古墳(愛宕塚古墳)
前方後円墳、TL111,R74,FW71,RH8,FH6
群中最初の古墳
位置:36°22′31″N 138°59′14″E

八幡塚からの眺め、こちらも幅広い周溝と4基の中島がある


東側から


北側から、後円部が少し削られているが3基中最も良好


後円部頂、礫槨?


薬師塚古墳
前方後円墳、TL90,R50
群中最後の古墳
位置:36°22′45″N 138°59′10″E

八幡塚からの眺め、背後の山並みが榛名山、6世紀代に二ツ岳がしばしば爆発し集落や古墳が埋没した


北側前方部隅から、南側は寺で大きく損壊しているが北側は比較的前方後円墳の姿を残している


寺境内に保存展示されている舟形石棺、身は完存、蓋はかなり破壊


(見学記)
(2001年)
八幡塚古墳は以前は畑の中に細長い高まりが残っているだけでしたが96年頃から修復工事が行われこの程完成しました。2段築成の墳丘には葺石が敷かれ地元の小学生が焼いた埴輪も並べられています。幅広い周溝には4基の中島があります。これは周溝を掘り下げる際地山を残して少し盛り土したものでここにも埴輪が並べられています。更に外側には二重の堤があり、内側の堤の前方部側には儀式の様子を示した埴輪列が復元されています。後円部頂には舟形石棺展示室があり礫槨や石棺が発掘された状態のまま展示されています。蓋はかなり破壊されているため一部復元されていますが身はほぼ完存小口部や側面に大きな縄掛け突起が付いています。面白いのは小口部に接して副葬品用の小石室を設けていますがそのため小口部の縄掛け突起を現地で削って削除したそうで現代の工事現場でもありそうな話です。南側にかみつの里博物館(入館料200円)があり各種出土物や遺跡の復元模型が展示されています。休みが月曜でなく毎週火曜日なので注意して下さい。

(1992年)
前方後円墳3基からなる古墳群です。付近一帯を上毛野はにわの里公園として整備中です。現在1期工事中として八幡塚辺りを整備中です。南側にかみつけぬの里博物館が出来ていますがまだオープンしていないようです。近くにこの時代の豪族の館跡の三ツ寺Ⅰ遺跡がありますが現在は埋め戻されていて説明板があるだけです。

八幡塚古墳
墳丘を修復中です。全長102mですが修復前は周りをかなり削られ上も削平を受けていたようです。周りに大量の河原石が積んでいましたから石葺きにするんでしょうね。

二子山古墳
三古墳中最も保存状態がいいですがそれでも後円部が少し削られています。測量が行われたのでしょうか現在後円部が裸の状態で墳頂部にも竪穴石室の天井石が見えていました。周りの畑も微妙に窪んでいて周溝の存在が判ります。こういうのは肉眼で見るとよく分かるが写真を撮ってもさっぱり分からないのがつらい。全長111m

薬師塚古墳
西光寺裏にありますがここもかなり変形を受けています。後円部頂に出土した舟形石棺が置かれています。蓋はかなり破壊されていますが身の部分は縄掛け突起も付いています。推定全長90m。

八幡古墳群

群馬県高崎市 1997年2月訪問、2006年3月再訪

前方後円墳3基

観音塚古墳
前方後円墳、TL105,R70,RH12,FW105,FH14、6C末~7C初
石室全長15.3m、玄室長7.1,幅3.5,高2.8m
位置:36°20′18″N 138°56′40″E

南側側面、右手に石室が開口している


墳丘上段、前方部隅から後円部、前方部が発達している


石室正面


羨道からして巨大、石の梁が架けられている


巨石を使った玄室、全国有数の規模、仕切石があり、奥は床面がやや高くなっている、前大戦末期未盗掘の石室から豪華な遺物が多数出土、資料館に保存展示されている


奥から外、両袖式


(97年)


八幡遺跡20号
位置:36°20′13″N 138°56′37″E

観音塚考古資料館駐車場脇に移築された


上部を失った石室


石室後ろから


平塚古墳
前方後円墳、TL105,R66,RH9,FW56,FH7
位置:36°20′11″N 138°56′31″E

後円部正面、上に墓地がある等3基の中で状態は一番良くない


二子塚古墳
前方後円墳、TL66,R41,RH9,FW48,FH9
位置:36°20′09″N 138°56′45″E

北西から、手前が前方部


南西から


南側側面


(見学記)

3基の大型前方後円墳があり、そのほぼ中央に観音塚考古資料館がある。

観音塚古墳
全長105m、後円部径70m、高12m、前方部幅105m、高14mの前方後円墳です。6C末~7C初の築造で末期の前方後円墳、現地で見ても前方部が非常に発達しているのがよく分かります。後円部南側に石室が開口、巨石を使った両袖式で全長15.3m、玄室長7.1,幅3.5,高2.8mと全国有数の規模です。開口部は一見平凡ですが中に入るとその規模に驚かされます。羨道からしてかなりの巨石、玄室は奥壁側壁とも下に巨石を据えその上にそれより小型の石を置いた2段積みです。玄室床面には仕切石があり奥側が一段高くなっています。羨道にも天井に仕切り石が架けられている。前大戦末期に防空壕を掘っていて石室を発見、未盗掘で中から豪華な遺物が豊富に出土、これらは現在資料館に保存展示されています。人里離れた場所ならともかくこれ程の石室が僅か半世紀ほど前に発見されたというのが驚き、現代なら一面トップの大ニュースだったでしょうけどね。現在公園として保存され墳丘には桜が植えられ名所となっています。国史跡。

二子塚古墳
全長66m、後円部径41m、高9m、前方部幅48mの前方後円墳です。東側住宅地の中にあり全体に小さくなっているようだが状態は良さそうだ。現在は藪に覆われているが将来は公園化されて保存の予定。

平塚古墳
全長105m、後円部径66m、高9m、前方部幅56mの前方後円墳です。上に墓地があり、墳丘も階段化しているなど3基の中で状態は一番良くない。側に児童公園があるが反対側にはなにのホテルがあるという環境の悪さ。

八幡遺跡20号墳
資料館庭に天井石を失った小型の石室が移築されている。

浜尻天王山古墳

群馬県高崎市1997年2月訪問

前方後円墳、TL53,R28,FW36、6C後半
位置:36°20′52″N 139°01′17″E

右手が前方部、細長い高まりが残っている程度、神社があり上部は平になっている


(見学記)

五霊神社北西900m平坦地の中にある全長53mの前方後円墳で細長い高まりが残っています。南側から見るとあまり古墳らしく見えませんが北側は前方後円墳らしい形が残っています。上部は平らに削平され前方部に諏訪神社がのっています。市史跡。
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